「なあ、あいつ何者だと思う?」

 良治が、信二の耳元で囁くように言った。知りたいのは、信二の方だ。さきほど、あの神社の境内で一体、何が起こったのか、信二はいまだに理解できないでいた。超自然的な力が、働いたのは間違いなかった。それは、間違いなく青年の身体から生み出されたもので、信二の目の錯覚でないのだとしたら、青年はいままで漫画の中でしか存在しえないような異能者だった。

 「あいつ、廃校へ向かってるんじゃないのか?」

 信二の沈黙に被せるようにして、良治がさらに言う。

 神社から廃校までは、ほぼ一本道で、彼を尾行しようにも、三人には隠れる場所がなかった。だから、ある意味、開き直って堂々と、青年の後をつけていた。少なくとも、信二には彼が悪い人間には思えなかった。自分たちの存在が知られたところで、いきなり襲われることもないだろうということで三人の意見は一致していた。

 青年は、廃校の西門の入り口で、いったん歩みを止めると睨むように古びて黒ずみ始めた校舎を見上げていた。中に入るのかと、思って見ていたが、青年はすぐにまた、歩き始めた。

 どうやら、目的は廃校ではないようだった。ならば、なぜ廃校を見上げていたのだろう?

 「なあ、どうする、このまま後をつけていくか?」

 良治の言葉に、信二も満も考え込む。自分たちがこのまま、また廃校へ入っていって、一体何ができるというのだろう。また、恐ろしい思いをするだけではないか。信二には、さきほどからある直感が働いていた。

 それは、あの青年が、健一を助けることができるのではないかという直感だった。

 「なあ、みんな、あの人もしかしたら、健一を助けることが出来るんじゃないか? そんな力を持っているような気が、俺はするんだけど」

 信二が言うと、良治が顔を赤らめた。

 「危険な奴だったら、どうするよ?」

 「そう見えるかな? 満はどう思う?」

 「少なくとも人助けをするような人間だから、悪い人間じゃない。俺は、信二の意見に賛成するよ」

 信二は、良治の方を向いた。

 「別に、俺も反対ってわけじゃない。じゃあ、追うんだな?」

 信二が強く頷き、満もそれにならった。良治も強く頷き、再び尾行が始まる。尾行といっても、それはどう見ても、尾行ではなくただ距離を置いて後をつけているだけのことに過ぎなかったが、三人は、異様な緊張感の中にあった。いまにも、青年が振り返るのではないかと、三人とも気が気ではなかった。

 青年は、きっと気付いているに違いないのだ。青年の歩みは、流れるように静かだったが、その雰囲気には鬼気としたものがあった。空気に残るそのオーラの狂気を嗅ぎ取り、信二は恐怖さえ感じた。彼が、善人だという保証はない。

 と、青年がふいに立ち止まった。三人も、慌てて立ち止まった。十メートル近い距離が、急速に縮まったような気がして、信二はごくりと息を呑んだ。時間にすれば、ほんの数秒のことだっただろうが、信二には、はるかに長く感じられた。幾何学模様の入った青年の柄シャツの中央に目玉のような模様が浮き出ている。これほど離れているはずなのに、なぜ、そのマークがはっきり見えるのだろう、と信二が考えていると、隣に二人も同じことを考えているらしく、青年の背中を凝視している。

 いや、そうじゃない。はっきりと見えるのは、離れているからではない。信二が、それを悟ったとき、同じように良治も満も気づいたようだった。良治が尻もちをつき、信二と満も体のバランスを崩し、よろよろと背後に後退った。

 青年の背中は、全く動くことなく、三人の方へ近づいてきたのだ。一歩も足が動くことなく、まるで、それ自体がホログラム映像であるかのように、すーっと後方へ移動してきた。

 と、今度は、もっと不可思議なことが起きた。目の前に迫ってきたはずの青年の背中がうっすらと透明になっていき、やがて見えなくなってしまった。そして、その向こう側から突如として現れるようにして、青年がこちらを向いて立っていた。三人が、同時に、あっという声をあげた。

 「俺の後をつけてきてるようだけど、どういうつもりなんだい? 忠告しておくけど、帰った方がいい。邪魔になるから」

 青年は、それだけを言うと、くるりと背を向け、何事もなかったように再び歩き始めた。信二は、何か言おうとしたが、あまりに予想外の出来事が起きたせいか、一言も言葉を発することができなかった。良治も満も顔面蒼白と言った風で、何が起きたのか分からないといった様子だった。

 「おい、いまの何だったんだ?」

 良治が、言った。そんなこと、信二にも満にも分かるはずがない。ただ、信二に分かったのは、青年は決して悪い人間ではないということだった。それは、青年と間近で向かい合って感じた信二の肌感覚のようなものだったが、信二の大人を見る目は、だいたいが正確であることが多かった。感情移入のような能力が、どうしてか、一段と増したような気がして、いまや、確信にも近い感覚があった。

 あの人は、悪い人じゃない。

 その瞳の奥に痛々しい哀しみさえ、感じ取れたのだから。

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