6話『一の王』前編

 ニタニタ、ニタニタ。

 赤い瞳が見下ろしている。

 フワフワ、フワフワ。

 宙に浮き細い足を組んで。



 見下ろされる赤い瞳に、つい気が削がれ手元が疎かになる。

 切れかけた照明の下。沈黙が流れる中。

 赤い視線が永遠と注がれる。まだ注がれる。注がれ続ける。


 溜息を一つ。アドニスはライフルの手入れを止め、手を下ろした。

 チラリ、斜め上あたりを飛ぶ彼女へと視線を飛ばす。


 「――なんだ?」


 彼女は胸に抱きかかえた子猫の喉を撫でながら、小さく首を傾げた。


 「いいやぁ?我がご主人様は、何をしているのかなぁ。と思って見ているだけだよ」

 「ごしゅ……」

 

 突然なご主人様呼びに、アドニスは眉を下げる。なんて腹が立つ呼び方なのだろう。この女、先程からずっとこうなのだ。正確に言えば、側に居る事を赦してから。

 不敵に笑いながら、絶対に遊び感覚で「ご主人様」。何を考えているか分からないが、気色悪い。背筋に寒気が奔る。


 「……今度そう呼んだら口をふさいで、クローゼットに放り込んでやる」

 「――おい聞いたかい、可愛い子よ。君のご主人はとんでもないプレイを要求する、とんだ変態さんだぞ?なんてド変態さんなんだろうな。女の敵だ」

 「……」


 だが、苦言を零せばコレだ。

 子猫の頭を撫でながら、悪態を倍にして返してくる。

 嫌味と悪口をコレでもかと混ぜて、人を変態扱い。赤い瞳に、感情が一切籠っていない所が更に腹立たしい。アドニスは舌打ちを一つ。苛立った様子で女から目を逸らした。


 この女と出会って数刻。

 その僅かな時間で、彼女には何を言っても無駄な事と、その性格は嫌でも理解した。する羽目になった。


 この女、シーアと名乗ったこの女。

 コイツは人への嫌がらせを心から好む嫌な女だ。

 思いついた嫌がらせと言う嫌がらせをこの2時間で50個はやり遂げ、随時更新中。

 例えば――……


 「ご主人の為に掃除をしよう」とモップを取り出すと部屋中を水浸しにし、飽きたと投げ捨てる。

 「しまい方が汚いな」なんて唐突に衣類を全部引っ張り出す、そこには下着も含まれていた。

 「シャワー浴びたい」とアドニスの前で平気で服を脱ごうとし始め、一緒に入る事を勧めて来る。

 「何かないかな」なんてベッドの下をのぞき込む。いや、ベッドの下には何も無いのだけど、床下を引きはがして隠していたライフルのケースを引っ張り出し。最後は「つまらない」と一言。


 机の中をひっくり返し。

 戸棚の中の缶詰を全部冷蔵庫の中へ詰め込んで。

 買い物に行くと窓から飛んでいこうとして。

 お腹がすいたと鍋を破裂させて――……Etc.


 とりあえず、思いつく嫌がらせを片端から実行している様に思えた。

 アドニス此方が嫌がりそうな事を片端から、だ。


 シャワーに誘われた時、沸点が訪れて無理やり部屋から追い出したのだが。

 清々したと部屋に戻れば、彼女は当たり前の様に部屋に戻っていた。「約束を破る気か」なんて非難を交えた口調で、ニタニタ笑いながら。


 どうやって部屋に戻ったか?

 理屈は分からないが、あの黒い瞬間移動みたいな能力で戻って来たに違いない。

 《神様》なんて頭の可笑しい名乗りを上げていたが、馬鹿力と共に何か、理解不能な能力を持ち合わせているのは実感済み。


 更には追い出したら、もっと酷い嫌がらせで対抗して来たので。この数時間で「追い出す」と言う考えは早々に諦めが付き。現在は御覧の通り。猫の世話を命じて、何とか「放置」と言う形に落ち着いたのだ。


 ただ、嫌がらせは無くなったが苦言を零せば悪態を返し。先程から僅かな暇も無く、ずっと視線を飛ばしてくる様になったのだが。



 何故もっと抵抗をしないか?諦めるのが早すぎる?

