第三章 PinBall_Game -8



「ああ、もうしつこい……!」


 街中を駆け抜けながら露藤ハルは思わず呟いた。

 マリは相も変わらず片手抱っこスタイルである。


 産業区画の路地裏を抜け、郊外の住宅街まで逃げてもなお、追手の気配は居なくなってくれなかった。そもそも住んでいる人間が少ない先ほどの地域と違い、ここは思い切りベッドタウンだ。昼過ぎの時間帯でも結構歩いている人の姿が見える。


「――ちょっと、危ないわよ!!」

「っ、すいません、気をつけます!!」


 首だけ振り返って謝り、ハルは急いで細い路地を探す。


(人が、多い――)


 ズレたサングラスを上げつつ、白髪少女は辺りを見回す。

 しかも、さっきの駅前と違い、こちらは慌てて避難する様子も見られない。『なんか都心が物騒らしい』程度の認識だ。どちらかと言えば電波障害の方に文句を垂れている様子だ。


 ひと区画跨ぐだけでこんなに違うのか、と思うと同時に、無理もないことだ、とハルは分析していた。あの駅は都心のすぐ側なので、恐らく実際に集団を目撃した人間や彼らから情報を得た者達で溢れかえっていたのだろう。

 ダイレクトな恐怖が伝わるからパニックにもなる。


 だが殆どの人間は実際に武装集団を目撃しておらず、電波障害が起こるまでの僅かな間でのSNSやテレビの情報拡散だけしか知らないので、その危機感には雲泥の差が生まれる。


(……災害直後みたいだ)


 大震災の際、被害地域を出て県を跨いだ途端『日常』が目の前に現れ、言い知れぬ脱力感に襲われた、という話を聞いたことがある。

 SNSが封じられたこの状況はそれに近いのかもしれない。


(しかもなんだろう、この感じ)


 ハルは背後から追ってくる気配に違和感を覚えていた。

 ついさっき抜けた廃工場までは目に見える範囲で追ってきたのに、今度は影さえ見えず、集中していなければ気づかないような気配だけが薄煙のように付いてきている。


(嫌な、予感がする)

「……マリ、舌を噛まないようにね」


 露藤ハルは抱えた状態から背負う恰好にし、背中の少女に囁いた。

 建物裏に素早く入ったハルは近くの壁に張り巡らされた配管に触れ、全体から機能に支障が出ない程度に鉄分を借りて屋上まで段々に続く突起を作る。


「せぇ――のっ!」


 膝を曲げ、真っすぐ鉛直に跳躍する。

 勢いそのまま壁に生成した足場を蹴り、少女を背負ったハルは垂直に壁を駆けあがった。


 ものの二秒足らずで建物の屋上に到達した露藤ハルは間髪入れずにステンレス製のフェンスに『転移転生』を使用。フェンスを網として身体を受け止める形でたわませ、一気に反対方向へと変形させて自らをパチンコのように空に打ち出した。


「ふ――――」


 一瞬の浮遊感と、風を切る感触。

 数秒の飛行体験を経て、ハルは道を挟んで向かいのスーパー屋上に着地する。

 屋上を走って次の道筋を脳内で構築しながら、少女は考える。


(こうすれば、相手も尻尾を見せざるをえないはず)


 ハルが選んだ道は通って来たルートを空中を介して逆走するというものだった。おまけに、これまで最低限しか使わなかった能力を最大限解放しての超高速ショートカット。


(それに、気配が変わったのはさっきの旧産業区画――)


 屋上から屋上へ、空中を駆けて移動するハルは向こうに見える廃工場を視界の先に捉える。

 何かを見落としたか、或いは。


 なんにせよ分岐点はあそこだった。

 だん、と高層ビル屋上の柵を蹴ってマリを背負った露藤ハルは空に躍り出る。視界は広く、眼下に広がった東京の街並みの中に飛び込んだ、その直後だった。


『ザザ、……ザ、ち……、治安……隊本部ザザザ、!! 藤ザザザ――員!!』


 腰に付けた通信デバイスから、ノイズ交じりの声が聞こえた。


「通信が、回復した……!?」


 空中を泳ぐ足が、鉄の足場を踏む。

 落下する彼女を空中で受け止めたのは、周囲から飛んできた空き缶やスチール缶が寄せ集まった足場だった。次々に空中に作成した一瞬の足場を蹴りながら、ハルは背中のマリに声をかける。


「ごめんマリ、僕の腰に付いてる四角い機械を取って、頭に近づけてくれない?」

【…………】


 通じたのか否か、一度も会話が成立したことのない少女は行動で返答してくれた。オフィスビルに着地したハルはマリが耳元に寄せてくれた通信機に呼びかける。


「応答せよ、こちら露藤ハル。セキュリティコード0tgj-KpLr、、露藤ハルだ!!」

『こ、こちら治安維持隊本部!! 27特殊部隊員、露藤ハルに伝達! 現在、治安維持隊本部は武装集団によって襲撃されている!! 少しでも戦力が必要だ! 至急、本部に戻ってきてくれ!!』

