第十七話
礼安と院に関しては、その正体が『教会』関係者であること以外理解できなかったが、透の反応を見るかぎり、そのおくびにも隠さない様子から、敵対するには理由は十分であった。
「おやおや、債務者である天音透さんではないですか。先ほどの手合わせを拝見させていただきましたが……ずいぶんとこっ酷く敗北いたしましたねえ」
「黙れ外道が!! それ以上何か言うならぶち殺すぞ!!」
敵意しか感じられない透を嘲笑いながら、礼安たち二人に向き直る。
「まあ今回の目的は、債務者に対する未払い借金の催促という訳ではありません。神奈川支部を事実上の壊滅まで追い込んだ、そちらの功労者に用があるのです」
「――仇討でも、しに来たんですの?」
そう院が脅すと、グラトニーは嘲笑していた。
「別に、フォルニカがどうこうという訳ではありません。私も、ああいった下品な輩は取引相手として大嫌いでして。道理の通じないマッドは、金払いがよくとも相手にはしたくないものです」
フォルニカを嘲笑うグラトニーに対し、礼安は明らかに不機嫌な態度を取っていた。
「――あの人の事情を知らないからって、好き勝手言い過ぎじゃあないかな?」
「バックを知っていれば、多数の殺しは認める、と?」
そのグラトニーの返しに何も言えない礼安。それが正論そのものであったからだ。しかし、そのグラトニーに対し、透は苛立ちを隠せていなかった。
「お前、あの『事件』の主犯格だってのに……よくそんな上っ面の言葉並べてられんな――このドグサレ野郎!!」
「『事件』……? はて、何のことでしょうか。物的証拠が一つでも――何かあるのでしょうか」
その彼女たちのやり取りを見て、『事件』の単語に引っかかりを覚えた礼安と院の二人。
しかし、院がそのことに対して質問しようとするも、透が激情のままにドライバーを装着する。英雄として誰かを守るためではなく、目の前の標的を殺害するためであった。
「お前は……お前だけは生かしちゃいけねェ……絶対に!!」
『孫悟空』のライセンスを認証し、荒々しく装填。
「おやおや、荒事は少々苦手なんですがねえ」
グラトニーも、懐からチーティングドライバーを取り出す。フォルニカの物同様、実に歪なデザインをしていた。しかし側近の存在が見られないため、たったひとりで敵陣ど真ん中にやって来たことに違和感を抱く院。
(発言や役職から考えても、明らかに打算で動くタイプのはず。そんな無防備に、自分がやられるリスクを考えない馬鹿はやらかさないはず……?)
「「変身」!!」
『GAME START! Im a SUPER HERO!!』
『Crunch The Story――――Game Start』
院の心配をよそに、透とグラトニーが対峙する。
グラトニーの変身態は、機動力としてはそこまで感じられないほどに、重厚感のある和装、鎧を身に纏った見た目であった。その場から一切動く素振りのない、仁王立ちそのものである。
フォルニカは徒手と触手、そして自身の能力『狂った青鬼≪リベンジ・オブ・ヘイテッド≫』を用いた、相手の心を徹底的に揺さぶるトリッキーな戦いを得意としていたが、グラトニーの手に握られているのは、刀身と持ち手が非常に長い薙刀、背に無数の歪な武具を携えていた。
正面からどの攻撃でも受け切る、そんな慢心などではない自信が感じられた。大衆が想像する怪人の姿、と言うよりは英雄の装甲に感覚が近しいのだ。
「絶対に――お前だけはこの手で殺す!!」
そう意気込み、如意棒を高速で何度も伸長させる透。しかし、その如意棒による連続攻撃を軽くいなして見せるグラトニー。
「全く、貴女はケダモノですか? 貴女なんぞの意志無き攻撃は、微塵も手ごたえが無いことくらい自覚したらどうでしょう」
「うるせぇクソッタレ!!」
透も無策だったわけではない。脚部に風の力を溜めこみ、フィールドを蹴り宙へ。
