二 臨界

 日々の悪質ないじめにより自尊心を踏みにじられ、暗く輝きのない眼をした涼香はとぼとぼと独り廊下を進む……。


 なんとか教室までたどり着いた涼香は自分のロッカーへと近づき、中から体育用ジャージの入ったバッグを取り出したのだったが。


「……!」


 バッグを開けてみると、臙脂えんじの色をしたそれはズタズタにハサミで切り裂かれていた。


 もちろん、やったのはあの三人に違いない。


「………………」


 絶望感に打ちひしがれ、涼香はその場へぺたりと座り込む……。


「もう、こんなのイヤ……」


 ぽつりと呟く涼香の瞳からは、自然と涙が溢れ出してくる……いつ果てるともわからない陰湿ないじめの日々に、彼女の心はそろそろ限界を迎えようとしていた。


 だが、それでも無慈悲な三人のいじめは、止まるどころかなおエスカレートして彼女を苦しめ続ける……。


「──あなたからお金借りなくてもいい方法思いついたの。しかも、あなた自身も稼げるわよ」


 その日はなぜか校舎裏ではなく、今は物置きとして使われている空き教室へと連れてこられた涼香は、そんな思わぬ言葉を城の口から告げられた。


「……え? ほ、本当ですか?」


 またもたかられると思っていた涼香は、意外なその話に顔色を明るくするのだったが。


「ええ。あなたの裸を撮ってSNSで売るの。児童ポルノってやつ? けっこう高く売れるんだから」


「貧乳だって心配いらないぜ? 世の中、そういうのも需要あんだよ」


「変態ロリコンおじさん達が、おまえみたいなのの裸で興奮してくれるってさ」


 それは、完全なるぬか喜びだった……三人はこれまでで一番ひどい、とんでもない要求をしてきたのである。


「ほら、撮ってやるから服脱ぎなって。ストリップっぽく一枚づつ脱んでこうか?」


「……い、いやです。そ、そんなことできません!」


 早々、スマホを取り出すとカメラのレンズを向けてくる城に、さすがに今回は涼香も強く抵抗の意志を見せる。


「はあ? せっかく稼がせてあげるってのに、あたし達の好意を拒むっての?」


「きっと恥ずかしがってんのよ。わたし達も脱ぐの手伝ってあげましょう」


「了解。さあ、恥ずかしがらずに脱ぎ脱ぎしましょうねえ……」


 だが、至極当然なその反抗もいじめっ子達が許すことはない。口で言ってもダメならと、城がカメラをスタンバイする中、木屋と房総が左右から涼香に取り付き、有無を言わさず強引に脱がしにかかる。


「い、いや! やめて! は、離して! ……や、やめてえ……!」


「暴れんなコラ! ボコられたくなかったらさっさと脱げよ!」


「逆らってすむと思ってんのか? なんなら男のダチ呼んでもっと過激な動画撮ってもいいんだぜ?」


 必死に逃れようとする涼香だが、二人がかりで抑えつけられてはさすがにどうにもならない。


「……い、いやあ! ……お、おねがい! 許してえ……!」


「いいわねえ〜そのもっといじめたくなるような表情……そうだ! 販売促進のために毎日エロ写真撮って、あなたの裏垢・・にUPすることにしましょう?」


 泣き叫び、悲痛な面持ちで許しを請う涼香の姿を見ても、三人は罪悪感を抱くどころかますますそのよこしまな感情を増長させるだけだ。


 ……と、その時だった。 


「……!?」


 けたたましいアラートの音が、どこからか薄暗い空き教室内に鳴り響いたのである。


「……あ、ようやく溜まっか。いやあ、よかったあ。さすがにデジタルタトゥーは残したくないからなあ……」


 その音に、一瞬、呆然とするその隙を突き、涼香は二人を振り解くと左手に嵌めていた腕時計をなにやら弄り始める……すると音が止まったところを見ると、どうやら今のアラートはその腕時計からしていたものらしい。


「なんだ。腕時計のアラームかよ……おい、脅かしてんじゃねーぞコラ!」


 ちょっとビビってしまった気恥ずかしさを隠すようにして、再び房総が涼香の胸ぐらを掴みにかかる。


「おい、汚ねえ手でいつまでも触ろうとしてんじゃねえよ。高濃度レベルのバカが感染うつるだろうが」


 だが、その手をパシンとはたいて却けると、いつになくデカい態度で涼香は口悪くそう言い返した。


「はあ!? んだ、その態度は? てめえ、誰に言ってんのかわかってんのかコラっ!」


 それにカチンときた房総は即座に涼香の右頬をグーで殴り、彼女のかけていた眼鏡は勢いよく遠くまで弾き飛ばされる。


「痛っつう……あ〜あ、眼鏡壊れたら弁償だかんな? ま、伊達・・だから安もんだけど……おい、ありがたく思えよ? ほんとはボコボコにしてやりたいとこだけど、殴り返せばその分、〝呪い〟の効果が減っちまうからな」


 しかし、眼鏡は弾き飛ばされても涼香はぜんぜんこたえていない様子で、なおもいつもの彼女らしからぬ、まるで別人のような言動を三人に見せている。


「ど、どうしたのいったい? ……もしかして、頭おかしくなっちゃったとか?」


「頭おかしいのはてめーらだろ。毎日々〃、こんな陰険なことして喜んでんだかんな。しかもやることっつったら、なんの捻りもねえテンプレないじめばっか。退屈すぎて〝呪い〟が溜まんねえかと心配したぜ……ま、そんでも地味に苛つんでこうして無事に〝呪い〟の臨界点達したけどな」

 

 そのあまりな豹変ぶりに少々面食らって城が尋ねると、乱れた三つ編みを解いて髪を振り乱しながら、ますます奇妙なことをいつにない涼香は口にし始める。


「呪い? さっきからなに言ってんだよ、てめえ……」


「あたいの〝呪い〟ってさあ、神仏にお願いするのとかと違って、ある程度まで溜まらないと発動しないわけよ。ま、簡単に言っちゃえば〝生霊〟みたいなもん? あたいが怨みの感情を抱けば抱くほど、〝呪い〟を伴った生霊があたいの中でどんどんと育っていくって感じかな……ちょっと小難しいけど、ここまではOKかな? おバカさん達」


 怪訝な顔で聞き返す木屋に、えらく小馬鹿にした態度で涼香はさらに続ける。


「で、反撃してスカっとしちまうと溜まらねえし、その〝呪い〟を溜めるために今日までいじめられっ子のフリしてきたわけなんだけどさ、さっきようやくその臨界点に達したってアラートが教えてくれたんだよ……ああ、これ? 知り合いのクソオヤジが作った〝臨界点お知らせ装置〟。あたいの感じるストレスから計算してるとかなんとか」


 そして、ペラペラと奇妙奇天烈な説明をさらに続けると、そう言ってデジタル腕時計型のものを三人の方へ見せつけるようにした。


「呪いって……あんた、やっぱりどうかしちゃってるわよ……」


 俄に信じ難い話ではあるが、呪いをかけられたなどと聞いては心穏やかではいられず、その不安を払拭しようと城は懸命に否定しようとしてみせる。


 あとの木屋、房総の二人に至っては、涼香の豹変と呪いの話に圧倒され、呆然とその場に突っ立ったままだ。


「ま、信じようが信じまいが、結果は同じなんで別にかまわねえけどな。ともかくも〝呪い〟は発動した。そろそろなんか起きると思うんだけど……」


 対して最早、相手にもしようとしていない涼香が再び腕時計を見ながらそう言った時のことだった。

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