廃校奇譚~堂島ゆうの霊能ファイル
黒木 夜羽
一章
一
「なあ、知ってるか?」
上原良治が、そういう顔をして、肩に手をかけてくるとき、ろくな話ではないことを、三上健一は嫌というほど、思い知らされていた。にやついて、唇が捲れあがっている。瞳には、いたずらっ子特有の光が宿っている。何かを、企んでいるときの顔だ。
下校時間の教室は、小学生特有の騒がしさで、まるで蝉が大合唱しているみたいだった。そんな騒音の中で、良治の低く抑えた囁きは、ことさらに不気味だった。
「なんだよ、どうせ、またろくな話じゃないんだろ?」
健一が言うと、良治がにやっと笑った。
「まあ、そう言うなって。聞けよ」
そう言って、良治は、後ろの二人を手招きした。倉橋信二と、加賀満は、お互いに顔を見合わせてから、良治の近くまでやってくる。いつもの、面子は、騒がしい教室の中で、円陣を組むようにまとまった。
倉橋信二が、眼鏡のつるを、ちょんちょんといじくった。つるをいじくるのは、信二の癖で、たいていは、緊張しているときの現れだ。
「信二が見たんだってさ、なあ、そうだろ信二」
良治の問いかけに、苦笑いするように頷いた信二の顔が、少し引きつっていた。
「何を、見たって?」
健一が、問うと、良治の顔がぬっと目の前に迫ってきた。それから、一泊の間を置いて、
「幽霊をさ」
健一の耳元で囁く、良治の声が、いかにもうれしそうだった。
「本当だったんだな、あの周辺に、顔がぐちゃぐちゃになった男の幽霊が出るって噂」
小学生にしては、大柄な良治が体を揺すってカッカっと笑った。そういえば、そんな噂が、あったようななかったような。良治の、厚い唇が、ぷるぷると震えるように動いた。幽霊が出ることの、一体何がおかしいのか、健一には全く分からなかったが、この先の話の展開はだいたい予想がついた。
「行ってみようぜ。肝試しってやつ」
四人は、市立沼北小学校の同級生だった。良治と健一は、小学生に入る前からの幼馴染で、信二と満は小学生に入ってから友達になった。
良治と健一の関係は、もともと親分と子分のような関係でそれは、いまも変わっていない。それは、四人で遊ぶことが多くなった後でも同じで、ほぼ必然的に良治がリーダー格になっていた。
もともと、内気な少年だった健一がいじめというものを一切受けずに六年まで上がれたのも、ほとんど良治のおかげといっても言い過ぎではなかった。健一にとって、良治はいわば、ボディ―ガードのような存在でもあったのだ。それゆえに、彼の命令には逆らえないという事情もあった。父親を、早くに亡くした健一にとって、良治は、同級生でありながら、どこか父親的な存在でもあった。あるいは、ちょっと嫌なところもあるが、頼りになる兄貴。細身の健一と、がっしりした体格の良治が並ぶと、本当に、年の離れた兄弟のようだった。
倉橋信二は、優等生的な性格で、何事においても几帳面なところがあった。勉強はかなりできるほうで、夏休みの宿題などは、彼のお世話になることもしばしばだった。真面目で、ちょっと融通のきかないところもあるが、いかにも秀才といういう感じで、きっと将来は、会社の偉い人になるか、もしかしたら、科学者かなんかになっているかもしれない。だから、信二と友達であることが、健一にとっては、けっこうな自慢だった。
一方の加賀満は信二とは真逆の、スポーツマンタイプの、明るい性格で、健一のグループ以外にも、友達関係が多彩だった。信二が秀才タイプだとすると、満は天才肌の少年で、たいして勉強もしていないのに、テストではいつもいい点数を取るのだった。何事も呑み込みが早く、それゆえに、飽きやすい性格だった。良治と同じで、正義感が強く、なぜか、健一の世話を焼くことが目下の楽しみだと言って憚らない。たまにおちょくったりする。いい奴だけど、ちょっと変な奴。
四人はいわば、陰陽バランスの取れた、心地よい関係を築いていた。ただし、その底辺は健一だったのだが。実際のところ、能力において、健一が、この三人より抜きん出て勝るものなどなかった。こんな平凡な自分と友達でいてくれる三人に、だから、健一はいつも、感謝の念を抱いているのだった。
この四人のうち、幽霊の存在を信じているのは誰だろうか、と健一は考えてみてた。良治は、幽霊の存在など露とも信じていないのは明らかだった。肝試しと言ったって、楽しそうなことがあれば、彼にとっては、何だっていいのだ。
信二は、幽霊の存在について、突き詰めて考えたりしていそうである。小学生のくせに、デカルトとかいう、哲学者の本を読んだりしているくらいだから、霊的な存在についての、彼なりの考えを持っているかもしれない。
満は、そんなものいるわけねーよ、と言って終わりそうである。ただし、好奇心旺盛な彼のことだから、そんなものがいたら、ぜひとも見てみたいね、と言いそうだ。
それから、もう一人、健一には、仲のいい友達がいた。唯一、健一がしゃべることのできる女子の、坂下凛々子。彼女の場合、幽霊がいることが、ほぼ日常になっている。といっても、それは現実の幽霊ではなく、空想や、小説、映画のなかの幽霊なのだが。