 残念ながら、彼女の底知れない強さの前には勝てる気等一切起きない。そんなイメージは微塵も湧かない。

 アドニスは自身の強さを知っている。誰にも負け知らずで《最強》。だが、この女はソレを簡単に凌駕した。ヘタをすれば殺されるだろう。抵抗しようにも恐ろしくて、頭が警告を放つのだ。

 

 だからこそ、今アドニスが出来る事は1つ。

 先程の「承諾」は本当に軽率だったと、自身に苛立ちを向ける事だけであった。

 

 再度、ライフルを手にしながらアドニスは心を落ち着かせる。

 組み立て式の狙撃銃を分解し、ケースにしまいながら何度も自身に言い聞かせた。


 そうだ、こんな女に構っている暇は無い。

 自分にはまだ仕事がある。そっちに集中しろ――と。


 「おいつまらんぞ、何をしているか話せ。また下着でも掘り出してやろうか?」

 「――っ」


 そんな無視もこの女は許してはくれないらしい。

 シーアは何時の間にかアドニスの前に移動し、顔をのぞき込ませていた。

 美しい顔が目に一杯に映り、アドニスは慌てたようにシーアから目を逸らす。

 ようにと、何度も心に訴えながら。


 「……お前には関係ない。居候は居候らしく黙っていろ」

 「……ふんふん、銃の手入れ。コレから仕事ねぇ。手伝おうか?」

 「――っ!!」


 だが抵抗は虚しく、無駄に終わる。アドニスは歯を噛みしめた。またか、と。

 ああ、この女には更に別に一番大きな問題が存在する。

 黒い眼がシーアへ、殺気が混ざった視線を向けた。


 「おい!お前がどういう存在か、なんで俺の前に現れたか、もうそれはどうでも良い。どうでも良くなった。でもな、俺が命じたことはもう忘れたのか!」

 「うん?いいや」


 問いに対し、シーアは首を横に振る。

 ニタニタ笑いながら指を四本立て、思い出すように口に出す。


 「1つ、君の詮索はしない。2つ、君について深入りはしない。3つ、君の邪魔をしない。4つ、君のは何一つとして誰にも話はしない。あ、最後は私が勝手に作った物だったかな?」


 それは、居候を本気で渋々と許したアドニスが彼女に命じた約束。

 仕方が無く此処に住むことを許し受け入れて、同時に彼女に課した契約である。


 家事も仕事も何もしなくて良い。アドニス此方も深入りはしない。

 だからシーア其方も同じように深入りはするなと言う約定。


 「何でもする」と言って、しかし「出ていけ」と言う命は聞かず。

 何が何でも此処から出ていく気が無いのなら、必ず守ってもらうと決めた盟約。


 シーアはコレに同意した。それが先程の4つ。

 詮索しない、深入りしない、邪魔をしない、何も話さない、の誓約である。

 最後の4つ目はシーアが勝手につけ足したものだが。


 約束やくそくだろうが、契約けいやくだろうが、約定やくじょうだろうが、盟約めいやくだろうが、誓約せいやくだろうがどれでも良い。

 絶対に破らないと、誓わせたものだ。

 なにせ今、一番恐れるべきはシーアが仕事の障害になる事。


 だから態々同じとも取れる内容を3つ課したのだ。絶対に仕事に関しては、アドニスと言う存在に対して深入りするなと言う念を込めて。

 

 ソレを踏まえて言おう。

 今の彼女のもコレに違反する、と。

 

 「だったら。その、『心を読む行為』も禁止だ!」


 アドニスは不愉快極まりない表情を浮かべたまま言い放った。

 シーアは僅かに驚く。驚いたフリを見せる。


 「えー。これも駄目なのー?」


 なんて、ワザとな。ワザとらしいにも程がある。

 そしてこれが、アドニスが危機する一番の問題だ。


 この女は本当に『人の心を読む能力』を持ち合わせている。


    ◇


 彼女が心を読むことは、彼女自身が口にしていた事だが。

 しかし、はいそうですかと信じられる筈も無かった。


 人の心を読むなんて意外に簡単な物である。

 アドニスだって『組織』から叩き込まれた技の一つ。だが、それは相手の表情からその思考を読み取ると言う行為でしかなく、読み取った表情から推測を出すと言う実に不確かなもの。


