2話『皇帝』
世界の仕組みを紹介しようか。
といっても別に特段と、この
太陽があって、月があって、他にもたくさんの惑星がある中で、太陽の周りをくるくる回り続ける。地球に良く似た星。形も姿も良く似ている。青い星。
それが「ゲーバルド」この星だ。
ただ地球に似ているからと言って、地球と同じという訳では決してない。
この星には『国』……そう呼ばれる場所は一つしか無いのである。
その大国が『世界』
ただ一人の皇帝が、何世代にも渡り降臨し惑星の統治を続ける。
先代皇帝であった祖父をなぶり殺しにし、兄弟十人を死刑に処した現王は言う。
「『世界』以外の国など要らん。人など家畜に過ぎない。余に身を捧げろ。死ぬべき時に死ね。余は、この世界の唯一の王である」
あまりに傲慢で、暴君としか言えない言葉を高らかに宣言した。
苦しみから人々が立ち上がって独立でもしようものなら、根こそぎ踏み潰す。
皇帝を殺そうと企むものなら、何が何でも見つけ出し死より恐ろしい罰を与える。
少しでも、冗談でも皇帝の侮辱を口にするだけで人は反逆者となった。
民が飢えようが知らない。民が傷つこうが知らない。民が苦しもうが笑うだけ。
逆らうものは一人とて許さない。
だからこの世界に国は『世界』と呼ばれる場所しか存在せず。
『世界』の王は神に等しい。
故に、この世の《神》は皇帝ゲーバルド44世その人だ。
――そして、その皇帝の直属に就き彼の憂いを根こそぎ取り払う暗殺組織。
スパイでも暗殺でも街を一つ滅ぼす事だって厭わない。
その『組織』こそが、アドニスの居場所であった。
◇
「――お呼びでしょうか、皇帝陛下」
暗い豪奢な部屋の中。大きく豪華な扉の前でアドニスは片膝を付き、頭を下げる。
彼の前、3mばかし離れた部屋の中央には小さな機械が1つ。
その左右には機械を挟んで、見目麗しい青年と少女が其々一人ずつ佇んでいた。
頭を垂れるアドニスの姿を見て、少女の方が手にしていたボタンを押す。
音を立てて小さな機械は青い光を出す。光は集まり形となって。所謂電子モニターが造られ形を作った。
モニターの向こう。映るのは一人の男。
年のころは50代半ば、白髪交じりの金髪に蓄えた顎髭。
骨ばった厳つい顔立ちに、自信に満ち溢れた瞳孔が開いた鋭い緑眼、吊り上がった口元。頭には冠。豪華な服装に豪奢な椅子に深々と腰かけた男が露わとなる。
――ゲーバルド・アルフォンス・ゴーダン。
彼こそが、この『世界』の皇帝ゲーバルド本人だ。
『――……任務ご苦労であった。アドニス』
モニターの向こうで僅かに笑みを湛えた皇帝が労いの言葉を浴びせた。
アドニスは何も言わない。そもそも顔を上げるなんて許可も出ていないのだ。ただ黙って頭を垂れる以外選択肢はない。
ピクリとも動かない彼の様子に、皇帝は酷く満足げに擦れた笑みを漏らす。
『して、どうであった?』
問いかけ。アドニスは漸く口を開いた。
「どこまでも傲慢であり、欲に忠実。欲の為には何を犠牲にしても厭わない。自身の欲望を高らかに上げ、自身がこの世の王に相応しいと、自身が王になった先の事を毎日のように信者たちに熱弁しておりました」
『――ほう』
「しかしそれら全て口だけ。実際は陛下に立ち向かう実力も無ければ、度胸も無い。私が手を下さなくても最初の犠牲者となっていたでしょう。いいえ、一ヶ月観察していましたが、参加権を与えるのも惜しい」
それは先日の、宗教団体壊滅の報告。その教祖であったバーバルとか言う男の報告だ。
アドニスの報告を受け、皇帝は退屈そうに息を付く。
『なんだ、やはりつまらん男であったな。ふん、下らぬ欲望で身を滅ぼしたか』
つまらない。つまらないと、心の底から連呼する皇帝。彼を前にアドニスは今回の一件を思い出す。
バーバルを含めた教団全員を殺せ。
――これが此度のアドニスに下った依頼であった。
彼が所属する『組織』は、皇帝直属の暗殺組織だ。だが、全ての依頼が皇帝からと言う事ではない。
ゲーバルドの一族である皇族から、王の一族とは違う貴族から依頼が入る事も多々ある。
そして今回の依頼は後者だ。皇帝からの依頼では無く、とある皇族からの依頼。
