第31話「あの魔法」です


 またやってしまった、と私は口を覆った。

 慌てていると、つい不要な一言を私は発してしまう。


「あんたに心配されるようじゃ、限界か」

「えと、どうしましょう、何か私に出来ることが」


 ソレイユ様が「心配すんな」と言って、ふうっと息を吐いた。


「――神よ、あたしに力を貸してくれ」


 ソレイユ様が詠唱を始めると、前に見た時のように橙色の光を放ち始める。


「身体強化(オールバフ・プレゼント)」


 いつぞやのように、ほんのりと橙色に包まれるソレイユ様の身体。

 突如として魔法を唱えたソレイユ様の意図がまだ分かっていない。


「ほんっと、あんたと喋ってると調子狂うわ」


 結った髪を掻き上げて、背筋の伸びたソレイユ様が私を見た。


「え、えと、ソレイユ様、大丈夫なんですか」

「一時凌ぎだけどな」


 暖かな光を纏ったソレイユ様の魔法を見て、私は手をぽんと叩いた。


――なるほど、身体強化という魔法は身体の痛みを消すことも出来てしまうんだ。


「あー、こんなとこで使う羽目になるとは思わなかった。ヴィオラのやつ、手ぇ抜きやがったな」


 その口振りから察するに、ヴィオラ様が治癒魔法として使っていた魔法は、傷の治りを早めるだけのものではなかったのだと理解する。


「ヴィオラ様の処置というのは、痛覚を麻痺させて鎮痛というのも兼ねてたんですね」

「よく分からねぇけど、ヴィオラが昔そんなこと言ってた気がするわ」


 ヴィオラ様の雷魔法が時間切れとなってしまった今、ソレイユ様は自分の身体強化魔法で痛みを和らげている。

 ソレイユ様には今、どれくらいの時間が残されているのだろう。


 私の思考を邪魔するように、最後のランプの光の点滅が間隔を早めて、緊迫感を煽った。


「まずいな。灯りが無きゃ調査なんて出来ねぇ」

「調査どころか、帰る事も出来なくなりますよ!」

「くそっ、こんなことなら蝋燭ぐらい持っとくんだった」

「蝋燭?」


 そんな時、私の脳裏を駆け巡ったのは、ポシェットの中身だった。

 急いでポシェットの口を開けて、中をソレイユ様に見えるように差し出す。


「ソレイユ様、私、灯りを持ってました!」

「蝋燭とマッチだけならまだしも、なんで燭台まで持ち歩いてるんだよ」


 確かに。燭台は持って歩くものであり、持ち歩くものではない。

 昨日の夜に逃げ出す為でしたなんて言えないので、適当にはぐらかせる。

 

「えーと、私の癖です! 何でもポシェットに突っ込んでしまうんです!」


 必死にそう訴えると、ソレイユ様は鼻で笑った。


「探ったら飛んでもないもん出てきそうだな」

「え、えへ」


 確かに。私のポシェット奥には、まだ司祭様のカツラが突っ込まれたままである。


 それはさておき。視界が完全に絶たれてしまう前に、私は蝋燭を燭台に差し込む。そしてマッチ箱を取り出した。


 すぐさまマッチを擦って、蝋燭に小さな火を灯す。


 弱々しい火は、素早く動かすと今にも消えてしまいそうだった。


 その灯りと入れ替わるように、ソレイユ様の手に持っていたランプから灯火が失われる。

 間一髪、一安心とはいかないが、絶望的な状況からは脱したと言える。


「この小さな灯りだけではこの先の調査は無理そうですね」

「ここまで来たんだ、おめおめ帰れるかよ」

「でも――」


 ソレイユ様は蝋燭の小さな火を瞳に揺らせながら、言葉を遮る。


「あんたには立派な魔法があるだろ?」


 そんな瞳で見つめられても。


 立派な魔法なんて、そんなもの、ないです。

 誰かに笑われる魔法はあっても、こんな危機的状況で使える魔法なんて。


 王妃様に見せられた、私の使ったあの魔法とやらだって、未だに私が使ったものだと理解出来ていない。

 それを認めてしまうと、何かが変わってしまう気がして。


 そもそも、魔物を討ったあの魔法なんて使った日には、洞窟ごと私達を吹っ飛ばしてしまいそうだ。

 こんな声が反響するような場所であんな恥ずかしい詠唱を口にした日には、私の意識が吹っ飛んでしまいそうだ。


「ソレイユ様、私は」

「あんたにも隠したい何かがあるんだろうけどさ」


 隠したい物はあります。それは、隠し切れないこの羞恥心です。


「あんま難しく考えんなよ」


 そう言ってソレイユ様は私の持っていた燭台を取り上げる。


 ゆらゆらとした小さな火見せつけられた私が、やっと気付く。


「あ」


 そっか、何をつまらない事を考えていたんだろう。

 『あの魔法』であれば、既にソレイユ様には聞かれていたというのに。


 それは、私が人前でも使える、唯一の魔法。

 こういう時は集中してはいけない。なんてことなく読み上げればいい。


 少しだけ息を吸って、吐いて。

 私は、はっきりと口を開く。


真紅の光よプルプルリヒト真に紅くプルプルン


 私が魔法を唱えると、ソレイユ様の手の上で、蝋燭の火は強い光を放ち始める。


 それは私が見た灯りの中で、最も力強く光を放っていた。


「ほら、立派な魔法だろ?」


 大きくなった蝋燭の光を見つめながら、ソレイユ様がそう零した。

 ソレイユ様は、私の魔法を聞いても笑わない。


「――あ、あ、ありがとうございまし」


 ちゃんとお礼を言えただろうか。


 魔法を唱えた時とは違うムズムズとした何かが、私を包んでいた。

 これが何と言う気持ちなのか、私にはよく分からない。

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