 だが、彼女はどうだろう。

 この女は頭で考えたことを一言一句読み取り、口に出す。

 焦りや怒りと言った感情だけじゃない。

 表情からは読み取る事なんて、到底できない「情報」を1から100まで全てを、だ。


 此処まで来れば、到底信じられないその能力を確定するしかない。

 その身体に直に受け、実感。故に言える。


 心を勝手に読むなんて、最悪の能力一言だ。

 アドニスが僅かに唇を噛んで頷く。


 「当たり前だ。それは俺への詮索になるぞ。深入りにも当てはまる行為だ」

 シーアはニタリと笑う。

 「それもそうだ。――だったら仕方が無いな。心を読むのは止めてあげよう」


 くつくつ笑って。素直に一言。

 再び彼女はふわりと宙へ舞い上がり、足を組むとその場で深く座り込む。


 今、シーアはすんなり引き下がった訳だが。アレは本心だろうか。正直、そうは見えない。だが彼女とは違って、アドニスには言い返せる証拠がなく、酷く歯がゆい。


 こうなれば、対抗できる手段は2つだ。

 彼女の前では余計な事は考えない事。

 彼女の行動と自身の思考を照らし合わせる事。

 コレだけである。真面な案が無い。


 アドニスはまた舌打ちを一つ。

 ケースの蓋を乱暴に閉める。

 女に対する有効的な対抗手段が思い浮かばず、苛立ったように立ち上がり。右手にケース、足音を鳴らしながら机の側へ寄ると、椅子に掛けてあったコートを引っ掴む。


 正直、今はこれ以上彼女には構っていられない。

 携帯端末の時計を見れば。現在午後9時。――……ギリギリか?

 そのまま、彼女に視線を向ける事無く玄関へ向かった。


 「おや?お仕事に行くのかい?」

 「煩い。黙っていろ」


 ノブに手を掛け、振り返ることも無く言い放つ。

 シーアは細く目を細めて、ニタリ。

 

 「ふむ、コレも詮索に入るのかな?」


 なんて、首を傾げて。

 アドニスは今日何度目かも分からない舌打ちを繰り出して、扉を叩く様に閉めるのであった。


   ◇


 高層ビルが並ぶ高級住宅地。その狭い路地裏。誰も居ない暗い通り。

 アドニスは周りに人が居ないか確認して、地を蹴りあげた。

 軽く宙に浮いた先でビルの壁に足を延ばし、更に蹴り上げ上を目指す。

 そのまま壁を足場にしながら辿り着いたのは、このあたりで一番高いビルの屋上。


 屋上は寒く強い風が吹き荒れ。

 その冷たい空気の中でアドニスは小さく息を付く。


 ――……あの女の気配はない。

 誰かが後を付けている気配も無い。杞憂に過ぎなかったか。


 手にしていたケースを床に置いて、中からスナイパーライフルを準備する。コレもまた組織からの配給品だ。


 かなりので、腕前があれば3キロ先の標的でも狙える。組み立て式の、狙撃銃。――他にも秘密はあるが。まぁ、今回は、は別に良いだろう。


 この銃自体は今日初めて使うのだが。それも別に良い。銃の扱いは教わった。大して問題はない。そんな狙撃銃を手際よく組み立てながら、アドニスは一人を頭に思い浮かべた。


 標的じゃない。

 シーアと名乗った自称神の女だ。


 突然現れて。

 自分の側に置けと迫り。

 先日アドニスを殺そうとした女。


 殺そうとしておきながら、当たり前のように去っていた彼女の事。

 追いかける暇も無く、声を掛ける暇も無く、行き成り目の前から消えた彼女が今、自身のアパートにいる?


