第三話

 翌日のこと。弱い雨がパラパラと降る、ぐずついた天候であった。

 礼安と院は、学園都市内の洋服店で、入学式のために英雄学園の制服のサイズ合わせを行っていた。二人仲睦まじいその様子は、とても見ていて笑顔になるほどであった。

 そんな中であった。

 突如、轟音が鳴り響く。あたりを歩く人は立ち止まり、雨音が五月蠅く感じるほど静まり返った。勿論、それは二人も例外ではない。

 心地よく優しい雨音、そして人が行き交う声と足音しか目立って聞こえなかった、何気ない日常が崩れ去る瞬間は、いつだって一瞬の出来事である。

 たまらず外に出た二人。自身の視線の先には、逃げ惑う人々。

 礼安は、言い知れない不安と徐々に膨張し続ける殺気を、己の本能で感じ取った。

 無言で制服の入った紙袋を院に渡し、多くの人々が逃げる大本へと向かっていった。

 院は、そんな礼安を止める間もなかった。ほんの一瞬、礼安が感じ取ったそれを同様に感じたものの、本能で拒絶していたのだ。「行けば無事では済まない」と、脳が全力で警鐘を鳴らしていたのだ。

 すると、恐怖に飲まれそうになっていた院の背後に、何者かがふらりと現れた。

 院は一瞬にしてその場から飛びのく。

 背後にいたのは、長身痩躯の女性であった。しかし、まるで人間の意志や生気というものを極限まで削ぎ落した、薄気味悪い『何か』をじっとりと感じて仕方がなかった。

「――貴女は、神を信じますか?」

 その声で、はっと気が付いた。少し前に、聞き覚えのある同じフレーズを喋る人物がいた。

 あの宗教勧誘の女性であった。本州へと逃げ帰った、あの女性であった。

「……貴女、ずいぶん様変わりしましたのね。以前はもっと健康体のような見た目をしていましたのに――――まるで、『悪魔』にでもとり憑かれているようですわ」

 そう院が言ってのけると、女性は懐からデバイスドライバーに似た、しかしどこか危険な雰囲気を醸し出すベルトを取り出し、腰に装着する。

 色合いは危険を現す黒と黄色の二色構成、すっきりとしたデザインのデバイスドライバーとは異なる歪な形状。まるで怪物の牙のようなプッシュ機構が上部と下部に施されている。

「これは何だ、って顔をしているな――真来、院」

 思考を読まれた焦りからか、一歩後ずさる院。それに応じるかのように、一歩ずつひたり、ひたりと近づく女。

「これは、チーティングドライバー……我々力のない人間に『神』が与えてくださった、人類を開放するためのベルト」

 そのベルトが醸し出す、気色悪さ。無機物であるはずなのに、人の全てを食らって生きる化け物のような、底冷えのする恐怖。

「貴女を、神の信徒にして差し上げましょう」

 そういうと、女はチーティングドライバーを起動させる。

『Loadding――――Game Start』

 無機質な男の声とともに、女は怪物へと変異する。

 瞳は無く、耳もなく、しかし口はある。辛うじて人型を保った姿であった。右腕はおよそ人の腕とは言えない、巨大な蟹の鋏を模した形をしており、左足は元のすらりとした脚ではなく、より肥大化した醜い姿となった。

「……本当、この場に礼安がいなくて良かったですわ。あの子は、貴女がそんな歪な姿になり果ててしまったことを知ったら、きっと自分のことのように酷く悲しむでしょう。だからこそ……」

 院は、デバイスを下腹部に当て、デバイスドライバーを展開させる。

「貴女は、私が相手をします」

 院の手には、礼安のものとは違う、ヒーローライセンスが握られていた。そこに描かれているのは、『ギルガメッシュ叙事詩』。

『認証、ギルガメッシュ叙事詩! 遍く全てを手に入れた王、それに至るまでの、王の、王による、王のための物語!』

 ヒーローライセンスをデバイスに挿入する。院の表情が、威厳のある薔薇のように引き締まる。

「――変身!!」

 デバイスドライバーの右側を押し込むと、構えている院の体に顕われていく、烈火の如き紅の装甲。各所に炎が揺らめく意匠が施されている。右肩を覆うようにして垂れ下がる紅のマント、礼安のものとは違いかっちりとしたシックな西洋鎧に、右手に握られた弓。バックルにあたるデバイスモニターには、弓の模様が現れている。

