第六話 感情のなまえ
あの一件から数日がたった。
私は金城莉鈴のことを、『関係ない人』から『苦手な人』だと思うようになった。
自宅のダイニングテーブルに広げた宿題のプリントに私はゴツンとひたいをぶつけた。
「はあ~……ねえおばさん」
「なぁに、アオちゃん。めずらしいわね、ため息なんかついて」
真穂おばさんは一週間に一回の作り置きのご飯を持ってきていた。
私のようすを見て、心配そうにとなりに座ってくれる。
「
「麻美と優花? そうねえ……」
真穂おばさんの家は三人の子どもがいる。私のいとこに当たる人たちだ。
麻美お姉ちゃんは中学一年生。優花ちゃんは小学三年生。
ちょっと年がはなれてるけど、すごくはなれてるってわけでもないから、二人とはお盆やお正月の時期になるとよく遊んでもらっている。
「優花は今日こんなことがあったーって話してくれるわよ。麻美も小学生のころそうだったけど、最近は中学生になったからか、ぶっきらぼうなことが多いわねぇ」
「フーン……ねえ、私も学校であったこと話してもいい?」
「あら珍しい」
お母さんがいなくて、お父さんは帰ってこない以上、頼れる大人はかぎられている。
私のまわりには先生と伯母くらいしか大人がいないのだ。
「――アオイさん、洗濯物を干し終わりました」
「あ、ありがとうレイナ」
「あらなぁに? レイナちゃんにやってもらってるの? アンドロイドだからってなんでもさせたらダメよぉ」
「……大丈夫だよ。一日おきに交代でやってるから」
あらそう、と真穂おばさんはゆかいそうに笑った。
「それでアオちゃん、話って?」
「あー、えーっと、なに話そうとしたか忘れちゃった」
「ええー!? ちょっともう、やめてよ~まだ若いんだから」
真穂おばさんはケラケラと笑った。
私も笑っているふりをしてなんとかごまかした。
そのうちに「そろそろうちの夕飯つくらなきゃ」と言って、真穂おばさんは帰っていった。
「はあ……」
「アオイさん、なぜ先ほどウソをついたのですか?」
向かいのイスに座ったレイナにそう聞かれ、私はぎくりと肩をはねさせた。
レイナは、まだ人の感情がどういうものかわかっていない。
しかし観察する力はとっても強い。
レイナがアンドロイドだからか、それとも人の感情を知りたいからか。
なんにせよ今の私がどういう状態か、レイナにはわかっているのだろう。
「なんか……なんかよくわかんないけど、おばさんと話してて、イラッとしちゃって」
「イラッ、ですか」
「そう。ひどいよね。おばさんは忙しいあいまをぬって、私たちのご飯をつくりに来てくれたのに……」
レイナはふむ、と口元に指を当てた。
そのしぐさがなんだか人間くさい。レイナもずいぶん人間を観察したのだろう。
「『よくわかんないけど』と言いましたが、何かが起こったから感情が動いたのでしょう。アオイさんはおばさんと話していて、どういう時に『イラッ』としたのですか?」
「うーん……レイナがさぁ、洗濯物を干し終わったってリビングに来たじゃん?」
「ええ、来ました」
「そしたらおばさんが、『アンドロイドだからってなんでもさせたらダメ』って言ったでしょ。なんだかそれが……なんというか……」
「イラッ、とした?」
うん、と私はうなずいた。
それまでなんともなかったのに、なぜだか急に腹が立ったのだ。
私は相変わらずひとつも動かずじっと座るレイナを見つめながら考えた。
「……本当にアンドロイドだからって仕事をやらせるなら、毎日やらせるし宿題だってやってもらうのにねえ」
「ではなぜそうしないのです?」
「なぜって――」
――レイナ一人に仕事をやらせるのは、かわいそうだと思ったからだ。
でも、どうしてそう思ったんだろう?
洗濯機がかわいそうだから今日は洗濯板で服を洗おうなんて考えたこともなかった。
レイナが人の姿をしているからだろうか?