 信じられない事だ。

 それも、あんなふざけた女だとは思いもしなかった。未だ現実が追い付かない。


 そもそも、彼女は本当は一体何者なのだろうか。あの力は?

 神だなんて名乗っていたが、寝物語で登場するような神なんてモノが、この世の何所にも存在しない事をアドニスは知っている。


 だが、彼女のあの能力はどう考えても人知を超えた代物で。それに、素の力も自分より遥かにまさっているのも確か。

 初めて出会った先日も、急に目の前からいなくなった訳だが。

 今思えば、あの瞬間移動にも近い能力を使っていたのではないかと推測できる。


 彼女の正体を考え。

 一番に思いつくのは、あの宗教教団だ。


 アレが呼び出した「悪魔」――……ではない。そんな非科学的な物じゃない。

 教団が人工的に造り出した。『世界』に対抗する兵器の可能性があると言う事。


 普通ならそれも有り得ないと言うべきだが、元からあの教団にはそんな黒い噂は存在していた。人間を使って兵器を開発している、と言う噂が。


 そして、それは『世界』も同じだ。

 皇帝の命により、集められた科学者が「人間」を使用して、より良い兵器を作成している。これは事実である。この事実をアドニスは知っている。


 この2つの共通点は、その材料が人間であると言う事――。


 それを考慮すれば、彼女、シーアと名乗った女は?

 教団に作られた存在で、教団を潰した自分を恨んでいるとか――……?

 違う。ソレは、違う気がする。


 あの女にはそんな様子は見られなかった。

 初めて会ったあの日、あの一回だけ、彼女はアドニスに殺気を向けたが。今日現れた彼女には僅かな殺気も無かった。怒りも恨みも、憎しみも。しかし、喜びと言った感情も何一つ。

 少なくとも、シーアがアドニス自分に復讐しようとしているとは到底思えないのだ。


 それに、今日報告が来た。

 先日、詳しく言えば4日前のあの日。アドニスがあの教団の本拠地を潰した同じ時間。サエキやリリス、他の『組織』の一員の手によって、教団の他の拠点も一つ残らず全て消されたそうだ。


 その中には確かに実験施設もあったが、使えそうな子供を除き皆排除され。

 噂にあった、兵器と呼ばれるだったと。


 だが、彼女はどうだろう。

 あの女はだ。

 どう見てもだ。


 教団が隠していた?違う。

 隠蔽を図り、今まで使わない方がおかしい。

 いいや、違う。彼女は完璧すぎる。どう見ても人間が辿り着ける領域じゃない。


 だから彼女は誰かに作られたような存在だと言う事は有り得ない。

 それなら彼女はいったい――……?


