三
窓から差し込む太陽の光の帯の中で、ほこりの粒子がきらきらと、舞っていた。薄くほこりの堆積した廊下を健一たちが歩くたびに、ほこりの層が剥がれ、それらは帯の中へ新たな渦の流れを作る。板張りの廊下は、かすかな軋み音を発しながら、まるでどこまでも続く永遠の回廊のごとく、奥へとすうっと消え入るようだった。
一体、どうしてしまったのだろう、と健一は自分自身のことをいぶかった。あれほど、帰りたかったはずなのに。それなのに、まるで、自らみなを引き入れるかのごとく、彼らを先導しているのだ。
自分が自分でないような、そんな浮遊感を覚えながら、健一は廊下を歩き続けた。
「おい、健一、大丈夫なのかお前?」
背後から、良治の声が聞こえた。大丈夫かだって? 健一は、背後を振り返り、にんまりと笑いながら良治を見た。他の三人が、なにか得体のしれないものを見るように、健一を眺めていた。
「どうしたんだよ、みんな、ほら、早く行こうぜ」
「行こうって、どこへ?」
満がたずねる。どこへ? どこへって決まってるじゃないか。
「あたし、帰りたい。とても、気分が悪くて・・・・・・」
凛々子が、消え入るような声で言った。
「どうしたんだよ、幽霊を見たいんじゃないのか?」
健一は、つかつかと凛々子に歩み寄り、彼女の手を引こうとした。凛々子は、いやいやするように首を振り、後ずさりした。なおも、近づこうとする健一に、凛々子は恐怖に顔を引きつらせて、尻もちをついた。両手で頭をかばうようにうずくまる。
「なぐらないで」
殴る? そんなつもりは・・・・・・。
満が、凛々子と健一の間に割って入った。
「お前、ちょっとおかしいぞ。顔が・・・・・・」
「顔? 顔がどうしたって?」
みんな、一体、どうしてしまったのだろう。健一は、ひどい不安を覚え始めていた。どうして、そんな気味の悪いものでも見るような目つきで、見るのだ。良治、お前が、言ったんだ。肝試しに行こうぜって、お前が言ったんだ。健一は、ぶつぶつと、呟くように言う。
「俺の顔、どっか、おかしい?」
健一は、睨むようにして、満を見た。お前だって、へらへらと、楽しそうにしてたじゃないか。
「いや・・・・・・すまない。俺の目の錯覚かもしれない」
満のこんな表情を見たのは、はじめてだった。こんな不安そうな満を見たのは。いつだって、余裕たっぷりの表情をしているのが、満じゃなかったか。何を、そんなに怖がってる?
何かがおかしかった。これはもしかして、夢なんじゃないかと思い始めた時、信二が小さな悲鳴を上げた。手に持っていた手帳をぼとりと、床に落とし茫然自失の表情で前方を眺めている。その視線を追うと、用務員室と書かれた木製の室名札が扉の上にかかっていた。
いつのまに・・・・・・いつのまに、ここまできたのだろう? 健一は、この場所を目指していたのだ。でも、どうして? 自分でも分からずに、健一は、信二に言った。
「ここに、いるのか? あいつが。信二が見た幽霊がさ」
信二の顔は蒼白だった。何かを言おうとして、口がぱくぱくと動いた。
「え?」
「・・・・・・何かが、動いた。何かが、中にいる」
信二は、扉の向こうを指さしていた。用務員室の扉は、なぜか開け放してあって、中の間取りが見えた。入ってすぐに小さなキッチン設備があり、その奥に六畳ほどの畳の間が、半開きになった襖から見えた。
健一は、つかつかと用務員室の入り口に近づき、中を覗き込むように、頭を扉の内側へと傾けた。ぷーんと黴臭い匂いが、微かに漂ってくる。それとともに、何か化学薬品のような匂いが鼻をつく。その刺激臭を嗅いだとき、健一は、たまらなく嫌な気持ちになった。
「やめろ! 行くんじゃない、健一」
良治が、叫んだ。健一は、ゆっくりと振り返った。右手にぶら下げた玩具の剣が、震えでゆらゆらと揺れていた。健一は、なんだかおかしくなった。良治が、びびっている。
こいつ、びびっている。
「どおしてさ。肝試しをやろうって言ったの、お前じゃないか」
「帰るぞ、健一、もう帰る」
健一は、良治の言葉を無視して、用務員室の中へと足を踏み入れた。黴臭い匂いが、いっそう強くなる。長い年月放置された、淀んだ空気が、健一の侵入によっていっせいに、よみがえるように活気づいた。ふう、と健一は、大きくため息を吐いた。その時だった。がさがさと音がして、何かが、キッチンの隅の暗がりから飛び出してきた。牙を剥き出しにした巨大な鼠が、キイキイと喚きながら、健一のすぐ足元をすり抜けていった。煤にまみれたように、汚い鼠だった。
「なんだ、鼠じゃないか、信二」
振り向いて、健一は言った。四人の蒼白な顔が、健一を見返していた。
そのとき――。
扉が音もなく、すうっと閉まった。誰も扉には触れていなかったのに。誰も。健一以外、誰も部屋の中にはいないはずなのに。部屋の空気が急速に冷え込んだ気がした。体とともに、心までもが冷え込んでいく気がする。冷たい。寒い。寂しい。哀しい。そんなネガティブに満ちた感情が、健一の心を叩いてくるような気がする。
用務員室の扉が閉まるのと、ほぼ同時に、半開きだった襖が開き始めた。ずるずると、巨大な蛇が砂場を這うような音を発しながらゆっくりと。そうして、襖が開くと、畳の部屋の全景が見渡せた。
と、何か黒い影のようなものが、上から、どんと、降ってくるように健一の眼前を覆った。ぐるんと、それ、が回転した。右目が潰れ、顔全体がゼリーのようにただれた男の首吊り死体は、健一が気を失うまで、鴨居に吊るされて回転していた。
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