第十三話 どうしてああなったかというと

「私に施されている生活防水は、正しくは十気圧――水深百メートルまで耐えられますので、実際には水泳や入浴は可能です。ご心配なく」

「――さ、最初に言ってよそれ!!」


 自宅の玄関でその言葉を聞き、私はその場にくずれおちた。

 てっきり水をかぶると壊れてしまうのかと思った。

 でもよく考えたら、レイナは皿洗いとかしてくれていたし……。

 どうやら冷静なつもりで全然冷静ではいられなかったらしい。

 私はだらしなく玄関の段差に座りこんで、びしょぬれのレイナを見上げた。


「とりあえず早く体をふいて着替えよう」

「なぜです? 私はアンドロイドです。人間のように風邪などひきません」

「いくらすごい防水機能付きのアンドロイドでも、何かあったらイヤだもん。ほら行くよ」


 一息ついた私は立ち上がるとレイナの手を引いた。

 レイナの髪からはまだポタポタと水が滴っている。

 莉鈴の水筒に入っていた飲み物がスポーツドリンクとかじゃなくてよかったなぁ、とぼんやり考えた。

 レイナは一言も発さず、私にだまって手を引かれた。

 脱衣所にレイナを連れていき、タオルを出してやる。


「はい、早く体ふいて。今替えの服持ってくるから――」


 私が言い終わるよりもはやく、レイナはがばりと上の服を脱いだ。

 キャミソール一枚になったレイナに思わずどきりとする。

 レイナはおもむろに、右肩をかりかりと引っかいた。

 すると、パカ、とフタのようなものが開いて、中で何かチカチカとランプが光っているのが見える。

 金属のような部品や、コードみたいな線もちらほら見え、それらがぎゅうぎゅうに詰まっているのがよくわかった。


「……うわあ」


 レイナの体は人間みたいにやわらかく、体温もある。

 だからレイナのアンドロイドらしい姿を見るのはこれが初めてだった。

 心臓がいやに早く動いてしまう。わかっていたけど、けど、やっぱり――


「――恐ろしいですか」


 レイナは小さな声で静かに言った。


「……びっくりはした。レイナの言ったとおりちょっと怖くもある」

「それが正常です。自分と違うものを恐れるのは普通のことです」

「でも……レイナが人間じゃないからってキライになったりしないよ」


 私がそう言うと、レイナはひどくおどろいた顔をしていて、なんだか人間みたいだった。

 それからしばらくして、レイナの体は何事もなくキレイになった。

 そして現在、なぜか私たちはダイニングテーブルに向かい合って座っている。

 レイナがそこに座って動かなくなってしまったため、私もそうした。


「……昨日はごめんね」


 私はそう言って頭を下げた。


「こちらこそ、私が人間の感情を正確に読み取れないばかりに、アオイさんに不快な思いをさせてしまい、申し訳なく思います」


 レイナはいつも通りそうつらつらと述べた。


「……レイナは、人間の感情を知りたいんだよね」

「はい」

「じゃあ、私がなんで昨日あんな風になったか、聞いてくれる? 言い訳に聞こえるかもしれないけど……」

「かまいません」


 そう言ってレイナは居住まいを正した。


「何から話そうかな……えっとね……」


 私は、なぜレイナにあんな態度を取ってしまったのか、一から説明することにした。

 そうすることで、私の気持ちの整理もつけたかったのだ。




 私のお父さんとお母さんは、二人とも隣町の梢賀ロボット研究所という所で働いていた。

 二人とも忙しくて、どちらもそろうことはあんまりなくて。

 だからこそ、家族三人で過ごせることが嬉しかった。

 けれど、ある日なんの前ぶれもなくお母さんがいなくなった。

 運転ミスをした車にお母さんはひかれて、そのまま帰らぬ人となったのだ。

 お父さんの悲しみようはすごかった。病院でお母さんが死んだってわかった時も、お通夜でも、火葬場でも、お父さんはずっとずっと泣いていた。

 私もいっぱい泣いた。けれど――


『アオイちゃん。お父さんはこれから一人で子育てしなくちゃいけないんだから、お父さんを困らせちゃいけないよ』


 お母さんの親戚か、お父さんの親戚か、それすらわからないおばさんにそんなことを言われて、私はああそうかって思って、お父さんが泣いている間は泣かないようにがんばった。

 遠くに住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんに代わって、自分ができるかぎり面倒を見る、と言ったのは真穂おばさんだった。

 お母さんが亡くなってからしばらく、お父さんもできるだけ家に帰ってきていた。

 しかしだんだんと一週間帰ってこず、ニ週間、一カ月……。

 そうしているうちに、私とお父さんの会話はずいぶん減っていった。

 忙しいならしかたない。困らせちゃいけない。


「……でも、私、やっぱり、さみしかったんだぁ」

「さみしい」

「そう。一人になるのがイヤだった。おばさんは優しかったけど、でも一週間に一回とかしか会えないでしょ。それに、おばさんの家族だってさ、おばさんが帰ってこなきゃさみしいもんね。だからずっといて、なんて言えなかった……」


 そう、私はさみしかったのだ。

 お父さんはどうして帰ってこないのだろう?

 私のことキライなのかな。お母さんがいない家なんてどうでもいいのかな。

 私が娘だから、しかたなく帰ってきてくれているのかな。そんな風に思っていた。


「クラスの子たちみたいに、普通に、親にプリント渡したり、今日は給食でカレー食べたよとか、転校生が来たんだよとか、そういう……そういうことを話したかっただけなの」


 お母さんが生きていた頃はそれができた。

 プリント持ってきてくれてありがとう。給食おいしかった? 転校生と仲良くなれそう?

 ……そんな風に言ってほしかった、ただそれだけ。


「それでイライラしてしまい、私に当たったということですか?」

「うん。あとは……お父さんさ、電話ですぐレイナに代わってくれって言って、私のことなんてどうでもいいみたいでさ。レイナとばっかり話して……」

「…………」

「お父さんもさぁ、ちょっとくらい私の心配してくれたっていいのにね。でも、だからってレイナが悪いわけじゃないのに、ほんとにごめんね」

「そうですね」


 レイナは難しい顔をして、深くうなずいた。

 私はその反応におどろいて、思わず口をパクパクさせた。

 てっきり私は、レイナはお父さんの命令を絶対聞くものだと思った。

 だからお父さんのことを悪く言う私から、かばったりするものだと。それはしょうがないことだと思っていたのに、レイナは私のことを否定しなかった。


「――すみません。話の途中ではありますが、行く所ができました」


 そう言ってレイナは突然立ち上がった。


「えっ、ちょっと、レイナ!?」

「すぐに戻ります」


 スタスタと玄関に歩き出すレイナの後ろを慌てて追いかける。

 レイナがこれからどこに行こうとしているのか、まるで検討がつかない。

 くつをはいたレイナはそのまま玄関の扉を開けて外に出た。


「待って! ねえどこ行くの!?」

「ご心配なく。すぐ戻ります」

「だからどこに行くのって聞いてるのに――」

「十分で戻ります。では」

「うわっ――」


 ブワッ、と風が舞った。

 突然の突風に思わず顔をおおったけど、すぐに前を見る。


「い、いない」


 レイナはこつぜんと姿を消していた。

 さすが、百メートル五秒で走れるアンドロイド……。

 私は家の前に取り残されて、ただ呆然と立ちつくすしかなかった。

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