 人間のものとは思えないほど速い速度で懐に入る女。

 しかし、どこかその行動を見透かしていたかのように、院は空中に飛び退き、その空中で一瞬にして顕現させた、摂氏数千度の焔の矢を放つ。

 その矢をすんでのところで避ける女。しかし休む暇など与えないように、何十発も何百発も焔の矢を放つ。

 しかし、どの矢も当たることは無い。

「所詮、こけおどしか」

「それは、どうでしょうね」

 空に放った数百の焔の矢が合わさり、大きな火の鳥と化す。

 それは大きな弧を描き、やがて女を下界から隔絶するように包み込む。

「申し訳ありませんが、私は礼安ほど優しくも、甘くもないのですわ」

 巨大な火の鳥目掛け、一際大きな焔の矢を放ち、圧倒的な火力で巨大な火の玉を花火の如く爆散させる。辺りが噎せ返るほどの熱空間に包まれる。

 空から落下するのは、あの女性。最初は見捨ててしまうことも、ほんの少しばかり考えこそした。だが、礼安の悲しい顔を思い浮かべた瞬間、体は助けるために動いていた。

 女を空中で抱きかかえるようにして、着地する院。

 女は院の攻撃によって大怪我しているものの、見る限り命に別状はなかった。しかし、チーティングドライバーは院の攻撃によって、女の手に握られている欠片ほどしか残っていなかった。

「デバイスドライバーに似たチーティングドライバー……大事に首を突っ込むのはあまり好きではないのですが」

 女を学園都市内の病院へと空を飛んで運ぶ院。しかし心の中は、礼安に関しての不安で満たされていた。

「……無事でいてくださいまし、礼安」


 時は少し遡り。

 駆ける礼安は、肥大化する不安を抱えていた。院の方向に、自分が今まさに向かっている重苦しい圧や不安を、ひしひしと感じ取っていたからであった。

 しかし、とっさに首を横に振る礼安。

 院を心の底から、信じていた。

 きっと、大丈夫。

 根拠のない自信ではあったが、なぜだか確証が持てたのだ。

 デバイスドライバーを装着し、その場に駆け付ける礼安。

 眼前に広がっていたのは、腰を抜かした観光客が今まさに襲われそうな光景であった。

 がっちりとした肉体の男に見入られて、観光客の男たちは身動き一つとることができない状況であった。さながら、蛇に睨まれた蛙のようであった。

 男は二メートルもあろうかという長身かつ、筋骨隆々であり、さながらボディビルダーのようであったが、とても似つかわしくない、神父の服装に身を包んでいた。表情は無く、瞳の奥に深淵が広がっているのかと思えた。

「……違う。これで十人、外れだ」

 比較的屈強そうな観光客から視点を逸らし、男は礼安の方を向く。

 礼安の表情は、完全に怒りをむき出しにしていた。今までの子犬のような、眩しい笑顔は消え失せた。

「……許せない、人に危害を加えるなんて」

 そんなむき出しの感情をぶつけられても、男は微塵も動じなかった。あろうことか、どす黒く、重苦しい殺気で辺りを押しつぶさんばかりであった。

「貴様からは何か近しいものを感じる……見定めさせて貰う」

 男は空中に手を出す。すると、何もなかったはずの空間から、突如として、チーティングドライバーを顕現させ、腰に装着、起動させる。

『Loadding……Game Start』

 異形へと変化する、男。

 目と耳は溶け、口だけとなった顔。肩や脚部に刺々しい変化が起こり、より攻撃的な見た目となる。身体中には、いつのものだか分からない傷跡が、無数に残っていた。

 元の男と大きく異なった点は、何より右腕が三倍近く肥大化していた部分であった。しかもただ肥大化するのではなく、筋肉の質量がそのままアンバランスなほど巨大なものへと変質していたのだ。

