第三章 PinBall_Game -4



 銃弾と少女が舞っていた。


 狭い路地の中、子供を抱えて走る少女を機銃掃射の弾痕が追っていく。

 入り組んだ構造を利用し、攪乱しながら逃走する少女に対し、追手と彼らの弾丸は行く先々を回り込んで彼女らを追い詰めていた。


「く……っ」


 三叉路のカーブミラーに映った迷彩服が視界に入った瞬間、露藤ハルは即座にアスファルトを踏み込んでブレーキをかけて一度後退し、もう一つの分かれ道に飛び込む。


 直後、急制動で踊った少女の白い長髪を、背後から迫っていた男のライフル弾が撃ち抜いた。

 間一髪で逃れた少女に射手は口笛を吹く。


「思ったよりも上手く逃げるな」

「言っただろう、彼女は明らかに素人じゃない」


 分かれ道の前で鉢合わせた彼らは、そんな会話をしながらも淀みない速度で路地を進んでいた。カシャン、と追加の弾薬がサブマシンガンに装填される。


 おおよそ住宅地に似つかわしくない音を出しながら、迷彩服たちは視界の先でちらちらと見え隠れする少女の白い髪をきちんと補足する。


「あの見た目でか? どう見ても民間人だぜ」

「あの女、追い詰められてここに移動したんじゃなく、自分からここに来たんだ。人込みで逃げるのが無理だと判断した瞬間、決断した。さっきの逃げ方といい、判断が早すぎる。下手をしたら俺たちよりも経験豊富だぞ」


 男の言う通り、ここはかつて再開発の折に杜撰な都市計画で無理やり建てられた建物が密集した区画だった。細い路地や地図にない裏道が迷路のようになっており、整備も行き届いていないため遮蔽物も多い。だが、


「――この辺に詳しいって感じじゃねえな。二手、三手先まで読む必要はねえ。あっちの方が上だからな。俺たちは数の利を生かして複数の一手を確実に潰せば良い」

「了解。ヤな仕事だぜ」


 全くだ、と返し男たちは銃を握る手に力を入れた。

 そして。

 その七、八メートル先を走る露藤ハルもまた、彼らと同じことを考えていた。


【…………】


 抱えられているマリも、心なしか無表情にどこか不安げな色を見せている気がした。


 手を引いていてはとても逃げられないと判断したハルは、マリを左腕に座らせ、自分の首を掴まらせる形で彼女を運んでいた。

 全力で走るにはやや不安定だが、狭い路地を抜けることや、他の抱え方では両腕が塞がってしまうことを考えるとこれが最善だった。


(敵もそろそろ気づいた頃か)


 不法投棄された粗大ごみの山を一息に駆けあがって乗り越える。

 窓ガラスにうっすら写り込んだ背後の景色に、追手の影を確認する。

 撃ってはこない。


 先ほどまでは市街地でも雨あられと撃って来たのに、今度は水を打ったように静かな追走となっている。恐らく指揮官あたりが気づいて指示をしたのだろう。


 この逃走者は雑に銃弾を消費して殺せる相手ではない、と。

 駆除ではなく、狩りに以降したという訳だ。


(できれば、そうなる前に撒きたかった)


 短距離走の追いかけっこならばハルに分があった。しかしマラソンを強いられるとなると話は別だ。そして彼らにしてみれば、むしろそちらの方が本職に違いない。

 つまり、この逃走は長期化すればするほどハルが不利になっていく。


(なら――)


 十字路に差し掛かった露藤ハルは、わざと追い詰められる方の路を選んだ。目に見える建物の構造から、明らかに選択肢が狭まるであろうルートだった。


 追手たちはほくそ笑む。かかった、と。

 彼女たちの行き先はまたも三叉路だった。しかも近くに工場廃墟がある影響で辿り着くまでに長い一直線の道を通らなければならず、多人数戦では致命的な構造の場所だった。


 走る彼女の目の前に、サブマシンガンを構えた迷彩服の男が飛び出す。少女が足を止めた隙を見逃さぬとでも言うように、曲がり角の向こうと背後の道にも銃口が出現する。


(――取った!!)


 サブマシンガンの照準を二人に合わせた男は勝利を確信する。あとは引き金を引くだけで、目の前の二人は蜂の巣になる。


「な――ッ!?」


 はずだった。

 自分の指が引き金を引くより早く、男は少女がアスファルトの地面に手を振りかざすのを見た。

否、詳しく言うならば、足元にあるマンホールに向けてだ。

 少女の唇が呟く。


 ――――『


「……ッッ!!」


 現象は一瞬で起こった。

 彼女が触れたマンホールが生き物のように飛び上がり、変形する。

 瞬く間に鉄の塊は姿を変え、次に男が見たものは、そびえる防盾の間から自分に向けて伸びる長い砲身だった。


「は……」


 どうして忘れていたのだろうか、と迷彩服の男は出現した対戦車砲を見て思う。

 ここは極東。超能力者の国だ。


 目の前の少女が素人ではないことは、先ほどまでの逃走劇の様子から既に分かり切ったことだった。ならば、彼女が超能力者でないなどあり得なかったはずなのに。


 銃弾をギリギリで躱す大立ち回り。土地勘がないにも関わらず、素早い判断と構造把握で最善の逃げ道を構築して見せる、自分たちをして舌を巻く実戦経験。その影に少女は確かな切り札を隠していたのだ。

