8話『一の王』後編



 皇子は昔から父王と対立が激しかった。

 父は「国」とは王だと言い。皇子は国とは国民だと掲げた。


 父は言う。

 国民は家畜だ。

 搾取して、搾取して、徹底的に絞り取ってから壊れるまで使え。

 結果、人が苦しもうが、嘆こうが、沢山の人間が命を落とそうが、構わない。余の為に死んだのだ、誇りに思え。


 だが、父王は同時に言う。

 多くは殺してはならない。

 アレはただ畜生ではない。家畜だと言う事を忘れるな。

 我々の血肉が何で造られていくか、ソレは忘れるな。


 父の言葉が理解出来なかった。

 

 皇子は思う。

 畜生は畜生だ。

 今は支配者に怯え、従順を装っているが、牙を向かないとは限らない。

 結果、誰が最初に犠牲になるか、馬鹿でもわかる。


 皇子は何時か家畜たちが自分に牙をむくことが何よりも恐ろしくて堪らなくて。 

 だから、家畜から愛玩動物へと格を上げて、畜生たちに笑みを浮かべるのだ。


    ◇ 


 高層ビル、その最上階の豪華なパーティ。

 皇子ジョセフが主催する皇族貴族のパーティ。


 煌びやかな内装に、高級ブランドのスーツにドレス。

 贅沢な料理に、ワインが並ぶ中で、ブランド物のスーツに身を包んだ男は爽やかな笑みを湛えて楽しんでいた。


 歳は30代後半。

 オールバックにした銀の髪、父譲りの緑の瞳。名をジョセフ。

 皇帝が定めた『ゲーム』に置いて『一の王』の称号を与えられた男。

 ただ今は口元に、満足げな笑みを湛えて彼はこの瞬間を楽しむ。


 自分の周りに居るのは、自分を支持する『国』の貴族や投資家たち。

 褒めて褒めて、自分を褒めちぎってくれる、最高な友人と、綺麗で美しい愛人たち。

 それと、自分を守ってくれている『組織』の護衛と。自分と同じ顔をした友人であり、影武者の男が一人。


 彼らは皆、ジョセフの支持者だ。彼を王にすべく立ち上がってくれた猛者たちだ。

 『ゲーム』の為に集めた、選りすぐりの頼れる仲間達。

 自分をあっさり見限り王位継承権を剥奪した、父王と分からず屋の側近たちとは大違い。


 その中心で、ジョセフはにこやかに微笑みながらワインを飲む。


 つい先日まで、下町の古いアパートに下宿していたが。

 ああ、やっぱりあんな所より此処が落ち着く、この場所こそが自分の居場所だ、と。心からそう思える。


 ――……カツン。


 パーティ会場で、そのヒールの音が鳴り響いたのは正にその時。

 ざわついていた会場が静まり返り、ジョセフも何事かと思わず顔を上げ。そして、口を閉ざした。


 会場の中、多くの参加者達の中。

 その少女の姿が露わとなる。

 豪奢な大理石の床の上を胸を張り、自信に溢れた笑みを湛えて。進み歩く、その姿が。


 身に纏うは赤いドレス。黒々とした艶やかな髪。

 二つが合わさって、白い肌が良く映えた。

 そして、ドレスが劣るほどの真っ赤な瞳。


 見た限りメイクなんてしていないのに、ルビー色の唇に頬笑みを湛えて。

 この人生で、見たことも無い様な美女が、此方に歩み寄って来ていたのだ。

 彼女は迷いも無く、ジョセフの元へ。


 ――…どこのお嬢さんだ?

