学校の透明恐竜②

「ほら、きびきび歩くっ、信じてないなら怖くないでしょ?」

私は朝比奈晴子に手を引かれながら、昼間とは態度を一変させた校舎の前を歩く。

私の不健康な色白の手握る力は強く、掛けられる声色は機嫌を損ねる前の親しみやすそうな声だが、若干の嗜虐が滲んでいた。

朝比奈晴子の怒りを鎮めるのに夕方から深夜までの期間は短すぎたらしい。

勿論夜の学校は怖かったが、それ以上に朝比奈晴子のことが怖い。

朝比奈晴子は透明恐竜が存在しないとわかると、間違いなく一杯食わされたと激昂しその怒りの矛先はきっと近くの私に向く、朝比奈晴子はクラスの中心人物だ、きっと明日からはまともな学校生活を送れないだろう。

中学時代の再演だ。

そんなことを考えていると、急に立ち止まった朝比奈晴子が振り向いた。


「着いたよ、ここから校舎に入る」

彼女はそう言い、薄暗い廊下の窓を指差す。

勿論、窓はきっちりと閉まっている。

「……どうする気?」

恐る恐る尋ねる。

「んー、見てれば分かる」

そう言って彼女は窓のサッシを掴むとガタガタと揺らし始める。

すると、窓の揺れがどんどんと大きくなり、そしてガコンと力尽きたように枠から外れた。

「嘘……」

思わず声が漏れる。

朝比奈晴子は外れた窓から躊躇なく校内に侵入する。私もそれに続いて校内に入った。


明かりの無い夜の廊下は、窓から差し込む月光のみが頼りで、その光は決して心強いとはいえない。

ぼんやりとした月明かりの届かない箇所はインクを垂らしたかのような暗闇で、今にもニュッと青白い手が飛び出して来そうな気さえする。

この薄暗く、無限に続きそうな雰囲気の廊下にはさすがの朝比奈晴子も少し怖じ気づいたようで

「....なんか出そう」

「……出ないわよ」

特に恐竜なんかはと私は夜の学校と、朝比奈晴子への反抗への震え声で言った。

案の定、猟犬の如く私の反抗心を嗅ぎ付けた朝比奈晴子はいじめっ子モードに移行する。

「本当、キモいオカルト好きの癖してこういうの信じてないとか、やっぱあれ?ファッションでやってんの?失敗してるから」

「.....」

私は中学時代、机に落書きは勿論、水を掛けられる、本を燃やされる、殴られるなどの理不尽な責め苦を受けてきた。そしてその度に体を縮こませて謝ってきた。

しかし、今回ばかりは調子に乗ってすみませんでしたの一言が口をつかえる。謝りたくない。謝れば私のオカルト好きが嘘になってしまう気がした。

「……何か言えよっ!」

黙っている私に苛立ったのか、朝比奈晴子は私の胸ぐらを掴み大声で怒鳴る。でも謝る気はない。

「......ッ!.....ッ!」

でも言い返す勇気は私には無かった。

怖い。

私は怯えた目で口をパクパクとさせる。

目頭が熱い、自分の情けなさに涙も出てきた。

「あははっ、何それ?不細工なカエルみたい」

朝比奈晴子はひとしきり私を嘲笑った後、途端に不機嫌そうな顔になり、

「あー、マジうざい」

その瞬間、右頬に衝撃が走り、視界が大きくぶれた。

右頬がヒリヒリと熱を帯びる。

ビンタされたのだ。

「痛っ」

「ほら、早く土下座しろ」

朝比奈晴子はそう言うともう一度手を振り上げる。私は来るべき痛みへの恐怖に歯を食いしばり、目をぎゅっと瞑る。しかし、訪れたのは焼けるような頬の痛みでもそれに伴う乾いた鋭い音でもなかった。


