第四章 Little__Dream -6



 血弾と風が飛び交っていた。


 四方八方、縦横無尽に飛び回る赤色の軌道を捌きながら御影カオリは大広間を疾駆していた。

 異端の傭兵は魔弾の射手に叫ぶ。


「――どうしてここまでやった! 治安維持隊本部制圧なんて、この国に対する宣戦布告に等しいんだぞ!!」


 柱を駆けのぼり、天井を蹴り、加速する。

 正面に回り込んだ魔弾を腕の一振りで消し飛ばし、御影カオリはロビーの中央に立つ軍服幼女に向けて突貫する。拳を振りかぶり、頭上から不可視の打撃を容赦なく叩き込む。


「無論、『本』を手に入れるためだとも。君は知らないだろうが、あの書は本来、今日米軍と何らかの取引に使われる予定だった。取引の最中ほど狙いやすい時はないだろう」


 音速近くまで到達し、床のタイルを粉々に破壊し、巻き上げた一撃を難なく避けた幼い少女はコートを翻し、その見た目に似合わぬ低い声で返答する。


 カオリは間髪入れずに床を蹴り、横に逃れた大尉に突撃する。

 だが、同時に床を蹴った少女の肉体は能力で加速したカオリとほぼ同じ速度で後方に飛び、対面する二人はまるで静止しているかのように視線を交錯させた。


 直近にある憎々し気な表情の傭兵に、大尉は涼しい顔で小さな口を開く。


「米国の軍人の記憶を覗いた結果、交渉材料のUMAが脱走していたことが判明した。取引は失敗していたのだよ。ならば『本』があるのはどこか。当然、ここ治安維持隊本部だ。だから我々はここを陥落させ『本』を奪取しようとした」


 なかなか苦戦したがね、と苦笑する大尉。

 そのすまし顔めがけてカオリが拳を構えた途端、彼の右手のマスケット銃から追加で六発、魔弾が発射される。

 そして、それはカオリに向けてではない。


「くっ、そが……!」


 カオリは急ブレーキをかけて方向転換し、倒れるルークを襲う六発の赤弾を猛追する。


 弾丸を追い越したカオリはルークを傷つけないように着地し、螺旋を描く弾丸を破壊する。盾を用意しても回り込まれるため、全ての弾丸をわざわざ叩き落さなくてはならない。


「おら、あァッッ!!」


 カオリは『次元操作』を全開にし、血弾を迎え撃つ。

 合わせて六度、赤い弾道が空間から消え失せる。

 戦闘の粉塵立ち込める大広間で、二階の手すりに着地した幼女は優雅に語る。


「だが、いくら探そうと『本』は無い。それどころか、取引するものが『本』である記録すらなかった。更に調べると、治安維持隊はただの仲介で、実際には米軍とルーク・エイカー個人の取引であることが司令官の記憶から読み取れた」

「だから治安維持隊に扮して俺たちに救援信号を出したと……。随分と合理的な判断だな。合理的過ぎて、狂ってるとしか思えないぜ」


「誉め言葉と受け取ろう。だがまさか最強の超能力者の正体が、悪魔と契約した催眠能力の使い手だとは、ははは、この私でも予想できなかったぞ」

「…………」


 無言になったカオリに、大尉は頭上から語り掛ける。

 言われずとも、カオリは察していた。


 己で宣言した通り大尉は強い。ルークを狙うなどという卑劣な手を使わずとも、十分に。ならば、そんな彼がどうしてこんな時間稼ぎのような真似をしているのか。


「御影カオリ。異端の傭兵。君は、なぜルーク・エイカーの味方をしているのだろうな」


 投げかけられた問いに、カオリは奥歯を噛んだ。

 彼はこちらに揺さぶりをかけている。


 ルーク・エイカーはお前に催眠をかけていた。『本』は日記ではなく魔導書だった。お前は騙されていたのだと。異端の傭兵が気分で動くのならば、騙されたことを知った今のお前はどうだ、と。


「しかし安心したぞ。本が偽物だというお前の発言、実のところほんの少しだけ肝が冷えていたのだ。米軍から苦労して情報を抜き、極東くんだりまで部隊を率いて攻めて手に入れたのが偽物でした、など笑い話にもならん」


