うだる暑さに、せみも呆れるほどに鳴き喚く、そんな夏のある日のことだった。結花が、いなくなった。行方不明になったのだ。結花が、学校から帰ってこないと連絡があったのが、その日の午後の六時半ごろ。沙奈絵の家にも結花が遊びに行っていないかと、電話がかかってきていた。だけれど、そんな遅い時間まで、結花と遊ぶことはなかったし、それは、早紀も同じだった。親友二人の家にもいないとなると、一体、結花はどこへ行ってしまったのか。

 結局、その日、結花が家に戻ることはなかった。結花の父は、七時には、警察に捜索願を出していた。翌日から、警察の捜査員の人たちがやってきて、結花の捜索が始まった。結花の親友だった何人かは、けっこう長い時間、スーツを着たきれいな女の人に、話を聞かれた。もちろん、沙奈絵も。

 午後から、捜索が始まったけれど、曇り空だった午前の空は、暗雲が立ち込め、そのうち土砂降りの雨になった。そのうち、ほどなくして、沙奈絵は、警察犬が騒々しく吠える声を聞いた。なんだか、嫌な予感がした。周囲が、突然に慌ただしくなった。

 ああ、結花が見つかったんだわ、そう確信した。それなのに、沙奈絵は、全く喜べなかった。嫌な予感は、ますます強くなっていたから。

 そして、その予感は、当たっていた。

 結花は、昨夜遅くに、すでに殺されていたのだ。その頭部が、近くの神社の木の枝に吊るされていて、警察犬が発見したのは、その結花の頭部だった。

 結花が、誰かに殺された。首を切断されて。そんなことが、現実だとは、当時の沙奈絵にはとても理解できなかった。そんなことが、あるはずがない、そんなことが起こるわけがない。沙奈絵は、心の内で、必死に否定しようとした。

 けれど、この事件は、さらなる悲劇を招き寄せ、沙奈絵の心を破壊すれすれまで、追い込んだ。

 

 犯人の捜索は難航した。犯人が捕まらないまま、一週間ほどすると。校内では噂が立ち始めた。それは、じんおじさんの噂だった。じんおじさんは、いつも校舎の周りをうろついていた。じんおじさんは、結花をいつも変な目でみていた。じんおじさんが、結花の手を引っ張って、どこかに引っ張り込むのを見た。噂は、校内から外部へと漏洩していき、やがて、惨劇が起きた。 

 あの日――沙奈絵は、小学生のあの日に戻り、表情のない灰色の顔をした結花の父親をちらちらと、見ていた。その日は、参観日だった。しかし、やってきていたのは結花の父親一人だけ。結花の事件があって、授業参観は中止になっていたのだ。けれども、結花の父は、やってきた。結花の最後の授業を見させてほしいと、担任に頼み込み、担任もその嘆願に折れたのだった。

 結花には、もう母親がいなかったから、大好きな父親一人に大切に、大切に育てられていた。結花の机には花瓶に入れられた白菊が飾られ、そこには、もう結花はいなかったけれど、結花の父親は、授業の間中、ずっと結花の机の辺りを見ていた。まるで、死人のような顔で、悲しみを通り越して感情をなくしてしまったロボットのような顔で。

 沙奈絵だって、同じだった。泣き疲れてもう、涙が枯れ果ててしまったんじゃないかと思うくらい泣いて。ああ、もう結花はいないんだと思うと、その現実が嘘のようで、信じられなかった。そのときだって、まだ。だから、結花の父親の気持ちは、自分のことのように分かった。

 授業が終わってもまだ、結花の父親は、教室の後ろでじっと石像のように佇んでいた。担任の三原先生が心配して、声を掛けても全く反応しなかったので、沙奈絵は、息をしていないんじゃないかと心配になったくらいだった。三原先生が何度も呼びかけて、やっと我に返ったように結花の父は、教室をそそくさと出ていった。その様子にどこか奇妙なところがあって、沙奈絵はますます心配になった。

 何か、嫌なことが起こりそうな気がした。その予感は、すぐに現実のものとなった。

 休み時間――。じんおじさんの噂が広まってから、用務員室には、誰もいかなくなった。それは、沙奈絵も同じで、もちろん、じんおじさんが結花を殺したなんて思っていなかったけれど、心のどこかで疑っていたのも確かだった。心の奥底に芽生えたそんな感情に、罪悪感もあり、その日、沙奈絵は、じんおじさんの様子を見に行ったのだった。ある意味、嫌な予感に導かれて。

 そうして、あの怒声を聞いたのだ。

 おまえが、殺した――。

 ユルサナイ――。

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