金魚すくい

 とある秋の日、林裕人は高校野球の新人戦の観戦に来ていた。林はヤクルトスワローズのスカウトマンであり、高校球児のドラフト候補の選定を担当しているのだ。試合を見ながらメモを取り、眉間に皺を寄せる。今日の目当てである1年生投手が少し期待外れなのだ。中学生の頃に見た時よりも体格は良くなっていたが、その成長にフォームの修正が間に合っていないのか、制球が定まっていない。林はメモ帳を閉じ、他に目を付けている試合に足を運ぶために駐車場へと歩き出した。その試合の開始までにはまだまだ時間があったが、早めの昼食をとることに決めたのだ。次の試合が行われるグラウンドの近くに美味い蕎麦屋があるのを彼は知っていた。振り返り、落ち葉を二、三度踏みつけた所で彼に声をかける者がいた。

「あ、お久しぶりです。」

 声の主の方へ向き直ると、そこに数年前に林が調査を担当していた投手がいた。

「おお、石田君か。そうか、春日高校は君の母校だったな」

 やや上ずった声が出た。石田淳之介は林がドラフト指名しないことを決め、他の球団からも声はかからず、野球から離れた人物だった。しかし、林が覚えた緊張感はそれ自体に起因するものでは無い。林がドラフト指名しないことを決断した理由と言うのが、本来あってはならないほどに酷く私的なものだったからだ。

「お父さんは元気かい」

「はい。相変わらず酒ばかり飲んでますけど」

 愛想良く答える彼に負い目を感じた林は、蕎麦を諦めて近くの洋食屋に彼を誘うことにした。

 林と石田の父親はかつてのチームメイトであった。当時、2年生エースだった林は入学してきたばかりの石田にマウンドを奪われたのである。選手としての価値が育成次第であると判断され、スカウトの推薦無しでは指名されることなど無いであろう選手だった淳之介をドラフト候補に入れないことを林に決断させた理由とはただそれだけのことであり、あまりにも個人的な私怨であった。

「正直、あの時ドラフト指名されなくてほっとしてたんです」

 カレーライスを頬張る淳之介を見ながら過去に思いを馳せていた林は、淳之介の言葉によって一気に現実に焦点を合わせさせられた。

「どういうことかな」

 淳之介はスプーンを持つ手を止め、林の目を見る。その目は林の心の内を知ってるようでもあり、何も察していないかのようでもあった。

「僕、実は野球あんまり好きじゃなかったんですよ」

 林の驚きをよそに、淳之介は言葉を続ける。

「小学校に上がる前から野球の練習ばっかしていて、親からも期待されて、それが当たり前になってたんですけどね。段々自分で重荷に感じてる事に気が付いて、高校2年の時に他にやりたいことも見つかったんですよね。その話をした時は父と大喧嘩になりましたけど、指名されなかった事であの人も諦めが着いたみたいで」

 再びカレーを口に運び始めた淳之介にどんな言葉をかけるべきなのか、林には分からなかった。淳之介が本心から言っているのか、それとも自分の野球人生を終わらせた人間の内の1人に嫌味でも言ってやろうという気になったのかさえ林は判断できなかったのだ。

 生返事ばかりを繰り返した自覚があった。車に乗り、タバコに火をつける。煙を吐き出しながら淳之介の言葉を反芻する。林はこれまで淳之介に対しての負い目を、他球団もドラフト指名を行っていないという事実をもって中和してきた。別段、選手たちの人生を左右する判断をしているという自覚が無かった訳では無い。選ぶことの残酷を、傲慢を、勝手さを感じながら決断を繰り返してきた。淳之介の事にしても判断自体が間違っていたとは今も思わない。しかし。煙を目で追いながら林はかつての思考を辿り、かぶりを振る。助手席に置いたメモに視線を落とし、誰が自分の後任になるのかを考えながらエンジンをかけた。

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