ドライバーの左側を力任せに押し込み、如意棒を宙へ放り投げる。
『必殺承認! 身外身たちによる大騒ぎの夜≪シンガイシン・フィーバーナイト≫!!』
放り投げた如意棒が無数に数を増やし、透自身も無数に分身。それぞれがグラトニーに突貫していく。
しかし、グラトニーはそんな透をせせら笑っていた。
「数じゃあ私はどうこうできない、それくらいのこと……人海戦術でどうこうすることしか能のない、この世の負け犬には理解できませんか」
それと共に、グラトニーもチーティングドライバー上部を軽く押し込む。
『Killing Engine Ignition』
薙刀に力を籠め、淀んだ魔力を滲ませる。一瞬にして透は「それに当たることは不味い」と理解したものの、圧倒的風力を推進力としているために、咄嗟に風力を逆噴射、と言うことは透の技量的にも出来ない。
何とか回避しようと足掻くことは出来ず。『なぜか』推進力を増した透と薙刀。それを力任せに振り回し、透や如意棒群を薙ぎ払う。
透の装甲は礼安や院のものと比べると非常に薄く防御力が低い。風力を扱うが故に、自身を徹底的に軽量化しているのだ。それゆえに、全てのダメージがほぼダイレクトに伝わってしまう。風力の逆噴射が出来ないもう一つの理由であった。
衝撃が胸元にクリーンヒットした透は、派手に吹き飛んで変身が解除されてしまった。
肺にモロに伝わった衝撃によって、透が呼吸をするのも困難な状況となってしまったのだ。
「これだから、負け組にはなりたくない。いつだって、強者に食い物にされるわけですからねえ」
ゆっくりとグラトニーが近づく間、透は生命活動が何とかできるほどの酸素以外、取り入れることが出来ずにいた。肺に血が溜まり、咳と喀血が止まらない。誰彼構わず噛みつく彼女であったが、それすら出来ない状況下にあったのだ。
しかし、透の前に立つのは敵意をむき出しにした礼安と院。それを見たグラトニーは、実に嬉しそうであった。
「いやはや、ようやく本題に戻れそうで。負け犬と商談をするのも、悪いことばかりではありませんね」
「『負け犬』って天音ちゃんを悪く言うけどさ……それ、本当に許せないや」
「正直、彼女に良いことをしてもらった試しはありませんが……正直、見ていて非常に気分が悪かったので。礼安同様、外道である貴方を排他することに異論はありませんわ」
しかし、ここでグラトニーは。そこで歩みを止めた。
「――――『三』対『一』。しかもその相手はどうも、術中に嵌めても無理な相手が含まれていると来た。ならば……退散することが一番の得策でしょう。本来の目的こそ果たされませんでしたが、敵陣で顔見せくらいは出来たので上々でしょう」
変身を解除し、帽子を取り胸元に置くグラトニー。静かに三人に挨拶すると、薄気味悪い笑みを浮かべながら霧散していく。
「債務者の抵抗により、思ったよりも時間がかかってしまいました。次回は……いえ、次回の機会すら与えずに消耗させにかかりましょう。ではさようなら、お嬢さんがた」
グラトニーが英雄学園運動場から退散した後、辺りに異変など無いか軽く見渡して、院は校舎の方を見やる。するとそこでコーヒーを啜りながら様子を窺っていたのは、紛れもない信一郎自身であった。
デバイスを起動させ、本人と電話を繋ぐ院。
「――恐らくですが、あのグラトニーとか言う教会関係者。お父様を察知して逃げたんだと思われますが、どうでしょう」
『正解だね、我が愛しの娘の一人、院ちゃん。ちょーっと勝負後の感想戦にしては時間かかってるなあ、とか思ってね。学園長室の大きな窓から状況を全て見せてもらったよ』
「――では、今我々が望んでいることは分かりますね?」
『無論だとも、既にそちらに救護班が向かってるよ』
そう信一郎が微笑するとその言葉通り、英雄学園が誇る最上級の救護班が担架を持って現れた。透の現状を軽く診て、すぐさま保健室へと透を連れて行った。
