第五章 Welsh_Crusader -1




 古さを迫害した時代があった。

 徹底的に、完膚なきまでに叩き潰そうとした時代があった。





「……」

 治安維持隊本部ビル。その屋上に一人の男が片膝を立てて腰かけていた。幼女のような細い体躯に海軍服を着こんだ彼は、眼下地平に広がるひとつの国の首都を眺めていた。


 少しでも前に出れば数十メートルの高さから落下してしまうにも拘わらず、彼はコンクリートの縁ギリギリの場所で片脚をぶらつかせ、斜陽に影を落とす都市を見つめている。


「……大尉殿」

「マーキュリーか。随分やられたと聞いている」


 背後からかけられた声に、大尉は振り向かずに返答した。


「……はい。白髪赤目の、金属を操る超能力者でした」


 マーキュリーの言葉に幼女のような男は「ほう」と言った。


「あのUMAと同じ見た目だな。もしかすると、近縁の者かもしれんな」

「はい。強力な超能力者でした。ただで終わるとは思えません。ここに来る可能性があります」

「ふむ、頭に入れておこう」


 夕刻の景色を見つめたまま、男は頷いた。


「…………」

「…………」


 風が吹く。

 指揮官とその部下は、無言で夕刻の都を眺めていた。

 やがて、マーキュリーが大尉に向けてお辞儀をした。


「――では、私は次の作戦に移ります」

「なあ、中尉」

「……は」

「この国は、美しいだろう」


 軍服を纏った、幼女のような男は静かにそう口にした。

 それが己に向けられたものであることに、マーキュリーは暫く気が付かなかった。それほどまでに彼の言葉は静謐で、まるで水滴のような独り言のようだった。


 男は躊躇った後、そっと瞑目した。


「……はい。大尉殿」

「お前たちの親の故郷だ」

「……はい、大尉殿」

「…………」

「…………」

「……………………」

「……………………」

「マーキュリー」

「は」

「我々はこの国に魔術を取り戻す。この島の炉心に、再び火を入れることでな」

「もちろんです、大尉殿」


 男は姿勢を正す。


「――それこそが、我ら薔薇十字軍ローゼン・クルセイダーの本懐であります」

「よろしい。全部隊に通達だ。これより我らは最終作戦に入る。各自、持ち場に着くように」

「了解しました、大尉殿。どうか――どうかご武運を」


 足音が去ってゆく。

 がちゃん、と屋上の扉が閉まる。


「……」


 風が軍服を揺らした。

 幼女は上を見上げた。

 そこには、巨大な鯨のような船影がある。

 己が率いてき、意思の証が、そこにある。


「…………」


 彼は思い出す。

 彼の記憶は思い出す。

 ここに至るまでの歩みを。

 ここに在るまでの人生を。




 もう、二十年以上も前になるだろうか。

 この極東に、ひとりの天才が誕生した。


 男は政治家だった。彼は誰よりも聡明で賢く、求心力と演説力に優れ、何より最も重要な素質の一つである眉目秀麗な顔立ちをしていた。


 彼は拳を握って人々に叫んだ。

 この国に新たな時代を。停滞の世を一新し、新たな船を漕ぎ出そうと。


 丁度その時、世界中では新たな技術と文化が発掘され、様々な分野が一足飛びに進歩していた。各国で急速に進む開発。日夜報道で目にする輝かしい発展の証。明らかに変化する時代。


