四
「おい、健一、大丈夫か、けんいちっ!」
良治が健一の名前を叫びながら、閉じられた用務員室の扉をがんがんと殴っていた。その良治の声と、拳が扉を叩く音が、機関銃のように信二の頭に響き渡る。一体、何が起こっているのか?
信二は、物理的な法則を超越して閉じられた、その扉を茫然と眺めていた。健一が、閉めたわけではなかった。良治も、満も、凛々子も、それから信二も、誰も扉には触れていない。それなのに、扉が勝手に閉まったのだ。超自然的な力が、働いたのだとしか思えなかった。
やはり、ここは、来てはいけなかった場所だったのだ。科学では、説明できない現象を目の当たりにして、信二の体は、ガタガタと震え始めた。喉はカラカラで、体の芯は冷たいくせに、全身がじっとりと汗ばんでいる。
サンタクロースなんていない。信二が、それを悟ったのは、まだ小学生にもならない時期だった。サンタクロースなんていない。それは、架空の存在であって、それと同じで、幽霊なんていない。存在するはずがない。それが、科学的事実というものではないか?
でも、だとしたら、信二が見たあの男は一体、何だったのか? そいつの体を通し、信二はその背後に広がる風景を見た。男の身体は、透けていたのだ。そして、信二が恐怖で立ち尽くしている目の前で、そいつは空気に溶け込むように消えてしまったのだ。
そう、まるで立体映像みたいに。
その出来事を、信二は、自分の心の中だけにしまっておくことはできなかった。良治に話してしまったことを後悔しても遅いけれど、良治に話さなかったとしても、いずれは、必ず健一には話していただろう。
なぜなら、信二は、母の小学生時代のアルバムを見て、自分の母と健一の母が同級生だと知ってしまったから。二人は星川第二小学校の同級生だった。健一が気づいているのかどうかは分からなかったが、廃校になったこの小学校で、何かがあったのだ。なにか、きっと、とても恐ろしいことが。信二の母の早紀が、絶対に小学生時代のことを話そうとしないのには、絶対に理由があるに違いない。
信二の持ち前の探求心が、この肝試しの発端を作ってしまった。信二の見たあの幽霊は、謎を知ろうとする自分たちをこの場所へとまんまとおびき出し、いま、健一を襲おうとしているのではないか? もしかして、もう、健一は殺されてしまったのかもしれない。自分たちをおびき出した奴は、いわゆる、怨霊のような恐ろしい存在なのだろうか。
信二は、足をがたがたと震わせ、大粒の涙をぼたぼたと、流しはじめた。恐怖と後悔で、頭が痺れ始める。目の前が暗転して、気を失いそうになる。
「僕のせいだ・・・・・・僕のせいで健一が・・・・・・」
良治と満が、必死になって、固く閉じられた扉を開けようとしていた。凛々子は、顔を覆って、すすり泣いている。細く消え入りそうな笛の音のような、泣き声。
「おい、信二! お前も手伝えよ」
満が、声を上げる。良治の拳の皮膚が擦り剝け、血が滲み出ていた。
「・・・・・・どうしたらいいんだ・・・・・・健一が、健一が死んじゃう・・・・・・」
信二はしゃくりあげながら、声を絞り出した。
「馬鹿なこと言うなよ、信二。あいつが、死ぬわけないだろ」
良治が擦り剝けた右手で、扉を思いっきり殴った。ひと際、大きな音が、廊下に響き渡った。しかし、扉はびくともしない。良治の顔が、どす黒く染まり始めていた。満は、鬼気迫る表情で扉を睨みつけている。そのときだった、顔を覆っていた凛々子が、小さな呻き声を上げて、がくりと、膝を落とした。そして、そのまま前のめりになって、廊下に倒れ伏してしまった。
良治が、恐怖に引きつった顔で、倒れた凛々子を見下ろした。満が、しゃがみ込み凛々子の体を揺すり始めた。
「どうしたんだよ、おい」
満の言葉に、凛々子は反応しなかった。信二は、恐怖で背筋が凍る思いだった。と、だしぬけに、凛々子の体がごろんと回転し仰向けになった。
さ き ちゃん
聞き取れるか聞き取れないかくらいの、小さな声だった。しかし、確かに、凛々子の口から信二の母親の名前が口に出されていた。信二の耳元で囁かれるように、もう一度。
凛々子の視線が、突き刺さるように、信二を捉えている。満が、振り仰ぎ信二を凝視した。
信二は、言葉もなく、ただ茫然と倒れた凛々子の姿を、その異様な表情を、眺めていることしかできなかった。
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