第32話「バカ」です
私にたじたじとしている暇はない。
ソレイユ様の腕が完治していないのであれば一刻も早く、ソレイユ様とこの洞窟を抜け出さなければ。
「それで、この魔法はどんぐらい保つんだ?」
「えと、どんぐらい、とは?」
「だから、時間だよ時間」
はて、どういう意味だろう。
「消すまでは灯ったままですけど」
「いやいや、魔法のランプならまだしもこれはあんたの魔法で火を強くしてるだけだろ?」
「まぁ、そうですね」
「なら一時間程度保てるってとこか?」
一時間というか、その気になれば丸一日でも灯したままで居られますが。
流石にそれ以上灯し続けた記憶はないが、一時間程度なら用意である。
なのでソレイユ様の問いには、一先ずは頷いておくこととする。
「一時間なら、平気です」
「やるじゃん」
そう言って、ソレイユ様は私に背を向ける。
あろうことか、足を踏み出して更に深部へ進もうとしたのだ。
「待ってくださいソレイユ様、その身体で調査を続けるつもりですか」
「この身体も何も、最初と変わってねぇよ。ただ痛みの誤魔化し方を変えただけだ」
「そうですけど、そんな状態で何かあったらどうするんです!」
力んだ私の声が、洞窟内に響いた。
「何かって、何?」
足を止めて、ソレイユ様が背中のまま問い返す。
「ランプの灯りが切れたのも、ヴィオラ様の魔法が切れたのだって異常ですよね?」
「これ以上の異常はねぇだろ。強化状態なら痛みも感じねぇし、何かあってもあんたを守ってやれる」
無茶苦茶だ、痛みを感じないから何だというのか。
折れた腕で無茶をしたとして、ソレイユ様はその後の事は何も考えていないのだろうか。
「そんな身体で、守って欲しくなんてないです」
私の震える唇は、ソレイユ様にそんな言葉を放っている。
我ながら、酷い事を言っていると分かっている。
こんな事を言える立場ではないとも分かっている。
「あんたの聖書、結局何ページあるんだっけ?」
怒られるかと思いきや、いきなりそんな質問をぶつけてくるものだから。
私は咄嗟に返事を返す事ができなかった。
「いや、やっぱり答えなくて良いわ。正直言うとあたしは、三種類しか魔法を使えない」
それが意味するものといえば、ソレイユ様の聖書にはたった三ページしか魔法が記されていないということ。
謁見の間で、私の『百もない』という発言に対して、ソレイユ様がいち早く反応したことが腑に落ちた。
聖女候補生という立場で、三ページというのが少ないということは、私にも察しがつく。
「凡人からしてみりゃ聖書持ちとして羨ましいと妬まれ、聖書持ちからしてみりゃたったそんだけで聖女候補生に、なんて馬鹿にされる訳だわ」
半笑いを交えながら、ソレイユ様が語る。
私は嘆きにも聞こえた言葉を、ただ聞き入っていた。
「聖女候補生に推薦された時に、王妃に言われた事がある。『その身体強化という魔法は、一人で百人を守れる事すら出来る魔法です』だと」
私は王妃様が言ったとされる言葉を、大袈裟ではないと感じた。
使いようによってはグリフォンという魔物を倒してしまえる魔法なのだから。
「あたしなりの解釈だけどさ、この魔法で人を守るってのは、人の盾という存在になれっつーことなんだろうよ」
頭の後を掻いて、ソレイユ様が私に見えないように「はっ」と笑い声を出す。
その直後、フードケープをふわつかせながら振り向いて私に言った。
「ま、安心しろ。いざとなったら腕がもげようともあんたの盾になってやる」
だから、『自分の身体の事は気にするな』と?
いつか格好良く見えたはずのソレイユ様が今、同じようには映らない。
私にはソレイユ様の考えが分からない。
私は、何も持っていない手をぎゅっと握りしめる。
「――そんな薄っぺらい言葉で、私が『そうなんだ』と納得すると思いますか?」
「薄っぺらい、だと?」
「昨日、王妃様が仰っていた言葉、忘れたんですか」
心臓が高鳴る。
怖いとか、恥ずかしいからではない。
この短期間で、私の感情はたくさんの感情という色を表していて。
「王妃様がソレイユ様に対して、誰かの盾になれなんて言う訳ありません」
「今、なってるじゃねぇか。候補生の真似事をさせられてる、あんたの盾にさ」
ソレイユ様が言い切った言葉も事実だった。
でも、それはソレイユ様が望んでその位置に立っているから。
「ソレイユ様が聖女になる為に必要なものは、誰かの盾になるだなんて、そんな覚悟ではないです」
「あんたが聖女を語るのか? 候補生の事も何も知らないってのに」
「ええ、そんな私にすら分かります。ソレイユ様の考え方が間違っているということは」
ソレイユ様の持っていた燭台が、金属音を立てて地面に落ちた。
私の灯した光が、私達の影を洞窟内に細く伸ばす。
「なら、何で王妃はあんな言葉をあたしに言ったんだよ! 一人で百人を守れだなんて馬鹿げたことを!」
そうしてついにソレイユ様が吠える。
私はソレイユ様に負けないように、お腹に力を込めて叫んだ。
「そんなの、分かりませんっ!!」
「はあ!?」
「ただ、私は! ソレイユ様の自己犠牲という考え方をやめさせたいのです!!」
ぐちゃぐちゃになった頭を整理する余裕はない。
思い浮かんだ言葉を並べた私の言葉に、きっと説得力はない。
「うるせぇ!! それ以外であたしの魔法でどうやって誰かを守れるってんだ!?」
「うるさくない! ソレイユ様のバカ!!」
「バ、バカ!?」
分からない事には答えられないから。
だからといって、こんな子供の時にしか使わないような言葉を選んだ自分を呪う。
「バカって言った方がバカなんだよ、バカ!!」
負けじとソレイユ様も、子供の喧嘩の時にしか使わないような返しを私に吐く。
「じゃあバカって三回言ったソレイユ様の方が三倍バカ!」
「だから、うるせぇんだよバカ!!」
ついに血気の沸ったソレイユ様の左腕が私の襟元を掴む。
身体強化という魔法が備わった腕に掴まれた私に、抵抗出来る術はない。
瞬間的に顔を歪めるソレイユ様に、私は静かに説き伏せる。
「ほら、腕が痛むんでしょう?」
「分かったような声出すな。あんたにもあたしにも、わかんねぇよ」
「一人で分からなくても、大丈夫です」
私が王妃様より下された命。
ソレイユ様vs私という意味深な文。
「私も一緒に考えるからね、ソレイユ様?」
きっと王妃様にとっては調査なんて二の次で。
『ソレイユさんに聖女を目指す為に必要なものを示すこと』という部分こそ、私への命の『本命』であるのだと確信した。
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