 いくら停滞と安寧に身をやつしていても、それに対して少しも危機感と劣等感を覚えないほど極東の人間はプライドがない訳ではなかった。


 国防の観点からも政府は急いで過去を掘り返した。

 魔術や呪術、神々との交信。この島に残るかつての神秘の残り香を必死にかき集め、何とか形にし――そして、そのどれもが中途半端なモノとして残った。


 口にするまでもなく、誰もが気づいていた。

 この極東は自身で発見し、練り上げ、積み上げてきたものが、殆ど無いということに。どの文化も技術も他国から輸入したものの延長でしかない。


 やはりこの国は他国に頼り、何かしらの益を奉じていくことで協力を仰ぐしかないと、そう政府が諦めかけたとき。



 ――という分野が、突如降って湧いた。



 それは政府が闇雲に他国の神秘の猿真似をさせて開発していたものの内、ほんの僅かに掠めていた技術だった。当時、誰もが見向きもしなかった火種を、『彼』は広い上げた。


『彼』は政治家だった。

 若く聡明で、眉目秀麗かつ才能に溢れた男だった。


 その後は凄まじい勢いで事が進んでいった。

 超能力という新たな技術に国民は歓喜し飛びついた。

何せ、世界で唯一の技術を自分の国が発見し、それをモノにしようとするリーダーが同時に現れたのだ。国民は熱狂し、多くの者が彼に付いていった。超能力という旗印を手に、男は政界を駆けあがった。


 彼が打ち出した『古きを捨て、新しきを拓く』という政策は、古い伝統と悪しき風習に苦しんだ世代の人々にとってあまりにも魅力的だった。


 古さを憎む誰もが、損を重ねた青春時代の鬱憤を晴らすことを心のどこかで願っていた。


 そうして、この国を長らく支配していた『古さ』を淘汰する時がやってきた。

 始めは懐疑的だった保守派の人々も、男が次々に重役として駆け上がるうちにその能力を支持せざるをえなくなった。あまりの人気と土台固めの素早さ、そして超能力という『武力』を独占していた彼に、政界の重鎮も手を出すことを恐怖し、取り入るようになった。


 果たして彼は政界入り十年にも満たぬ新参者でありながら、圧倒的支持で総理大臣に就任したのだった。投票率も60%後半と、極東としては異例の数字を叩き出した。


 極東は彼を中心に回りだした。



 ――だが、誰も気づいていなかった。

 ――古さの淘汰は政策ではなく、彼の憎しみそのものであったということを。



 やがて、狩りが始まった。

 手始めに政界の古株たちを追い出した。


 文句を言う者はいなかった。中には己から退く者すらいた。次に、彼らを輩出してきた旧華族に手を出した。土地を買い、不当な金を奪い、人を散り散りにさせ、その権力を完全に削ぎ落した。


 確かにそれは間違った行いではなかったのだろう。人々から徴収した血税を啜り、長いだけの歴史に胡坐をかく彼らはこの国の病巣であったのだろう。


 だが、何かの歯車が外れたのも、事実だった。

 彼の行動は、やがて人々の内に眠っていた古さへの憎しみを助長させた。その熱意と行動力は時に、度を越えてなお多くから支持されるものに膨れ上がった。


 それが少数派だったとはいえ――者たちがいたことを考えれば、その狂いぶりは察するにあまりある。


 そして必然、彼の『古さ』への攻撃は、魔術の世界にも及んだ。

 この国の魔術は陰陽道の派生。そして、その家の殆どは名家の連なりであった。


 これからは超能力の時代。

 それは魔術師達も重々承知していた。


 それでも世界有数の霊地であるこの極東であれば、魔術の研究も続けるにそこまでの苦労はないと、そう思っていた。彼らの本懐は金や権力ではなく、魔の追求にこそあるのだから。


 そして彼らは全てを奪われた。


 山の霊地は買い上げられて土壌単位、植生単位で改変され、地下水脈や河川は強制的に人々の良いように『最適化』された。それら全ては超能力者が中心に開発され、人々は新時代の開拓そのものだともてはやした。


 しかしそれらの裏側にはたった一人による、魔術という古い概念へのの側面が大いに存在した。魔術というものは自然に根差したものが多い。故に伝統や長い歴史を保有できる名家とは非常に相性が良かった。


