第四章 Little__Dream -9
大きな戸建ての間に隠れるように建つ小さなアパートに、赤いカーテンのような服を着た人がたくさん来た。白いカーテンの人も来て、何やら難しいことを話していた。
母親はひたすら愛想笑いをしていた。
白服が近づいてきて言った。
白服は少女に言った。
お母さんとは離れて暮らすことになる。何も心配はいらない。
トラックの荷台に載せられ、そのまま『施設』に連れていかれた。そこから先のことは、あまり覚えていない。人体実験をされていたと知ったのは後からの話だった。
隣に、誰かいたような気もしたが。
記憶も、思い出も、曖昧で。
愛なんて言葉からは程遠い日々だった。
だけど、そんな日々は突然終わりを告げた。今度は黒服の人が『施設』にたくさん来て、少女たちを解放した。特に感慨はなかったが、それからの日々は悪くはなかった。
新たな『施設』では痛い思いをすることもなかった。穏やかに、灰色の日々が過ぎ去って。だんだんと、体の傷も、心の痛みも消えていった。
そして、出会いがあった。
その少年もまた傷を負っていた。少女と同じように、様々なものを失っていた。
欠けたモノを補うように。傷跡を舐めるように。灰色の日常を、様々な色で塗りつぶして。少女はただ、その美しさに満足していた。
その先を、夢見ていた。
少年の顔が間近にあった。闇夜に煌めく湖面のように静かだった。
少女は目を瞑る。互いの唇が近づいていき――
◇
「――――?」
唇に、柔らかなモノが触れた。
ヌメリのある軟体動物のような物体が、熱を帯びながら歯をこじ開ける。唾液が混ざり合い、湿った音を立てる。
電流にも似た衝撃が、露藤ハルの脳髄を貫いた。
「…………ッ!?」
たまらず目を開ける。
よくわからない怪物女にディープキスされていた。
「んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!?」
「――――ごふぁッ!?」
反射で繰り出した膝が、女の腹部に突き刺さる。
そのまま仰向けに倒れる怪物を無視して、ハルは制服の袖で口元を無茶苦茶に拭った。
「…………な…………な…………な…………ッ!!」
頭がもうグチャグチャだった。
顔が燃えるように熱い。
明らかに異形の女は黒の翼をはためかせながら、戦慄するハルに満面の笑みを浮かべ、
「あぁ! 目が覚めましたね、お姉さま!!」
「お姉さま!? いや君、僕たちを追いかけてた……」
「あの子と同じならそうと言ってくれればいいですのに!! 同族を傷つけてしまいましたわ!! 体はもう大丈夫ですの!?」
「ストップ! 待ってちょっと意味がわかんない!」
ハルは両手をブンブン振りながら叫ぶ。
「まず、君は誰!? 誰なの!?」
「あら。失礼いたしました。アタシとしたことが」
女は恭しくお辞儀をして、
「ヴィクトリア・ヴァンピレス・サキュバー。お姉さまの同族ですわ」
「……同族?」
「ええ。アナタ様のその紅い瞳。アタシと同じ『人間』である証ですわ」
反射的に目元に手をやる。
サングラスが外れ、自分の目が露わになっているのに気づいた。
「同族って……君も人体実験を受けたってこと?」
「人体実験!? あの『化け物』ども、お姉さまにそんなことを!?」
「……ああ、いいや。何か深掘りしちゃいけない気がする」
どうやら目が赤いというだけで同族認定してきたらしい。ハルは深々と溜息を吐き、唇を指で撫でた。ぬるりとした感触にまた頬が熱くなってくるのがわかる。
あたりを見渡す。
気を失ったときと同じ裏路地にいるようだった。
ハルはヴィクトリアと名乗った化け物をじとりと睨んだ。
「…………それで? 何で、キス?」
「私の体液には癒しの力がありますわ!! お姉さまの傷を完全に癒すことはできませんが、体力は回復しているはずです!!」
「……ああ……そう…………。……初めてだったのに」
「お姉さまも感じて頂いたようでなによ……お姉さま!? なぜピストルをこちらに!?」
「……ちょーっと静かにして。頭が一杯だから」
「お気持ちはわかりますが、お急ぎになられた方がよろしいかと。妹さまのことが心配ですわ」
「妹?」
「一緒にお連れになられていたお方、妹さんですよね? アナタ様と同じ瞳、同じ髪をしていらっしゃいますわ。匂いも同じですし。気づいたのはつい先ほどですけども」
「…………」
少なくとも、ヴィクトリアがハルと同族であるという話よりは信憑性があった。……というより、アルビノであるという時点で同じ『施設』出身であることは疑うべきだった。
それだけ、あの頃の記憶が曖昧だった。
背中に冷たいものが走り、ハルはブルリと体を震わせた。つい数時間前にハルがロケランで吹き飛ばした変態女は、あの時と一転してこちらを慈しむように頭を撫でてきた。
「大丈夫です。妹さんは、私が救い出します」
「君が」
「ええ。東京で何が起きているかは、動物たちの目を通じて把握していました。ネズミ、猫、カラス。彼らは『人』が思う以上に情報を持っていますわ。事態は混迷を極めましたが、英国からの魔術師集団が『元凶』と言ってよいでしょう」
「あの子の位置がわかるの!?」
「残念ながら、『化け物』どもの隠蔽魔法の影響で、動物たちとの視界共有ができなくなってしまいましたわ。ですが、安心してください!! たとえ東京中を駆け巡ってでも、妹さまを見つけ出して差し上げますわ!! お姉さまのためなら地獄の底まで行きましょう!!」
ヴィクトリアは地面を蹴りつけると、近くの建物屋上まで一息に跳躍する。ハルが呼び止める暇もなく、彼女の姿は夕闇の向こうへと消えていった。
嵐のように暴れるだけ暴れ、一方的に話すだけ話して去ってしまった。
「……………………」
意味がわからなかった。
だが、ヴィクトリアの言う通り、時間がないのは確かだった。ひとまず状況を確認すべく、端末からホログラムウィンドウを出現させる。
ネットニュースを確認すると、例の魔術師集団が治安維持隊本部を占拠しているというニュースがトップで表示されていた。
「……………………えーっと」
ヴィクトリアを待つまでもなく、敵の居場所が判明した。
「何だったの、あの変態?」
煤だらけの壁に手を突き、何とか体を持ち上げる。ヴィクトリアのことは気になったが、彼女を追いかけるだけの気力も時間もない。
「……カケル」
ふと口から零れ出た名前に、彼女は苦笑を浮かべる。
両手で頬を叩き気持ちを引き締め、ヴィクトリアとは逆方向へと一歩足を踏み出した。
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