4話『ゲーム』
「おや、アドニスの坊や帰って来たね!腹がすいているだろ?コレ、持って行きな!」
「……………」
人が溢れる町の中、その中でも薄暗くて怪しい露店が並ぶ裏町の通り。
アドニスがこの通りを歩いていると、一人の露店の女主人がひとつの紙袋を投げて来た。
投げられた紙袋を簡単に受け止め、じろりと黒い視線を一つ。
「あはは!また子供らしく無い目をして!そんなんじゃ大きくなれないよ!」
そんな視線を向けられても、女主人はカラッとした明るい笑い声を零すが。
アドニスは彼女から目を逸らした。
要らないと言っているのに彼女は何時も料理を押し付けてくる。煩い女だ。そんな悪態は口に出さないが。
女主人に背を向け、先を進む。
狭い路地に入り込み、最初に映ったホームレスの前に紙袋を落とした。
お礼を言われたが、気にすることなく路地を進む。
彼の家はこの先にある。
それは、酷くこじんまりしたボロボロのアパート。
プレハブ小屋の様な外装に、2つしかない部屋。
屋根は錆切り、柱は触れたら粉を産む。階段は今にも崩れ落ちてしまいそうで、ボロボロのトイレは共同。
部屋のドアは錆び錆び付き開けば大きな音が響く。
誰も知らないような、誰も住んで居ないような、そんな場所にアドニスは住んで居る。
隣は勿論空き部屋で、他に住人なんていない。
ボロボロで廃屋が過ぎて、人が住めるとは誰も思えない場所であるからこそ、彼は此処に住んで居た。
扉を開ければ、中は意外と綺麗なものだ。
3mほどの廊下には、錆びだらけのキッチンと小さな冷蔵庫が存在し。
茶色の水が噴き出るシャワールームがポツンと備え付けられている。
廊下の先には六畳ほどの部屋にはカーペットと小さいベッド。壁に埋め込まれたクローゼットが1つ。
こじんまりとした、一人で住むのであれば十二分な場所である。
アドニスは部屋の中に入ると、ゆらゆらとベッドに進み倒れ込む。
柔らかくない。しかし、彼からすれば心地よい場所。
部屋のあちこちから隙間風が入るし、天井にはヤモリが見える。
外からは喧嘩の声がするが、あの『組織』の建物と比べればどうってことない。
リリスは『本部』に住めばいいと言っていたが、願い下げである。一人でいられるこちらの方が断然楽だ。
――むぶぅ………にー。
どこか不機嫌そうな、不細工な声が布団の下から聞こえたのはその時。
もぞもぞと布団をかき分けながら、出て来たのは一匹の灰色の毛並みの子猫。
アドニスの同居人と言うべきか、雨の日に勝手に入って来てそのまま居ついた厄介者。
そんな小さな同居人の不機嫌そうなパンチを食らい、アドニスは小さく息を付く。
落ち着く部屋だが、こいつのせいで最近は余り落ち着かない。渋々と身体を起こしベッドに腰かけた。
「仕方が無い仕事にとりかかろう」
そう判断して、ポケットから取り出すのは携帯端末。
通話に使っているモノじゃない。これは、「皇帝」から直々に賜ったものだ。
アドニスは端末の小さなボタンに指で触れる。
『――認証中。認証しました。コードネーム“アドニス”』
端末から機械口調の女の声が響いた。
小さな音を立てて、画像が表示されたのは直ぐの事。
画面に出されるのは10つのファイル。
其々、一の王、二の王、三の王……と、表記されている。
その中で「七の王」だけがボソボソと色があせ、表示が異常を示す。なんて事ない。
これらは、アドニスが今後殺していく事が決定されている『標的』だ。
そして、消えた「七の王」は任務の完了を示している。
この「七の王」の名はバーバル・ジーバ。
言わずもがな、先日の宗教団体の教祖様。
そう、ただそれだけの事だ。
アドニスは、画面に映ったファイルを見つめながら小さく眉を顰めた。
『好きに動けと命じたのは余だ。貴様はイレギュラーではあるが、この
皇帝に送られた言葉が頭でループをする。
アドニスの極秘任務内容を知っているのは、本人と依頼者。
そしてアドニスの上司である
次に思い浮かぶのは先日の任務、バーバル含む団体を皆殺しにしろと言う依頼。
マリオは御偉いからの任務だと言い放って、任務を回してきたが、普通に考えて嘘である事は気が付いていた。
『任務』が本格的に始まる前に『標的』を何人か殺しておこう。
それを考え、それを命じたのは
……なんて。浅はかな願望で暗殺を遂行させたのだろう。
愚行だと思いながら、正直この『任務』が面倒だと考えていたアドニスは依頼を引き受けた。
勝手な事をして、と。自分の『役割』がサエキにでも押し付けられたら良いな。
なんて馬鹿げた軽い考えで受けたのだ。
皇帝が
たが、その思惑は見事に外れてしまった。
いや『ゲーム』に参加した教祖が気になって、一ヶ月も潜伏すると自己判断したのだから。
アドニスも本心的には『任務』に興味が有ったのかもしれない。
なんにせよ、皇帝はアドニスの行動を咎めるばかりか、今後の行動を期待する様子を見せていた。
あの様子だと何があってもアドニスを『任務』から下ろすことは無いだろう。
皇帝はアドニスを『ゲーム』の駒に選んだのだ。一度決めたら変える気は無い。
結果。アドニスが死んでも、あの皇帝は其れも面白いと心から笑う筈だ。今日、ソレが実感出来た。
アドニスは口元を吊り上げる。
この『ゲーム』から降りられないのなら、仕方が無い。
彼の望み通り、コレからは自分の意思で動いてみよう。心に決めて。
――そう、これは『ゲーム』だ。
