夕食のとき、健一が何か言いたそうな顔をしていたので、沙奈絵はさり気なく学校での話題を振ってみた。友達のことや、勉強のこと、来年は中学受験もあるわけだし、今後の将来のこともいずれ、しっかりと話さなければいけないな、と考えていた。

 中学生になれば、思春期真っただ中で、いままでなかった反抗期というものも、現れてくるかもしれない。夫の和夫は、持病が悪化して、健一が小学生に入って間もない頃、他界していた。健一にとって、父親と接するという機会があまり持てなかったことを考えると、自分が責任をもって、息子と向かい合う必要がある。

 沙奈絵が心配に思っているのは、健一の友人の上原良治のことだった。健一のことを子分かなにかと勘違いしてるのか、まるで、使いっ走りのようなことをさせている光景も、よく目にした。いじめられている、というわけではないだろうが、見ていて、気分のいいものではない。

 沙奈絵の本音としては、中学になったら、彼との友人関係も断って、将来、役に立つような人間関係を築いていって欲しいという思いがある。

 沙奈絵自身も、中学生に入る頃は、多感な時期で、いろいろと思い悩んだりしたものだ。とはいっても、その悩みの中身は、ほとんど忘れてしまっているのだけれど。何か、大きな悩みがあったような気がするが、ぽっかりと大きな穴が開いたように思い出すことができない。無理やり、思い出そうとすると、頭が痛くなり、妙なことに体が震えてくる。

 もしかして、いじめのような体験が、あったのだろうかと、勘ぐってしまう。だから、健一が、そんな言葉をかけてきたとき、沙奈絵は、はっとしたのだった。


 「ねえ、母さんの小学生時代って、どんなだった?」

 唐揚げを頬張りながら、何気なくという風だった。柚子胡椒のよく効いた唐揚げに箸を伸ばしながら、沙奈絵は平静を装った。

 「何? どうして、そんなこと急に聞くのよ?」

 平静を装っていたものの、どこかきつい口調になっているのが、自分でも分かった。

 「何となくさ、どんなかなあ、と思って」

 沙奈絵は、唐揚げを一口齧ると、箸を置いた。柚子胡椒香る、ジューシーな唐揚げに仕上げたはずなのに、妙に薄味でぱさぱさ感があった。口の中が、からからに乾いたような感じがして、無理矢理に唾液とともに、肉の塊を飲み込んだ。

 「普通だったんじゃない。もう、あまり覚えていないわ」

 実際、沙奈絵は、大人になってからというか、思春期を過ぎたあたりからなのか、小学生時代を思い返すということがほとんどなかった気がする。もちろん、小学生時代の友達はいたし、いまでも連絡をたまに取る子もいるが、数人程度で、実際に顔と名前が一致している生徒は驚くほど少なかった。

 思い出さないようにしていた? 改めて考えると不思議な気がする。

 「母さんの小学校、廃校になっちゃったんでしょ?」

 健一の言葉を受けて、沙奈絵は、はっとした。どこか探るような視線が、沙奈絵に向けられている。そうだ、確か、沙奈絵が中学に入ってから間もない頃に、沙奈絵の通っていた小学校は廃校になったのだ。いまのいままで、その事実さえ忘れていた。

 それを思い出した途端、胸や胃の辺りが妙にむかむかしだした。さきほど食べた鶏肉を吐き出したい衝動に駆られる。同時に、例の頭痛まで襲ってきた。

 さなえちゃんさなえちゃんさなえちゃん

 さなえ・・・・・・ちゃん

 どうして

 頭の中で、微かに響く声がした。深い水の底から語りけてくるようなぼやけた声に、沙奈絵は、ある種の恐怖を感じた。うっと、小さく呻いて、沙奈絵は席を立った。吐き気がした。急いで、トイレに駆け込むと、そのままくず折れるように便座の前へ倒れ込み、げえげえと、胃の中のものを吐き出していた。

 「母さん、急にどうしたのさ」

 誰かが、頭の中で沙奈絵の名を呼んでいるような気がした。沙奈絵は、いやいやをするように、便座の上で頭を振った。

 「母さん!」

 便座から顔を上げ、振り返ると、健一が蒼白な顔をして沙奈絵を見下ろしていた。

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