 ――…なんと、うつくしい

 ――…こんな美女、だれの娘だ


 周りが漸く音を取り戻し始める。

 彼女がジョセフの前に立ち止まったのは、ちょうど同じ頃。

 ドレスの裾を掴み上げて、女は優雅に頭を下げた。



 「――お初にお目にかかります。皇太子殿下」

 「――!……あ、ああ」


 あまりの美しさに言葉を失う。それでも何とか声を返した。

 誰かは分からない。しかし、とうの昔に皇帝の後継者を下ろされた自分を、皇太子殿下なんて呼ぶ存在は、自分の味方であるに違いない。ソレは確かだ。ジョセフは笑う。


 「えっと、貴殿は?」

 「――……わたくし、ジョゼフィーヌ・アマリリア・ローランと申し上げます」


 女が名を告げる。

 その名には覚えがあった。腹心であるローラン伯爵の娘だ。

 彼は今日のパーティに出席するはずであったが、少し遅れると連絡が入っている。

 そして、今日のパーティには美人と自慢の愛娘を連れてくると。名前も、確か、そんな感じだったはず。


 ジョセフは改めて娘を見て、息を呑む。

 伯爵が、美人で外にも出さないと言っていたが、まさかこれほどまでとは。

 

 「――……あ、そ、そうか、どうぞ顔を上げてください、レディ」


 見惚れていたが、何とか我に返り声を掛ける。

 言われるがまま、令嬢はゆるりと頭を上げた。

 令嬢の顔を間近で見る事になって、ジョセフはまた口を閉ざす。


 目前にして見れば、あまりに美しく。神々しいと表しても良いほどの美女。

 いつもは此処で手の甲に口付けの一つでもするのだが。

 その小さな手に、彼女の身体に触れる事がおこがましいと、心から思えて仕方が無い。

 だが、何もしないと言う事は彼女に失礼でもある。


 ジョセフは震える手で、令嬢の手を取って、小さく口付けを落とした。


 「レディ、ジョゼフィーヌ。良くおいでくださいました。今日は存分に楽しんでいってください」

 「……はい、殿下。御心使い感謝いたします。どうぞ、宜しければわたくしの事はフィーヌと」

 「そ、そうか。……ではフィーヌ嬢。その、お父上は何処かな?」


 「――……誠に申し訳ございません。実は此方へ向かう途中、父上は体調を崩し、どうしても今宵の夜会には出席できないと。ですが、それでは招待してくださった殿下の御心使いに申し訳ないと、わたくしが参った次第にございます。――伝達は送ると仰っていましたが」

 「そ、うだったのか。――失礼」


 ジョセフは胸ポケットから、端末機会を取り出し確認。

 そこには伯爵からの謝罪と、娘だけは出席させると言う旨が記されたメールが届いていた。

 状況を理解したジョセフは笑みを湛えた。


 「わかりました。後で私が心配していたとお父上にお伝えください」

 「――………はい」

 「?……どうかなされましたか、フィーヌ嬢」


 目の前の令嬢に優しく声を掛ける。

 すると、令嬢は今にも涙を零さんと言う表情でジョセフを見上げた。

 何か言いたげに、しかし口を噤み、口元を隠して。目を逸らす。


 「――……いえ。なんでもございません」

 「なんでもないはないでしょう。そんな、悲しい顔を浮かべて。どうぞ私に話してみては如何でしょう。悩みでしたら、誰かに話すと気分が楽になる」


 少しの間、ジョセフの言葉に、令嬢は顔を上げる。


 「感極まってしまったのです」

 「はい?」

 「――……長年、幼いころからお慕いしていました殿下と、こうして話す事が出来て」

 「!そ、それは」


 思いもしなかった言葉だ。ジョセフの頬が反射的に赤く染まる。

 しかし、令嬢の顔は浮かない。ジョセフという思い人が目の前に居ると言うのに。

 コレは何かある。そう感じたジョセフは令嬢の肩を抱くと会場の外へ。

 誰も居ない、静かな廊下のソファへと座らせた。


 「それで、何があったんですか。レディ」


 誰も居ないのを確認して、ジョセフは令嬢に声を掛ける。

 長い間、令嬢は重たい口を開いた。


 「実は、お父様の言いつけで婚姻が決まったのです」

 「それは、おめでたい事ではありませんか」

 「――……お相手は、ジョセフ様。――……殿下の父君にございます」

 「な……!」


 令嬢の言葉に、ジョセフは言葉を失う。

 父上、皇帝だと?伯爵が皇帝に自分の娘を差し出したと?どう見ても20代にもいっていない少女を?