 礼安は欠片ほど心の中にあった恐怖心を捨て去り、デバイスにヒーローライセンスを挿入し、起動させる。

『認証、アーサー王伝説! GAME START! Im a SUPER HERO!!』

「変身!!」

 装甲を身にまとった礼安は、強く足を踏みしめ、すぐさま異形の男に向かっていく。

 上段の蹴りを放つも、男に軽く受け止められる礼安。

 受けられた足を軸にもう片方の足をしならせ、蹴りを放つも、男は拳を合わせて蹴りを相殺する。

 着地し、胸部への掌底。これも効果は無く、圧倒的な筋肉の硬度で相殺する。

 顔や心臓部を狙い澄まして拳のラッシュを放つも、男は全てを見透かすように避けて見せる。

 礼安は裏拳なども混じらせ攻撃するも、結局は避けられてしまう。

「貴様、戦士として、未熟だな」

 拳、脚、奇をてらった攻撃すべて避けられるか防がれるかのどちらかであった。

 礼安は剣を顕現させ、切りかかるも、右腕部に多少の切り傷こそ与えはしたが、男は巨大な右拳をフルスイングして距離を離す。

 剣を構え直す間に、男は礼安の倍の速度で近づき、顔面に飛び膝蹴りを食らわせる。

 さらに、完全に無防備となった礼安の胴体に、男の巨大な右ストレートが突き刺さる。

 礼安はかなりの速度で吹っ飛んでしまい、建物に激突、その建物は瓦礫の山と化した。

「……つまらない、弱すぎる。少しばかり期待したのだが」

 男は吐き捨てるように言うと、その場から去ろうとした。

 しかし次の瞬間、第三者による衝撃波が、男の右腕に被弾する。男は咄嗟に防御の姿勢をとったものの、派手に吹き飛ばされてしまう。

「ウチの生徒、しかもあとちょいで入ってくる後輩ちゃん相手に大人げないね。君、騎士道精神って言葉、知ってるかい?」

 男はその声がする方へ向き直る。

「……何者だ、貴様は」

「何者ねえ、それならその言葉にはこう返そう」

 二メートルほどの片刃の大剣『重鉱剣ロック・バスター』を、片手で軽く振り回し、地面に突き刺す明朗快活な青年。

「僕の名前は丙良慎介≪へいら しんすけ≫、英雄科二年。英雄『ヘラクレス』の因子を継ぐ者さ。以後お見知りおきを」


 その名を出した時、場にいた観光客たちは大いに沸き立っていた。

 彼は英雄科二年でありながら、プロの英雄としての活動を、すでにある程度認められているほどの『英雄科の逸材』。おまけに超好青年かつイケメンなため、女性人気が特に高い。天が二物以上のものを与えているのは、自明の理である。

「貴様が、要注意人物、か」

「要注意人物、だなんて……目ぇかけてくれてありがとう。これがファンの人なら、心の底から嬉しかったんだけどなあ」

 丙良は軽口をたたきながら、首にかけたネックレスを引きちぎる。

 そのネックレスには、クリーム色のヒーローライセンスがつけられていたのだ。

「流石に自分の学び舎兼多くの人が集まる観光地攻撃されるのは、生徒としても一人の英雄としても黙ってられないでしょ」

 その声に呼応するように、丙良の大剣のガードにあたる部分が変形。ヒーローライセンスが認証されるカードスロットが現れたのだ。

 そこにヒーローライセンスを差し込むと、

『認証、ヘラクレス英雄譚! 心優しき青年が強烈な師と出会い、半人半神の最強の漢となるまでの、熱血豪快ストーリー!』

 あの野太い男の声が大剣から聞こえてきたのだ。

 丙良は、大剣を地面に深く突き立てる。まるで大剣が動いてしまうことを、良しとしないように。

「変身」

 そういってグリップをバイクのアクセルの要領で豪快に何回か捻る。すると、地面が生物のように動き出し、丙良を圧死させる勢いで激しく包み込む。

 人々はそれでも、期待のまなざしを丙良に対して向け続ける。

 その期待に応えるように、再硬化した地面を己の大剣で叩き壊し、中から丙良が出てきた。

 その姿は、まるで岩石のようであった。

 規則性があるようで、全てが歪。大小の岩の破片が体を覆いつくす。攻撃力と防御力に特化させたような、人を助けるのではなく戦闘に特化した装甲である。礼安や院のそれとは真逆の位置にある。

「さってと、じゃあチャッチャと終わらせて、後輩ちゃんを助けて騒動終了、ってシナリオで動こうか」

 そう一人語ると、大剣を肩に乗せ不敵に笑って見せた。

「英雄の時間≪ヒーロータイム≫と、洒落込もうか」

 緩慢に歩き出すと、咄嗟に片足のみに力を籠める。

 男は構えようと瞬きをした、ほんの刹那。

 丙良は、すでに男の目前に迫っていた。

 空中で身を豪快に捻り、大剣を男の腹部に叩き込む。

 そのままフルスイングして、男を豪快に吹き飛ばす。

 空中で受け身をとって男は地面に着地するも、大剣の攻撃によって腹部があり得ないほど変形していた。脇腹に大剣のフルスイングの形でくっきりと凹んでいたのだ。

 男は腹部に力を籠めると、その変形がなかったかのように状態回復していた。

「成程、回復能力はある程度持っているようだね」

 大剣をまるで片手剣のように振り回し、男に攻撃を与えていく。

 しかし、どれもまるでダメージが入っているようには、丙良には思えなかった。

(ダメージを与えるうえで、どれが有効打になるのか、しっかりと見極めないとな)

