12話 なんでもない一時を
業務用スーパーという言葉が持て囃されるようになって久しい。
所狭しと並んだ背の高い商品棚に、親に手を引かれて歩く子供はわいきゃいとはしゃいでいる。
一目で見やすく手に取りやすいレイアウトに慣れてしまった子供の目には、この雑然と積み上げられた商品の山が非日常に映るのだろうか。
いや、子供に限った話ではないか。
「こういうところ、よく来るの?」
恐らくは成人していると思しき隣の人物も、物珍しそうな目であちこち見ている。
「よくってほどじゃないけど、まぁ時々は」
「へぇ……。やっぱり安いから?」
「まぁそうだろうね。俺の財布じゃないから知らないけど」
「適当だね」
「業務用スーパーに安さ以外を求めて来るのは、それこそああいう家族客くらいでしょ」
指はささずに視線で促し、さてどうするかと脳内マップを参照。
またテレビで特集されたのか。慣れた足取りでてきぱき商品を手に取っていく客の傍ら、あちこち目移りする感じでふらふら歩き回る客も少なくない。
夏希もその一人だ。
ただの買い出しの何がそんなに楽しいのかと思ってしまうのは、幼き日から何度となく連れてこられてきたからか。どうあれ飽きずに見て回っているうちは、目先の買い物よりも興味の方を優先させてしまっていいだろう。
不意に足を止めた夏希が商品を見つめ、小刻みに視線を行き来させる。
「確かに安い……けど、二人で食べるには量がちょっと大変そうだね」
「あー。それはあるかも」
多くて安い。
それが売りのスーパーだから忘れていたけど、言われてみれば一人暮らしで買いに来るとすれば一週間か、あるいは一ヶ月分の食料を買い溜めする勢いでないと絶対に余る。そんな量のパッケージばかりだ。
「単純に道すがらってだけで選んじゃったけど、失敗だったかな」
「逢香が沢山食べればいいよ」
「サッカー辞めてから食う量減ったんだよなぁ……」
笑いつつ、多少なりとも小さめの袋を探して回る。どうして業務用スーパーに来たのかと呆れる現状だ。
それもこれも、原因はラウにゃーの微妙な立地にある。
土地面積を要するために中心地からは離れ、アクセスの不便をシャトルバスで補うラウにゃーだ。ただラウにゃーに行って帰るだけならバスを使えば済む話だが、駅以外の場所に向かおうとすると中々に困ってしまう。
それでもバスに乗らなかったのは、夏希の家が歩いて行けない距離ではないというからだ。バスで駅まで行った方が歩く距離は短くなるけど、バスに揺られる分だけ時間は伸びる。
そこに買い物も挟まるとなれば、いっそのこと最初から歩いた方がいいんじゃないかと結論するのも必然の流れだった。
ちょうど道すがらに行き慣れた店もあると、ここに寄り道もしたが。
「ちなみに聞くけど、夏希んちの冷蔵庫って――」
「二つも三つも入らないよ」
「なるほど」
俺の知る冷蔵庫とは、我が家の寒々しい空白が目立つ大型冷蔵庫か、あるいは業務用スーパーの商品がこれでもかと詰め込める業務用のみ。
生憎、一人暮らし向けの小さな冷蔵庫は馴染みがない。
我がことながら、視野の狭さに呆れさせられる。
「じゃあ常温保存できるのとか、せめて持って帰れるくらいの方がいいね」
「常温保存できてどうしろと」
「食べればいいんじゃない? 俺がまた遊びに行ってもいいし」
言葉の前半に何か言いかけた夏希が、後半を聞いてうっと黙り込む。
「夏希の家、うちの高校から徒歩圏内じゃん」
早上がりしたという夕方、バッティングセンターに向かう途中に校門の前を通っていたことから薄々察してはいたが。
細かな住所は分からないにせよ、道中で聞かされたのは高校からも無理なく歩いて行ける範囲だった。
「溜まり場にはしないでよ」
「七瀬以外の誰にこの話をしろと?」
その七瀬だって、いくらなんでも成人男性の家に連れてはいけまい。
「ていうか、溜まり場にしなきゃ行ってもいいんだ」
「それはまぁ、そりゃ……ねぇ?」
内容があまりに乏しい言葉ながら、表情を見れば察せられないはずもない。
「じゃあ部活もバイトもない日はお邪魔しようかな」
「あ、連絡はしてよ? 留守の時もあるんだから」
「まぁ、そりゃそうか。会社も毎日早上がりなわけないし」
「えっ? あ、うん、そうだね」
「……?」
何か妙なことを言ったかと横目を向ける。
それと同じか、少し早いくらいに夏希はあらぬ方向を見て、ずらりと並んだ大袋の商品たちに目を滑らせていた。まさか会社員だと思っていたのは早とちりだったか。まぁ今となっては、就活中の大学生だと言われても驚かないが。
良くも悪くも、夏希は大人という感じがしない。
親しみやすいというべきか、危なっかしいというべきか。不思議と目が離せない。あぁいや、これは好きだからか?