 嗚呼、嫌。十分あり得る事だ。特にここ迄美しい少女となると尚更。ジョセフは頭を抱える。

 父の事はよく知っているからだ。

 男女問わず美しい物には貪欲で、気に入った物であれば、何としてでも手に入れる傲慢な王。


 気に入れられれば天国だ。

 しかし、少しでも気に入らなければ。乱暴に抱き潰し、壊すまで遊び、薬漬けにしてその美しい容姿をボロボロして最後は捨ててしまう。父はそう言う男だ。

 この美しい少女が、父の毒牙に掛かると言うのか。


 何故伯爵が父に娘を差し出したか、これも分かっている。

 偶然彼女を見つけた父が、令嬢を欲しがったのだ。いや、噂を聞き及んで寄こせと言って来たのかもしれない。


 ジョセフの腹心とは言え、相手は皇帝陛下。断ることなど出来る筈がない。

 ああ、なんと哀れな娘だ。


 「わたくしは今の今まで自分の運命を受け入れておりました。でも、殿下の顔を見ていましたら、幼いころの気持ちが溢れかえって――……!」


 令嬢が目元を押さえる。

 彼女の姿があまりに痛々しくて、ジョセフは彼女の肩に手を伸ばす。

 でも、掛ける言葉が見つからない。

 そんなジョセフに縋るように手を取ったのは、令嬢本人であった。


 「殿下。お願いにございます。――どうかわたくしを、女にしてくださいませ」

 「――――は?」


 耳を疑う。理解が出来なくて頭が真っ白になる。

 しかしだ、令嬢の眼は本気だ。真っすぐに此方を見据え、訴えかける。


 「陛下に汚される前に、壊されるぐらいなら、愛おしい方に抱かれたい……!その事実だけでわたくしは辛い毎日を過ごしていける」

 「ま……、お待ちをレディ!」


 そんなの、無理だ。ジョセフは逃れようとする。

 そんなの、もし、父王に見つかったら。


 「わたくしは、この事を絶対に他言しません!どんな拷問を受けようとも、貴方の事だけはお守りします!」


 それでも令嬢はジョセフの手を握りしめて、身を寄せる。

 艶やかな身体を枝垂れ掛けるように、美しい顔を悲しみに染めて、赤い瞳に涙をためて。ジョセフの目は思わず、令嬢の身体を映す。


 折れてしまいそうな細い腰。小さくもなく、大きくも無い形の良い丁度良い胸が作る谷間が目に入る。

 ――この身体を、好きにできる。好きにすることを、この令嬢は許している。生唾を呑む。


 そもそもだ。

 ジョセフの頭には一つの事実が浮かんだ。

 コレから自分は父王を玉座から引きずり下ろす『ゲーム』に参加する。


 そこで勝利すれば、自分は王。王になれば、彼女は自分の物ではないか。

 だから、コレは、彼女は、自分の物だから、当然許される行為――。


 「――分かった」


 ジョセフは令嬢の手を握り返した。

 目の前の令嬢は目に涙をため、その顔を喜びに染める。


 「ああ、ありがとうございます。殿下!」

 「気にしないでくれ、レディ」


 ジョセフは令嬢を抱きしめる。きつく。きつく。

 彼女が、どんな表情を浮かべているのにも気が付かないまま、その赤い目の違和感に気づきもしないまま。

 ――令嬢が耳元で囁く。


 「――……殿下。皇帝陛下は、遊びで何人もの男に女を襲わせて、ソレを見て楽しむと聞き及んでいます。……わたくしは、ソレが恐ろしい。初めてのわたくしはきっと耐え切れない」