「――大丈夫かな」
「恐らくは。命に別状はないでしょうが……せめて、あの場で変身してから前に立つべきだと思いますわ。あの外道の能力が知れてない中で前に出ることは……自身の命を擲つ行為ですわ」
礼安にそんなこと言っても無駄だ、と言うことを自覚していながらも口に出てしまう院の心配。そんな心配などつゆ知らず、礼安は笑って見せた。
しかしその一時間後。礼安と院の元に、耳を疑う情報が入ってきた。その情報を二人に血相抱えて伝えたのは、英雄学園救護班の一人。
「学園長の娘様二人に、急を要する報告です!!」
何か嫌な予感を抱いた二人は、その報告を神妙な顔つきで聞く。その後、二人とも一組の担任に許可を取って学園を飛び出した。
その急報は、『透が処置後経過観察中に、突如として行方不明になった』とのことだった。
あの手合わせ及び『教会』の襲撃から、早一時間後。透は誰の目にもつかない学園都市の暗い路地裏へ逃げていた。整備されていない訳では無いものの、多くの人で賑わっているわけでもない。あまり群れることを良しとしない英雄科や武器科の人間ばかりが、この場に集っている。
取り巻きすら自分の側に置くこともせず、ただ一人で歩く。道ですれ違う者は全て、首席入学した気性難の透の事を知っていたために、あまり刺激しないよう意図的に避けられていた。
思い返すのは、手合わせの最後に自分に向けられた言葉と、襲撃時の礼安の行動。
あの時、対して回避されるわけでもなく、しっかりと敗北したこと。
あの時、自らの憎しみから生まれた分かりやすい隙を見せ、礼安と院に庇われたこと。
それが、自分がどうしようもなく情けなく思えて仕方がなかった。
「俺は――弱いんだ。あくまでお山の大将だったんだ」
『最強』なんて、夢のまた夢。自分があの学年の頂点なのではなく、数日前に彗星のごとく現れた良血統の存在が、自分の手の届かない場所に存在していたのだ。
透自身、驕り高ぶるわけではないが、あの手合わせに関しての事前準備は万全であった。
あの瀧本礼安と言う存在を侮ることはせず、予想される戦い方を思考し、それに合致した戦術を立てた。修行として、多くのならず者をコテンパンにした。変身することなく、徒手格闘のみで。不平等を嫌う透にとって、人体よりも圧倒的な性能を誇る装甲≪アーマー≫を生身のならず者相手に纏うことは『弱い者いじめ』であると、自覚していたためだ。
しかし、相手は力の扱い方を熟知していた。ほんの数日前に力を覚醒させたとは思えないほどに、天性の才能≪センス≫が光り輝いていたのだ。何なら、こちらに先手どころか戦闘の全体的な主導権を、最後の一瞬まで握られていたのだ。
力の差。それはほんの数日で、簡単に埋められるほどの小さなものでは決して無かった。言うならば、そのスポーツ始めたての初心者が形だけの抵抗を一通り行い、それら全てを熟練者に簡単に捌かれ、苦しむことの無いよう一撃で勝負をつけられるようであった。
もはや清々しい。何があったらあそこまでの差が生まれるものか。透には理解できないほどの試練を潜り抜けてきたのだろう。
問題は二つ目にある。
自分がいたずらに前に出て、何もできずに弄ばれた結果、庇われた。その事実がどうあっても許せなかったのだ。自分自身を卑下するどころの話ではない。
もし、あの庇った行動で礼安と院が死んだとしたら。自責の念に駆られ、きっと透自身命を絶つだろう。
『弱者は、強者の邪魔をしてはならない。』『強者は、弱者を守る存在である。』
今まで透が生きてきて、学んだ人生哲学。それを、自分自身が無意識下にて否定してしまうのだから、自分で自分が許せなかったのだ。
少しでも、透と礼安と院の間に存在する力の差を分かっていれば。サポートに徹していれば。
