3話『組織』
『組織』の本拠地、ある屋敷を改造して作られた無駄に広い建物の中。
謁見部屋と呼ばれる部屋の扉をアドニスは静かに閉める。
この部屋は特別な部屋だ。なにせモニター越しとは言え、皇帝と直々に謁見できる『組織』で唯一の部屋。この部屋に入れるエージェント達は10年に居るかいないか。
気軽に入れるのは『組織』のトップであり、アドニス達の上官。任務を管理しているマリオと言う出来損ないだけ。
そんな特別な部屋から出てアドニスは広く長い廊下を歩く。
今日の用事は終わらせた、仕事も無い。家に帰るつもりで屋敷に出口に向かう。
「おい、アドニス!!」
怒号にも似た声が掛けられたのは丁度その時。
振り向けば、20代後半の顎ひげを蓄えた男が一人。
逆立った茶髪に、黒い目。ごつごつとした男らしい顔。細身ながらも鍛えられた身体。
此処はアドニスが所属する組織のアジトだ。
そのアジトに居て声を掛けてくるのだから、彼もアドニスと同じ『組織』の
彼の名は「サエキ」
下の名等知らない。偽名だから。
そんなサエキが険しい顔でアドニスの側へ、突っかかるように前に立ちふさがる。
「おい、お前皇帝から特別任務を与えられたって、本当か!?」
「――……」
そんな彼の一言目が、コレ。
まさか皇帝から直々の『極秘任務』に付いて問われるとは誰が思えようか。
いったい誰から聞いたのか、アドニスは眉を寄せてサエキを見た。
嫌、誰から聞いたか?何処から噂が流れたか?考える間でもない。簡単だ。あの馬鹿上司がうっかり口を滑らせたのだろう。全く、極秘任務である筈なのに、こうもペラペラと、うんざりする。
「そうだな。だが、お前に話す事じゃない。極秘だ。――それとも陛下の意思に逆らうのか?」
ここでヘタに隠しても無駄である。だから肯定したのち、すぐ様に釘を刺す。
遠回しに、しかし率直に、お前には関係ない。関わるなと意味を込めて。
サエキは馬鹿じゃない。踏み込んでよい問題、関わってはいけない問題。それぐらい区別はつく。現に彼は口を閉ざす。悔しそうに歯を噛みしめて、憎たらしそうにアドニスを見て、舌打ちを一つ。
「――なんでお前なんだよ!!」
それでも闘争心と言う奴は我慢できなかったのか、サエキは噛みつくように突っかかった。
アドニスからすれば馬鹿らしい問いでしか無いのだが。
溜息を付いて、無駄に高身長の男を睨み上げる。
「なんで……?陛下の意思だと言ったはずだが?」
なぜ、まだ突っかかる?いい加減にしろ。下らない。
言葉の端々に、ソレらを敷き詰めて言う。
そんなアドニスの言葉は煽りにしかならず、サエキは引き下がらない。むしろ、聞いてはいけない質問を当たり前に放ってきた。
「だから、なんで皇帝はてめぇを選んだ!自分が選ばれた理由ぐらい聞いているんだろ!!」
「――……」
たが、今ここで話さなければ後々面倒だし、しつこい。
アジトに出入りする度、顔を見合わせる度、ウザったらしく、突っかかってくる姿が目に浮かぶ。
で、あるなら仕方が無い。告げられたままの事を口にしよう。
「――『組織で一番優秀だから』だそうだ」
「――……っ!!」
ほら、本当のことを言ったら怒りで青筋を立て、顔を歪ませ真っ赤になった。
感情の勢いのまま、サエキはアドニスの胸倉を掴み上げ、アドニスの身体が僅かに宙に浮く。
筋肉馬鹿は直ぐに暴力に走るのか、胸倉を掴むのは最近流行なのか、舌打ちを零す。
「なにが一番優秀だ!うぬぼれるなよ、アドニス!!俺はな――!」
「うるさい」
サエキの言葉を遮って、アドニスは彼の手を弾いた。
軽く振り払っただけだ。
それだけで「ごきり」何とも嫌な音が響く。
「――いっ!!」
サエキの顔が一瞬にして歪んだ。
彼の目に映るのは異様な角度に、異常な方向に折れ曲がった右手首。
アドニスの頭には、つい先日の大男の結末が頭に思いだされる。
ただサエキは苦痛から叫ぶ事も、困惑し泣きじゃくる事はしない。
そこは流石エージェントと言う所か。すぐさま眉を顰めて目の前の少年を睨み下ろすのだ。
「おまえ!この馬鹿力!!ゴリラ!!加減って物を知らねぇのか!!?」