 細い手すりの上で器用にしゃがんだ大尉はマスケット銃の周囲に血液の弾丸を装填する。


「その危惧もルーク・エイカーが自ら否定してくれたがな。魔術が完全に排斥されたこの国で悪魔と契約するなど、『本』の力を使う他ない」


 魔弾が発射される。

 今度は搦め手の曲線軌道ではなく、真っすぐ直線で標的を狙う貫通弾だ。


 一つ、二つ――カオリは能力の装甲を腕に纏わせるのではなく、広く指の先に展開し、網として弾丸を包んで砕く。続く三つ目を左手で薙ぎ、残りの三発を右手で捉え、破壊する。


「さて問おう、御影カオリ。お前は騙されたと知ってなお、なぜ彼を守る?」


 カオリはちらりと後ろの床に倒れるルークを振り返り、そして顔を上げた。


「――騙していたのはお互い様さ。俺も、コイツもな。俺たちは仲良しこよしで手を繋いでここに来たんじゃねえ。敵同士であることを前提に、協力してここに来たんだ」


 車内の会話を思い出す。

 自分を信用する理由を尋ねたカオリに、『そうしたいから』と答えた彼を思い出す。


 自分たちは友情の鎖で互いを引っ張ったのはない。自分の意思を持った二人が、互いに好きなようにして、同じ方向を向いただけなのだから。


「そう、都合よく考えられるものかな」

「……何だと?」

「君も知っての通り、魔術は『繋がり』というものがひとつのキーとなる。そして当然ながら対象との距離も大きなネックとなってくる」


 何が言いたいのかと戸惑うカオリに、大尉はどこか憐れんだような微笑を浮かべた。


「先ほどの私と彼の距離ですら、あれほど高度な幻覚を見せれたのだ。もっと近く――例えば、手で触れるなどすれば、どれだけの力を発揮出来る? 何せ悪魔の能力だ。催眠や幻覚を超えて、対象を意のままに動かす――洗脳さえ可能ではないか?」

「…………」


「君もプロだ。彼には警戒していただろうし、細心の注意を払ってはいたのだろう。だが、彼に一度でも触れられたことが無いと、そう言えるかね」


 思考が走る。

 御影カオリの視界に過去の映像が高速で再生される。

 彼女自身が望もうと望むまいと、幾たびの死線を潜ってきた彼女の脳髄がひとつのミスも許すまいとフル回転し、そして一つの記憶の前で止まった。



『いきなり触んじゃねえよ。びっくりしたじゃねえか』

『すまない。こちらに気づかない様子だったからね。何か考え事を?』



 ……そうだ。

 あのとき、確かに。ルーク・エイカーは、こちらの肩を掴んで、


「――いや」


 御影カオリは脳裏によぎった思考を振り払う。


「例えそうだったとしても、俺がルーク・エイカーに洗脳されていたとしても――今テメエに『本』をくれてやる理由はねえよな!」


 ぱん、と傭兵が手のひらを合わせる。重ねられた両手は硬く閉ざされた観音扉を開けるようにゆっくりと開かれ、


「……む」


 二階に座る軍服姿の幼女は片眉を上げた。

 目の前の光景が、歪んでいた。

 階下の大広間全体が、分厚いビニールを引き延ばしたような不均等なひずみに支配されている。


 広範囲の空間全体に対する操作。

 攻撃転用できるほどの効果は無いが、こうして見る者の目を混乱させる程度の煙幕は張れる。しかも直接空間を弄っているのでこの中に入れば確実に『酔う』だろう。


「なるほど、芸達者な奴だ」

「そういうこった! あばよ大尉キャプテン! 次に会う時は交渉なんつって別れた女を追うような、みっともねえ真似はすんなよ!!」


 捨て台詞が足音と一緒に遠ざかってゆく。

 十数秒経って空間の歪みが消えた頃には二人の姿は既に消えており、残ったのは血痕と戦闘で舞った粉塵だけだった。幼い少女の姿をした男は手すりから飛び降り、瓦礫を避けながら破壊されたエントランス入口に向かう。


 明るい陽射しに手をかざしつつ、破壊された大通りと街並みを眺める。

 念のため術式を通して確認してみるも、彼女は全く痕跡を残さずに去ったようだった。


「相手が魔術師なら追えたのだがな」


 細い腕を腰に当てた大尉は小さく息を吐き、懐から通信機を取り出した。


「……マーキュリー、私だ。御影カオリは裏切り、本の確保にも失敗した。よって現刻を以てプランCを破棄。プランDに移行する。米軍のUMAを鹵獲した後、治安維持隊本部に即時連行せよ」

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