 そんな中でも丙良は落ち着いて、人体での致命傷を次々に与えていく。

 脳天、喉元、心臓部。それらに鋭い一閃を叩き込むも、即座に再生していく男の肉体。

 血液一滴すら流れ落ちない、奇妙な肉体。

 最初はある程度防御の姿勢をとっていたものの、ダメージが通らないことを知ってからは一切の抵抗の様子を見せない男。総じて奇妙であったのだ。

「無駄だ。貴様じゃあ、ない」

「僕じゃあないって、何が言いたいのかな? もしかして僕じゃ実力不足って言いたいのかな、君は」

 男はその問いに対し、首を横に振った。

「貴様は、戦闘者としても相当のものだ。だが、違うのだ。俺の深部には、貴様じゃあ届かないのだ」

 理解するのは少々難しかった。しかし、そう言ったときに、巨大な右腕部中央の未だ治らない切り傷が見えた瞬間、丙良は瞬時に理解した。

「……成程、理解したよ。これは、『君を倒すのは僕じゃあない』ってことか」

「貴様、賢いな。丙良慎介」

 軽口で男に対し返そうとした、その時であった。

 今まで微動だにしなかった瓦礫が、内部からの衝撃ではじけ飛ぶ。まるで多量の爆薬でも使って、発破をかけたのかと疑う勢いであった。

 瓦礫の中から、装甲に包まれたままの礼安がそこにいたのだ。

「誰が、つまらないって……? ちょおっと聞き捨てならないよ」

 多少出血こそあれど、一切命に別条がなかったのだ。

「アレで生きていたのか。ならば訂正しよう、タフである、と」

 丙良は鳩が豆鉄砲を食らったような、驚愕の表情を見せていた。

「え、ウソ? 後輩ちゃん……あれ食らってピンピンしてんの?? 本当にタフだな……」

 礼安は腕をぐりんぐりんと回し、ある程度体が動くことを確認すると、落ちていた剣を持ち直す。

 先程までの礼安とは、大きく異なる点があった。

 それは何より、ヒートアップしていた感情であった。湧き上がるマグマのような熱ではなく、頭が完全に冷え切ったうえで、心が燃え上がっていたのだ。

「私は、パパがくれた力に誇りを持ってる。だからこそ、この力を馬鹿にすることは許さないし、無関係の人を傷つけることはもっと許さないよ」

「……だが、今の貴様に何ができる。精々また地に這いつくばる、それ以外の道があるか?」

「ある。ここで皆の前に立ちはだかって、『死んでも貴方に戦いを挑み続ける』って道が」

 礼安の信念と覚悟が宿ったその瞳は、男の心を、微かながら動かした。

「……確かに、貴様は殺しても立ちはだかりそうだ。厄介極まりない」

 男は下腹部からチーティングドライバーを外し、先ほどの二メートルほどの体躯に戻る。

「アーサー王の力の継承者よ、名乗れ」

「瀧本、礼安」

 その礼安の答えに、男は何も言わず、その場から跳躍し姿を消した。

 そして男が姿を消した瞬間に、礼安はぷっつりと糸が切れたように倒れてしまった。装甲もそんな礼安に応えるように、光の粒となり霧散してしまった。

 丙良はそんな礼安をすぐ抱きかかえ、大きな声をかけ続けた。

「後輩ちゃん!! 応答してくれ後輩ちゃん!!」

 礼安は出血が酷く、徐々にその場に血だまりを作り始めていた。

 人々は出血多量の礼安を見て呆然としていたものの、すぐさま病院へ向かう手配を進め始めた。

 


 純白の病室。礼安は、そこで目が覚める。

 辺りを見ると、そこにあったのは送り主不明の千羽鶴とフルーツセット。自分に目をやると、包帯ぐるぐる巻きの体に、腕には数か所点滴の針が刺さっていた。

 隣にも、向かいにもベッドこそあれど、病室に人の気配はない。

「――私、皆を守れたのかなあ」

 そう不安そうに呟くと、病室の扉が開く。まるでテレパシーで通じ合っているかのように、院は手ぶらで現れた。

「貴女……ずいぶん無茶をしましたのね。丸一日、昏々と眠り続けていましたのよ」

 半分呆れた、といった様子の院に対し、礼安はふらふらとではあるが少し起き上がる。

「み、皆は大丈夫だったの……?」

「ええ、どこかの誰かさんが駆け付けたお陰で、観光客の方全員、傷一つ負うことなく無事、とのことです。おかげさまで、貴女、入学する前から観光客の方から学校内部まで、武勇伝がもちきりですわ」