皇帝が考えた、楽しいゲーム。
この暴君が支配する『世界』では、皇帝に逆らう反逆者は多い。
どれだけ鎮圧しても
殺しても、殺しても、後から湧いて出てくる。
そんな日々の中、皇帝は世界中に声明を出した。
そんなに余が王であることが不服であるなら、玉座などくれてやっても良い。
我こそが『王』と野心を抱えるモノ達よ、名乗りを上げよ。
そして、来るべき日に最後の一人になるまで殺し合え。
生き残った一人に玉座をくれてやろう。
――あまりにくだらない挑戦状。きっと皇帝は酔った勢いの冗談であった筈だ。
しかし、それでもだ。
そんなくだらない挑戦状に、受けて立つと立ち上がった人間が10人いた。
本当に玉座を貰えるかも分からないと言うのに、死ぬ事が決定されているような物なのに。
臆さず、ひるまず、堂々と、手を上げた者たちがいたのだ。
その事実を知った時、皇帝は笑った。
嘘は言わない。良いだろう。楽しませろ。どんな手段も許そう。
無謀な勇気ある者達を賛美し、彼らを仮初の『王』と称号を与えた。
来るべき日に殺し合う『10の王』
それが、この『ゲーム』の全容である。
ただ、彼らには内緒でこっそりと『イレギュラー』を組み込んで。
その『イレギュラー』こそが、アドニスという存在だ。
『ゲーム』が決まってから数日、皇帝直々にアドニスから依頼が下った。
『10の王を殺せ』――と。
もっと詳しく言えば『ゲーム』に潜り込み、殺し合いを続ける『王』を暗殺しろ。
最後の一人。決着が付くその前に反逆者を皆殺せ。
それが、アドニスと言う暗殺者に下された『
つまりだ。アドニスはこの『ゲーム』に仕込まれた隠しキャラ。
『世界側』が送り込んだ、11番目の戦力という事。
皇帝は寛大に反逆者を許したが、優勝させる気も玉座を捨てる気も端から無いのである。
命を受けてから、アドニスは今まで渋々と『ゲーム』開始まで待っていたのだが。
今日、状況は大きく変わった。
待っている間はあんなに退屈であったのに、状況が変わった今は楽しみで仕方が無い。
先ほどの言葉を訂正しよう。
どうやら、自分は思っている以上にこの『ゲーム』に興味が有るらしい。
皇帝からのお許しが出た今、気長に待ってやる必要はない。
むしろ『ゲーム』が始まると、大人数を相手取らなくてはいけない。それは面倒だ。
だから、そう。
『ゲーム盤』での標的は少ない方が良い。
いいや。アドニスは笑う。
「こっちの方が、面白い――」
そう口元を吊り上げて、画面に映る一人の男を目に映す。
写真の男、銀髪に父親譲りの緑の瞳。
『一の王』
王の名は「ゲーバルド・ジョセフ・ゴーダン」
彼の写真を見てアドニスは苦笑を一つ。
手を上げずとも、黙っていれば45世として名乗りを上げられたものを――と。
ん。ああ、いや、無理だったな。なんて、心底呆れ果てながら。
それでも、コレからは楽しそうだ、と。
意志を
◇
標的は定めた。
だったら次は、この皇子をどうやって殺すか――だが。
――『じゃあね』
「!――っ」
アドニスは頭を振る。
まただ、また、邪念が入った。
唐突に、何も考えていないのに頭に浮かぶのは彼女の姿。
先日自分を襲って、当たり前に一瞬にして姿を消したあの女の事。
何故かは分からない。
しかし、彼女を見たあの日から彼女の姿が勝手に頭に浮かぶのだ。
振り払っても、振り払っても、数時間に一度は彼女の姿が現れる。
あの美し過ぎると感じた女の姿が、あの声がどうしても忘れられない――。
それでも、名も知らない彼女の面影を振り払って、アドニスは任務に向き合う。
あの女の事を考えるなど意味も無い。
そもそも、あの馬鹿力の化け物。露出狂の怪物。
そんな相手を思い出すなんて、何よりくだらない――そう、心から罵倒して。
「――ふん、酷いな。確かに私は君に手荒い真似をしたが、そこまで言われるほどじゃないぞ?」
その声が部屋に響いたのは、正にその瞬間だ。
――。後ろ、耳元から声がする。
アドニスの思考は一気に停止した。
背に感じる重み。熱いと思えるほどの温もり。妙な柔らかさ、それら全てが身体に伝わってくる。
ありえない、そんなこと。だって、気配も何も感じなかった。
アドニスは懐から黒曜の様なナイフを握りしめると、振り向いて名一杯に振り上げた。
ナイフが宙を切り。背中から温もりと重みが消える。
気のせい?
幻惑を見たと言うのか。いや、違う。
後ろから確かな気配を感じる。
アドニスの頬を冷や汗が流れた。
有り得ない。でも、その存在は確かに後ろにいる。
――くつ、くつ、くつ。笑う声が聞こえた。
「気のせいでも、幻惑でもないさ。――少年」
この声、忘れる訳がない。
心臓が激しく脈打つ。緊張?この自分が?
ひたすらに頭が真っ白になるのが分かった。
それでもだ、アドニスはゆっくりと振り返る。
ナイフを強く握って、今すぐにでも切り掛かれるように。
ゆっくりと振り返った先、
時間が無くなったかと思えるほどに長い。
しかし、短い時間の中で。
アドニスは、その女の姿を目に映した。
先日と全く変わらず、美しいままに佇む。
その化け物の姿を――。
「やあ、少年。先日ぶりだね」
目が合えば、女は。
美しい顔に『ニタリ』と不似合い過ぎる笑みを浮かべて、小さく首を傾げた。
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