「手加減も何も、手を振り払っただけだが」
それでも怒りは有るらしい、手を押さえながらぎゃんぎゃんと叫ぶ。
加減も何も、アドニスからすれば本当に簡単に手を振り払っただけなのだが。
しかしサエキと言う男は、一般人とは違う。彼がソコソコ頑丈で強い事は充分把握している。比べられる者がいないので、簡単に「ビル」よりは比べ物にならない程に1000倍は頑丈だ。
アドニスは自身の手を見た。――どうやら、また力が強くなったらしい、と。
「慰謝料ぶんどるぞ、お前!!」
「――……」
しかし、煩い。
アドニスにも責任は有る。同時にサエキの鍛え方が悪かったとも言えよう。
ハエを払う感覚で手を動かしただけなのに、折れるお前の骨が可笑しい。鍛錬をサボったお前には言われたくない。
そもそも最初に仕掛けて来たのは
「そうか、だったら治してやる」
だから、問答無用にアドニスはサエキの折れた手を掴む。
サエキが気付いても、もう遅い。
「は?お、おいやめ――!いぎゃ!!」
再び「ごきり」鈍い音。大丈夫、今度はちゃんと手加減をしてやった。
サエキの手は可笑しな方向から、だらりと垂れ下がるまでには戻ったようだし。コレで文句はないだろう。にしても……何とも情けない声だ。アドニスは鼻で笑う。
「まじで……まじで、殺す!!殺してやる!!表に出ろ、アドニス!!」
動かなくなった手を押さえながらサエキが涙目で叫んだ。当たり前だ。こんな仕打ちを受け、怒らない人物はいない。
ただアドニスだって暇じゃない。一瞬眉を顰めたが、何時ものように顔を無表情の物へと戻すと、もう付き合っていられないと言わんばかりにクルリと踵を返した。
「殺し合いはご法度だ」
この『組織』では喧嘩はまだしも、エージェント同士の殺し合いはご法度だ。これは皇帝が定めた掟。破れば死刑。何故こんな下らない事で死ななくてはいけない。
だが、サエキは知った事かと叫ぶ。
「良い!死刑にされてでも殺してやる!!」
このサエキ対しに、今度は溜息交じりに一言。
「その前にお前は死ぬだろ」
処刑を経験する前に、
アドニスからすれば死刑は嫌なので、サエキを殺す気は微塵もないが。
「わかった、もう良い!!本当に殺してやる!」
ただ残念なことに、その突き刺さる様な嫌味は油でしかなく。サエキを更に激情させるには十分すぎる一言だった。
残った手で、彼の自身の獲物である腰の刀に手を伸ばし、そのまま問答無用に抜くと此方へと向ける。
こんな奴でも鉄骨三本なら簡単に切り壊してしまう実力の持ち主だ。
少年からすれば関係ないのだが。
アドニスは再度溜息、うんざりした視線をサエキに浴びせた。
それも、身体や顔を彼に向ける訳でなく、ただ本当に視線だけ。
その様子はサエキからすれば、「自分を見くびっている」……の一言でしかなく、更に油を注ぐと言う行為に他ならない。
「――!」
むしろ沸点を越えたようだ。
サエキは体中に殺気を漂わせ、遂には無言のまま。
大きく刀を振りかぶると、容赦もなくアドニスへと切り掛かった。
常人では目に見えない速さで、狙うは首。真っ二つにする勢いで、全力で。
「――……」
「っ!」
しかし、その刃はアドニスには届かない。
銀色の刃はアドニスの首に当たる直前で止まって、ピクリとも動かなくなった。
理由は明白だ。
銀色の刃を、少年の手が、三本の指が、当たり前に……刃を掴み上げ止めたのだ。
アドニスの身体には傷は一つも付いておらず、掴まれた刀はピクリとも動かない。
サエキが驚愕するのも無理はないだろう。
利き手じゃなかったとはいえ、鍛錬を積んでいる腕利きの殺し屋の本気の一撃を、目の前の子供はこうもあっさりと受け止めたのだから。
サエキから殺気が消えたのを感じて、喧嘩する気も無いアドニスは手を離した。
「鍛錬不足だな」
「――……」
「手。3日たっても治らなければ、医者にでも見てもらえ。その分の金ぐらいなら払ってやる」
愕然と立ちすくむサエキに対して、アドニスは冷たく言い放つ。
手に関しては2日安静していれば完治するだろう。この世界はそう出来ている。