 それ故に、魔術師は命以外の、命に代えても守りたかった全てを奪われたのだった。



 ――そうして、は追放された。



 我々の殆どは魔導の本家とも言える英国に落ち延びた。だが、土地も知識も歴史も燃やされた我々に出来ることはなかった。


 我々は、ただ死んだ。


 研究の中で命を落とすことも、術式や呪いの代償に苦悶することもなく、ただただベッドに横たわり、虚ろに天井を見上げて静かに死んでいった。


 皆、訳が分からなかった。

 時代の流れなら納得もしよう。

人々が自分たちを排斥したなら、恨んだり、或いは諦めたりも出来る。反抗するのか、それとも新しい時代にすり寄っていくのか――それは個々の判断だ。


 だが我々を他国に追いやったのは、ただ一人の恨みだった。


 なんだそれは。

 我々はなぜここに居る。


 なぜ魔導の深淵の中でなく、ありふれた病や老衰で死ななくてはならない。

 時代のせいか?

 人々のせいか?

 ただ一人の彼のせいか?

 我々は誰を恨めば良い。この胸中にある虚ろは、どうして存在するのか。


 その問は、総理大臣が超能力の事故により逝去したことにより、遂にどこにも行けなくなった。

 我々はなんだ。

 被害者にも復讐者にもなれない我々は一体、なぜこんなところにいる。


 ――――



「――諸君。私はこれから時代を取り戻す」


 大尉は演説した。


 眼前の艦内の魔術師や乗組員たちは皆、空虚に死んでいった親たちを見送った者たちだ。

 自分の親が命以外の全てを失い死んでいった様を、その目に焼き付けてしまった者たちだ。


「この極東に、神秘と魔の満ちた理想郷を再誕させ――」


 壇上に立って拳を振るうのは、唯一残ってしまった哀れな男。

 朽ち果てて使い物にならなくなった身体を物理的に乗り換え、小さな幼女の姿になってまで生き永らえてしまった、魔術の才能だけが残された男だ。


「我らは時代に、我らの存在を問い直す! 我らは薔薇の十字軍! 失われた聖地を奪還するために進む、薔薇十字軍ローゼン・クルセイダーである!!」


 ルーク・エイカーのことは英国にいた時から聞いていた。極東最強の戦力。一国を消し去れる程の力を有する、無類にして無敵にして無双の超能力者であると。


 宣戦布告の時、彼の啖呵を聞いて心が震えた。

 こうでなくては。極東の、超能力の頂点はこういう風でなくてはならない。そして御影カオリの報告を聞き、僅かにその期待に陰りが生じた後――彼が、偽りの王である証左を目の当たりにし、思った。


 


 国際社会の目を搔い潜って強引に設立した治安維持隊。

 悪魔の力で人々を騙して超能力者の頂点に君臨する少年。

 土台が歪んだ極東の象徴として、これほど相応しい敵がいようか。


(……そうだ。あの時も、こんな光景だった)


 バラバラバラ、と報道ヘリコプターの羽根が空を切る音がする。

 大通りの向こうや建物の影に目を凝らしてみれば、いつの間にか大量の人が詰めかけていた。治安維持隊が機能していない状態でSNSが復活したのだ。こうもなる。


 幼女は腰かけた屋上からひらりと宙に身を投げ出す。自由落下によって長髪とコートが後ろにたなびく。数十メートルの落下を経て、幼女はふわりと地面に着地する。


(あの時――新総理が就任した時)


 ビルの巨大なモニターに映った男に、皆が歓声を上げていた。大量の人々に見守られながら演説する、英雄の姿。新しい時代の到来を示す、若い男の姿――――


「…………」


 雷鳴が轟いた。

 大通りに閃光が奔る。

 巨大な雷撃が治安維持隊本部ビルの前に落下した。


 詰めかけた人々は爆発じみた音と光に悲鳴を上げ、直後に落下地点から歩み出た姿を目にし、今度は拍手と喝采を辺りに響かせた。

 当然だ。これから始まるのは彼の劇場なのだから。


 偽りの雷撃の中から現れたのは、金髪碧眼の美少年。

 最強の超能力者、ルーク・エイカーが登場した。

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