今となっては、思考しても意味がないタラレバの話。しかし、それをしてしまうほどに、透の心は摩耗していたのだ。
「……クソッ」
『孫悟空』のヒーローライセンスを強く握りしめる。自分が強くあり続けるために、己の内に秘められた『強くなりたい』欲を開示し、扱えるようになった力。使えるものは何でも使う、その精神で簡易的な契約しか結ばなかったことが、この結果を生み出したのだった。
「――俺に応えろよ、孫悟空さんよォ。俺は強くなりたいんだ……」
袋小路に行き詰った。歩いた先も、透の力も。
思わず漏れ出た言葉に、ライセンスは一切応答せず。
「――俺の中にいるお前さんは、あの話同様だいぶ意地悪ィんだな」
弱り切った悪態を吐くだけ。透は、どうすることもできなかった。
しかし、その時であった。
「……探しましたわ、天音さん」
そこに現れたのは、学校を去った透を、ただひたすらに追いかけた院であった。
「……んだよ、敗者である俺になんか用かよ。『ビッグマウスのわりに案外弱かったな』、とかでも言いに来たかよ。あのクソお人よしは……居ねえか」
「ええ、今頃礼安はこの学園都市を迷子になっています。あとで探しに向かわないといけないので、手短に」
そんな虚勢を張る透を、憐みの目で見る院。その目に、心底嫌気がさしていた。
「俺の敗北宣言が見たいわけでもなし、何なら『学園に戻ってこい』だなんてテンプレセリフもナシ。何もねえならこんなとこに来るなよ。強者の余裕、そう取られても文句は言えねえぞ」
「違います、私はそんなド外道ではありませんわ」
院はそう語り掛けると、デバイスをいじりだした。
「――以前から、貴女の名前に引っかかって。大雑把ながら、全て調べさせていただきましたの」
「――――なら、何なんだよ」
提示されたデバイスには、日本内でもスラムと言えるほどに治安が悪い区域にて、ある事件の被害者一覧。その中には、『アマネ』の名字が複数存在していた。
「かつてあった……治安のさらなる悪化を予防するために、『漂白≪ブリーチ≫』と称して頭のおかしい『教会』の端役による、大量虐殺が身勝手にも行われた、歴史上の出来事になぞらえた、通称『ホロコースト事件』。その、被害者の一人ですわね」
ホロコースト。それはかつて、第二次大戦中のナチ党支配下ドイツにて行われた、ユダヤ人を中心に行われた大量虐殺行為。『教会』が行っていた行為は、それに類する行為であったのだ。
さらに、不幸にも透はその事件の被害者。それにより、両親を失っていたのだ。
「――――あんまり、思い出させんじゃあねえよ。胸糞悪くなる」
「それについては失礼しました、でも――それが貴女の目標である『最強』に紐づくのでしょう? だから、礼安や私を目の敵にした。私自身が言うのもアレですが……ぽっと出の存在に今の『首席』と言うブランドを、より高いレアリティで奪われることが何より嫌だったんでしょう」
院の言葉は、的を射ていた。誰にも明かしたことは無かったが、調査によって知られてしまった事実であった。
そして、それは透にとって知られたくない事実でもあった。
「さらに、貴女は……と言うより天音家は莫大な借金を抱えている。恐らくあの口ぶりからして、あの『教会』埼玉支部のあの男≪グラトニー≫に嵌められたのでしょう」
元々、天音家は裕福な家庭であった。そんな中で、何者か……十中八九グラトニーの策略によりビジネスは派手に頓挫した。その結果、極貧生活を強いられることとなった。
さらに、追い打ちをかけたのはあの『ホロコースト事件』。何とか家族を立て直そうとしていた最中、両親は透たちを庇って惨殺されてしまった。
それが、透の胸中に影を落とす結果となったのだ。
すっくと立ちあがって、院に背を向ける透。その横顔は、実に物憂げなものであった。
「――――俺については、もう探んじゃあねえ。それで変な情をかけられたら気分悪ィ」
