もっと素直になれてたら
彼女はいなくなってしまった。以前は癒しになっていた彼女の写真も、今は空虚な日々をまざまざと見せつける残酷な物に変貌している。
原因は彼女の裏切りだった。しかし、これまでの日々を振り返れば振り返るほど、もっと努力していれば、もっと尽くすことができていればと感じずにはいられなかった。最後に彼女にかけた言葉は酷いものだった。
「二度とその顔を見せるな。もう大嫌いだ」そう叫んだとき、彼女は何も言わずに悲しく笑っていた。本当は嫌いになんてなれなかった。裏切られても好きだったからこそ、あれほど感情的になってしまったのだ。しかし、それを伝えるすべも、その資格も自分にはもう無いのだ。あの時、もっと素直になれていたら、正直な自分の気持ちを伝えられていたのなら、少しはましな結末を迎えられていたのかもしれない。
彼女の写真を見つめ、涙を目に溜めてつぶやいた。「帰ってきてくれ・・りなたん」
駅前の喫煙所でキャスターを咥え、火をつける。甘い匂いが口腔内に広がるのを感じながら腕時計を見ると待ち合わせの時間までちょうど10分だった。待ち合わせ場所のカフェはすぐ目の前である。
(ちょうどいい時間になったな)そんなことを考えながら灰を落とす。すると、ふいに男の声が耳に入ってきた。
「あれ、田辺里奈じゃね?」
声の主の方を見ると、若いカップルがこちらを振り返りながら歩き去っていくところだった。
「ほら、やっぱり。○○坂の田辺里奈だよ」
苦笑いしながら心の中で「元ね」とつぶやく。
私が彼氏とデートしているところを週刊誌に撮られたのはひと月ほど前のことだった。それからすぐにグループを卒業することとなり、最後のライブを終えたのはほんの一週間前のことだ。ラストライブのことを思い出すと思わず笑みがこぼれてくる。我ながら最低のライブだったと思う。お決まりの挨拶を述べ、頭を下げると、ホール全体から怒号が聞こえた。しかし、気分はひどく清々しかった。顔を上げたとき、アイドル人生で一番うまく笑えていた気がする。結局のところ、偶像なんて私には重荷だったのだ。
煙草を捨て、カフェへと向かう。彼はもうカフェで私を待っているらしい。もう以前のように待ち合わせから帰りまでずっと人目を気にしている必要はない。私はもう自由なのだ。
こんなことならもっと早くアイドルなんて辞めればよかった。もっと素直になれていたら、もっと私は自由だったのに。
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