第42話「氷龍とやら」です


 ソレイユ様の異常の原因は、考えるまでもなかった。

 魔力切れ、時間制限だ。

 

 ソレイユ様は一時間程度が限界だと言っていたが、それ程時間は経っていない。


 魔力を吸う蛇と戦いながら、他人に魔法を掛けるという未経験の事をしながらここまで保ったのだから、むしろ長く保った方だと思う。


 呼吸を小刻みにして、私の胸の中でソレイユ様が悶えていた。


「ソレイユ様!! 大丈夫ですか!?」

「さ、叫ぶな、腕と頭に、響く」

「ご、ごめんなさい」


 本当はその小さな肩をぎゅっと抱きしめてしまいそうだったけれど、触れてはならない場所に触れてしまいそうだったから。


 私は行き場の無い両手を浮かせたまま、ソレイユ様の体重を支えていた。


「この身体じゃ、歩けねぇ、助けを、呼んできてくれ」

「こんな寒いところに置いてったら死んじゃいますよ」


 それも結局は、私が巻いた種である。

 どうしてあの時あんな魔法を使ってしまったのだろう。


 255個もある魔法の中で、最悪の手を打ってしまった気すらする。


 私の魔法。でもそうだ、私の火があれば。


「ソレイユ様、少しだけ歩けますか?」

「ん、あぁ」


 ソレイユ様を抱き支えながら、ゆっくりと魔力の樹の方へと歩いていく。

 地面に転がっていた私の魔法で灯した燭台を片手で拾い上げて、ソレイユ様に近付けた。


「ソレイユ様、これを」

「お、あったけぇ」

「はい、ソレイユ様が立派だと言ってくれた魔法です」


 それは私の、唯一使える魔法。

 誰かの助けになる事なんて、思ってもみなかった。


 本当はこの状況も、私が作り出してしまったものだけれど。


「でも、これは、あんたが持っていけ」


 ソレイユ様が消え入りそうな声で呟く。


「灯りがねぇと、ここから脱出出来ねぇだろ」

「それは、そうですけど」


 灯りが無いとここからは出られず、灯りがないとソレイユ様はここで凍えてしまう。


「あんたの魔法が無いと、ここまで、辿り着けなかった。感謝、してる」

「お別れみたいな事を言わないでくださいよ」

「少なくとも、少しの間はお別れだ」

「いいえ、最後まで一緒です」


 ソレイユ様からは既に橙色の光は消えている。

 でも私から溢れ出る橙色の光は、未だに果てる事はない。


 術者のソレイユ様の魔力が尽きても、掛けられた私の方の魔力は満ち溢れている。


「次はソレイユ様が、お姫様になればいいんですよ」


 手に持った燭台をソレイユ様に押し付けて、ちょっとばかりの恥じらいを堪えながら私ははにかんだ。


「は、はぁ?」


 戸惑うソレイユ様の声は無視して、私はソレイユ様の脚と背中を抱えた。


「お、おい――」


 身体を揺らさないように、細心の注意を払いながら掬い上げる。

 ソレイユ様の魔法のおかげで、今の私は力持ちだ。

 これぞ秘技、お姫様抱っこ返し。


「お姫様扱いされる気分は、どうですか?」

「あー、なるほどな」


 バツの悪そうな顔でそっぽを向くように、首を捻ったソレイユ様が零す。


「そんな顔しなくても大丈夫です、思ったより重くないですよ」

「あんた、良い性格してんな」

「お姫様抱っこする人は、こう言うべきなんだろうと思いまして」

「うっせぇ」


 少し肩を揺らしながら私は笑って、ソレイユ様に言い置く。


「でも、本当にソレイユ様と会えて良かったです」

「あんたこそ、最後みたいな事、言ってんじゃねぇか」


 そういうつもりではなく、ただの感謝を伝えたかっただけなのだけれど。


「まぁ、良いわ。後は、託す――」

「はい、任せてください」


 私が言い終わるより早く、ソレイユ様が目を閉じた。

 魔力の枯渇に加えて身体の痛みに、気を失ってしまったのだろう。


 茶化した会話をしながらも、茶化せる状況ではないのは確かだ。


 私は少しだけ深い息を吐いて、来た道を戻ろうと脚を伸ばす。



『待たれよ、黒き魔法使い――』



 そんな私を、誰かの声が阻んだ。


「だ、誰ですか――?」


 見渡せど、誰も居るはずはない。

 そこにあるのは、蛇の魔物の亡き骸だけのはず。


『我は、氷龍シルヴァディア。其方の魔力、見事なり』

「え、え、ち、ちょっと」


 頭の中に響くようなその声に、私は慌てふためく。


『其方になら、我の姿を見せてもよいぞ』

「は、はい?」


 突風のような吹雪に視界が奪われる。瞬く内に、私の視線の先には。