 「!……それは」


 ルビー色の唇が、紅色の笑みを浮かべた。


 「だから、どうぞ。そちらもご教示くださいまし。わたくしは殿下であれば耐えきれる――」

 想像もしていなかった、もう一つの提案。


 「な、だか、それは!!」

 「怖いのです。殿下。でも、殿下であるならわたくしは、あなたの姿を思い浮かべて耐え忍べる。経験をしておきたいのです。経験して置かなくては、私は耐え切れない」


 耳元で、悪魔の囁きが唱えられる。

 ジョセフは令嬢の身体を離した。目に映るのは、変わらず美しい女の顔。

 涙にくれる女の顔。


 嗚呼、思ってしまう。

 この顔をもっと見ていたい。


 恥じらう姿も、痛みを耐える姿も、恐怖に染まる姿も。

 この少女は、どのようによがるか。強靭な男二人に組み倒された時、どのような顔を浮かべると言うのか。

 

 「――……ああ、わかった。では、私と同じ顔をもつ男を呼ぼう。ソレであればレディもまだ安心だろう」

 「……嗚呼!殿下、わたくしは幸せにございます!」


 令嬢は抱き着く。細い彼女を抱きしめて、ジョセフは――いったいどのような表情を浮かべていたのだろう。


 「では、私の部屋に行こうか――」

 ルビーの唇が、にたりと吊り上がった。


    ◇


 「まぁ、まぁ、素敵だわ!なんて素敵なのかしら!!」


 ジョセフの部屋の中。令嬢はまるで子供の様にはしゃいでいた。

 コレから自分に起ることなど忘れている様に、無邪気な声を出して、部屋を見渡す。


 豪華なベッド。煌びやかな絨毯。大理石の暖炉に、沢山のワインが並んだ棚。

 その場所は正に夢のような、豪華絢爛な部屋。

 令嬢は部屋の中心で、くるくる回りながら、楽しそうに笑う。


 その様子を、ジョセフと、そして彼に呼ばれたジョセフの影武者は口元を吊り上げ見つめていた。

 ジョセフは自分と同じ顔の影武者を見る。


 彼は2日前に雇った。『七の王』と呼ばれた教団の教祖が死んだと報告があって、直ぐに取り寄せた影武者だ。顔を変形させた。昔の学友。

 この男が、こんなところで役に立つとは思いもしていなかった。本当は弾避けになる程度の筈だったのに。


 こんな下賤な物と一緒に彼女を辱めると言うのは腹立たしいが、一興だ。

 あの美しい令嬢を見て、心底思う。

 それは影武者も同じなのか、笑ったまま何も言わない。

 2人の視線に気づくことなく、令嬢は楽しそうに小さく声を漏らした。


 「まあ、なんて素敵な眺めなのかしら!」


 そう笑って、走り向かうのは部屋の奥。大きなテラス。

 

 「外に出て、夜景を見てもよろしいでしょうか?」

 「――……ああ、いいよ。好きにしなさい」


 無邪気な令嬢に、ジョセフは笑う。

 お許しを貰った令嬢は窓を開けて外へ。

 目に広がる美しい夜景を前に、もう一度声を漏らした。


 「まぁ。まぁ。素敵!素敵だわ!!殿下たちもご覧になって!わたくしの側へ来てくださいな!」


 頬を染め上げ、抑えきれないと言う様に感情を露わに。

 2人のジョセフは顔を見合わせ、やれやれと言った様子で言う。


 「ああ、分かったよ。いま、そっちへ行こう」

 「――……ええ!」


 令嬢は笑う。笑って、再び夜景を目に映す。

 後ろから、ネクタイを外す音に、此方へと近づいてくる足音が二つ。



 嗚呼。嗚呼!!