ウーーーッ、ウーーーッ

私たち人間に暴力的なまでの不安と警告を叩きつけるその音は、丁度二ヶ月ほど前にあった防災訓練の音とは違った。

もっと低く、そして重い音だ。

「....は?」

朝比奈晴子は困惑した様子で呟く。

その声色からは余裕が失われていた。

その拍子に解放された私は暫く脱力したあと、ハッとしスマホを取り出し時刻を確認する。

「12時ぴったり.....」

その意味を理解した瞬間、それを聞いた。

それは怒れる獅子の様に轟き、イカれた鳥のよんにつんざく。

先ほどのサイレンが警告ならこちらは執行だ。

哺乳類の根元的な恐怖を呼び起こされるそれは、決してギャーッなんてものではない。

ダッ...ダッ...ダッ...ダッ

それが聞こえた曲がり角の向こうから何かが迫ってくる。隠れなくては、私は反射的にそう思った。

「ひっ」

朝比奈晴子は短い悲鳴をあげ、私の腕を掴かむ。

ダッ...ダッ...ダッ...ダッ...

もうそれが突き当たりに到達してしまう。

私たちはもつれ合うようにして教室に飛び込んだ。


「はひっ、はひっ」

私は息を荒げながらドアに鍵をかける。

朝比奈晴子の方はと言うと、彼女はまだ放心状態で、肩を大きく上下させながら床にへたり込んでいる。

ダッ...ダッ...ダッ...ダッ...

音が迫る。

私達は示し会わせたかのように息を止める。

足音はどんどん近づいてくる。

そしてついに扉一枚隔てた向こう側に気配を感じる。

(お願いだから通り過ぎて)

そう願わずには居られなかった。

ダッ...ダッ...ダッ...ダッ...

扉の向こうではその音と共に

フシューッ、フシューッ

と不気味な音が聞こえる。

恐らく、鼻息だ。

その音が止まった瞬間、今度はバンッという大きな音が鳴り響く。

「……ッ!」

心臓が跳ね上がる。

朝比奈晴子は私の腕にしがみつき、必死で耐えている。

私も、朝比奈晴子に負けず劣らずの格好でそれに堪えた。

(……行ったかな)

私は耳をすませる、音はさっきとは別の突き当たりを曲がった辺りから聞こえる。

その上進行方向はこちらではない。

「ふぅーっ」

私は安堵のため息を吐き、朝比奈晴子の方を見る。


朝比奈晴子は未だ、私の腕を掴んで震えている。

「……だ、大丈夫?」

私は恐る恐る尋ねる。

震えるだけで反応は無い。

「ほ、本当いたのね....透明恐竜....いやまだ透明かは分からないけど....」

私は、強がりを含んだ気の抜けた口調で話し掛ける。

すると、朝比奈晴子は小さく首を振る。

「嘘、あり得ない、なんなのあれ」

そう言って私にすがりつく朝比奈晴子の体は小刻みに震えていた。

「どうしたの?嘘ってなに?」

私は努めて優しい声で聞く。

もう朝比奈晴子への恐怖と憎悪はさっきの体験で吹き飛んでしまった。

「……嘘なのよ、透明恐竜なんて」

そう言った彼女の目には涙が浮かんでいた。

震え声も相まって朝比奈晴子はひどく弱々しく見えた。

「……あんたをいじめるためについた嘘よ、透明恐竜なんて嘘っ!」

朝比奈晴子は叫ぶように言う。

「しっ静かにしてっ!」

思わず声を張り上げそうになる朝比奈晴子を私は慌てて制する。

「……でも本当にいるわけないじゃん、あんな化け物……だって、そんなことありえないもの、絶対に、絶対!」

彼女は子供のように駄々をこねる。

(私をいじめるため....)

サイレンのなる前に受けた暴力は確かに理不尽だったが、図書室での暴言とこの学校に引っ張り出されたことは、少しだけ私にも非があると感じていた。

しかし、朝比奈晴子は最初から私をいじめるつもりだったのだ。

あの私が怪異のことならなんでも聞いてと言ったときの目の輝きでさえ嘘だった。

そう思うと怒りや憎しみよりも悲しさが湧き上がってきた。

「ごめんなさぃい.....家に帰してぇ.....死にたくないよぉお....」

朝比奈晴子は泣きながら許しを乞う。

その対象は私ではない。

それでも私はもう、彼女を責める気にはなれなかった。

「……いいわ、許してあげる」

私は朝比奈晴子に聞こえない小さな声で呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る