「でも、正直看過できません。貴女だって日々の生活を送り辛いでしょうに――」
その院の心配を、近くの壁を殴りつけ静止させる。拳からは鮮血が滴り落ちていた。
「……それが、それが迷惑だって言ってんだよ!!」
一切表情を見せない透は、声が震えていた。抱えているものの大きさに、誰より圧し潰されそうであったのにも拘らず、気丈であり続けることに、強くあり続けることに、一匹狼で在り続けることにこだわったのだ。
「誰もが――優しさを求めていると思うなよ、勝手に押し付けられて……迷惑だ」
こんな時、礼安だったら何と言っただろう。それでも、望んでいなくとも、自分の欲のままにお人よしであり続けるのだろう。
しかし、この場にいる院はどうだろうか。
「――この『教会』の案件は、俺一人でカタを付ける。そうじゃあなきゃあ……俺の目指す『最強』じゃあねえ」
その場を去る透を引き留められるほど、意地っ張りではなかった。
院から離れた透。自分の寮に帰ると、デバイスを起動し兄弟たちへ連絡を取ろうと試みる。しかし、いくらかけようと繋がらない。不安感が募る中、見たくもない人物から連絡が。借金取りであるグラトニーであった。
『もしもし、天音さんの電話ですね』
「気味悪い猫なで声で話しかけんじゃあねえ、借金取り如きが。虫唾が走る」
敗北を喫したグラトニーにすら、苛立ちが募っているせいか刺々しい態度を崩さない透。しかし、電話の向こう側の相手は表情こそ見えないものの、口角を歪に歪ませているようであった。
『そんな態度をしていていいんですかねえ、電話の相手、変わって差し上げましょうか?』
その一言で嫌な予感を感じ取った透は、変わった相手の声を聞いた瞬間に、すっと青ざめた。
『お姉ちゃん……教えてくれたように抵抗したんだけど――捕まっちゃった』
「!? その声は――!!」
察知した透は、途端に息が荒くなる。
『返済はかなり頑張っているようですが、それでどうにもならないほどに借金がかさんでいるそうで。ちょくちょく学内通貨を通常通貨に兌換して仕送りしているそうですが……それでも足りないようで』
「そんなはず無い!! 今日の分求める金額は確かに渡したはずだ!!」
透自身、学園都市内で得た学内通貨を一切使うことなく、家族全体が抱える借金返済と、弟や妹たちの贅沢のために仕送りしていた。借金は日々生活していくだけでかさんでいく極限状態の中、少しでも楽が出来るように多めに送っていた。
透は、誰よりも早く学園都市内で幾つものバイトを重ね、そして学園長に直談判を重ね多額の学内通貨を借金返済へ充てていたのだ。
「今月の分、確かに……は?」
『諸経費にて、貴女が返済した分が消費されてしまいまして。より借金が膨れ上がっている一方なんですよ。今よりも、ペース上げてもらわないと、ねえ?』
出自不明の『諸経費』。それは借金地獄で永遠の金づるとして雁字搦めにする、ただの方便であったのだ。恐らくではあるが、あの成金じみたグラトニーの指輪や贅肉代となっているのだろう。
「ふざけんじゃあねえ、俺がどれだけ返済に充ててると思ってんだよ!? 今週だけで累計一千万だ!!」
『口答えする胆力を見せるより、お宅の小さい子たちを気にしなくてどうするんですか?』
震えが止まらなくなる透。家族を失う怖さは、喪失感は、そしてそれに伴う重圧は、何より理解していた。
『一週間、それだけは待ちましょう。それまでに新規利息分の一億、そしてゆくゆくは累計借金額数百億きっちり払ってもらわないと……どうなっちゃうんでしょうねえ』
それだけ言い残すと、透への電話は切れてしまった。
翌日のこと。透は学校を休んでいた。
そのことに、礼安は理由こそわからなかったものの、言い表せない違和感を抱いていた。
「昨日のこと……関係しているのかなあ」