 同じ考えが、似た寄った思考が、何度もループを続ける。

 何一つとして分からないシーアと言う女の存在。

 名前と、理解の範疇を越えた底知れない力を持っている事だけが、判明している自称神。

 どうしてシーアは自分の前に現れ、側に居たいと願って来たと言うのか。


 「――馬鹿馬鹿しい……」

 アドニスは考えを振り払う様に目を閉じる。


 ――くだらない。何を考えているのだ自分は。

 今は彼女の事より『任務』が先だ。

 そう決め、携帯端末を取り出し起動。


 開くのは一つのファイル。『一の王』の情報。

 標的名「ゲーバルド・ジョセフ・ゴーダン」


 現皇帝の嫡子であり、次期最良の皇帝と噂される人物で。

 しかし、数年前に皇帝の命によって、皇太子の座を剥奪された。皇子殿下。


 皇子は父王とは違い「国は民の為にあるべきだ」と声明を上げ、昔から父王と対立が激しかった人物だ。


 貧しい民の痛みを知るために、下町の古いアパートに住みこみ。

 幼い子供たちが労働を課せられるのは哀れだと、孤児院や親がいない子らの家に寄付をし。

 ボランティア活動は当たり前。何時も柔らかな笑顔が特徴の人気者。

 口にはしないが、誰もが次期王は彼であるべきだと望んでいる。


 だがゲーバルド44世は、そんな息子ジョセフに王位は譲る気も無いと宣言した。


 『余が生きている限り、お前に譲る気は無い。死んだとしてもお前だけには譲る気は無い。孫にやった方がまだよい』


 皇帝は心底飽き飽きした様子で本人の前で、彼を辱めたと言う。

 ジョセフは父王に進言したが聞き入れてもらえず。

 今は結局、皇子ジョセフの4つの娘が次期皇帝と公認された。


 だからこそ、ジョセフ皇子が今回の『ゲーム』に手を上げたのは何も可笑しくない。王位を取り戻す、唯一の方法だったのだ。

 アドニスは冷めた目で、そんな『一の王』のファイルを見下ろす。


 ――皇帝は誰も辱めて等いないだろうに……と。


 ファイルには、ジョセフの情報が包み隠さず乗っていた。

 普段、何時何処で何をしているか。何が好みか。趣味。住所。家族。

 この一ヶ月。彼の行動するスケジュール全て。

 

 此方のファイルは、今日突然更新された物だ。

 しかし、コレは。これではまるで、近日中に殺せ。

 そう言っている様じゃないか。あからさまな指示に思わず笑ってしまう。


 他の『王』のファイルも確認してみたが、此処まで詳しい情報が記載されている人物は他にはいなかった。

 いや、ジョセフは王族だ。彼の情報は『世界』が管理している。だからこそ、王族ゆえに……という理由かもしれないが。


 それでも、コレは。皇帝は実の息子でも容赦ない。


 アドニスは端末を足元へ置く。

 狙撃銃を構えるとスコープを除き、標的を捉える。


 三キロ先にある。此処より僅かに低い高層ビル。その最上階――。

 豪華な部屋の中で、選り取りの料理に囲まれて。シャンパンを片手に、沢山の美しいドレスを纏った女達の中心で笑う、高級なスーツに身を包んだ男の姿を。


 ――……アレが彼の本当の姿だ。


 アドニスはジョセフに何度か会った事がある。

 自分の存在に気が付くなり哀れんで泣いた男だ。子供がなんて可哀そうに、と。

 そのジョセフの護衛を務めたのだから、彼の事は嫌でも理解してしまった。


 貧しい人々の気持ちを知るために、下町に家を構えた。

 ――…数日しか使っていない。彼の本当の自宅はあそこである。

 ボランティア活動は当たり前、笑顔が素敵な皇子様。

 ――…安全な町でゴミ拾いを毎週一回一時間とか、笑わせる。

 貧しい人にお金を寄付した。

 ――…たった一回だけである。


 子供に労働させるなんて可哀想。

 ――…可哀想と言葉にした、その口で次の瞬間、彼はアドニスに皇帝父王の暗殺を依頼してきた。

 

 毎週支持者たちに囲まれて豪華なパーティ。

 その贅沢は国民の税金だが何故できるか、実は理解していないんじゃないか。ああ、本当に笑わせる。皇帝もコレは呆れるさ。


 あれは確かに、国民から支持される偽善者人気者だ――。


 標準がジョセフの頭を捉える。

 アドニスは引き金に手を伸ばし、スコープの向こう。笑うジョセフの顔を見て心底思う。

 

 彼は昔から優秀とささやかれていた。

 だが父王の前ではジョセフはどう足掻いても、まあまあ優秀な凡人でしか無い。

 あの皇帝陛下は、やることなす事、其れこそ暴君だが、その強さは本物である。


 ゲーバルド44世。彼は自身を「神」と呼ぶ。

 その発言に、自分の行動に、一切の迷いも過ちも、彼は微塵も感じてもいない。

 自分が正義だと信じて疑い一つなく。心の底から、自身をこの世の絶対的な支配者だと、あの皇帝は定めている。

 自分が負けるなんて、「もしも」の恐怖など抱いてもいない。


 彼の考えは神の意向だ。彼の怒りは神の怒りだ。

 そこに他者の意向なぞ、微塵も介入する必要も無い。

 だから、彼は自身の行いを暴挙と思って等いない。

 そんな神に意見するなど、不埒なんてレベルじゃない。

 