この場合は本来
だから、王はアドニスの謁見の場に呼び出し話を聞いている。
『最後は呆気なく首を撥ねられた、か。ふ、ふふふ、手際のよいお前の事だ。その男、殺されたとも気付いていないであろうなぁ。今でもあの燃え尽きた屋敷にいるであろうよ』
冗談交じりに皇帝は酷く小馬鹿にしたように笑った。
皇帝が笑えばモニターの側にいた青年と少女もケラケラと笑う。彼らは皇帝の愛人で、メッセンジャー。皇帝が笑えば笑うし、怒れば怒る。綺麗な人形。
その様子を前に、アドニスだけが無言のまま。
『お前の言う通りだ。あの男には参加権すら惜しい、身の程知らずである。どうせ最後まで隠れて震え、漁夫の利でも狙っていたであろうよ』
暫く笑った後に皇帝が言った。
しかしと、彼は心底満足そうに。
『だが、それで良い。それもまた良い。弱い人間が身を隠し震え、それでも足掻く姿は実に愉快であるからな。ふ、ふはははははは!!』
滑稽なバーバルの姿を頭に浮かび上がらせ、モニターの向こうで今度は豪快に笑うのだ。
「――軽率でしたか。あの男を殺したのは」
『――ん?』
「私は其処までの考え迄は至りませんでした。ただ、任務が来たので遂行しただけです。正直、今回の依頼、断ろうかとも思った程です」
『ふん、であろうな。お前なら、ソレを選ぶだろう』
皇帝は玉座のアームに肘を付き鼻で笑う。
アドニスは変わらぬ口調で、僅かに恐縮が混ざる声で、言葉を続ける。
「観察した結果、あの男は必要が無いと判断し、任務を遂行したのですが……。陛下の娯楽を奪ってしまったのでしたら。どうぞ、何なりと処罰を――……」
『ふ、いいや。違う、違う』
王はアドニスの言葉を遮った。
その口元の笑みを湛え、首を横に振る。
『貴様の選択正しい。依頼の件もちゃんと聞き及んでおる。先ほどの言葉は余の勝手な妄想だ。実際は漁夫の利なぞ出来もしない臆病者であろう。その前に他の参加者に殺されたであろうさ。――グーファルトあたりによって、な』
堂々と言い放ち、それに、と皇帝はアドニスを見据えた。
『好きに動けと命じたのは余だ。貴様はイレギュラーではあるが、この『
「…………」
何も言わなかったからであろうか、皇帝が肩眉を上げた。
『――いや、それとも、貴様により明確な
アドニスが僅かに肩を震わせる。だが、隠す気も無い。口を開く。
「申し訳ありません。任務が無ければ私は動く気もありませんでした」
その答えに、皇帝は鼻を鳴らした。
『ふん、よい!あの男。つまらぬことを……。自分の手柄にでもするつもりであったのか?』
どこか腹立たしそうに呟いて、しかしと言わんばかりに緑の眼がモニター越しにアドニスを捉える。
『――しかしだ、一ヶ月もの間、潜伏していたのは貴様の判断で在ろう?』
「はい。今回ばかりは標的がどのような人物か、見ておく必要があると判断致しました。……出来る限り大目に見る。好き勝手にやれとの命でしたので、命令通り動かせて頂きました」
この答えに、皇帝は満足そうに笑う。それだけで十分だと言わんばかりだ。
『それであるなら、良い。ふむ、面白い結果になった』
声を高らかに上げ、何かを考えるように顎をしゃくり。
もっと面白い物を心から望むように。再度アドニスを見据える。
『ならば、アドニス。次からは自分で行動をしろ。ゲーム開始まで一ヶ月。好きに動くがよい。余を存分に存分に楽しませよ!』
――それが、皇帝の新たな命。
アドニスは頭を垂れたまま、言葉を発した。ただ、一言。
「承知しました」――と。
これで任務に関しての報告は終わりだ。後は、皇帝が去るのを待つだけ。
たが、皇帝は中々その場を去ろうとはしない。そればかりか、モニター越しから突き刺さる様な視線が送られる。
『――……して、アドニス』
「……はい」
声が掛けられる。まだ、何かあるのだろうか。
頭を垂れたまま、次の指示を待つ。
『――その首は、どうした』
「……」
皇帝から掛けられた言葉は思いがけない問いであった。
アドニスは思わずと喉に手を伸ばす。
白い包帯が巻かれた首元。見苦しいだろうと此処に来る直前に巻いたものだ。