サエキの事だ。せこく金を要求してくるかもしれないが、診断書を見せろ、何処の医者だと問い詰めればボロが出る。
もう用は済んだ。そう言わんばかりにアドニスは再度サエキに背を向けた。
「――化け物。人間に化けるのは止めたらどうだ?」
そんなアドニスに、サエキの嫌味が投げかけられる。
アドニスは再び立ち止まり、今度はギロリとサエキを睨む。
いや。黒い眼は何かを考えるように一瞬逸らし、口元を吊り上げ言った。
「――化け物で結構。
「――!!!」
再びサエキの目に殺気が灯る。
もう一度、彼は刀を握った。――今度は先程よりも比べ物にならない程の本気で、間違いなくアドニスを殺すつもりだ。
身体の端々から殺気が溢れ出ている。
今度は細切れにでもするつもりか。アドニスは鼻で息を付く。
――無駄な事を。
怒りで顔を染めたサエキの前でアドニスは何処までも平然と無表情だ。
「いい加減にしなさい!」
突如、そんな二人を止める声が響く。
サエキの手を横から伸びて来た細い手が掴み上げた。
気が付かなかったのだろう。急に邪魔をされたサエキが我に返ったように息を呑む。そのまま隣にいる人物に殺気を込めて睨み下ろす。
其処に居たのは一人の少女だ。
歳はアドニスと同じ15歳。ブロンドの長い髪を両端で縛り、輝く青い瞳。
歳の割には大きな胸が嫌でも目に付く、小柄な少女。
「リリス、離せ!!」
「ダメよ!離したら切り掛かるでしょう!殺し合いは禁止なのよ!!何を考えているの!」
凄まじいサエキの殺気をものともせず、彼女はぴしゃりと言い返す。
その剛腕でサエキの腕を掴んで、物怖じもせず。
彼女はリリス。
一応アドニスからすれば幼馴染の関係であり。
そして、アドニスとサエキと同じく殺し屋だ。
何にせよ、リリスがサエキを止めたことによって状況は変わった。
アドニスは興味が失ったように歩みを再開する。勿論、2人に背を向けて。
「おい待て!!」
サエキが叫ぶ。しかし、彼はもう攻撃もしてこないだろう。
リリスの邪魔があっては、アドニスを殺す事処か、まともな喧嘩も出来ないはずだ。だからもう相手にする気事も無い。
「あ、まってアドニス!」
そんなアドニスに、リリスはサエキを押さえつけながら声を掛けてきた。
だが、彼はもう立ち止まる事も振り返る事もしない。
無駄な時間だ。もう道草は食いたくない。
「あ、あの、話があるの!ご飯でも一緒に」
「俺は無い。帰る」
「いや、あの、わざわざ街に帰らなくたって、此処に住めば――!」
「俺は忙しい。やる事が沢山あるんでね」
必死に引き留めようとするリリスの声を背に受けながら、アドニスは早々と歩いていく。ただ最後に一度だけ、立ち止まってリリスを見る。
「その馬鹿を止めてくれたことは感謝する」
その一言だけを送って、次の瞬間にアドニスの姿は今までが嘘であったように姿を消すのだ。
◇
完全にアドニスはこの場から去った。
その場に残ったのは、サエキとリリスだけ。
アドニスが居なくなったのだ、リリスは漸くサエキから手を離す。
「ざけんなよ、リリス!!邪魔をしやがって!このガキが!!」
「そのガキに大人気なく喧嘩を吹っかけて、返り討ちにされていたのは誰!いい加減にしなさい!」
「ぐ……」
至極もっともな叱咤。サエキは口籠る。
アドニスが居なくなって、頭も僅かに冷めたようだ。
リリスが大きく溜息を付く。
「もう、この事は上官に連絡行っているからね。今のうちに、早く医務室に行きなさい」
そう叱ってリリスは、もう一度アドニスがつい先までいた場所を見つめた。
その様子に、サエキは眉を顰めるしかない。
今まで怒りで忘れていた手の痛みに顔を顰めながら、からかう様に、呆れたように彼女に言う。
「お前は残念だったな、フラれて。あんな仏頂面のどこがいいか分かんねぇが、早く告ったらどうだ?」
リリスの顔が真っ赤になったのは言うまでもない。
そのまま彼女は煩いと言わんばかりに、思い切りサエキの背を叩いた。
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