 ――いないよ、こんな女。

 令嬢シーアは、口元を吊り上げた。


 流石に呆れかえるほどに馬鹿らしい。

 いや、こんな誘いに乗るのか、皇子様。


 普通は、まともな皇子なら誘惑なんて跳ね返すし。

 数人で「まぐわいましょう」なんて戯言、言語道断だろ。

 ましてや、進んで興じる初物の女なんて幻想だぞ。


 シーアは目を細める。

 この皇子。心の中を見るに、父王を軽蔑していたようだが、同じ穴の狢。それ以下じゃないか?

 父に対してコンプレックスが強く、反対に周り国民とやらを見下しに見下していた。少年の観察通りの人間であったとしか言えない。


 というか、頼れる仲間腹心の、娘の名前ぐらい覚えておいて欲しい物だ。

 「ジョシフィーヌ・マリアンナ・ローラン」だっけ?

 いや、本名なんて知らないけど。ローランと言う名前だけ、覚えたのだけど。


 ――そのローランさん達は、もういないけど。


 さて、足音がすぐ後ろに迫ったのを感じ、シーアは表情を元に戻す。

 無邪気な笑顔を湛えて、隣に来た皇子様を一度見据えてから、広がる夜景に視線を向けた。


 赤い瞳が細くなる。


 ――ふん、結局逃げなかったのか。

 だったら、ほら。此処からはの仕事だぞ。


 遠くに見える、を見て、口元に笑みを浮かべ。

 女は最後に、のジョセフの腕に手を絡ませるのだ――……。


 さあ、どちらが本物か――?

 ――………銃声が、轟いた。



 ◇


 「あの女、まじか……」


 先ほどとは違うビルの屋上。

 ジョセフの寝室が丸見えになる場所で。アドニスは狙撃銃を構え、スコープ越しに小さく呟く。


 目に映るのは、赤いドレスを纏ったシーアの姿と。彼女を挟む2人のジョセフ。

 笑顔を浮かべる三人を前に、これは唖然と声を漏らすしかない。

 あの女、どうやって寝室迄連れて来るのかと思っていたが。アレは色仕掛けで違いないだろう。


 先程、直ぐ近くで車の事故が起こった。おそらく何処かの貴族の車だ。

 端末機を使用し、無線を盗み聞いていたが、死者が二人。一人は女で何も服も纏っていなかったという。


 どうやって潜り込むかと思っていたが。

 まさか、そうやって潜り込むとは……思いもしなかった。


 アドニスは標準を標的に合わせる。

 ジョセフは2人。2人だけか?他に影武者はいなかったと信じるべきか。いや、もうそんな暇も無い。ジョセフと言う存在は2人だけだった。これに賭けるしかない。

 で、あるなら。問題は何方が本物か、であるが。


 「――……!」


 ふと、スコープ超しに赤い瞳と目が合った。

 瞳が細くなるのが見える。まるで、こう言っている様だ。


 ――あとは、君の仕事だ。さぁ、どちらでしょうか?


 その瞳が腹立たしくて、思わず眉を顰める。


 皇子を連れ出すと言って、去って行った彼女。

 別に彼女を信じた訳じゃない。

 諦めてこの場を去っても良かったのだ。


 信じた訳じゃない。彼女が心配で戻って来た訳じゃない。

 考えてみれば、色々と後々が面倒であったから。自信満々に去って行った彼女に賭けてみた。ただ、それだけ。だから今、アドニスは此処に居る。

 しかし、こうも当たり前に終わらせてくるなんて、誰が想定出来ようか。


 スコープの向こうで、シーアがのジョセフの腕をとる。まるでわざと。示すように。

 心から、アドニスで遊んでいる様に。その姿に腹が立つ。


 残念ながら、アドニスにはジョセフの見分け方なんて、とんと分からない。

 よくよく見たって、どちらが本物か分からない。本当によくできた影武者だ。


 だからと言って、あの女の全て、

 アドニスは引き金に指を掛ける。


 見分けは付かない2人のジョセフ。

 それなら、運で勝負するのか。――いいや。

 

