第四章 Little__Dream -5
「存外に、」
二人の背後から平坦な声があった。
「聞き分けが悪い男なのだな、ルーク・エイカーは」
「――黙れ」
全身に満ちた殺気を隠そうともせずに、御影カオリが振り返る。足元からは暴風が吹き荒れ、髪の毛は独立の意思を持った存在のようにゆらゆらと逆立ち始めている。
「交渉次第じゃ極東から逃がす手伝いをしてやってもいい……そう思っていたが、こんな光景を見せられたら、もうそうは行かねえ。俺も立派な戦争屋だが、こんなものはもう戦争じゃねえ。一方的な侵略だ」
瞳に怒りの炎を灯すカオリに、海軍の恰好をした幼い少女は長い紺の髪を引きずって階段から腰を上げた。斜めになった制帽を両手で直し、彼は冷たい目線を傭兵に向ける。
「契約を結んだ間柄だ。念のため最後に尋ねるが、御影カオリ。お前は
最後通告だと大尉が発した言葉に、
「……ああ、『本』ね。そうか、そうだったな、くくく……」
「何がおかしい」
口元を嘲りに歪めてくつくつと嗤う異端の傭兵に大尉は再度言葉を放った。
御影カオリは心底可笑しそうな様子で口端を上げ、階段上の幼女を嘲笑うかのような表情を向ける。
「どうせぶっ潰すんだ。冥土の土産に教えておいてやるよ。アンタが探していた魔導書だがな――あれは、真っ赤な偽物だったんだよ!」
「――――、そんはずはないが」
「いいや偽物だね! 実際に目を通したんだ、間違いない。魔術のことはかじった程度にしか知らないが、そんな俺でも一目で分かったよ! ハッキリ言ってやる、アンタが遥々極東まで潜空艦を漕いできて見つけようとしてたものは、何の価値もない偽物だって――」
「いいよ、御影」
呟くような、短い声。
しかし固い意思を纏わせた声色に、カオリは口を閉じた。
「そんなこと、もうどうでも良い。『本』だろうと何もかも……
失意に俯いていたルーク・エイカーが、ゆっくりと顔を上げる。その目にはカオリとは別種の、しかし彼女よりも遥かに強い激情が宿っていた。
「大尉、ここでお前を倒す。それで戦争は終わりだ」
それは二度目の宣戦布告だった。
一度目は攻める側と護る側、互いの立場の表明。だが今回は違う。どちらの陣営が潰れるかという、攻める者同士の立場での敵対宣言だった。
「よろしい、結構だ。交渉は決裂――いや、そもそも始めてすらいないか。ともあれ君たちは今、正式に私の、
大尉がおもむろに右腕を持ち上げる。
するとどこから現れたのか、その右手には片手持ちマスケット銃が握られていた。マスケット銃としては小型だが、幼い姿の幼女が持つといかにもアンバランスな見た目だった。
「へぇ、てっきり一度退くかと思ったら、アンタがやるのか、大尉。部隊も率いず、そんな小さな身体で俺たち二人を相手にして勝てるとでも思ってるのか?」
「御影カオリ、お前はさっき言っていたな。指揮無しの中隊では超能力者たちは突破できないと。それはもっともだが、それ以外にももう一つ、私が戦場に行かなくてはならない理由というのがあるのだ」
かちゃりと幼女が銃を構えると、赤い液体が現れ、銃身を軸に円を描いて浮遊を開始した。
「それはな――単純に、
言い放つと同時、幼女の長い紺色の髪が妖しく発光し始める。六つの回転する液体はやがてそのスピードを徐々に上げてゆき、やがて白い火炎を上げる一つの円環へと変化する。
「マスケット銃……ザミエルの魔弾か! 相変わらず古い術式だな!!」
「そうとも。だが、古さというものは魔術界においては大きな力を振るうものだ。惰性と停滞に固執する錆びた歴史ではなく、積み重ねられた研鑽、そのものなのだから」
カオリは姿勢を低く、両手に歪みを纏わせいつでも迎撃できるように身構えた。
「――来るぞ、構えろルーク!!」
「違う御影! 狙いは君だ!!」
ルークが叫ぶ。
気づいた時には遅かった。カオリの背後に血液の塊が出現していた。カオリが振り返る間もなく、赤い液塊は鋭い槍の形へと素早く変貌し、
「御影ッッ!!」
どすん、とカオリを突き飛ばしたルークの肩を貫いた。
「なっ……」
突き飛ばされながらも体を捻って背後を見た御影カオリは、ルーク・エイカーの肩に刺さった赤い槍に驚愕する。どうして気づかなかったのか、という疑問と同時に蛇のようにうねるその液体には見覚えがあった。
少年を串刺しにした血の槍は鞭のようにしなり、ルークを広間の向こうへと投げ飛ばした。
「ルーク!!」
床を跳ねて転がったルークに駆け寄ろうとした途端、マスケット銃から発射された六発の魔弾が横から唸りを上げてカオリに迫った。
