窓から差し込む太陽の光の帯の中で、ほこりの粒子がきらきらと、舞っていた。薄くほこりの堆積した廊下を健一たちが歩くたびに、ほこりの層が剥がれ、それらは帯の中へ新たな渦の流れを作る。板張りの廊下は、かすかな軋み音を発しながら、まるでどこまでも続く永遠の回廊のごとく、奥へとすうっと消え入るようだった。

 一体、どうしてしまったのだろう、と健一は自分自身のことをいぶかった。あれほど、帰りたかったはずなのに。それなのに、まるで、自らみなを引き入れるかのごとく、彼らを先導しているのだ。

 自分が自分でないような、そんな浮遊感を覚えながら、健一は廊下を歩き続けた。

 「おい、健一、大丈夫なのかお前?」

 背後から、良治の声が聞こえた。大丈夫かだって? 健一は、背後を振り返り、にんまりと笑いながら良治を見た。他の三人が、なにか得体のしれないものを見るように、健一を眺めていた。

 「どうしたんだよ、みんな、ほら、早く行こうぜ」

 「行こうって、どこへ?」

 満がたずねる。どこへ? どこへって決まってるじゃないか。

 「あたし、帰りたい。とても、気分が悪くて・・・・・・」

 凛々子が、消え入るような声で言った。

 「どうしたんだよ、幽霊を見たいんじゃないのか?」

 健一は、つかつかと凛々子に歩み寄り、彼女の手を引こうとした。凛々子は、いやいやするように首を振り、後ずさりした。なおも、近づこうとする健一に、凛々子は恐怖に顔を引きつらせて、尻もちをついた。両手で頭をかばうようにうずくまる。

 「なぐらないで」 

 殴る? そんなつもりは・・・・・・。

 満が、凛々子と健一の間に割って入った。

 「お前、ちょっとおかしいぞ。顔が・・・・・・」

 「顔? 顔がどうしたって?」

 みんな、一体、どうしてしまったのだろう。健一は、ひどい不安を覚え始めていた。どうして、そんな気味の悪いものでも見るような目つきで、見るのだ。良治、お前が、言ったんだ。肝試しに行こうぜって、お前が言ったんだ。健一は、ぶつぶつと、呟くように言う。

 「俺の顔、どっか、おかしい?」

 健一は、睨むようにして、満を見た。お前だって、へらへらと、楽しそうにしてたじゃないか。

 「いや・・・・・・すまない。俺の目の錯覚かもしれない」

 満のこんな表情を見たのは、はじめてだった。こんな不安そうな満を見たのは。いつだって、余裕たっぷりの表情をしているのが、満じゃなかったか。何を、そんなに怖がってる? 

 何かがおかしかった。これはもしかして、夢なんじゃないかと思い始めた時、信二が小さな悲鳴を上げた。手に持っていた手帳をぼとりと、床に落とし茫然自失の表情で前方を眺めている。その視線を追うと、用務員室と書かれた木製の室名札が扉の上にかかっていた。

 いつのまに・・・・・・いつのまに、ここまできたのだろう? 健一は、この場所を目指していたのだ。でも、どうして? 自分でも分からずに、健一は、信二に言った。

 「ここに、いるのか? あいつが。信二が見た幽霊がさ」

 信二の顔は蒼白だった。何かを言おうとして、口がぱくぱくと動いた。

 「え?」

 「・・・・・・何かが、動いた。何かが、中にいる」

 信二は、扉の向こうを指さしていた。用務員室の扉は、なぜか開け放してあって、中の間取りが見えた。入ってすぐに小さなキッチン設備があり、その奥に六畳ほどの畳の間が、半開きになった襖から見えた。

 健一は、つかつかと用務員室の入り口に近づき、中を覗き込むように、頭を扉の内側へと傾けた。ぷーんと黴臭い匂いが、微かに漂ってくる。それとともに、何か化学薬品のような匂いが鼻をつく。その刺激臭を嗅いだとき、健一は、たまらなく嫌な気持ちになった。

 「やめろ! 行くんじゃない、健一」

 良治が、叫んだ。健一は、ゆっくりと振り返った。右手にぶら下げた玩具の剣が、震えでゆらゆらと揺れていた。健一は、なんだかおかしくなった。良治が、びびっている。

 こいつ、びびっている。

 「どおしてさ。肝試しをやろうって言ったの、お前じゃないか」

 「帰るぞ、健一、もう帰る」

 健一は、良治の言葉を無視して、用務員室の中へと足を踏み入れた。黴臭い匂いが、いっそう強くなる。長い年月放置された、淀んだ空気が、健一の侵入によっていっせいに、よみがえるように活気づいた。ふう、と健一は、大きくため息を吐いた。その時だった。がさがさと音がして、何かが、キッチンの隅の暗がりから飛び出してきた。牙を剥き出しにした巨大な鼠が、キイキイと喚きながら、健一のすぐ足元をすり抜けていった。煤にまみれたように、汚い鼠だった。

 「なんだ、鼠じゃないか、信二」

 振り向いて、健一は言った。四人の蒼白な顔が、健一を見返していた。

 そのとき――。

 扉が音もなく、すうっと閉まった。誰も扉には触れていなかったのに。誰も。健一以外、誰も部屋の中にはいないはずなのに。部屋の空気が急速に冷え込んだ気がした。体とともに、心までもが冷え込んでいく気がする。冷たい。寒い。寂しい。哀しい。そんなネガティブに満ちた感情が、健一の心を叩いてくるような気がする。

 用務員室の扉が閉まるのと、ほぼ同時に、半開きだった襖が開き始めた。ずるずると、巨大な蛇が砂場を這うような音を発しながらゆっくりと。そうして、襖が開くと、畳の部屋の全景が見渡せた。

 と、何か黒い影のようなものが、上から、どんと、降ってくるように健一の眼前を覆った。ぐるんと、それ、が回転した。右目が潰れ、顔全体がゼリーのようにただれた男の首吊り死体は、健一が気を失うまで、鴨居に吊るされて回転していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る