 体長10メートルはあろうかという、水色の龍の姿がそこにはあった。

 グリフォンを彷彿とさせる逞しい上腕に、大きな身体を支えるしっかりとした強靭な後脚。氷で出来たような翼膜と氷雪のような身体が、神秘的な雰囲気を醸し出していた。


『其方の魔力であれば、我の契約に相応しいと見た』

「あ、あの」

『龍の契約を結べば、膨大な魔力を得ることが出来る。その代わり、試練を乗り越えて貰わなければならぬ』

「あの、すみません」


 状況が理解出来ていない。

 と言うと何だろう、氷龍というのがこの洞窟に、実際に存在していたということでしょうか。


 そもそも今の私に、この状況の理解が必要なのだろうか。


『安心せよ、これは形式的なもの。其方の魔力ならば容易に乗り越えられる』

「すみません、私、急いでいるので」


 いや、理解するつもりはない。そんな必要はない。

 私はこの空間の温度くらいの冷たい表情を作ってみせた。


『え? ま、待たれよ! 龍の契約だぞ!? こんなチャンスないぞ!?』

「本当、そういうの間に合ってますから良いです」

『いやいや、ナンパを断るみたいなテンションで断るもんじゃないって!』

「契約の強要は違法ですよ」


 そういえば昔、どこかの街から良く分からない商品を売り付けに来た商人もこんな人だったなぁ。

 「あなたは選ばれました!」とかいう謳い文句で興味を惹こうとするんだったっけ。そんな手には乗らないです。


『そうじゃなくて! 契約が綻んでるから! すぐに結び直さないと! 我がこの地を凍らせちゃうんだって! そうなったら大変でしょ!? 困るよ!?』


 そうそう、こんな風に不安感ばかりを煽って、判断力を失わせるんだ。そんな手には乗らないです。


「ですから、必要ありません。断固として契約する意思は見せません」

『もー分からん奴だな! 君らの為に言ってあげてるのに!』

「なんか貴方、最初と口調変わってませんか?」

『君が見た事もない人種だからだよ!! 普通ならみんな喜んで契約するって言うところだから!!』


 あぁそうか、みんなやってるから私もやりなさい、みたいな語り口で攻めてくるというパターンもあった。

 でも残念ながら、私はそういう手には乗らないです。


「私の事は私が決めますので、今日のところはお断りします」

『あーもう知らないもんね、我だってやりたくて凍える地に戻す訳じゃないからね』


 最後は逆ギレじみた脅迫で契約を迫る。まさにお手本通りです。

 

『じゃあ行くよ? まさに今、この地は凍土に戻ります。ごー、よん、さん――』


 龍は器用にも刺々しい手で指折り数えながら、何やらカウントダウンを始めていた。

 無意味な時間制限を設けて焦燥感を煽る、これも常套手段です。


 私は、深く息を吸って、吐く息に声を乗せた。


「――黙って」

『にッ?』

「こっちは怪我人抱えてるんです、そんな状況で良く分からない契約をしろしろなんて、あなたは人の心がないんですか?」

『いや、あのその、我、龍だし』


 両手の指をツンツンと合わせながら、氷龍とやらが口籠らせている。


「言い訳しない」

『はい』

「分かったなら良いです、そこをどいてください」

『すみませんでした』


 ずしずしと大袈裟な音を立てながら、大きな身体を隅っこに寄せていく。

 その背中がとても哀愁漂っていて、何だかこちらが悪い事をした気分になってしまう。


 何だろう、このすごく嫌な気持ちは。


 私は空いた道を歩きながら、しょんぼりと壁に顔を付ける氷龍とやらに声を掛けた。


「落ち着いたら話を聞きに来ますから」

『え?』

「私も急いでるとはいえ、ぶっきらぼう過ぎた気がします。ちゃんと聞いた上で断りますから、また時間がある時に説明してください」

『え、今度? 今度、我と契約してくれるの?』


 振り向いた氷龍とやらが輝くような瞳を作っている。

 しまった、そういう作戦だったのかも知れない。


「まぁ、条件次第ですけどね」

『条件は良いよ! 絶対!』

「それは私の目で、判断しますよ」


 それだけ言い伏せて、私は出口に向かって脚に力を込めた。


『ク、クールだ――』


 後ろから微かに聞こえたその言葉、クールという言葉の意味は良く分からない。いくつか意味があったはず。

 寒いとか冷たいとか、そういう意味だったかな。

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