第四章 Little__Dream -4



「「…………………………………………………………………………………………………………」」


 時間が、確実に凍った。


 目が冴えるようなマリンブルーの瞳。

 床に引きずる程まで伸ばされた鮮やかな紺色の髪。

 そして120センチにも満たないであろう体躯。


 どう贔屓目に見ても、小学校低学年の幼い女児が海軍のコスプレをしている様にしか見えないその外見に、


「それでは改めて挨拶をしよう。私は――」

「待った」


 と、黒い海軍コートを翻して口を開いた幼女(低音ハスキーボイス)を、ルークは片手を上げて制した。台詞をカットされた軍服幼女はむぅ、と不服そうな表情になったが意外に素直なようで大人しく黙りこんだ。


 隣のカオリを横目で見ると、まだ凍ったままだったのでルークはとりあえず質問をした。


「……アンタが大尉ってヤツか?」

「そうだ」

「薔薇十字軍(ローゼン・クルセイダー)指揮官の?」

「いかにも」

「『本』を求めているという?」

「まったくその通りだ」

「…………」


 ルークは眩暈を感じてこめかみを押さえた。

 軽く言葉を交わしただけで脳がバグりそうだった。10代前半の容姿に対して50後半の声帯という奇跡的なアンバランスさ。


 口パクの幼女に老練の声優を雇ったと言われた方がまだ信憑性がある。


「――ああ、なるほど」


 と、硬直するカオリと困惑するルークに何か得心がいったようにぽんと拳で手を叩く幼女。

 海軍コスプレ幼女は自分の胸に手を当て、変わらずの低音で笑った。


「つまり――そう、私の、この見た目が気になるのだな? 幼い少女のような見た目が」

「あ、ああ、そうだ! お前のような子供が前線指揮官などと、認められるか!!」


 彼(?)の言葉にようやく『解凍』したらしいカオリが語気を荒げ、喰ってかかった。

 子供、という単語にルークは彼女の怒りの原因を何となく察した。


 彼女は傭兵だ。金を積まれて働く戦争屋だが、それと同時に情に厚く、義理堅い性格の持ち主でもある。そんな彼女が、紛争地帯などで銃を握る子供を快く思うはずもない。


 見た目がどうこうの問題ではなく、子供が戦場に立っている。

 そのこと自体が御影カオリにとっては許せないことなのではないか。


「てめえが子供じゃないなら……もしも、もしもだ大尉。お前がその少女の肉体を使っていたなら――」

「肉体を使う……?」


 少し想像の付かない言葉にルークは彼女の言葉をオウム返しにした。カオリは目の前の幼女から目を離さないままルークの疑問に応える。


「そういう魔術があんのさ。殺した人間の肉体に入り込む、えげつねえ術式がな」

「……っ」


 ルークは息を呑んだ。

 轟、とカオリが能力を発動させ、風が舞い始める。


 子供の姿ほど便利なものはない。魔導書一冊のためにここまでする連中だ。目的のために子供を殺し、身体を乗り換えるくらいのことはやっても不思議ではないだろう。


「もしもてめえがどこぞの少女の身体を奪ったってんなら、もう会話は要らねえ。そのそっ首、今すぐにでも叩き落す」


 少女の周囲の風は荒れ狂っている。もはや今にも怒りと殺意を暴走させかねない勢いだ。


「――いや、それは無いな」


 だが、あっさりと。目の前の幼女は、その可能性を否定した。


「…………」


 ばしゅん、とカオリの周囲の暴風が解除され、周囲に塵埃が舞った。


「何、簡単なことだ。この身体は単に自前で用意した人造人間ホムンクルス。脳髄と脊髄以外を鋳造し、そこに『私』が入り込んだ形になる」

「……じゃあ何でそんな見た目なんだよ」

「予算不足だ」

「…………」


 なんとも世知辛い理由だった。

 カオリは完全に毒気を抜かれたように半目を向けていた。


「だが外見には拘りたい。折角の新しい肉体だ。なので、デザインをこの国のイラストレーターと3Dデザイナーに依頼した。流石にそのままは使えなかったので、多少手を加えたがな」

