第三章 PinBall_Game -9
「やめ……がっ!」「助け……ぐっ!」
「……畜生! くたば――」
圧縮した空間をハンマーに、最後のNAAメンバーを床に叩きつける。御影カオリは額から流れる血を拭い、周囲に視線を巡らせた。
日光アケミの姿が見当たらず、少女は舌打ちする。
「……逃げたか」
ぐらり、と視界が傾く。
カオリは近くにあった階段の手すりにつかまり、荒い呼吸を繰り返した。せっかく用意した制服も血まみれになって見る影もない。
全身が燃えるように熱い。
あばらが何本か折れているのがわかる。
御影カオリの能力、『次元操作』唯一の弱点は不意打ちへの対応だ。
銃弾の軌道も空間ごと捻じ曲げられる御影だが、それはあらかじめ銃弾を警戒していればの話。超長距離からの狙撃や――突然壁を突き破ってくる車には対応できない。
「さすがに……車が突っ込んでくるのは……聞いてねえぞ、オイ……」
血の混じった唾を吐き捨て、カオリは階段に向かった。この程度の傷なら紛争地帯で経験がある。弱音を言ってはいられない。
仕事も大詰めだった。
これで、あの生徒会長との奇妙な関係も終わりだ。
「…………やれやれだぜ。クソが」
階段を上りきる。
ホールらしき部屋で、ルーク・エイカーが『本』を抱えているのと目があった。
「み、御影さん!? どうしたその傷は! 血まみれじゃないか! 一体何が――」
空間をゆがませる。
不可視のトランポリンを蹴りつけるようにして、御影カオリは宙を走った。
そのまま超高速でルークの上体に飛びつき、床に組み伏せた。
「――あ――――ご――――っ!?」
「悪いな。共闘戦線もここまでだ」
拳をルークの鳩尾に叩きつける。
ルークの四肢が痙攣し、うまく呼吸困難に喘いだ。
どうやら不意打ちが弱点なのはこの『最強』も同じだったらしい。カオリは肩を竦めると、床に横たわったまま動けないルークに背を向ける。
「…………」
無意識に喉元まで出かかった謝罪の言葉を呑み込む。
こういうことは今まで何度もあった。戦場では裏切り、裏切られは日常だ。
戦渦と無縁、そして自分の身に所縁のある極東の地。その組み合わせが、たまたま自分の心を気まぐれに揺らしたに過ぎない。
「じゃあな。生徒会長殿。もう二度と会うことも――」
「その『本』……内容……」
「……あ?」
「その……『本』……は…………」
「……? まさか……」
急いで『本』の内容を確認する。いかにも魔術書然とした皮の表紙をめくり、思ったよりもペラペラなページをめくると、
『相原の㊙悪魔日記! ※注 部外者が読むことを固く禁じます』
日記だった。
相原とかいうヤツの、恥ずかしい日常を赤裸々に語る黒歴史の塊だった。
「な、な、な! 何じゃこりゃぁぁぁあああっっっ!!??」
御影カオリの悲鳴に似た叫びが、廃工場中に響き渡る。彼女はルークに駆け寄ると、胸倉を掴み上げてガクガクと揺らした。
「どーいうことだ! これ、魔術書だったはずだろ!? それがどうして㊙日記になるっ!!」
「ぼ、僕が知るわけ……う、吐き気が……」
「待て! 吐くな! 殴ったのは謝るから反省するから! 吐け! 知ってること全部!!」
「今吐いたら……君の制服が…………」
「そっちの吐くじゃない! 情報! 情報をよこせ!」
「僕は何も知らない! ただ……治安維持隊に見せられた『本』の映像は、間違いなくそれだった。内容も結構やば……うっぷ」
「吐くなよ!? 絶対に吐くんじゃないぞ!?」
判断するのはまだ早い。
ルークは内容がヤバイと語った。
つまりは、ただの日記のようで、そうではない可能性がある。
暗号化された魔術書な可能性が、1パーセントくらいは残されているはずだ。㊙とか使っている時点で歴史的書物の可能性は皆無な気もするが、それはそれ。
枕草子だって見方を変えればJKのぴえん日記だ。もしかしたら重大なことが記されていることもあるかもしれない。
カオリは固い決意とともに、再び『本』のページをめくり、
『今日も親にハローワークに行くように言われた。うるせえんだよクソババア』
ブシュッ、と般若と化した少女の頭から血液が飛び出した。
危うく『本』を床に叩きつけそうになったカオリだったが、なんとか鋼の精神で耐え抜いた。
怒りで血圧が上がり、止まりかけていた額の傷が開き、血がピューピューと噴水のように噴き出ている。
『今日は通信機を傍受した。ノイズ混じりの音声を聞いているだけで胸が高鳴るのを――』
『今日は保育園で運動会。カメラの準備はバッチリだ。あとはこれを――』
『今日、警察が来た。隣の家に泥棒が出たらしい。濡れ衣だ。僕はまだ忍び込んで――』