 その院の報告を聞くと、へなへなと再び寝そべる。

「私、守れたんだ……えへへ」

「えへへではないですわ!」

 礼安の頬が緩んでいる中で、間髪を与えることなく院はぴしゃりと言い放つ。

「貴女また自分の身を顧みることなく行動しましたわね!? 貴女それで何度死にかけてると思ってるんですの!!」

「ひぃ、ふぅ、みぃ……あ、覚えてないや」

 礼安の緩いペースに飲まれていくように、院は急激に勢いをなくした。

 しかし、そんな院をよそに、もう一人の人物が病室に現れた。

 それは、綺麗な花束を手にした、英雄科二年の丙良だったのだ。

「全く……君はとんだ無茶をしてくれた。おかげさまで、学園に対して『あの勇気ある二人の新入生を取材させてくれ』、って、マスコミが殺到しているよ。こんなのそうそうないことさ」

「あの……貴方はどちら様ですの……?」

 丙良は首を傾げる院に対し、礼儀正しく礼をすると、静かに名乗り始めた。

 それを聞いて、院の顔はすっかり青ざめてしまった。

「もしかして、うちの礼安がよりにもよって丙良先輩にご迷惑を……?」

「や、迷惑ってわけじゃあないさ。ただ後輩ちゃんは見過ごせなかった、って話さ。特に、ちゃあんとした力を持ち合わせていない中で、戦わせちゃったことに対して、ね」

 丙良は礼安に対し、しっかりと向き直る。

「後輩ちゃん、君は力を貸してくれたアーサー王とともに、君自身の手で、あらゆる人を守りたいのかい?」

 礼安は迷うことなく、首を縦に振った。曇り無い眼は、丙良の心を揺さぶったようであった。

「……ならだ。君自身今のままじゃあいけない。勇気と無謀は似て非なるものさ。力があるのとないのとじゃあ、守れるものや範囲が違う。君が志す英雄というものは、第一に強くなくっちゃあいけないんだ」

 丙良は一つ息をついて、礼安に提案をする。

「入学前ではあるけど、本当に、特別に、二人とも僕が稽古をつけよう。そして共に、この事件の謎を解く。悪い提案では、ないと思うんだけど……どうかな、後輩ちゃんたち」

 それは、今まで英雄学園史の中で、異例中の異例の出来事であることは、容易に想像がつくものであった。院はその提案に対してひどく驚いている様子であったが、礼安はそんなこと露ほども知らないために、答えは決まっていた。

「もちろん、お願いします! 丙良ししょー!!」

「私からも、お願いいたしますわ。私なんかでよければ、ですが」

「師匠、か。少し気恥しいかな……? 先生――とまではいかないにしても、丙良さん、くらいのフランクさで行こうか」

 そういうと、丙良はポケットの中から一枚のヒーローライセンスを取り出す。それには『黄金の林檎争奪戦!』と書かれていた。

「これを使うのは本当に緊急の時だけなんだけど……これは無条件で誰かを全快させる代わりにそいつを使って変身できない、ヒーローライセンスの中でも異質な奴さ。自分に使えないところが何とも言えないよね」

 礼安に対しそれをかざすと、礼安の怪我が一瞬にして治ったのだった。腕を豪快にぐるぐると回し、無事を確認すると礼安はにっこりと笑って見せた。

 しかし、先ほどまである程度明朗快活だった丙良の表情が、異常なまでに曇っていたのだ。

「これ使うと自分の生命力を著しく損なうから嫌なんだよね……しかも対象が一人だけっていう究極の意地悪仕様だし……これが複数人に対して一気に使えたらって何度思ったか」

 最後の方は恨めしくぼやきながら、今度は逆に、丙良がよろめきながらも病室を後にする。

 そして病室を出る直前、丙良は礼安の方に向き直り、一つ言い放つ。

「あ、僕のトレーニング、中々周りからの評判良くないらしいから、一応気を付けてね」

 礼安と院、二人がその言葉の意味を知るまで、ほんの数時間後。

 英雄学園入学式まで、あと三日のことである。

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