あまりに恥ずかしい発想に自嘲を零し、頭を振って意識を切り替える。
と、夏希の視線の先に目が止まった。
「懐かし……」
呟いてしまった声に、夏希も目敏く反応した。
「どれどれ?」
「あぁえっと、ほら、そこのポップコーン」
フライパン型の容器にアルミか何かの蓋が付いていて、そのまま火にかければポップコーンが焼き上がる定番商品。
定番と言いつつ、最近は見かけることも減った。
それでまた、懐かしいなぁとしみじみ呟く。
「昔じいちゃんちでよく食べさせてもらって、親とスーパー行った時も買ってもらった記憶あるんだよね」
「じゃあ買ってく?」
「映画だし、似合うとは思うけどね」
けど、と付け加えた理由は言わずもがな。
一個ならちょっと値が張るおやつくらいのものだが、ここは業務用スーパーである。安いは安いものの、それは一個当たりの値段で計算すれば、だ。
「これ何個? 二十? 三十? 絶対食べきれないでしょ……」
単純に量が多すぎる上、味も全て同じ。
バターと塩で二種類欲しいよね、なんてパーティー感覚で買った日には、向こう一ヶ月は飽きてなおポップコーン生活を満喫できるだろう。飽きずに食べようと思ったら半年コースだ。
「でも懐かしいんでしょ?」
「いやまぁ、うん……」
「だったら買っちゃおうよ。賞味期限は長いだろうし、それにほら、夏希が遊びに来るならその時に食べてもらえばね」
さらりと自分では食べない宣言をされた気もするが、意外や意外、懐かしさに抗えそうにない自分も見つけてしまう。
どうしようか。
まぁ実際、常温だけど賞味期限が短いとか、賞味期限が長くても冷凍だとか、そういうのを買うよりはずっと現実的だ。もっと言うと冷やかして帰り、コンビニなりなんなりに改めて寄る方がずっとマシな選択なはずだが、それでも悩んでしまうのが本心だった。
「じゃあ、」
と苦笑を口の端に浮かべ、飽きづらいであろう塩にしようかなと手を伸ばした時。
「あれ?」
雑然とした、喧騒というほどでもないにせよ物音に溢れた店の中。
しかし不意に聞こえた声はやけに鮮明に脳まで届いて、知っている声だと理性より先に本能が顔を上げさせた。
果たして、そこには。
「やっぱり先輩じゃないですか。こんにちはー」
「あぁ、枯野か」
見知った顔に呟きつつ、脳裏では思考が高速で回る。
こんにちは、と言われた。こんにちは、で返すか? そんな馬鹿げたことまで大真面目に考えてしまう始末だった。
それでも幸い、慣れた口は慣性で言葉を紡いでくれる。
「珍しいところで会ったな」
「それはお互い様ですよー。先輩は……えっと、あれ?」
枯野ユキ。
陸上部に遅れて入部してきたマネージャー。
その無邪気にも見える、しかし鋭い眼差しが俺の隣にいる人物を遂に見つけた。
「ええと、はじめましてですよね」
「……はじめまして、ですね」
俺よりも年下の、ついでに言えば背も低い方の枯野に、夏希は無自覚だろうが敬語で応える。
二人の間に、沈黙が漂った。
まずいな。
どうしよう。
考えるうちにも時間は流れていく。周りの客の視線が突き刺さる錯覚を抱いた。錯覚だ。分かっている。だけど、どうしてもこちらに歩いてくる客が俺たちを物珍しそうに見ている気がしてしまった。
男女の組み合わせ。
中年。
……待て。
なんとも言い難い曖昧な表情で近付いてきた中年の男女。女性の方は含みのある笑みを浮かべ、男性の方はどこか険しい顔つきに見える。お陰で冷静さを取り戻せた。
これは、そうだ、当然のことだが向こうにしても不意の遭遇だ。
「あー、枯野はあれか、もしかして家族で?」
「えっ? あ、そうですよ。お母さんとお父さんです」