軌道を変え、速度を変え、四方から囲うように襲ってくる魔弾にカオリは舌打ちをして足を止め、両手足に纏わせた空間の打撃で全ての弾丸を順番に叩き落とした。
目を離してはやられると判断したカオリは立ち止まり、階段上で銃口を向ける幼女を睨んだ。
「そうか、そうかよ。道理でどこに居てもすぐ会話できると思ったぜ。あの血液の塊……てめえ、最初から俺に呪いをかけてやがったな」
「呪いとは失礼だな。遠く離れていても会話が出来る便利な通信術式だ。だが、猛犬には首輪が必要だろう? 念のため攻撃転用できるようにしていただけだ。使うことになるとは思わなかったがね」
そして、と大尉は、新たな血液を不可視のシリンダーに再装填する。
「お前の空間を操る能力……非常に強力ではあるが、やはり認識外の攻撃に対しては弱いらしい。だからこそ、今の不意打ちで仕留めたかったが」
睨み上げるカオリと、笑顔で鋭い視線を返す大尉。
二人が動き出す直前、大広間を揺らす地響きが突然始まった。
ばっとカオリがルークの方を見ると、倒れる彼の拳が床の上で握られていた。
「……ん?」
「――ッ!!」
突如始まった揺れに大尉は首を傾げ、状況を察したカオリは瞬時、能力を攻撃から防御に切り替える。ルーク・エイカーが能力を発動しようとしている。
最強の超能力者が力を振るう以上、御影カオリであろうとも巻き込まれない保証はなかった。
地響きは次第に大きくなり――瞬間、破裂音と共に大広間が夜に包まれた。
「……ッ!?」
カオリは一瞬で闇に沈んだエントランスロビーを見回し、これほどか、と驚愕に喘いだ。
地面に倒れ伏したルークは顔を僅かに上げ、銃を持った幼女の姿を補足する。
「――『
闇がひび割れる。
ゴムを引き裂く音声を何重にも重ねたような不快な音立てながら、巨大な何かが現実という薄膜を破って現れようとする。
大尉の後ろに現れた空間の裂け目は、やがてその小さな体を押し潰さんばかりの大きさに広がっていく。内側を満たす混沌には大量の眼が瞼を開き始め、一斉に幼女に視線を向けた。
割れ目は空間を捻じ曲げながら対象を飲み込まんとする巨大な顎となり、小さな体躯に覆いかぶさっていく。
「…………」
その圧倒的におぞましい目線の集合体の怪物を――大尉は無表情に見上げ、
「――ん」
心底つまらなそうに放った魔弾の一発で、大広間を包む夜ごと、貌の無い化け物を破壊した。
空間に投影されていた景色がバラバラと崩れ落ちる。
おぞましい断末魔も劇的な崩壊もなく、ただモニターの電源スイッチを切ったように、ルーク・エイカーの『最強』は消え去った。
「随分と派手な目くらましだが、それだけでどうにか出来る訳がないだろう」
「……ぁ、」
「しかし驚いたぞ。ルーク・エイカーが幻覚とは言え、
事も無げに言った大尉の台詞に、困惑したカオリは思わず呟いた。
「幻覚……それに魔術だと……?」
「? 何を言って――」
マスケット銃に再び六つの弾丸を装填した大尉はカオリの言葉に眉を上げ、
「…………」
何かを確認するように地面に倒れ伏すルーク・エイカーに目をやり、
「――
と、信じられない表情で口端を上げた。
「まさか……まさかそういうことか? いや、しかしそうなら納得だ。くくく、なるほどなるほど、そういうことか!!」
軍服を身に着けた幼女が、見た目に不相応の邪悪な笑みに顔を歪ませる。
そして遂に耐えきれくなったように高らかに哄笑した大尉は、心底愉快そうに嗤いながら床の上を這いつくばるルークを銃口で指す。
「まったくお笑い種だ!! 道化も良い所だな、ルーク・エイカー!!」
「……ッ」
ホール中に響く笑い声に、肩の傷口を押さえたルークは俯いたまま唇を噛んだ。
――バレた。バレてしまった。唯一の切り札が霧散した。
絶望に沈むルークの耳に、カオリの困惑した声が飛び込んでくる。
「大尉、お前は何を言っているんだ……?」
「御影カオリ、お前も聞いて驚くがいい。そこに居る極東最強の超能力者、ルーク・エイカーの能力は、その全てが偽りだ!」
「……は?」
浪々と響いた声が傷を揺らす。
能力がバレればお前は一般人なのだと、そう嘲笑うように身体から力が失われてゆく。
流れる血液と共に視界は黒い砂嵐に沈み、音が遠ざかってゆく。意識が闇にこぼれ落ちていく中、ルーク・エイカーは最後にその声を聞いた。
「幻覚、もしくは催眠に類する能力。いや、そもそもの話をするならば、彼は超能力者ですらない……! 何せ彼の能力は全て、
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