 アドニスは僅かに笑みを浮かべ、手にする狙撃銃を握りしめる。


 銃は殆ど使ったことは無い。

 だが、これは『組織』が威力の強い古い狙撃銃を改造し、改造しきった代物だ。

 

 威力はそのまま、いや強かった威力は更に上げて。

 子供が持ち運べるように、バラバラに。

 2キロ程度の射程距離を3キロに。

 一発装填から、三発装填に。

 僅かな間も無く、間髪いれず、で狙撃できる代物に――。


 相当の腕前が無いと持ち上げることも出来ない代物だが。


 嫌……。

 ちょっと『組織』を甘く見過ぎたな。そして、この少年も。

 この少年の、どうしようもなく恐ろしいほどの才を。

 彼は殺しに関しては、底のない才を持ち合わせているのだから。


 「お前、『組織』も俺も、下に見過ぎだ――」


 最後の瞬間まで、言い表せない感情を胸に。

 ――銃声が轟いた。


 1つ――。

 2つ――。


 ああ、そして、3つ――。

 3つの銃弾は、気道も逸れる事無く、真っすぐに標的に飛んでいく。


 ◇


 血しぶきが飛んだ。

 ぐらりと倒れていく両端の男達。

 灰色と黒のジョセフは緩やかに床へと叩きつけられる。


 残された赤い女は、右手を前にきつく握りしめ。掌に感じるのは僅かな熱。

 「にたり」口元に笑みを湛え、シーアは手を広げた。

 目に映るのは銃弾が一つ。誰が撃って来たかなんて明白だ。これは少し予想外。


 「ふふ、へぇ。私まで狙って来たか。抜け目ないなぁ」


 言葉だけは楽しそうに。しかし、その瞳には感情は相変わらず存在しない。

 シーアは顔を上げる。どうやらもう、狙撃する気は無いらしい。

 次に足元を見る。それぞれ額に穴をあけた2人のジョセフ。なんとも言えない間抜け面。


 「見事だね。コレが任務完了ってやつかい?」


 なんて、表面上の賛美を聞こえもしない、向こうの少年に静かに静かに送るのだ。

 間抜け面を無表情で見下ろして、シーアはふわりと宙に浮く。


 何処までも、何処までも、興味が無いと言う冷め切った目で。

 もう用済みだと言わんばかりに、赤いドレスを破り捨てると。

 泡雪の身体に戻った彼女は、暗い穴の中へと消えていった――……。


 ◇


 ジョセフが主催のパーティ会場。その出入り口。扉の右側。

 携帯端末の音が鳴り響き、白い手がソレを止めた。

 耳下までの長くも短くも無い様な癖が入った金髪。紫眼。目鼻立ちがハッキリとした美青年。


 「……了解した」


 彼は携帯端末からの送られた言葉に対し、小さく呟き、電源を切り。

 黒いスーツに身を包んだ彼は、一歩前へと出た。


 「どうした、アーサー」


 彼の様子に、彼の隣。扉の左側に佇んでいた。同じく黒いスーツに右腕に包帯、腰に刀を差した男。――サエキは、その鋭い眼を青年アーサーへと送る。

 アーサーは端末をポケットに突っ込みながら、溜息を一つ。


 「任務だ」

 「へー、じゃ、行って来いよ。ここは俺一人で十分だ」


 答えを聞いてつまらなさそうに、しかしアーサーは険しい顔で小さく首を振った。


 「お前と、オレに任務だ」

 「は?じゃあ、此処はどうするんだよ」


 アーサーは問いに答えず、静かに懐に手を伸ばす。

 懐から取り出されたのは拳銃で、その手にはいつの間にか黒い手袋が嵌まっている。

 その様子を見てサエキも察したかのように息を付いた。


 「何があった」

 「――皇子が死んだ。寝室に死体が転がっているらしい、見てきてくれ」

 「………はぁ。了解」


 驚くことも無い。

 サエキは素直に外に出る。


 皇子ジョセフが妙に美しい女と外に出ていくのは知っていたし、護衛を申し出たアーサーを断ったのも知っていた。笑えて来る。その女が怪しいと、あの男は思いもしていなかったのかと。


