第3話 「お礼がしたかったの♡」
何かひどく切羽詰まったような様子で懇願する彼女を見て、俺は自分の家に連れ帰った。
彼女は常に何かにおびえているように見えたから。もしかしたら、何者かに追われているっていったら大げさだけれどストーカーとかの被害にあっているかもしれないと思ったから。
本当は警察など専門のところで保護してもらったほうがよいのだろうが、そういう場所に女の子自らがいけないというのは何かしらの事情があるのかもしれない。
少しでも彼女の心の急速になるならばと俺は自分の部屋に入れた。
俺の一人暮らしの部屋はひどく殺風景だ。
別にお金がないわけではない。
ただ、ものが増えればその分、片づけをする手間が増える。それだけの理由で最低限のもちもので生活していた。
ミニマリストなんてもてはやされるけれど、単なる面倒くさがりなだけである。
部屋に招き入れた彼女は一瞬、言葉を失っていた。
ベッドしかない部屋。
それはどうみても年頃の女の子から見たら異質なものだから仕方ない。
だけれど、だからといっていきなり持ち物を増やすことなんてできない。
しかも、彼女という存在は予想外だったのだから。誰かがこの部屋にやってくるのは予定外であり、彼女と出会うこと自体、俺は予知する余地などないのだから。
だけれど、彼女の次の行動はもっと予想外だった。
俺に再びキスをしたのだ。
意味が分からなかった。
さっき、公園で俺の服に触れたのは制服のボタンが取れかかっていることに気づいたせいだと思っていた。
だけれど、今度ばかりは俺の妄想でもなんでもない。
公園でちょっと親切にした女の子が家に来たがって、そのまま俺の部屋になんの警戒心もなくあがりこみ……そして、キスをしてきた。
そのキスはとてもやわらかくて熱かった。
最初はふわりと彼女の唇が触れる。
きっと桜の花びらがちょうど落ちてきたらこんな感触と甘い香りがするのだろうなというキスだった。
そして、そのあとはちゅっちゅっと小鳥がかるくついばむようなキス。
ついばむ小鳥は回数を重ねるごとに成長し、どんどんみだらなになっていく。
徐々に呼吸に声が混ざり、そして湿り始めた。
しっとりとしたものから、ぬるりと滑る感覚が背筋をくすぐるようでゾクリとした。
くすぐったいと気持ちがいいの間に、すこしだけ誰かに神経を撫でられているようなキス。
子供の頃にふざけてしたキスとは全然別物だった。
「あの……なんで?」
そう言うのが精いっぱいだった。
だけれど、彼女はきょとんと不思議そうな表情をするだけだった。
「お礼がしたかったから」
お礼ってなんのことだろう。
雨に濡れている女の子を放っておけなかっただけなのに。
そのお礼がキスだななんて、気持ちよさにながされそうになるが、明らかに間違っている価値観に俺の頭の芯はどこか静かにしずまりかえった。
さっきまで爆発しそうだった下半身も平静をとりもどす。
「あのさ……。まずは名前を教えて」
「名前なんてない」
何か彼女に言いたかった。彼女を常識に引き戻せるような言葉を。
だけれど何も思い浮かばず、とりあえずつなぎとして彼女の名前を聞いたのに、目の前の女の子から返ってきた言葉は現実離れしたものだった。
「名前がないなんてことないよね。いいよ、自分の名前が嫌いなら。じゃあ、なんて呼べばいい?」
俺は努めて明るく言ったつもりだ。
名前がないなんて現代日本に生きている人間にはあり得ないはずだから。
だけれど彼女は静かに首を振るばかりだった。
そんなに自分の名前が苦手なのだろうか。キラキラネームとかで苦労したのだろうか。俺が困っているのをみて、彼女はこう言った。
「……ニエ。ときどき、そう呼ばれることもある」
ニエと名乗る女の子はそういって僕の腰に巻き付くような形で抱き着いてきた。
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