第四章 Little__Dream -8
少女が横たわっている。
冷たい床に、銀の髪が広がっている。
彼は少女の顔を見下ろす。
上に覆いかぶさるような姿勢のまま、硬直する。
抱きしめれば折れてしまいそうなほど華奢な彼女は、そっと目を閉じ、唇を僅かにすぼめる。彼もまた目を閉じ、震える体を押さえつけながら――
「――――」
懐かしい悪夢だった。
目を開ける。見知らぬ部屋が、ルーク・エイカーを出迎えた。
小さなアパートの一室だった。
家具の類は最小限で、部屋の隅に置かれた段ボールに綺麗に畳まれた衣服と携帯食料が入っていた。ルークの体は壁際に座らされているようだった。
立ち上がろうとすると、身体中の痛みにうめき声をあげた。
まるで四肢がバラバラになりそうな感覚に、ルークは歯を食いしばった。
「起きたか」
顔を上げると、マグカップを持った御影カオルが立っていた。
カオリがカップを差し出してくる。ルークは受け取ることが出来ず、彼女から目をそらした。
「すまない。僕は――」
「アホかテメエは」
「…………」
予想外の言葉に、御影は口を噤む。
カオリはルークに背を向け、カップをカウンターに置いた。
「完全催眠能力なんだぞ。ましてや相手は俺だ。同じ立場なら誰だって騙そうとする」
「……僕は」
「騙し騙されの関係だ。そんなことはどうでもいい。俺が許せねえのは、テメエの甘さだ。どういうつもりだテメエは」
「…………何で怒ってるんだ?」
「怒りたくもなるわアホかテメエは!」
ルークの前にドカリと座り、カオリは舌打ちした。
「いくらだってやり様はあったはずだ! 違うか!?」
「……何が?」
「何がだ!? バカじゃねえのテメエ!?」
「あの、御影さん。そろそろ僕のガラスハートが砕けそ――」
「俺を従えるのはもっと簡単だったはずだ! 魔術師連中の幻影を出して俺を襲わせてもいい! 手足を切断したような幻覚で拷問したっていい! 違うか!?」
「……そんなに便利な力でもない。あまりに現実と乖離させて疑いを持たれたりすると、幻覚の作用は弱まってしまう。魔術を知っていた大尉が、あっさり幻覚を砕いたように」
「だとしてもだ!」
カオリが開いた右手を横に伸ばす。部屋の隅に置いてあった段ボールの影から『魔導書』が飛び出し、カオリの手に収まった。
「緊急時にケースを開けろと言っていたからな。中身を見せてもらった」
魔導書が開かれる。
中ほどに挟まっていた一枚の紙片を取り出し、彼女は溜息を吐いた。
「この紙が挟まっていたページには……テメエが契約した悪魔に関する説明が書かれていた。ご丁寧にマーカーまで引いてあったからな。専門外の俺でもある程度は読み解けた。まったく、大尉殿が知ったらひっくり返るぞ」
「価値がわかっていなかったので……」
「自身を認識した相手に任意の光、音、匂い、味、痛みを与える、すなわち幻覚を見せることができる完全催眠能力。そして……自身が触れた相手を服従させる洗脳能力。それがテメエの力のすべてだ」
「…………」
「大尉が言ったように、お前には洗脳能力があった! 治安維持隊本部で俺に触れた時点で、お前は勝っていたんだ! 違うか!?」
「僕は君を洗脳していない」
「ああ、そうだろうな! それくらい俺でもわかる! だがお前は洗脳しないどころか、洗脳しなかったことを……いや、洗脳できないことを証明するため、自分のすべてを晒した!」
カオリがルークの目前にメモを突き付ける。
メモの内容に、『最強』の男は淡い微笑を浮かべた。
「あらゆる力は対価を必要とする。ましてや魔術、悪魔由来ならそれは顕著になる。世界を虚構で彩るテメエの力は……能力者の本名を知る人間には通用しない。つまり、テメエの名前を知っている人間は、洗脳されていないということになる」
メモに書いてあったのは、『ルーク・エイカー』の本名。
彼の能力に対する、ただ一つの対抗手段。
「
沈黙が流れる。
「果たして本当にそうなのかな? もし私が洗脳を使えるとするなら、君が読んだ魔導書も、僕の名前が書かれたメモも、すべて嘘かもしれない」
「そんなに器用なことをできるヤツがこんな無様晒すわけねえだろ」
「ぶ、無様は言いすぎじゃないかな!?」
「大体なんだ。髪の色も顔立ちも全部変わってるじゃねえか。生粋の日本人だろテメエ」
「あ、そっか。そこまで見えるのか。うっわちょっと待って。催眠があるのいいことに寝ぐせとかちゃんと直してな――」
無言で頭をはたかれた。
なぜかそうしなくてはいけない気がして正座になるルークに、カオリは額に青筋を浮かべて、
「それで? なんで金髪碧眼に?」
「いや、その方がカッコいいかなあって」
「もっと自分に誇り持てよアホ。……ルークって名前はどこから?」
「好きな映画の主人公です」
「じゃあ、苗字は? エイカーなんて苗字は聞いたことないんだが?」
ルークがさっと目をそらす。
カオリは顔をひきつらせた。
「まさか……」
「冷静に考えてほしい。偽名を考えたとき、僕はまだ子供で――」
「まさか、面積の単位……ヤード・ポンド法からじゃないだろうな? 1エーカー、2エーカーのエーカー?」
「…………」
「…………は…………はは、は」
傭兵が腹を抱えて笑い出した。
「く、くく、あっはっはっはっは! バカだ!! コイツ本当にバカだ!!」
「そんなに笑わなくてもいいじゃないか! 君にだって、その、何だ! カタカナが全部カッコよく思える時期があっただろ!?」