「おい予算。結構どころか相当金かかるよ、それ」


 つまりこの男、わざわざ日本の技術屋に依頼してまで二次元の肉体を作り、それに精神を乗り換えたということか。

それではまるで、


「あー、待て待て待て」


 ルークが口を開きかけると、幼女はこちらに手を突き出して言葉を止めた。


「私はちゃんと調べたのだ。これは最近流行っている、そう、」


 幼女は何やら「お前の言いたいことを察したぞ」とばかりに腕組みをしてうんうんと頷き、そして人差し指を真っすぐ立て、腹立つ顔でウィンクをしてみせた。


「――バ美肉おじさん、というのだろう?」

「違うわ!!」


 即答した。えっ、と驚く幼女にルークは食って掛かった。


「バ美肉が流行ったのは2020年付近! この国じゃ前世紀の話だ! 流行っ……ていないと言うと語弊があるけど! 何というか、オタクのみならずインターネット界隈で当然の文化になってるというか!」


 そもそも、とルークは眼前のコスプレ幼女を勢いよく指さす。


「――アンタのどこが仮想現実バーチャルだ!! がっつり現実(リアル)じゃねえか!!」

「まあ、根本的なことを言うならば、この肉体はそもそも少女ではないのだがな」

「は? どう見ても3次元軍服ロリ美少女なんだが?」

「先ほど言っただろう、予算が無いと。つまりこの肉体は限りなく質量を減らしている訳だ」

「……?」


 眉を顰めるカオリとルークに、幼女はどこか楽しそうに続けた。


「簡単に言うと、無駄な臓器や、体表の突起物を削ぎ落としているのだ。つまるところ生殖器が無い。だから性別も無いし、局部への衝撃もそれほどダメージはない。モノが無いからな」

「「……………………」」


 空気を読まぬセクハラに嫌な沈黙が下りる中、『大尉』は黒のスラックスに包まれた細い脚をおっぴろげて偉そうに階段に腰かけた。


「さて――楽しいお喋りはここまでにして、だ」


 ぱん、と白い革手袋をした手が鳴らされる。

 幼女は階段上で脚を組み、ルークたちを睥睨した。


「……!」


 がらりと変化した空気を感じた二人は反射的に身構える。

 たった一言。

 ただそれだけで、海軍のコスプレをしたような幼い子供は『大尉』へと変貌した。


 自分を睨む二人を見下ろし、彼は満足そうに頷いた。


「そうだ、それでいい。我々は紛うことなき敵対関係だ。敬意は互いに払おうと、仲良くすることはないのだから」

「敬意、敬意だって? お前に払う敬意なんて、俺には思いつかないがな」

「実はそれは私もでね、御影カオリ。私はお前に一つ訊きたいことがある」


 中立だと言った割にやたらと好戦的なカオリのせせら笑いに、大尉はやんわり返す。


「戦争屋の間で名を知らぬ者はいない異端の傭兵、御影カオリ。私はお前に確かな報酬を用意し、それと引き換えにこちらの戦力となる契約を取り付けたはずだ。お前がそこに立っている事は紛れもない背信行為だぞ。傭兵は信頼稼業と聞いていたが?」

「ハ、そりゃアンタのリサーチ不足だ。知らなかったのか? 御影カオリは自分の気に喰わねえ内容と知れば、たとえ戦争中だとしても仕事を蹴っちまう、界隈の嫌われ者だってな!」


 獰猛な笑みを浮かべて反駁するカオリ。

 強気に見えるが、その頬には冷や汗が浮かんでいる。


 そしてそれはルークも同じだった。同時に彼は確信する。この目の前に座る幼い姿は紛れもなく敵の首魁、薔薇十字軍ローゼン・クルセイダーの指揮官に違いない。


 短い応酬だけでもひしひしと感じる重圧と雰囲気。十八歳にして政界や上層部を渡り歩いてきたルークだからこそ肌で分かる『上に立つ者』の立ち振る舞いだった。


「ほう、では御影カオリ。お前は正式に我々と敵対するということだな?」

「そのつもりだ――と言いたい所だが、俺はまだアンタを裏切ったつもりはねえ。俺はまだアンタの部下に必要以外で手を出してないからな。ただ、状況が変わったってコトを伝えに来ただけだ」