どうも、と口の動きだけで声は出さずに頭を下げる枯野父。一方の枯野母は、相変わらず含みのある笑みで俺と枯野を交互に見ていた。思っていたのと違う誤解が進んでいる。
とはいえ、好都合か。
横目で夏希が妙なことを口走らないか確かめつつ、脳裏では言葉を組み立てる。
「どうも、陸上部でマネージャーやってる静月です」
「ほら先輩だよ、先輩。二年の」
普段どんな話をされているのか。夫婦揃って「あぁ」と得心顔で頷かれるのは若干怖くもあったが、今は表情を消そう。
「でー、先輩はご兄弟って感じじゃないですよね」
「だな。まぁ兄弟で来る店でもないが」
「ですよねー、業務用ですもんねー」
そのことを考えると親子もどうなんだと思う一方、子供連れで来る半ば非日常のテーマパークにもなりつつあるのが昨今の業務用スーパー事情だ。
「俺はよく仕入れで来ててな。親戚が飲食やってるんだ」
嘘ではない。
まともに聞けば不自然な会話の流れだったが、枯野は目を輝かせた。
「仕入れ! ほんとに業務用なんですね!」
「だから寄り道してきたはいいんだが、量が多すぎてな。店と家で冷蔵庫が違うのを忘れてた」
「先輩も意外とおっちょこちょいですもんねー」
いつもなら軽く説教モードに入るところだが、今は我慢、我慢だ。
「じゃあ今日も仕入れですか」
「寄り道って言ってんだろ。まぁ冷やかして帰るのもなんだし、保存の利くポップコーンでもって話してたところだ」
「ほぉ……。じゃあそちらは先輩の先輩さんですか」
「あ、うん、そうなるね」
再起動した夏希が即座に話を合わせる。
今どんな顔をしているのか見たい気持ちもあったが、それで変にどぎまぎしても墓穴を掘るだけだ。
「まぁそういうわけだから、じゃあな」
「はいはい、また学校でーです!」
普段は手を振り合う仲ではない。
しかしお互い、この場での他の別れ方を知らなかった。慣れない手付きで別れを告げる俺と、慣れた調子でぶんぶん手を振る枯野。そこにむしろ自然なものを感じたのか、親御さんからの視線も幾分和らぐ。
……違うな。
枯野父の視線に安堵が混じり、枯野母の視線には落胆が滲んだ。
あまりに露骨だ。
この親にして、この子ありと言いたい。
どうあれ、今は退散するに限る。急ぎ手に取ったポップコーンはバター味で、これは半年コースかと覚悟させられた。それでも振り返りはしない。
背後から視線が刺さる気がして、しかし枯野もそこまで俺に興味はないだろうと気分を落ち着かせる。
むしろ隣を歩く夏希がロボットになってやいないかと、それが気が気でなかった。
沈黙は何分続いただろう。
互いにほっと息をつけたのは、会計を済ませ店を出た後のことだった。
「怖かった……」
げっそりと呟く夏希は、これはこれで初めて見る気がして面白くもある。
「いくら枯野でも取って食いはしないと思うけど」
「でも絶対あれ噂話とか大好物なタイプじゃん!」
分からんではない。
ただ、あれで意外と人に興味を持たないタイプにも思える。さして仲が良いわけでもないから、実際のところは分からないが。
「うぅ、油断してたぁ……」
「まぁ業務用スーパーで後輩に会うとは思わなかったな」
棚が高いこともあり、ラウにゃーほど周囲の目を気にしていなかったのも大きい。
対戦ゲームか何かで遭遇戦が怖いと言われる理由が分かった。あまりしてこなかったが、いつかやる時が来たら周辺警戒は決して怠らないようにしよう。
「けど、なんでもない買い物するってのは、ある意味デートらしいデートだったんじゃない?」
手に提げたレジ袋には、ポップコーン二十食のずしりとした重み。
