第2話

 2月なかば、東北のM県の病院にひとりの患者がかつぎこまれた。40度を超える高熱を発症し、救急車で運び込まれたときにはすでに意識は混濁していた。何より人々を驚愕させたのがその外見だった。患者の体は水風船のように膨れあがり、その表面は体から漏れ出た体液でぬらぬらとしている。目は眼窩に落ちくぼみ、鼻はこそげてもはや二つ穴を残すのみ、手足の指はひとつに溶けあって、もはや人の形をとどめていなかった。


 その患者、男性27歳は病院に搬送された直後に死亡、2日後には同様の患者、こちらは女性55歳が同じ症状で同病院に運びこまれ、やはり死亡した。2人の患者の死亡直後に行われた解剖から、死因は、戦後直後、N県とH県の村々を壊滅させたウイルス性伝染病、球里きゅうり熱と判明。2人を収容した病院はもちろん、M県全体はおろか、日本中が感染の恐怖におびえるなか、感染源探しが始まった。


 原因となるウイルスを特定した博士の名をとって球里熱と名づけられたこの病気は、致死率が非常に高く、これといった治療法もまだない。初期症状は風邪に似ているが、やがて40度を超える高熱を発し、下痢と嘔吐を繰り返す。ウイルスが体中のあらゆる細胞を破壊し続けるため、患者の体は体液で膨れ上がり、やがてその機能を破壊され、死亡する。


 感染力が非常に強いため、N県、H県では村そのものが消滅したが、不思議なことに空気感染はしない。感染地域はN県、H県の限られた場所に留まり、いくつかの村では数名の生存者も確認されている。とどまるところを知らないかのようにおもわれた球里熱の猛威だが、ある日を境に次第に収束にむかった。罹患患者の回復が相次ぎ、新たに感染するものはいなくなった。まるで風にさらわれたかのようにある日突然ウイルスが姿を消したのだった。


 日本で初めて球里熱の発症が認められてから半世紀以上経っての再発、初めて確認されたN県、H県から地理的にも遠いM県での発生。最初の患者2人は、N県、H県どちらにも住んだことはおろか旅行で訪れたことすらなく、感染源の特定は困難を極めた。唯一、2人に共通していたのが、M県近隣のF県の温泉地へ同じ時期に旅行したことがあったぐらいだった。


 すぐに該当する温泉地が調査され、新たな死者と患者が発見された。


 治療法もなく、致死率が高く感染力の非常に強い球里熱が相手では、とにかく感染を未然に防ぐほか手はない。他への感染を防ぐという目的で、F県下の一部地域はただちに封鎖された。封鎖された地域での医療支援にむかったのが、富士見台総合病院の医者、槙原慎太郎だった。


 槙原は、自分は成人した子どものある身でもう若くはないから、と医療チームへの参加を志願した。


 マスコミはたちまち槙原の態度を讃え、死をも厭わない立派な医者だと、槙原を英雄にまつりあげた。球里熱は空気感染はしないのだから、患者の体液や排泄物に触れないなどの適切な処置を行っていれば感染しないと言い、槙原は現地へむかった。




「感染の危険を顧みずに患者の治療にあたるヒーロー、マスコミはそう言って騒いでいるんだ。毎日テレビやニュースで話題になってるのに、スギさん、何も知らないんだな」


 美月は事情をかいつまんで語った。


「騒いでいるのって、そのおっさんが死んじまったからだろ」

「あれ、知ってた?」


「そのおっさんなら、いま俺の目の前にいる」

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