第二章 Boston_Tea_Party -8



 二人は寂れた住宅街の細い路地を進んでいた。


 突然後ろに引かれた手に、露藤ハルは脚を止めた。振り返ると、手を繋いだ少女――マリが立ち止まってどこかを見つめていた。彼女の視線の先、オフィスビルが立ち並ぶ方に顔を向けると、高層建築の間に煙が立ち上っているのが見える。


 耳をすますと何やら花火のような破裂音も聞こえる。

 先ほどから耳に入る爆発や、それに混じる祭囃子のような音の数々。どうやら同じ場所が源らしいそれらは、次第に数と勢いを増しているようだった。


「……行こう」


 少女の小さな手を握り直す。

 東京で今何が起きているのか。

 街を歩く程に嫌な予感はどんどんと増していた。何かしらの戦闘が起きているのは間違いない。しかも交戦という形でだ。


 ここ都心に最も近い治安維持隊の施設は本部以外に無い。そしてそこには多くの強力な超能力者が控えている。ある程度の戦力ならば彼らに一掃されるはずだ。


(三十分……いや、もう少しで一時間を越すのか……?)


 ここまで戦闘が長引いているの時点で何かおかしい。募っていく焦りを自覚しながら、ハルはマリの手を引いて歩みを進める。

 曲がり角を過ぎ、そして大通りに差し掛かった、その瞬間だった。


『おい、早くしろよ!!』『押さないで! きちんと並べ!!』『そんなこと言ってる場合じゃねえだろ!』『早くしねえと殺されるんだよ!!』『痛い、痛いですよ!!』『すみません、ウチの子を見ませんでしたか!?』『きゃああああああああああッ!!』『取引先との交渉が済んでないんだ!』『なんで携帯が繋がらないんですか!?』『駅員なんとかしろ!!』『治安維持隊はいねえのか!!』『電車はまだこないの!?』


 轟、という音圧が身を震わせた。


「――――」


 不安に駆られて声を荒げる大量の群集。

 道を塞ぐ大量の車列。

 目の前に聳える人の壁。


 路地を抜けて大通りに出た瞬間、このありさまだった。

 万を超える人々の怒鳴り声と、絶え間なく鳴らされるクラクション。

 全身を隙間なく包む大音量の雑音に、ハルは僅かに顔をひきつらせた。耳を塞いでその場にうずくまりたいような、そんな衝動が胸をつく。


「ここも駄目か……」


 これで三つ目だった。近辺の駅周辺は全て人込みが占拠していた。

 まるでここ一帯の人々全てがここに集結しているようだった。


 否、ようだ、ではなく実際に集まっているのだろう。漏れ聞こえる会話から察するに、都内で何かテロに近いことが起きたらしいが、情報が錯綜していて詳しいことは分からない。


「ごめんねマリ、もう少し歩くよ」


 ハルは足早に路地に戻り、歩きながら別のルートを模索する。


(……せめて知っている区画なら良かったのに)


 電車での移動は諦めた方が良いかもしれない、とハルは判断した。


 思っていた以上に、ここ東京は混乱の渦に呑まれている。

 なにより通信機器の一切が使用できないのが問題だった。この現代において電子世界が遮断されるということは人々にとって手足を失うに等しい。


(どうする……このまま徒歩の移動は限界がある。勿論、郊外の方向に突き進めば人気のない場所に出れるのだろうけど――)


 だが、そうできない理由がハルにはあった。

 大通りの人込みから付かず離れず、いざとなれば雑踏に逃げ込めるような、そんな場所を常に移動しなくてはならなかった。なぜなら、


(――誰かが、私たちを追っている)


 少し前から続く、背筋を泡立たせるような粘ついた気配。路地の不規則な構造を利用して移動しても全く撒けないところから察するに、相手は紛れもなくその道のプロだ。

 前後左右、建物の構造などを確認しつつ、ハルはマリを引き寄せた。


「――僕から離れないで」

【…………】


 マリに囁くと、きゅ、と手を握り返す力が少しだけ強くなった気がして、ハルは僅かに口元を綻ばせた。無表情で素っ気ない仕草しかしない少女ではあるが、無感情ではないようだ。


(ルークは、今どこにいるんだろう)


 無事であれば良いが、と思いながら、ハルは歩みを再開した。


 そして。

 その様子を、少し離れた場所から観察する存在があった。


 狭い路地裏の物陰と同化して潜む複数の人影。

 灰色の迷彩服で全身を固めた者たちは一定の距離を保ち、音もなく二人の少女を尾行していた。彼らの内の一人が二人の後ろ姿を視界に捉えたまま腰の通信機を手に取る。


「……本部応答せよ。こちらベータリーダー。【素体】を目視で確認した。制服を着た少女と共に西側地区を逃走している。オーバー」

『こちら本部。了解した。制服の少女は民間人か? オーバー』


「路地を利用してこちらを撒こうとしている。動きからして、明らかに素人ではない」

『了解。【素体】の確保は必要ない。そのまま人気のないところまで誘導せよ』


「……我々の任務は【素体】の確保のはずでは」

『本国より通達があった。極東との取引は失敗したと判断。また、今回発現した【素体】の能力から、保管・管理は困難であると分析。【素体】をクラスAの危険分子と断定』


 よって、


『ベータ隊に命令を下す。逃走中の【素体】並びにその同行者を、速やかに射殺せよ』

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