「バカなのか!? コイツ、バカなのかなあ!?」
「多分……君が思ってる以上だと思うよ。重要なのは、中盤からだ……」
呼吸がだいぶ落ち着いたルークが鳩尾を抑えながら立ち上がり、カオリが手にした『本』のページをめくっていく。カオリはされるがまま立ち尽くしていた。
中ほどまで来たところで、ルークの指が止まる。
彼は淡々と内容を読み上げていった。
「『今日、宗教勧誘が来た。そういうのには興味がない』。この記述から十日間くらい日記が途切れる。次の内容は……」
「『サタン様。おお、サタン様。僕はまだ何も悟っていなかった』……か。見事に洗脳されているな。しかし……悪魔信仰か」
「また日にちが飛んで、幹部になったと記述がある。だが他のメンバーと衝突し、彼は独立して新たな悪魔信仰の組織を立ち上げた」
「『僕が新たな悪魔を、本物の悪魔を見つけてやる』」
「新たな組織は急速に拡大していき、ついには魔術結社と呼べるレベルにまで成長した。本当に魔法を使えるメンバーもいたようだ。そしてこの日記は、懺悔の文章で締めくくられる」
最後のページがめくられる。
今までとは打って変わり、誰かに語りかけるような内容だった。
『この日記を手にしている者は、きっと悪魔を追い求めているのだろう。だがそれは、大きな間違いだ。日本最大の魔術結社、『明けの日差し』は、嘘で成り立っている』
『西洋の理を外れた悪魔など日本には存在しない。すべて僕の空想の産物だ。だが、皆はそれを信じてしまっている。嘘も言い続ければ真となると言うが、現実そのものを変えることなどできない』
『この本を手にしている者は、そのことを肝に銘じてほしい。もう手遅れかもしれない。だが、そもそも悪魔など求めるものではないんだ。僕はそれに、最後の瞬間まで気づけなかった』
『愚かな僕に軽蔑と哀れみを。そしてどうか、許しを』
『僕はもう、耐えられない』
日記はそこで終わっていた。
重苦しい沈黙が流れた。ルークが眉間に皺を寄せ、目元を指でつまむ。
カオリはゆっくりと首を横に振った。
「……ありえない話じゃねえな」
「……」
「これは確かに、日本最大の魔術結社の長が書いた『書物』だ。そして悪魔がいないという記述は、逆に日本において固有の悪魔が生み出されなかったという証明になる。少なくとも、学術的、戦略的な価値はあるだろうな。だが……」
果たしてこの内容に、雇い主が納得するのか。
存在しない『本』を求めて、終わりのない闘争を続けることにはならないか。
そう考えていた時、突如、通信の呼び出し音が鳴りだした。ルークが腕時計型の端末に触れると、ホログラムウィンドウが出現し、通信が繋がれた。
『本部より緊急! 魔術師の集団の襲撃を……ぐわぁッ!』
通信にノイズが走り、切断される。
ルークは表情を厳しいものにした。
「これは……」
「英国の魔術師連中だ。過激な連中だとは思っていたが、ここまでやるか」
もう時間がなかった。カオリはルークに向き直る。
「……俺は第一高校の生徒じゃねえ。傭兵だ。テメエの『敵』に雇われた、な」
明かすはずのなかった真実。語るはずのなかった正体を、ルークに伝える。
少年は淡い微笑を浮かべていた。
「僕も疑ってはいた……疑っては、いたんだ」
「謝ってどうこうの問題じゃねえのはわかってる。叱責も罵詈雑言も後回しだ。今はただ、この状況を解決する必要がある」
手を、差し出す。
敵であった少年に、一歩近寄る。
「お前が必要だ。ルーク・エイカー」
ルークの両目が、大きく見開かれる。
「俺の雇い主……大尉殿を説得する必要がある。だが止まらないかもしれない。『本』は別にあると戦争を続けるかもしれない。そのときには俺も、裏切り者として切り捨てられるだろう」
「……ああ。そうだろうね」
「だから俺を雇え。俺を使え、ルーク・エイカー。俺と共に、『最強』として奴らを蹂躙しろ。……それ以外、俺が生き延びる方法がねえ」
これは願望であり、懇願だった。
大前提が崩れ去った以上、ルークに頼るしか道はなかった。
「自分を騙し、殴りつけた人間を信用できないのはわかる。だが……」
差し出した右手が、暖かな熱に包まれる。
ルークに手を握られたまま、カオリはその場に立ち尽くす。
「もちろんだ、御影カオリ。君のために最善を尽くすことを、ここに誓おう」
黄金色の瞳の奥に、闇があった。
そこには、今にも消えそうな、小さな輝きも見えた。
雨上がりの空に隠れる月のようだと、カオリは思った。
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