「やはり交渉に来たか。そうでなくては、私もわざわざ呼びつけた甲斐がないというものだ」

「――――」


 さらりと告げられた大尉の言葉。だが、そこに決定的な違和感を覚えたルークは、二人の会話に思わず割って入った。


「……待て!」


 エントランスロビーに響いた叫びに近い大声に、二人はやや驚いたように視線を向ける。ルークは大尉の発言を心の中でゆっくりと咀嚼し、そして答えに辿りついた。


「今、『呼びつけた』って……そう言ったのか。それは大尉、アンタが僕たちを呼びつけたって、そう言いたいのか……?」

「……?」


 広げた脚の膝に両肘を引っかけた幼女は疑問の色を目に浮かべている。ルークはひたひたと己の心を満たし始めた絶望に気づかないふりをしながら彼の答えを待った。


「なんだ、もしかして気がついていなかったのか? 最強の超能力者ともあろうものが不用心なことだ。てっきり、気づいた上で突貫してきたかと思ったのだがな。それとも、最強であるが故に罠など初めから歯牙にもかけていないと、そういうことか?」

「答えろ、大尉!」


 すると、足を踏み出して吠えるルークの肩を後ろからそっと掴む手があった。カオリは息を荒げるルークを一歩分、後ろに引き戻し、そして静かに口を開いた。


「――質問を変えるぞ、大尉」


 カオリは大尉を睨みつけながら、冷静を装って言葉を放つ。


「上の治安維持隊は、どうした」

「――――」


 ひゅ、と喉が閉まる感触があった。顔を青ざめさせてゆくルークを前に、軍服姿の幼女はその様子を不思議そうに眺めながら至極当然の口調で言った。





「……………………嘘だ」


 ルークは呟いた。


「嘘なものか。証拠が見たいなら見せてやろう」


 大尉はコートの懐から通信機を取り出し、どこかと通話を始めた。


「――レナード、私だ。エントランスホールのホログラムパネルを起動しろ。そうだ、それに各フロアの監視カメラの映像を流せ」

「…………」


 十秒と待たずにルークとカオリの背後に大型のホログラムパネルが大量展開される。二人が振り返ると、そこに映されていたのは絶望そのものだった。


「……ッ!」

「――――。――――」


 治安維持隊が、全滅していた。

日本でも有数の超能力者たちが皆、リノリウムの床に横たわっていた。中にはルークが見知った超能力者やスタッフもいた。全員がこの国の最高戦力であり、超能力者の社会の信頼そのものだった。

 その、はずだった。


「………………………………嘘だ」


 ルークがまた呟く。


「……ルーク」

「嘘だ! こんな映像、デタラメに決まっている! そうだ、こんな映像、お前たちなら魔術でなんとでもなるだろ!! そうに決まってる!!」

「ルーク!!」


 映像を指さして階段に向かって怒鳴りつけるルークの傍らで、肩を震わせるような大声が響いた。カオリは叫ぶ少年の方を見ぬまま、落ち着いた口調で言った。


「……お前だって、分かっているはずだ。大尉がここに現れた時点で本当は気づいてただろ」

「ッ、それは……!」


 潜空艦は空から攻めてきた。

 雲に紛れて空を泳ぐ、移動する彼らの本拠地。大尉はそこから部隊を率いて屋上から進軍した。その彼がこの一階大広間に居る理由など、一つしかない。


「ならッ、コイツが一人で降りてきたんだろ! 上では今も――」

「NAAとやらに武装解除されていたとしても、超能力者たちは弱くない。あの潜空艦に乗員出来るのはどんなに多く見積もっても中隊が良い所だ。いくら魔術師でもそんな戦力で、上官の指揮無しで制圧できる訳がない」


「――――、それは」

「そうでなきゃ――一刻も早く上層階に行かなきゃならないって状況で、お前がアイツと呑気にお喋りする訳がないだろ」

「…………」


 御影カオリの口調は優しかった。

 普段の荒っぽい喋り方が嘘のような、半ば囁くような声だった。彼女はとっくに気づいていて、だが決定的な証拠が出るまで黙っていた。


 そのことが、彼女の配慮が、いっそう残酷に現実をルークに突き付けた。


 治安維持隊本部は完全に陥落した。それが事実だった。

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