 サエキが外に出た後、アーサーは会場の唯一の出入り口の前へ。

 外に誰も事を確認したのち、開かれていた扉を大きな音を立てて閉める。

 その音に、勿論と言うべきか、参加者の視線はアーサーに向けられ、訝しげな視線が集う。


 そんなものはお構いなし。アーサーは拳銃を持つ手を後ろ手に。扉の前に立った。


 ――……なんだ。

 ――……何をしている。

 ――……ただの護衛が何のつもりだ。


 口々に声が上がる。アーサーは無言だ。何も言わない。

 光のない紫の瞳でただ、周りを見つめるだけ。

 扉が開く。中に入ってきたのはサエキだ。


 「どうだった?」

 「死んでた。影武者仲良く。ち!誰の仕業かは良く分かったぜ!」

 「お前の対抗心は、まあ分かるが、今は任務に集中しろ」


 ――サエキの姿を見て、悲鳴を上げたのは誰か。

 正確に言えば、彼の持つ、血まみれの刀を見て。


 「分かってるよ。だから殺って来ただろ。外に出て行った連中は、全員だ」


 サエキは笑って、左手に刀を握りしめる。

 アーサーが小さく息を付いたのは同時。



 ――……それじゃあ、本来の仕事に戻ろうか。


 

 「――たった今、ジョセフ殿下がお亡くなりになりました」


 高らかにアーサーが声を上げる。

 その場が静まり返った。なぜ。どうして。冗談を。その声が微かに響く。


 でも、その問いに彼らが答える筋合いはない。

 元より彼らは、この瞬間の為に、この場に潜り込んでいたのだから。


 「皇帝陛下からのお達しです」


 皇子の護衛を名目に。彼の味方ををして。

 もしも「ゲーバルド・ジョセフ・ゴーダン」がここ数日中に死んだのなら、と受けた命。

 

 「――あなた達は皆、死刑が決定されました」


 『ジョセフの庇護下にいたモノは皆、殺せ』

 皇帝陛下の御意思の元に、任務は遂行される。


 アーサーの言葉に、辺りがざわめく。

 ――そんな馬鹿な、何を言い出すのだ、誰か摘まみ出せ。


 絶叫が上がる。

 ――いいや。あれは皇帝の犬達だ、裏切ったんだ。


 その事実を上げた誰かに続いて、悲鳴が上がり始めた。

 本当だ、馬鹿な、嘘、いや、助けて、いやだ、違う、裏切り者。――誰もが叫ぶ。

 アーサーはそんな連中を見つめ、呆れかえった顔を浮かべる。



 「何が嫌だと言うのですか。あなた方は王を失ったのです。……で、あれば。家臣であれば、その後を速やかに追うのは当然の事。それが陛下を見限った、あなた方への『代償』なのですから」



 冷たい声。何処までも。冷ややかな声。

 その場にいたモノ達は漸く理解する事だろう

 『世界皇帝』直属の『組織』がどのような存在か。自分達は何を掛けて皇帝を裏切ったか。

 保身だけを願って、自分達の更なる発展を目論み、不遜な王に従った配下たちは自分の最後を知る。



 「それでは、処刑を執行します――……」



 逃げ惑う、逃げ惑う。泣き叫んで逃げ惑う。


 でも、彼らは決して逃げ切れない。

 たった二人の狩人に、手も足も出ないまま。

 ウサギのように、

 狐のように、

 狩られていくのだ――……。



 嗚呼、残念。

 コレが『一の王』の結末だ。


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