皇帝がこの包帯に気が付いているとは思いもしなかった。いや、気が付いていても、まさか問いかけられるとは。しかし、問いかけられたなら仕方が無い。アドニスは包帯を取る。
隠していた首元が露わになった。
見なくても分かる、皇帝が怪訝そうな表情を浮かべたのは。
何せ、生々しい痣が。黒々とした手の後が、アドニスの首元にはっきりと残っていたのだから。――もう十分だろう、アドニスは首元を隠した。
「……お見苦しいものを」
『よい、誰にやられた?教団の誰かであるか?』
皇帝の問いに、アドニスは僅かに黙って首を横に振り答える。
「――女です」
重々しく、しかし正直に。
モニターの向こうで僅かに息を呑む声が聞こえるのが分かった。
それは一瞬だ。――また、高らかな笑い声が一つ。
『女?女だと?』
興奮したように、轟く皇帝の笑い声。
「――……はい。女です」
『このアドニスに一泡吹かせた相手が女とな?どんな女だ、どんな女だった。何処にいる!』
機嫌良く、子供の様に興味津々と言わんばかりに。
アドニスは何も言えなかった。
何処にいると言われても、彼女はいない。何処に居るのかも分からない。
それでも、もう一つの問いに応えるべく。先日の、あの女の事を思い浮かべる。忘れようとしても忘れられない。美しい、その一言しか言い表せられない彼女の事を。
あの赤い瞳を、宵闇の様に黒い髪を、ルビーの様な唇と、滑らかな白い肌。艶やかな黒い身体。
彼女を思い浮かべ、しかし簡単に説明は出来ない。
簡単に表せる言葉が中々見つからない。上げれるとしたら、この一言だ。
「――……美しい女でした」
皇帝は顎をしゃくる。
『美しい?ふむ、どれほどに美しい女であった?そうだな、今そこにいる2人よりか?』
見るまでも無い。此処に居る2人は其処ら辺の女より遥かに美しいが。
彼女ほどではない、足元にも及ばない。
「――彼女の方が、美しかった。言い表せないほどに」
頭に浮かぶのは彼女ただ一人。
「何かと比べるなんて、出来ません。――何かと比べるなんて、実に……恐れ多い」
思い出すだけで、寒気がするほどに。時間が止まる感覚がするほどに。
血のような赤い瞳と、輝かしい万華鏡の瞳を持つ、あの少女。
あれほどに美しい物は、この世に存在しないであろうと、心から想う。
『――ほう。面白い』
アドニスの言葉を聞いて、皇帝は一言呟く。
少年の眼には笑みと湛える皇帝陛下の顔が映った。意味深気な緑の眼が此方を見ている。
どうやら知らぬうちにアドニスは顔を上げていたようだ。許しも送られてないのに。
「も、申し訳ありません」
そんなモノ不敬の何物でもない。
慌てて頭を垂れる。謝罪と共にアドニスは皇帝に向き直った。
『そこまで美しく。お前を凌駕する女か。ああ、それは見てみたいものであるな』
だが、皇帝はアドニスを咎めることも無く。
何処か物珍しいと言う様に声を漏らすだけであった。
この時、皇帝がどのような表情を見せていたかなんてアドニスには分からない。
ただその声が、何故か酷く満足げに、まるで面白い物を見つけたと言わんばかりの声色であったのは確かだ。
『――では余からの問いは以上だ。アドニス。後は好きに動くがよい』
望んだ答えを得たからであろうか、皇帝は唐突に最後の言葉をアドニスに掛けた。目の前が暗くなったのは数秒後、皇帝が完全に去ったのだ。
モニターが消え、美しい青年達が部屋から出ていくのを待ってから、アドニスは漸く顔を上げる。
口から出るのは大きな吐息。あの暴君でありながら、偉大な王の前だ。自分でも知らず知らずのうちに緊張を感じていたようだ。
――じゃあね
「――っ!」
緊張が途切れた時だ。
アドニスの頭に彼女が浮かんだ。
自分を殺しかけて、一言声を掛けるだけで消えていった彼女。
彼女は、本当に今どこに居るのだろうか――?
小さく頭を横に振った。
何を無駄な事を考えているんだ。下らない。
深呼吸を一つ。鋭い眼をきつく閉じる。
何とか無理矢理現実に戻り、今はそれどころでは無いと心に言い聞かせて。
アドニスは誰も居なくなった部屋を後にする。
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