「そこら辺の感覚は俺にはわからん。日本にいた時期の方が短ぇしな」
「オタク文化にドップリとつかってみるがいい! 厨二病がなんたるかを知るだろう!」
「その、中二病? だとしても、もう少し考えようが……プッ。クッ……ブフッ!」
「笑うなあ! 笑わないでくれ!! いや、ホント恥ずかしいし自覚もあるのでやめてくださいキツイですお願いし――」
「で? 何で俺を洗脳しなかった?」
「……あの、話題変わりすぎでは?」
「テメエの本質がヘタレでオタクな超絶ドアホのお人よしバカだって話もっとするか?」
「人の心あります!?」
ずれた眼鏡を人差し指で持ち上げ、ため息を吐く。
カオリが真剣な表情でこちらを見つめてくるのに、ルークは苦笑を浮かべた。
「嫌いなんだよ洗脳能力。僕の中では禁忌だ」
「まあ、えげつないわな」
「それでも、合理的に考えれば、君を洗脳すべきだったんだろうね。でも、そうはしたくなかった。君のことが好きになっていたから」
「…………」
「偽物の僕と違って、君は本物の『最強』だ。少なくとも、その候補であることは間違いない。かつて夢見て……絶対に到達することができないとわからされた理想の姿。僕は――」
無言で頭をはたかれた。とりあえず正座しておいた。
「……何で?」
「うるせえ、ドアホ」
カオリは立ち上がり、ルークに背を向ける。彼女は何度か深呼吸を繰り返したのち、ルークに渡そうとしていたコップを手に取り中身を煽るように飲み干した。
「……で? 本当に洗脳を使わなかったのか?」
「話がループしてません?」
「そうじゃねえよ。ステキなオモチャを渡された子供が、それを一度も触らないなんてことがありえるのかと聞いてんだ」
「…………」
ルークは天井を見上げた。証明の光が瞳の奥底まで突き刺さり、そっと瞼を閉じる。
「子供のとき、一度だけ」
今まで誰にも話したことのない、正真正銘の黒歴史。
取り返しのつかない、どうしようもない、『笑い話』だ。
「あの事件ですべてを失った。でもある時、一人の少女と出会った。おとなしい、優しい心を持った少女だった。すぐに親しくなって、たくさん遊んだ。だけど……魔が差してしまった」
少女を自分のモノにしたいという欲望か。
知人で洗脳を試してみたいという好奇心か。
どちらにせよ、実に子供らしい、悪魔のような発想だった。
「僕が手を触れるだけで、彼女は従順になった。僕は彼女を押し倒した。彼女は僕が見たことがない表情をし、目を瞑り、唇をすぼめていた。綺麗だった。月光に照らされる百合のようだった」
「……それで? どうなった」
「そんな彼女を見て……あと一歩のところまできて……僕は、怖くなった。どうしようもなく体が震えた。僕はその場から逃げ出した」
「なるほど。つまりあれか」
カオリは深く頷き、
「初めてエ〇動画見たガキが怖がるのと同じ原理か」
「いや違うだろ。犯罪行為を寸前で躊躇ったってだけだ」
「ガキでもキスくらいはするだろ。何だ? その先までヤルつもりで――」
「御影さん」
「……そうだな、茶化していい話じゃねえか。悪かった」
カオリがホールドアップするように両手を上げる。ルークはため息交じりに首を振った。
「高校に入って彼女と再会した。洗脳されている間の記憶は消える。彼女はあの時のことを覚えていなかった。僕は二度と過ちを犯さぬよう、彼女にだけは本名を教えた」
ルークの名前を唯一知っていた少女。彼の能力が通用しない幼馴染。
「少女の名前は、露藤ハル」
銀の髪をたなびかせる、冷静沈着な能力者。
「米軍が確保していた彼女の妹、露藤マリと魔導書を交換することが、僕の目的だった」
「なるほどな。これで話が繋がった」
ホログラムウィンドウが宙に展開される。そこに表示された映像に、ルークは絶句した。
「これは……」
ネットニュースの中継だった。ヘリからの撮影で、見覚えのある建物を映し出している。レポーターが興奮気味に叫んでいた。
『治安維持隊本部の映像です! 現在、犯罪組織がタワーを占拠しており、本部とは音信不通の状態となっております!! 犯人たちは魔術師と思われ、現在人質を取り屋上に拘束しています!! また、タワー入口が鳥居に造り変えられるなど摩訶不思議な改造が施されており――』
「拘束されているのは、件の露藤ハルの妹だろうな」
カオリの視線の先では、どうやら気を失っているらしい銀髪の女の子が何かの資材で作られた十字架に磔にされているのが見えた。周囲を囲っている連中は武装からして、間違いなく英国の魔術師連中だろう。
「彼女が返してほしければ魔導書を渡せってことか」
「魔導書を渡すのはオススメしねえ。米軍と違ってヤツらはプロだ。おまけにトップは知っての通りのイカれ野郎。何しでかすかわかったもんじゃねえなあ、オイ」
カオリは玄関へと移動し、扉を開く。地平線近くの夕日が差し込み、室内を赤に染めた。
「……協力してほしい、って頼むのは強欲か」
「強欲だな。そもそもだ。御影カオリは、誰かに支配される人間じゃねえ。これからどうするかは自分で決めるさ。ここは俺の隠れ家だったが、もう滞在するつもりはねえ。ここで隠れているなり傷を癒すなりテメエ好きにしろ」
表情は影となり、読み解くことはできない。
彼女はヒラヒラと手を振り、ドアの向こうへと消えていった。
「じゃあな、相原カケル。それなりには面白かったよ」
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