その中身を気にしなければ、同棲中のカップルの日常風景と思えなくもない。
「業務用スーパーっていうのは雰囲気に欠けたけどね」
「それはまぁ、ここからレンタルビデオ店も寄るわけだし? あとハンバーガーか何かも買ってく? 腹減ってるでしょ」
「あー、言われてみれば?」
どうして疑問形なのかと隣を歩きながら視線だけで訊ねる。
夏希は視線だけは逃げながら、歩みは揃えたまま呟くように言った。
「まぁ、そのですよ」
「敬語?」
「あぁもう、なんだかんだ言って僕も楽しかったんだよ! それで時間とか忘れてたっていうか……」
よほど恥ずかしかったのか、足早に行ってしまう夏希。
その背中を追いながら、彼が見上げる空を俺も見上げた。何かあるのかと探してみても、やはり何もない。まさか太陽の位置で時間を知ろうとしているわけもないだろう。
一転、水平の周囲を見渡す。
ラウにゃーや業務用スーパーがあるような郊外には、車通りはあっても通行人の姿は疎らだった。
「なぁ、夏希」
駆け足で追い付き、肩越しに話しかける。
「手でも繋ぐ?」
次いで投げた声に、振り返った夏希はなんとも言えぬ表情を見せた。
「そういうの、本気にするよ?」
「本気にするも何も、本気で言ってるんだけど?」
「人に見られたらどうするの?」
「まぁ、その時はその時ってことで?」
零れた笑い声に無責任な響きが混じる自覚はあった。
でも、まぁいいかと思えてしまう。
「七瀬はああ言ってたけど、多少噂されるくらいどうってことないし。……夏希は? なんの仕事してるのか知らないけど、ちょっとでも人に見られたらまずい?」
言いながら追い抜いて、一歩前で立ち止まる。
振り返り、差し出した手には、躊躇いがちの手が返された。
「後悔しても知らないよ?」
「しないよ、大丈夫」
また隣に並んで、しばし。
夏も過ぎ去ったとはいえ昼下がりは未だ暑いくらいで、繋いだ手にはどちらのものとも分からない汗が滲む。それは恥ずかしいと思うと同時、どこか嬉しくもあって。
「……あの子たちが車で通りがかっても知らないから」
呟かれた声も心配より悪戯めいた響きを帯びていた。
「見られたらどうするかな。まぁ七瀬には怒られるか」
「七瀬七瀬って、あの子のことばっかり」
「他に夏希のこと知ってるやついないからな。修も女だって勘違いしたままだろうし」
そして今なお、その後については何一つ話していない。
心の片隅で詫びつつも、しかし大部分では今この瞬間を楽しんでいた。
「ま、もしものことより目の前のこと考えよう」
弾む声音を自覚する。
繋いだままの手に力を込めると、向こうも少し強めに握り返してくれて。
いいな、と思う。
こういうのはいい。
嫌なことを嫌と言える関係は楽だけど、欲しいものを欲しいと言わなくてもいい関係は楽しかったし、嬉しかった。声だけでなく、心までも弾んでしまう。
ただ手を繋ぎ、なんでもないことを話しながら歩いているだけなのに。
「なぁ、夏希」
昼は何を食べようかと、そんなことを聞くつもりだった。
けれど口が紡いだ言葉に、誰より自分で驚いてしまう。
「キスしていい?」
「――っ!?」
表情を見なくても、手を通して驚きが伝わってきた。
その手が強張り、それで一度は離そうとしたくせに、またすぐに握り直してくる。
「……それはダメ」
「どうして?」
「ほら、人から見えるし」
恥ずかし紛れの声に苦笑が漏れた。
じゃあ、と笑う自分の声も自覚する。
家まで待つよ、と笑った声は、果たして言葉になってくれたのだろうか。
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