第15話「聖女候補生 兼 王宮医師」です
安堵感なのか喪失感なのか、得体の知れない感情が私を襲っていた。
情緒が抑え切れなくて、顔が熱い。
でもいつもみたいに、恥ずかしいから顔が熱くなっているのではないのだ思う。
「うん、何も出来なかった、か。 では、何を見たのかな?」
ヴィオラ様が優しい声色で私に尋ねた言葉に、私は再び顔を布団で覆って答える。
「な、何も、見て、いません」
「では、何を聞いた? どんな魔力を感じた? あの時起きたどんな事でも良い、私に教えてくれ」
顔を隠していた布団を掴み剥がして、ヴィオラ様が私の顔へと詰め寄った。
優しく感じるはずの声やその表情から読み取れるものは何もない。
「ご、ごめんなさい。私、本当に何も分から、ないんです」
「私が求めているのは謝罪ではない。何でも良いから、思い出すんだ。そして私に教えてくれ」
じっと見透かすようなヴィオラ様の視線が私を刺す。
怒っている声でもないのに叱られているようで、私は謝罪を口にしてしまう。
「ごめんなさい、私は、ただ、ソレイユ様が、助かればと思って」
私が魔法を使ったかも知れませんとでも口に出した日には、どんな未来が待っているか分かったものではない。
もう一度、実際に見せてみろと言われるに決まっている。あの魔法を使えたのが私かどうかなんて、私が一番信用ならないというのに。
あの詠唱を口にして、何も起こらなかったとしたら?
そもそも人前であんな言葉を並べられる訳がない。
途中で私は泡を吹いて倒れてしまう。
だから、絶対にそれだけは言う訳にはいかない。
「謝りは不要だと言っただろう。何を隠している?」
「ご、ご、ごめんなさい。私本当に」
どうして、私の目からはこんなにも雫が溢れ出るのだろう。
恥ずかしい時の涙や顔の熱さと違う何かが私を包んでいた。
その正体が分からないまま、私はヴィオラ様への返事を誤魔化している。
「あー、うるせぇな」
ずっと黙りこくっていたソレイユ様が、隣で呟いた。
「あんたらこっちは怪我人だぞ、横で泣くな喚くな」
ヴィオラ様を挟んだ向こう側のベッドから放たれたその声からは、明らかな苛立ちが伝わってくる。
そんな横槍に全く動じないヴィオラ様は、背中越しに言葉を返した。
「この医務室で泣いたり喚いたりするのは禁止していないよ。この子が泣いているのは問題ではない、私が知りたいのはあの時何が起きたかと言」
「うるせぇって」
鈍い打撃音がした。
ソレイユ様の右足がヴィオラ様の腰にめり込んでいる。
ヴィオラ様が語り終えるよりも早く、言葉と足蹴りをお見舞いしたのだ。
ヴィオラ様が掴んだ私の腕を離し、するりと崩れ落ち、ベッドの隙間に倒れ込む。
すぐに視界の外、具体的には少し下の方からヴィオラ様の声が聞こえてくる。
「ソ、ソレイユ、医者を蹴るなんてどういう了見だ」
「あー、本当は殴ってやりたかったけど、腕が痛いから蹴った」
ヴィオラ様が腰を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
「あたた……そういう意味ではない。頭が悪いのか、君は」
「自分の事を偉いと思ってるお医者様よりは、悪いかも知れねぇな」
「今に始まったことではないが私へのその言動、腕が治らなくても良いのかい?」
「あたしは最初から頼んでないし、治すも治さんもあんたの自由だろ」
私は赤くなった目と顔の事を忘れて、二人の問答をぽかんと眺めていた。
「ただその代わり『聖女候補生兼王宮医師』のヴィオラ様の治癒魔法はその程度だって国民に知れ渡る事になるけどな」
どう考えたってソレイユ様が悪い。いきなり人を蹴飛ばすなんて、どんな理由があってもしてはいけない。
なのに、どうしてそんなに恥ずかしげもなく堂々と、軽口を叩けるんだろう。
私が素直に感心していた横で、ヴィオラ様は観念して溜息と共に言葉を漏らす。
「やれやれ、候補生にはまともな奴が居ないな」
「あんたもだろうが。一般市民泣かせるような真似、してんじゃねぇ」
――もしかしてソレイユ様は私を庇う為に?
「は、確かに医者が医務室で聞く事では無かったかも知れないねぇ」
そう言い残して、謝罪らしき謝罪は口にせず、ヴィオラ様は結んだ髪を揺らしてカーテンの外に消えていく。
「あ、ありがとうございます、ソレイユ様」
私の御礼に、ソレイユ様は何も言葉を返してはくれなかった。
「でも、急に人を蹴るのは良くないですよ」
「あー、なら宣言してからにするわ」
ソレイユ様の悪態の吐き方は、素直じゃないだけなのかも知れない。
私なんかが勝手に分析するのも失礼なので、それ以上は何も返さないでおいた。
誰にも聞こえないように一息吐いて、私は落ち着きを取り戻す。
そうして、少し前の出来事を頭に呼び起こす。
――ちょっと待って、私ソレイユ様に二回も首根っこ掴まれましたけど! あの時も泣かされそうになりましたけど! あれはどうなんですか!
その言葉は、今はしまっておくこととする。
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