坂下凛々子は、病気がちのせいか、オカルトマニアの特異な少女だった。
「なあ、ほら、早く誘ってこいよ。あいつ、そういうのが好きなんだろ?」
下校時刻のあわただしい時間、坂下凛々子が下駄箱から、自分の靴をすっと引き出し、地面に置いたところで、良治が健一の背中を押した。健一は、つんのめって転びそうになりながら、凛々子の側まで歩いて行った。凛々子が、背後に気配を感じ、振り仰いだ。
「あ、あのさ」
「何?」
坂下凛々子の凛と澄ました瞳が、じっと健一を見つめた。どこか、良家のお嬢様を思わせる雰囲気が、彼女にはあって、唯一話せる女子といっても、実際のところ彼女が、健一を友達と認識しているかどうかは、怪しいところである。
なんて切り出せばいいんだ。困惑して、背後を振り返ると、良治をはじめとして、三人がにやにやとこちらを眺めていた。単刀直入に言ってしまおう、と健一は思った。
「幽霊、見たくないか? 本物の幽霊をさ」
一瞬、凛々子の目が大きく見開かれた。が、すぐに、その瞳から、興味の光が薄れていくのが分かった。何かの冗談、悪ふざけだと思っているのだろう。
「信二がさ、見たんだって。あの廃校の周辺で。例の、星川第二小学校の近くでさ」
凛々子の瞳が、睨むように健一を見返した。少し切れ長の目。薄い眉と、ちょぴり不健康な肌の色。それでもやっぱり、坂下凛々子は美人の部類に入る女子だった。信二とは、どこか違う危うい知的さが、おっとりとした雰囲気と相まって、幻想小説の中から現れてきた少女のようだ。
「じゃあ・・・・・・行ってみる」
オカルトマニアの少女、凛々子は、意外とあっけなく承諾したのだった。
健一の住んでいる町は、東京にあるとはいっても、都会とは程遠い雰囲気の場所にあった。昔ながらの、まだ豊かな自然がちらほら残された地域で、裏山や茂った森や、小川などが身近にあり、夏には蝉の声も頻繁に聞くことが多かった。
星川第二小学校は、そういった自然の中に、ひっそりと取り残された廃校だった。この廃校のことを健一が知ったのは、たまたまみつけた、母親の卒業アルバムを見たのがきっかけだった。健一の母の、三上沙奈絵は、この小学校の卒業生だったのだ。いまでも覚えているが、その卒業アルバムを見ていた健一の手から、それを取り上げた母の顔だ。母の沙奈絵は、妙に不安そうな、何か怖いものでも見るような目つきで、健一をから、アルバムを取り上げたのだ。
どこで見つけたのこんなものと、沙奈絵は、どこか感情を抑えたような声音で健一に尋ねた。一体、そのアルバムがどこにあったのか、健一は覚えていなかった。何かを探していて、偶然、見つけたような朧げな記憶は残っている。
なぜ、母は、あんな不安そうな、どこか怖がるような顔をしていたのだろう? その疑念がきっかけで、健一は、この小学校のことに少し、興味を抱くようになった。その好奇心から、一人で廃校を見にいったところを、信二に見つかったのだった。実際のところ、信二は、その日、健一のあとをつけてきたらしかったのだが。
それ以降、この廃校にまつわる噂のことも知った。顔が潰れた男、顔が焼けただれた男、手斧を持った怖い初老の男が追いかけてくる。そいつは、半透明の体をしていて、壁の中にすっと消えた、など。共通しているのは、すべて年配らしい男の幽霊だということだった。
もちろんまだ、幽霊だと確実に決まったわけではなかったし、健一も幽霊なんているはずがない、ということくらい、もう常識で判断できる年齢だった。だとしたら、異常者か変質者か。徘徊の癖のある老人か。それを、見た誰かがまず、尾ひれをつけて話を広げたのではないだろうか。
しかし、坂下凛々子ではないが、健一は妙に気になることがあった。
それは、はじめて星川第二小学校を見に行った時、薄暗い校舎の内部から、肌に突き刺さるような何者かの視線を感じたことだ。それは、誰か一人の視線というより、なにか巨大で大きなもの、たとえば、巨人に見下ろされているような感覚だった。校舎それ自体が、なにやら得体のしれない人格を持って、健一を招いているような気もした。
そんなことを、信二に話したのもよくなかったのかもしれない。優等生タイプの彼は、何事においてもはっきりしないというのが気に食わない性格で、なにか気になることがあったのか、健一と同じように、廃校周辺で探偵まがいのことをしたらしかったのだ。
そういうわけで、嘘か本当か知らないが、信二の幽霊を見た、という話がきっかけで、肝試しに行くということになってしまった。
気が乗らなかった。なぜか、ただの遊びでは済まなそうなきがするのだ。肝試しに行く前に、健一は、母親に小学生時代のことを聞いてみることにした。どうして、廃校になってしまったのだろう、ということも気になっていた。
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