第三話 アンドロイドは予測不能

「人間の感情を学びたいんならさ、とりあえず友だちをつくったら?」


 レイナと暮らすことになったその日の夜。

 何度も何度も「今の感情は?」と聞かれるのにすっかりうんざりして、私はご飯を食べながらそう言った。


「『友だち』。互いに心を許しあう、対等な相手のこと。……と、辞書にあります」

「そうそう。よくわかんないけど、とにかくそういうこと」

「つくるとはどのように? 無から人間を生みだすにはまず――」

「無から生みだしてどうすんの? てゆーか、スマホもパソコンもなしでいろいろ検索できるんだから、『友だちのつくり方』とかで検索すれば?」

「アオイ様のおっしゃるとおりです。『友だちのつくり方』で検索。二千五百五十万件ヒットいたしました。精査に取りかかります」

「まあがんばって。あと明日の朝七時に起こして」

「かしこまりました。明日の朝七時にアオイ様を起床させます。精査を続行――」


 レイナはイスに座ったまま、遠くを見たままぶつぶつ言いだした。

 アンドロイドだって知ってるからまだ大丈夫だけど、正直ちょっとこわい。

 けれど今はとにかくつかれていた。一日にいろいろなことが起こりすぎたのだ。

 私は自分の部屋にもどってパジャマに着替えると、そのままベッドに飛びこんで眠りについた。



◇ ◇ ◇



 翌日。

 朝からうるさい電子音を鳴らしたり、洗剤を一本まるごと使って食器を洗おうとしたり、レイナはやりたいほうだいだったけど、なんとか登校するために家をでた。


「で、友だちのつくり方はわかったの?」

「おまかせください。――すみません、そこの方」


 通学路を歩いていると、レイナが向かいからやってきたスーツ姿のお姉さんを呼び止めた。

 きっとこれから会社に行くに違いない、見知らぬ女の人だ。


「おはようございます」

「お、おはようございます?」


 お姉さんは困ったようすだが、それでも笑ってあいさつしてくれた。いい人だ……。

 レイナはいたって真顔で、お姉さんの顔を見上げた。


「私と友だちになってください」

「へ、え?」


 お姉さん、ポカンとした顔で、ものすごぉーく困ってる!

 私は心臓がどっととびはねるのを感じた。あわててレイナの腕をつかむ。


「この子こっちに来たばっかりで、まだ日本語をよくわかってないんです! すみません!」


 そのままレイナの腕をひっぱって、逃げるように走った。

 まさかいきなりあんなことを言いだすなんて思わなかった。

 学校までの道を一気に走って、私たちはあっという間に校門の前にたどりついた。


「はあ……ハア……レイナ、ホントバカ……!」

「なぜです? 友だちは自分から積極的に話しかけることでつくることができる。情報を精査した結果そう判明しましたが?」

「それは……そうかも……しれないけど!」


 私はすっかり息があがって、ぜえぜえと息をしながらさけんだ。

 朝一番で走ってつかれているのに、レイナは全然つかれていない。さすがアンドロイドだ。

 何度目かの深呼吸でようやく落ち着くと、私はようやくかがめていた体を起こしてレイナをげた箱に連れて行った。


「いきなり知らない人に声かけちゃダメ。お姉さんびっくりしてたよ」

「現在のアオイさんの感情はどのような状態ですか?」

「つかれてる。あきれてる。あと、ちょっと怒ってる」

「インプットします」


 一事が万事、この調子……。こんな感じで本当に人間の感情の勉強なんてできるのかな。

 というか、このままアンドロイドだってバレずに生活できるのかな?