 やられた、と自らの死を予感した男は、


「――――」


 キンッ、と音を立てて目の前の地面を跳ねた『それ』に、思考を停止させられた。あまりにも見慣れた、長さ15センチ弱の黒い筒。穴の開いたスチール製の外殻に炸薬を詰めたもの。


 M84スタングレネード。アメリカ製の閃光手榴弾だ。


「なっ……!!」


 廃工場裏の通りが一瞬で光で塗りつぶされる。少女を追い詰める三方向、その全てにバラまかれたフラッシュボムは同時に起爆し、追手全員の目を潰した。

 続く砲撃音と破壊音。視界を失った部隊員は皆、今度こそ己と仲間の死を悟った。


「…………?」


 だがあるはずの蹂躙も、それどころか二回目の砲撃もなく。

目を取り戻し始めた男たちが見たものは、一発限り撃って捨てられた対戦車砲と、破壊された工場廃墟の壁だった。


 迷彩服の男たちは呆然と壁に空いた穴を前に、真の意味で自分たちが『やられた』ことに気がついた。対戦車砲は直近の男に対する目くらましと、新たなルートの確保。非殺傷の閃光弾を使用したのは、無駄な禍根を残さないためだ。

 もしも部隊の一人にでも死者を出せば、それこそ彼らは躍起になって追いかけただろう。


「生かされたのか、我々は……」


 ぽつりと零す部隊員の口調には、しかし屈辱の感情はなかった。むしろ切り札をここまで温存し、一手で戦況を覆した彼女の惚れ惚れする手際への感嘆があった。


 そして、それもまた彼女の狙いだったのだろう、という事実も彼らは感じ取っていた。殺せたはずの相手を殺さずに圧倒的な実力差を見せつけ、士気を低下させる。


 彼女の目的は徹頭徹尾、戦闘ではなく逃走にあったのだから。


「全員、聞け!」


 そんな部下達の空気を吹き飛ばすように部隊長は声を張り上げた。


「相手は超能力者! もはや我々は追い詰めるなどという立場ではなくなった! これより始まるのは戦闘であると理解しろ!」


 鋭い言葉に部下達が背筋を伸ばす。相手が女子供だと油断すれば、今度こそ殺される。先ほどの攻防で全員がそれを理解していた。


「ツーマンセルを組んで工場の四方を固める! 出入口の場所を探して注意しろ!」

「「「了解!!」」」


 告げられた命令に兵士たちが素早く行動を開始した時。



 ずるりと。

 耳の中を這い回るような、声がした。その場にいた全員の背に怖気が走る。


「でも匂いはこの辺だけど……ぎゃは、この建物の中かなぁ?」

「た、隊長……!!」


 隊員の一人が路地の奥を見つめる。

 左右の建物の影が重なって下りている場所。 

 冷たく、青みがかった陰と同化するように、『ソレ』は立っていた。


 背に生えた蝙蝠の翼。王冠のように頭に戴いた大きな角。黒い短髪と切り裂かれた暗色のワンピースは影に沈み、丸眼鏡のレンズだけが異様なまでに浮かび上がっていた。


 化け物という記号を寄せ集めたような存在。

 ヴァンパイアとサキュバスの混血。伝説を超えた現実。

 ヴィクトリア・ヴァンピレス・サキュバーがそこにいた。


 反射的な動作だった。

 生物としての本能が告げた恐怖に、隊長に至るまでが揃って銃口を向けていた。そんな様子を見て、怪物は愉快そうに口角を三日月に吊り上げる。


「――――きひ」

「撃、……、……ッ!!」


 撃て、と言うことが、出来なかった。

 心臓は早鐘を打ち、背筋は冷や汗に凍り付き、喉は紙が張り付いたように塞がった。


「まァ、良いわ。今回はアタシの愛し人が近くに居るもの。彼女を迎える方が先だわ。だから今回は見逃すけど――邪魔をしたら、判るでしょう?」


 びゅう、と黒い風が吹いた。

 烏の大群か、野鼠の洪水。

 生々しく、悪寒を伴う疾風は迷彩服の間を通り抜けて壁の穴へと消えた。あの二人を追っていったのだ、と彼らは直感していた。

 そして、その邪魔をすれば殺される。


「…………」


 部隊長は憎々し気に廃工場の壁に空いた大穴を睨んだ。

 このまま追跡を再開することも出来る。だが、その時は今度こそ全力の超能力者が相手であり、そして場合によってはあの化け物とも事を構えることになる。


 既に戦況は手から離れ、自分たちは蚊帳の外に追いやられていた。


(……これ以上は私の独断で決定できない)


 部隊長は瞑目し、腰の通信機に手を伸ばした。


「――全員待機。本部と連絡を取る」

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