最初はそうだったかもしれない。
しかもレイナってば、洗濯物を干してって言ったらくつ下にまでハンガーをつっこんでのびのびにしちゃうし、掃除を頼めば浮いているホコリの一粒まで掃除機で吸いこもうとして、いつまでたっても作業が終わらなくて、これなら自分ひとりでやった方が速いって思ったくらい。
それでも私たちは順番に、かわりばんこに家のことをやってきた。
それってつまり、私はレイナのことを――
「――わかった」
「わかったのですか? 教えてください。インプットが必要です」
「……やーだよ」
「ええ? なぜです?」
「なんとなく」
「先ほどまで怒っていらしたのに、なぜうれしそうにしているのですか? わかりません」
感情はちょっとしたことで変化するものだ。
私がレイナに良い感情を持ち始めたのも、ほんのささいなできごとのつみ重ねだったのかもしれない。
レイナは私に教えろ教えろとしつこくせまってきたけど、私は今はまだナイショにしておきたかった。
――私がレイナのことを、友だちとして、家族としてみとめ始めている、なんて。
レイナに言ったら「どうしてそう思ったのですか?」ってまたナゼナゼ攻撃が始まるに決まっているんだから。そんなの、なんだかはずかしいじゃん。
◇ ◇ ◇
朝、いつも通りドタバタしながらレイナと学校へ行くと、莉鈴とかちあってしまった。
私と莉鈴の間に気まずい空気が流れる。
「おはようございます、金城さん」
レイナが礼儀正しくあいさつをしても、莉鈴はムシした。
あからさまだ。いやーな感じ。
莉鈴は私をひとにらみして、そのまま何も言わずにスタスタと歩いて行ってしまった。
「アオイさんと金城さんは仲がよろしいのですか?」
「ハァ? なんでそう思ったわけ?」
「見つめ合っていましたので。嫌いな相手の顔を長時間見ることはないかと」
なるほど、アンドロイドのレイナはそういうふうに思ったのか。
私はみょうに感心してしまった。
誰がどう見ても私と莉鈴の仲は悪そうだと思うはず。しかしレイナはそうじゃない。
ひとつずつ教えていかないと、レイナはわからないんだ。
「金城さんは私のことが嫌いなんだよ」
「嫌い? なぜです?」
「いろんな原因があると思うけど……『嫉妬』じゃない?」
「嫉妬――他人をうらやましく思い、ねたんだりズルいと思うことですね」
「そうそう」
クツをはき替えながらうなずく。
嫉妬って、喜怒哀楽のどれに当てはまるんだろう。怒り?
というか感情を喜怒哀楽っていう四つに当てはめるのって、今さらながらとてもむずかしいことだなって思う。
「なぜ金城さんはアオイさんに嫉妬しているのですか?」
「そんなの金城さんにしかわかんないけどさ。私のほうが足が速かったとか、私が宮部くんと仲良さそうにしてるからとか、多分そういうのだよ」
「アオイさんの足が速いことや、宮部さんと仲良くしているのが、ズルいということですか」
「ほんとの所は金城さんにしかわかんないだろうけどね」
人の気持ちを完ぺきに理解するなんてことはぜったいにできない。
だって当の自分自身ですら、自分の気持ちがよくわからないなんてことは、よくあることだ。
「アオイさんは『嫉妬』をしたことがありますか」
クツをはき終えたレイナは、いつものように私に質問をした。
ガラス玉のような、まん丸で、きれいにすき通った青い目だ。
……お父さん、やっぱりこういうきれいな子どもがほしかったのかな。
「嫉妬……嫉妬ねえ。今したかも」
「アオイさんが? 私に? なぜです?」
「レイナの目があんまりにもきれいだったから」
きれいな青い目も、きれいな金色の髪も、ととのった美しい顔も、私には手に入れられないものだ。だからだろうか、すんなりとレイナにそう言うことができた。
これも一種の『あきらめ』なのかもしれない。
レイナはおどろいたのか、アンドロイドにおどろくという行動がインプットされているのか、わからないけど青い目をまんまるに見開いた。
「アオイさんの目もおきれいです。琥珀のようで」
「……日本人はみーんなこうだよっ」
「なぜ背中をたたくのです?」
私は何度もレイナの背中をぺしぺしとたたいた。
なぜって? そんなの私にもわかんないけど。
いやな気分じゃないことはたしかだよ。
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