「なん、だって……!?」


 予想外の知らせに目を見開くハル。

 武装集団が現れたとは聞いていたが、本部が襲撃されているとは、一体この東京で何が起こっているのか。

 密集地の屋根から屋根へと跳躍しつつ少女は通信機に向かって返答する。


「こちら露藤ハル! 現在僕は第一高校に落下してきた少女を保護している! どうやらこの子を狙っているらしい米軍から逃げている途中だ!」

『な――米軍!? そ、そうか、そういうことか!』


 切羽詰まった状況で何やら勝手に納得した様子だった。


『露藤ハル特別部隊員! 彼らの目的はその子だ!! 何が何でも渡すな! 市街地への被害を気にせず能力を使え! あらゆる手段を以て襲撃者を撃退しろ!』

「何を言ってるの!? 米軍が本部を攻めているってこと!?」


『米軍から連絡が入ったのだ! 交渉を邪魔する連中がいると!』

「交渉!? だから、一体何の話を……」


 怒鳴った途端、通信機が突然遠ざかった。

 振り向くと、背中のマリがどこかを向いている。民家の屋根に着地した露藤ハルは少女の見ている方向に首を回した。


「――――ッ!?」


 目の前に、光弾が迫っていた。

 民家の屋根の上で爆発が起こる。衝撃波に屋根瓦が飛び散り、黒い煙が立ち上る。


「が、は……ッ!」


 ぼう、と爆煙の中から人影が路上に落下した。

 体中に細かい傷を負った少女は、子供を抱きかかえて地面に落ちる。辛うじて受け身を取ってアスファルトを転がるも、衝撃を殺しきれなかったらしく、すぐに立ち上がった子供に対し、少女は倒れ伏したままだった。


「く……、今、の攻撃は――」

『今の爆発音はなんだ!? 露藤隊員、応答せよ! 露藤隊員!!』

「生きて、ます……なんとか。オーバー……」


 額から血を流した露藤ハルは拳を握ってうつ伏せに上体を起こす。

 周囲を見回すと、爆発と共に落下してきた自分を遠巻きに眺める人々と、近くでしゃがむマリと、そして地面に転がった通信デバイスがあった。本部隊員は通信越しに叫ぶ。


『いいかよく聞け、相手は米国ではない! 英国の、う、うわああああああああッ!!!!』


 ばづん、と通話が遮断される。


「…………」

「お、おい君! だいじょう……うわ、なんだお前ら!!」


 倒れるハルに心配そうに近寄ろうとした大人の前に、多数の影が現れる。

 助けに駆け寄ろうとする人々に立ち塞がった彼らの内、軍服の上にコートを羽織った男が懐から銃を抜き、近くの家の窓ガラスに向けて放った。


 乾いた発砲音と破砕音が響く。

 確かに実弾が発砲されたことを目の当たりにした途端、あちこちで悲鳴が上がり、人々は蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。


「人払い、どうも……」


 ハルは軋む身体を奮い立たせ、マリを守るように立ち上がる。

 銃を撃った、明らかに部隊長らしき男は周囲に立つ者たちへ銃を上に向けるよう合図し、傷だらけで立ち上がったハルを感心したように見下ろした。


「大したものだ、直近であの攻撃を受け、その程度にダメージを抑えるとは」

「米軍……って感じじゃないね……。奴ら、こんなに紳士的じゃなかったもの」


「いかにも。私は英国イングランド王立海軍ロイヤルネイビー所属部隊、薔薇十字軍ローゼン・クルセイダーのマーキュリー中尉だ」

「僕を追ってた米軍は? いつ入れ替わったの? それとも協力してるとか?」


「彼らは今頃、路地裏で鳥葬されている。異国の土地で眠ることになるとは、さぞ無念だろう」

「……、そう。でも、軍人ってそういうものでしょ」

「フ、その通りだな」


 ふう、とハルはため息を吐く。


「本当に紳士的だね。お茶のお誘いなら乗りたい所だけど、そうもいかないんでしょう?」

「そうだ。君の後ろの子供を我々に引き渡したまえ。大人しくするならば命は保証しよう」

「…………」


 丁重な勧告に露藤ハルは思わず笑いそうになった。英国に対する評価を改めるべきかもしれない。こんな事をしている時点で本質は米軍と変わりはしないが。


 バキバキバキ、と露藤ハルの足元の地面が渦を巻き始め、アスファルトから飛び出した2丁の銃が彼女の両手に収まる。


「ありがたいけど――僕も軍人なんだ」

「そうか」


 マーキュリーと名乗った男は頷き、片手を上げた。周囲の男たちが一斉に重火器を構える。そして彼もまた丈の長いコートの中から、古く、巨大な鉈を取り出した。

 灼熱に脈動する凶器を構え、魔術師は超能力者に対面する。


「ゆくぞ、超能力者――総員、戦闘開始!」

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