臨界少女

平中なごん

一 忍耐

 都内某公立高校……。


「──ハァ……」


 昼休み、女子トイレの個室に閉じ籠った飛部涼香とべりょうかは、ひどくうち沈んだ顔で深い溜息を吐いていた。


 休み時間に来る者も滅多にない実習棟……辺りはここが学校だとは思えないくらいにシン…と静まり返っている。


 さらには四方を壁に囲まれ、完全に外部と隔絶されたトイレの個室……ただ独りになれるこの狭い空間だけが、唯一、彼女の心休まる安全地帯だった。


 ……だが。


「きゃっ…!」


 突然、頭上から冷たいものが涼香の身体めがけて大量に降り注ぐ。


 驚きに瞑った目を見開いてみれば、かけていた眼鏡のレンズには滴が伝い、三つ編みおさげにしている髪も白セーラーの制服も、まるで豪雨にあったかのようにグッショリと水に濡れそぼっていた。


「キャハハハ! あれえ、誰もいないかと思ったら人いたんだあ」


「ごめーん。ちょっとトイレ掃除しようと思ってさあ」


「そんな濡れた制服着てたら風邪ひくぞ〜早くジャージに着替えな〜アハハハ…!」


 涼華が唖然と固まっていると、壁の向こう側からはそんな、クラスメイトの女子達の声が聞こえてくる。


 無論、〝トイレ掃除〟などというのは嘘に決まっている。わざと嫌がらせにバケツいっぱいの水をかけたのである。


 この避難所も、とうとうあの三人に見つかってしまった……最早ここも心安らげる場所とはいえないだろう。


 前髪から滴る水もそのままに、涼香はトイレを出ると廊下に水溜りを作りながら、体育用のジャージを取りに自身の教室へと向かった。


 静寂の支配する実習棟を離れ、生徒達で溢れ返る賑やかな教室棟へ入ると、ズブ濡れの彼女の姿に皆の刺すような視線が注がれる。


 だが、彼女に救いの手を差し伸べようとする者は誰もいない……こうして見て見ぬフリをするこの学校の生徒達の気風が、よりいっそういじめを助長するのだろう……。


 静寂の支配する実習棟を離れ、生徒達で溢れ返る賑やかな教室棟へ入ると、ズブ濡れの彼女の姿に皆の刺すような視線が注がれる。


 だが、彼女に救いの手を差し伸べようとする者は誰もいない……こうして見て見ぬフリをするこの学校の生徒達の気風が、よりいっそういじめを助長するのだろう……。


 飛部涼香は、ひどいいじめを受けていた。


 彼女がこの高校に転校してきてからまだ一月も経っていないが、それは転校初日からすでに始まっていた……。


 いじめているのは先程の三人。資産家の娘でリーダー格の城紗奈じょうさな、その取り巻きの木屋瑠衣きやるい房総礼仁ぼうそうれにが中心となっているが、彼女達が圧力をかけて他の生徒がそこに加わることもある。


 この三人、もともとが弱い者を虐げて喜ぶ癖があり、涼香が転校してくる以前にも一人の女生徒をいじめにいじめ抜いた挙句、自宅で首吊り自殺するまでに追い込んだというウワサだ。


 もっとも、事なかれ主義の学校側は「いじめはなかった」として、自殺の原因は家庭問題の方にあったと主張しているのだが……。


 ともかくも、そんないじめの対象を失っていた三人にとって、転校生の涼香は格好の標的だった。


 涼香は口数が少なく、引っ込み思案のおとなしい性格な上に、三つ編みおさげのメガネという、典型的に地味っ子な少女だった。


 ただでさえ注目される転校生に加え、その陰鬱なキャラクターがまた三人のよこしまなる心を惹きつけてしまったのである。


 最初のうちは、下駄箱の靴を隠されたり、授業中、背後から消しゴムを投げつけられたりするくらいのものだった……。


 だが、あまり日を置かずして、今度は朝来ると机の上に悪口がマジックで落書きされていたり、クラスの女子達を強制的に巻き込んで、みんなで無視されたりするようになった。


 さらには体育の授業中、わざと思いっきりバスケットボールをぶつけられたり、廊下を歩いていると不意に背後から蹴り飛ばされたりと、目に見えて暴力をも伴うようにいじめは日々エスカレートしていった。


 そして、半月が経つ頃には校舎裏へ誘い出され……。


「今、ちょっと懐が淋しくってさあ。ちょっとお金貸してくんないかなあ」


 三人に囲まれると、そうしてお金を要求された。


「……え、で、でも……わたし、そんなお金持ってないし……そ、それに、城さんのお家はお金持ちだって聞いたけど……」


「はあ!? なんか文句あんのかよ? 友達の頼みが聞けねえってんのか、てめえ!」 


「痛ぁっ……!」


 恐る恐るか細い声で、それでも頑張って拒否しようとする涼香であったが、すると突然、木屋が涼香のおさげを引っ張り、彼女の耳元で脅しをかける。


「友達が困ってるっつってだろ? さっさと金出しゃいいんだよ」


「うぐ……!」


 さらには房総が涼香の腹に拳をめり込ませ、地べたへ這いつくばった彼女はしぶしぶ財布を三人に差し出した。


「安心して。ただ借りるだけだから……ま、いつ返すかはわからないけどねえ。キャハハハ…!」


 三人は一万円札を抜き取ると空になった財布を涼香の方へと放り投げ、下卑た笑い声を響かせながら平然とその場を立ち去ってゆく……そんなカツアゲも毎日のように行われるようになった──。


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