第2話 「こんなところじゃ……ダメだよ」

「おいしい……」


 そうつぶやいたとき、久しぶりに自分が人間のことばを話したことに気が付いた。

 同時に、自分がまだ人間の言葉を話せることに驚く。

 ずいぶん長い間、私は言葉を話していなかった。

 人前で私の喉をとおり、唇からこぼれるのはなんの意味も持たない音だったから。


 目の前の男は私のしっているどの男にも似ていなかった。

 村の男衆とは違って、なめらかな肌。

 私の身体よりは大きく頑丈そうだけれど、伸びやかでごつごつしていなかった。


 私の知っている誰とも違う。

 そう思うと私は安心したのか、食べたもののあたたかさが体に巡っていくと同時に体が重くなっていくのを感じた。


「もう一個食べる? あと、お茶もどうぞ」


 そう言って、目の前の男は私にさっきくれた食べ物と飲み物を差し出してくれた。

 今度は素直に受け取った。

 もとからひどかった空腹は、少し食べたことにより、よりいっそう増していたから。


「ありがとうございます」


 私はそういって受け取った。

 お茶も食べ物もあたたかかった。

 あたたかな食べ物を口にするのは何時ぶりだろう。

 体の緊張がどんどんほぐれていくのが分かった。

 お茶を飲もうとしてふたが取れないでいると、彼は開けてくれた。

 よくよく見ると、彼の服は私がきているものと同じ生地でできていた。

 つまり、目の前の彼は高校生ということだろうか。

 眼鏡をかけて真面目そうな彼はきっと高校に通って、勉強して……将来に対して驚くほど多くの選択肢を手にしていて、未来に対する希望があふれているのだろう。

 嫉妬という感情は感じないけれど、その希望にあふれた感覚とはどのようなものだろうかと気にはなった。


 あたたかなお茶と食べ物を与えてくれた彼は、タオルまでくれた。

 真新しくて水はあまり吸わないけれど、やわらかくて白くてしあわせだった。


 気が付くと私は彼の袖をちょっとつまんでいた。


「何かお礼させてください」


 温かい食べ物も、やわらかなタオルも私は今まで与えてもらったことがなかった。それらを与えてくれた彼に何かしたいと思った。自分に何ができるかは分からないけれど。

 彼のために何かしたい。

 私にできることなんて一つしかない。

 私の価値が一つしかないように。

 だけど、そう言わずにはいられなかった。

 誰かに優しくされたのは生まれて初めてだったから。


 私はそっと彼の来ている上着のボタンを外した。

 やっぱり、私が今着ているこの服と同じ生地だ。

 同じ触り心地に、同じ色。


 きっとこの人はとっても幸せな毎日を過ごしているのだろう。


 学校にいって、家族と食事をして、何者にも脅かされずに眠る。

 誰にも自分の運命をもてあそばれることのない完璧な人生。


 私は目の前にいる彼のことが心から羨ましいと同時に妬ましく、そして何よりも焦燥を感じていた。

 私と交わることで彼が汚れてしまうんじゃないかという不安、彼と交わりたいという好奇心、そして彼を穢してみたいいとう欲求がまざりあい。気が付いたときは私は彼に接吻をしていた。


 彼は一瞬ののち我に返り、


「こんなところではだめだよ……」


 赤い顔をしていた。

 でも、嫌がってはいない。

 驚き、そして私を求めていた。

 私はそっと、彼に囁いた。


「じゃあ、二人きりになれる場所に連れてって」

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