礼安と共に教室へやって来た院は、事の理由を大まかながら知ってしまった。彼女が抱える闇、それに伴って彼女が歪んでしまった経緯、それを彼女の反応から窺い知れてしまったがために、気持ちは重かった。
「――礼安」
しかし、大雑把な内容を語ろうとした院は、口を噤んだ。あの暗い事実を打ち明けたら最後、透自身に申し訳が立たない。特に、透は誰かから情けをかけられることを嫌う。言うならば一匹狼のような人物であったがために、ここで自分が彼女の抱える闇を曝け出してしまっていいものか、そう考えていたのだ。
しかし、相手は礼安。内に秘める隠し事は事実上無効化されてしまう。それは、礼安の秘める闇が成した第六感の影響である。
「……院ちゃん、昨日天音ちゃんを追いかけた後、何かあったんだね?」
「――ええ」
それだけを聞いた礼安は、慈母のような柔らかな笑みで向き直り、院の肩を叩く。
「それが……天音ちゃんが今日ここに来てない理由になるなら、私解決したいよ。何があったかは知らないけど……事情を欠片も知らなくとも、その人のためになるよう戦うのが、英雄≪ヒーロー≫でしょ」
杞憂であった。礼安にそんな些細なことなど愚問であったのだ。助ける助けないと言った、そういった小賢しいことを考える前に『助けている』のが礼安である。
「――では、少々担任の目白先生には心苦しいですが……優等生にあるまじきサボり、といきますか」
大学等でそういったことを行ったが最後、小賢しく面倒くさい信用問題や、単位の問題が多少絡んでくるものの、それを権力の暴力で解決できる人物が現れた。
「その心配は無いよ、我が愛しの娘二人とも」
二人が後ろを向くと、そこにいたのは信一郎。手にしているのは、紙切れ二枚だった。
「――それ、何ですのお父様?」
「これ? これは『救助証明書』。仮免許≪カリメン≫持ってない一年次の生徒や上級生が学園活動時間帯、もしくは時間外で人助けしてたよー、これは勉学に関係あるよーってのを証明する、実にクレバーな証明書だよ」
救助証明書は、基本的に救助された側のサインが必要なのだが、そこには透のサインではなく、学園長自身の達筆なサインが記されていた。
「でもこれ面倒くさいのが、証人連れてくるかここにサイン貰う必要性があるのよ。だから今回は学園長サービスとして、私のサインで済ませちゃお、ってこと。本当はこんなテキトー先生方に怒られるから駄目なんだけどねえ」
自分の部下である、教師陣からガチ説教を食らうその姿が容易に想像できてしまうのが、どうも実の親ながら恥ずかしかった。しかし、この二人にとって緊急時の最中でありながらも、心配事などこの世に一つもないかのように、へらへらと笑う学園長の適当さが、この時ばかりは二人にとって心の底からありがたかった。
「日時に関しては、いつ事件を解決するか分からないから無期限にしておいたよ。目白先生も滅茶苦茶渋い顔してたけどオッケーしてくれたし。あとは……二人が救助者としてサインするだけで充分だよ」
礼安と院はその証明書を受け取るも、信一郎はその瞬間二人に耳打ちで伝えた。
(天音透、あの子が抱える闇はおいそれと払えるものじゃあない。それは分かっていてくれたまえよ、愛する二人共)
その言葉に、二人は静かに頷くと、信一郎は二人から離れ先ほどの柔らかな笑みを取り戻す。
「じゃ、頼んだよ愛する二人共! 私お仕事が百件くらい立て込んでるから! 目白先生にどうにかしてもらってねー!」
二人の元を猛ダッシュで離れる信一郎。普段の振る舞いこそアレだが、二人にとって実に頼れる存在であった。
「――お父様、有難うございます」
「パパ、私たち頑張るよ!」
礼安と院の二人と、二人が合流するとは知らない、一人のお目付け役だけが参入する、透を救いにかかる作戦が、人知れず開始したのだった。
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