強化された肉体は、衰えていくのも早かった。肉体はやせ細り、頭髪は見事な白髪へと変わった。表世界の影に隠れ、逃げ回って生き続けるのにも疲れ果てた。己の記憶すら消えてしまう前に、もう一度、あの場所へと行くことに決めた。

 彼は、変化の予兆に慄きながらも、興奮していた。もしかしたら、いままでの自分は、孵化にいたる前の蛹だったのかもしれない。己の心の奥底で、エネルギーを溜めていたディプロが、とうとう目覚めるのだ。彼はすでに、ディプロこそ、真の自分なのだと悟っていた。怯えて逃げ回って生きる自分は偽りの自分。こんな弱々しい存在など消えてなくなってしまえばいい。

 そうして、成熟したディプロが硬い殻を食い破って出てくるのだ。それこそが、飛翔した己の本当の姿であるはずだ。

 いままで、彼は、自問自答の日々を繰り返し生きてきた。突然に自分の内に生まれたディプロとは、一体、何者なのか。延々と繰り返した問いを、また己に問うても、答えは得られない。己がディプロなのか、ディプロが己なのか、まるで、主体と客体がバラバラになって鏡像と鏡像が張り合わさって、切り離されてばらばらになってくるう狂う狂う、狂いそうになる。しかし、どちらでも、良いのだ。己がディプロで、ディプロが己なのだ。蛹と蝶は、時系列の流れの中で、その見かけを大きく飛躍させる。存在そのものを。だが、しかし、蝶は蛹だった。変態によって、新たな存在へと飛翔したのだ。それと、同じことだ。この、自分にも、蝶へと飛躍する時期がやってきたに違いなかった。

 彼は、よたよたと歩きながら、その目だけは爛々と輝かせ、この素晴らしい解答に酔いしれていた。かつて、彼によってもたらされた、血の惨劇の映像が、頭の中に鮮やかに蘇り、彼は興奮で、咽るように咳をした。ごぶっと、泥水が流れるような音がして、彼は、口から血を吐き出していた。

 狂人じみた悲鳴を上げて、彼は、さらに血を吐いた。地面に喀血された血は、もやりと地面に浮き上がり暗赤色の虫じみた生き物となって、空に飛び上がっていく。

 幻影を見ているのか、現実を見ているのか、彼にはもはや分からなく、ただ、もう一度、あの場所へ行きたいという欲望だけが渦を巻く。

 切り離された少女の首。痙攣するような興奮。

 力。無限なる力。なぜ、自分がそれを望むのか、その理由などもはやどうでもよく、力を手に入れさえすれば、この自分は救われるのだと思った。幼少の頃に、心に刻みつけられた痛みは、残虐な世界に対する圧倒的な対抗手段を要求した。己が生き残るために食らい尽くす。悪には悪を。悪に染まったのが、生まれた瞬間だったのか、それとも、心に消え去ることのない苦楚という十字架を負ったときだったのか、彼には知りようがない。

 ただ、ディプロは言う。生まれついての悪。おまえが、それだと。だからこそ、殴られ殴られ、延々なる痛みの中で、殺されそうになったのか。

 彼は、地面に倒れ、さらに血を吐き続けた。汚れた血は一筋の流れとなり、無数の虫の行列を生んだ。空腹、耐え難い空腹。彼は虫を掴み取り、口の中に頬張った。そうやって、生き長らえた命だった。

 立ち上がって、歩き続ける。十二年前に住んでいたあの古ぼけたアパートは、年月を経て、風化した古びた水彩画のように、遠景の風景に溶け込み、ひっそりと建っていた。その二階の角部屋に、彼は何年もの間、住んでいたのだ。彼の心の原風景のようにひっそりと建つそのアパートに向かって、彼はさらに歩き続けた。

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