 ……あ、そのために私がいるのか。お父さんめ。


「とりあえずまずは、クラスの人たちと仲良くなってみなよ」

「努力目標追加。久留隈小学校五年一組の生徒と友だちになる。教室に向かいます」


 クツをはきかえ、レイナはスタスタと教室へ向かった。

 レイナが一人で行動してくれるとたすかる。

 けどレイナが私の目のとどくはんいからいなくなると、とたんに心配になる。

 私はレイナの少し後ろを歩いて、レイナの様子をうかがいながら教室に入った。

 すると、教室の中はやけに静かで。レイナのよく通る一本調子な声だけが響いていた。


「私と友だちになってください」

「え……うん……?」

「ありがとうございます。次の方、私と友だちになってください」

「はあ……?」


 ――レイナは誰彼かまわず、みさかいなく、前の席に座っているクラスメートから順番に、「友だちになってください」と声をかけていた。

 私は思わずめまいがして、後ろに倒れそうになった。

 しかし、とんと誰かにぶつかる感覚がして、あわててしっかり二本の足で立つ。


「アオイちゃん、おはよ。大丈夫?」

「あ、未央ちゃん……おはよう」


 未央ちゃんの顔を見て思わずほっとした。

 未央ちゃんは私の横から、教室の中をのぞきこむ。


「安藤さん、どうしちゃったの?」

「……友だちをつくろうとしている……んだけど……ハア……」


 レイナは男子も女子も関係なく、とにかく規則的に、順番的に話しかけている。

 あまりに変なようすなので、みんなへたに断ることもできず、あいまいにうなずいていた。

 それを『OK』の意味だとカン違いして、レイナは友だちができたと思っている。

 後ろの席の子なんか明らかにおびえているし、なんなら教室から逃げだした子もいる。


「おはよう。なんで教室入らないの?」

「うわっと……宮部くんか。おはよう」


 突然後ろから声をかけられてびっくりしたけど、クラスメートで私と同じ環境委員の宮部幸孝みやべゆきたか君だった。同級生の男子の中でも落ち着いていて話しやすい子だ。

 宮部くんは私たちと同じようにひょいと教室の中をのぞきこんで、中のようすにパチパチとまばたきをくりかえした。


「なに、あれ?」

「レイナ……あー、安藤さん、友だちをつくりたいんだって。それで、手当たり次第に……」

「ふーん。転校してきたばっかりでさみしいのかもね」


 宮部くんはあっけらかんと言って教室に入った。

 ちがうんだよ宮部くん。レイナは多分、さみしいって感情もまだまだ知らないはず。

 ただお父さんに命令された通り、人間の感情を学習しようとしてるだけ。

 宮部くんは自分の机にカバンを下ろす。するとすぐにレイナにロックオンされた。


「おはようございます。私と友だちになってください」

「おはよう安藤さん。俺の名前言える?」

「……? いいえ。あなたの名前はまだ聞いていません」

「じゃあ他の人は?」

「あそこにいるのは上原アオイさんです。私が知っている五年一組の生徒の名前はアオイさんだけです」

「名前も知らないような人は友だちって呼べないと思うな」


 宮部くんはにっこり笑って言ったけど、なんだかすごみがあった。


「怒ってらっしゃる?」

「怒ってはいないよ。俺、宮部幸孝ね。よろしく」

「よろしくお願いします。これで私とあなたは友だちですか?」

「さあ、どうだろうね」


 宮部くんはクスクス笑った。

 そうこうしている間に先生が来る時間になって、私たちはあわてて席についた。

 私の後ろの席はレイナだ。

 だからか、みんなから視線が集まっているのがよくわかって、私までいごこちが悪くなってしまった。


「アオイさん、アオイさん」

「なに、もう……」

「怒ってらっしゃる?」

「怒ってないってば。もうすぐ先生来るから静かにしてなよ」

「――友だちをつくるのってむずかしいのですね」


 レイナは感情をもたない声でたんたんと言った。

 そのようすに、私はやっぱりため息をつきたくなってしまった。


「レイナさあ……もうちょっと空気読みなね?」

「空気ですか? 低気圧が近づいているため午後から明日にかけて雨が――」

「天気予報をやれって意味じゃない」


 レイナは本当に自分がアンドロイドってかくす気があるのかなぁ……。

 いや、レイナはあくまで大真面目にやっているのだ。ただそれがちょっと、普通の人間とはかみ合わないだけで……。


 ――ちょっと待てよ。お父さんが研究してるなら、お父さんだってレイナが普通の人間みたいに暮らしていくのはかなり大変だってわかってたはずだ。

 それを私に頼んだってことは、私は少しくらい、お父さんに期待されているのだろうか。

 だとしたら……私がレイナをちゃんとした『人間』に育てることができたら、お父さんはまた前みたいに、家に帰ってきてくれるようになるのかな。


「空気の読み方がわかりません。検索――」

「あーあー、いいよ。私がちゃんと教えてあげるから」


 自分でもバカだなって思う。

 私は、レイナにちゃんと人間の感情を教えることにした。

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