 そう、陛下はこの世に降臨している。


 だから人々は彼を恐れる。国民も、側近も、全て。

 しかし、同時に皇帝を王として認めるしか出来ない。

 貶め、引きずり落すなんて、決して出来ないのだ。


 だって、彼の前では自分たちなど、王と比べ物にならない不遜な凡人。

 皇帝の信念も思想も、全て、凡俗には成し得ない事柄なのだから。

 彼の代わりは誰にも務まらない。


 現に例えばだが。

 皇帝暗殺は何度も上がったが、戦争と言う様な世界全土を脅かす大事件は、彼が即位して40年。一度も起こっていない。

 それは、戦争を皇帝がからだ。

 彼が許していないのだから、戦争なんてモノは起らない。何があっても起こさない。起こす事を赦さない。――ソレを実現できる力を持つ。


 皇帝かの王は、どんなに恐ろしくても偉大なる王なのだ。



 でも、後継者のジョセフは違う。

 彼は恐怖した。父王の側で、父王のやり方を見て、自分には無理だと、出来ないと、理解できてしまった。


 だって、人から恨まれるのは恐ろしい。人から命を狙われるのは恐ろしい。周りの人間が信じられなくなるなんて恐ろしい。この世で信じられる人物は自分唯一人なんて恐ろしい。いつか王で無くなるかもしれないなんて、恐怖で足が動かない。父には着いて行けない。


 父王は、その恐怖を一つも持っていないのだが。ジョセフは気が付かない。

 だから彼は国民にゴマすりを始めた。自分が生き残るためだけに、父の考えは恐ろしいと、国民にすり寄った。

 

 でも、それもだ。

 彼は国民たちを貧乏で可哀想と言いながら、本当の所一度も助けてはいないのだから。


 ジョセフは護衛を務めた人物に、毎度毎度本心を吐露するのだから、それも実に馬鹿馬鹿しく。だから、組織内でもアレの評判は酷い。


 出来損ないの後継者。正にその通り。

 アレが王になれば、「戦争」は確定。『世界』は確実に無くなる。


 アドニスは小さく息を付いた。

 ジョセフアレはどの道、偉大過ぎる父を持った時点で詰んでいたと同時に理解出来て哀れみも浮かぶ。

 今は父王との対立を選んだが。もし、父王のやり方を真似ていたとしても彼は地に落ちただろう。


 偉大な王とは、偉大なゆえに、次世代は作れないものだ。


 だからジョセフは愚かだが、もしかしたら哀れの分類に入るのかもしれない。

 だが、それでもだ。それでも。アドニスはジョセフを見て思う。


 『国は民の為にあるべきだ』


 ――……コレを、掲げたのなら。

 こんな中途半端じゃなくて、最後まで取り組むべきだ。


 誰かに馬鹿にされ、罵倒され、爪弾きにされても。

 理想を胸に真摯に取り組み、望んだ王になろうと心から熱望し、足掻き、苦しみ、それでも手を伸ばし、つかみ取ろうと歩んでいたのなら。その修羅の道正義を選んでいたのなら。


 アドニス自分は彼の願いは正しいと、判断したと言うのに。


 「――いや、無理だな。土台もない状態で、俺にすり寄った時点で、底が知れてるか……」


 そこまで考えて、実に馬鹿馬鹿しい考えだと、アドニスは僅かに笑む。

 くだらない思考を巡らせるのは終了だ。


 ゲーバルド・ジョゼフ・ゴーダン。

 どう足掻こうが、彼の人生は此処で終わる。


 それ以上はない。照準の向こうで笑う男を前に、指を引き金に伸ばす。

 皇族殺しへの迷いは一切ない。

 

 ――空気が、緊迫した物へと変わった。

 鋭い眼が尖鋭せんえいとなり、炯眼けいがんへと転じる。

 

 音のない世界。此処では風も肌に感じる冷たさも無い。

 頭は何処までも透明で、世界はゆっくり進む。


 その氷晶ひょうしょうの世界で。

 唯一の住人であるアドニスは引き金を引くのだ――。


 「――――待ちたまえ少年。アレは偽物だぞ?」


 耳元で声がして、白く細い手が彼を止めるその瞬間まで。


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