第16話「今じゃない」です
ちょっとした喧騒の後、一息つく間もなく医務室に来客が訪れる。
ドアのノック音が響いて、ヴィオラ様が来客者に応答していると、医務室へ聞き覚えのある声が響いた。
「パステル村のモンブラン・ブランノワール、おるか?」
その声に、私は心臓を握り締められたように身体を跳ねさせる。
後ろめたいことは、なくも無い。そう、もちろんそれはヅラの件――。
カーテンへと近付いてくる足音に、私は慌てふためいた。
「司祭様、お待ちください。年頃の女性が横になっていますので」
ヴィオラ様の丁寧な声が私の頭上に響く。
その静止で一安心とはいかない。私がここに居る事は明らかなはずだった。
(ど、ど、どうしよう、今更、逃げられるわけない、よね)
カーテン隔てた数メートル先には司祭様。逃げ出そうにも、この部屋の作りはおろかこの医務室が王宮内のどこにあるかも分からない。
この部屋から逃げたところで、上に逃げれば良いか下に逃げればいいのか知る由もない。
「私は、ブランは、ここに居ます」
ぐっとお腹に力を入れて、私はカーテンの向こうへと声を送る。
ベッドの上には母から譲り受けたケープコートが静かに畳まれている。
ベッドの下を覗くと、私の靴とポシェットが収められていた。
靴に爪先を通して、ポシェットを肩に掛けて。
そして、黒いケープコートを羽織って。
私は足早に、カーテンの向こうへと飛び出した。
カーテンを開いた先には、ヴィオラ様と司祭様がこちらを見るようにして立っている。
その刹那、私は司祭様の頭を確認すると、司祭様は真っ黒なフサフサ髪を備えていた。
つまり、スペアがあるということだ。
とは言え、一刻も早く私のポシェットに押し込められているカツラを返還しなければならない。いつまでも持っておきたいものではないし。
「あの、申し訳、ありませんでした、司祭様」
出会い頭に謝罪をお見舞いすると、司祭様は都合が悪そうに目を泳がせる。
「な、何じゃ? わしはお主に謝罪される覚えはないぞ?」
忘れてしまっている? そんな訳はない。実物を見れば思い出すであろう。
私がポシェットを開こうと手を伸ばすと、司祭様はそれを静止させるように声を上げる。
「こ、こら、それは今じゃないじゃろ」
「今じゃない、とは?」
「ここに来たのは、渡すべきものがあるからじゃ」
私が差し出すべきものを取り出す前に、司祭様が私へと何かを差し出した。
「ブ、ブランノワール。大聖女――王妃からお主にじゃ」
「え、はい?」
手渡されたそれは、一通の封筒。
横でその様子を見ていたヴィオラ様が、ふうんと声を漏らした。
「私宛、ですか?」
「だからそうじゃ、開けてみろ」
封筒の宛名は、『モンブラン・ブランノワール』と記入がある。
改めて字面を見ても、おかしな名前だと自分でも思う。
(あ、綺麗)
封筒の裏を見ると、角度を変えると色が変わる不思議な封蝋で封緘されていた。
差出人は、『シルヴァディア・アルカンシエル』と記入されている。
その差出人に見覚えはあっても、心当たりは全く無かった。
「これ、本当に私宛ですか?」
「だからそうじゃってば、お主以外にそんな名前の奴はおらん。早く読め」
それも、そうだ。
私はポシェットに携えた果物ナイフを取り外して、封筒の口部分に刃を入れる。
封を切って、中から取り出した便箋に書かれていた内容は、認め難いものであった。
〜 親愛なる モンブラン・ブランノワール さんへ 〜
この度の貴方の魔法を拝見しました。その魔力は称すべきものであり、他の見本となるものです。貴方の魔力及び功績を考慮した結果、聖女候補生の地位が相応しいと評価しましたので、ここに推挙します。
本来であれば貴方の実力をこの目で確認したいところですが、やむを得ない用事で私は今夜この城を発たなければなりません。
聖女になりたいという意思が貴方に無くとも、教会は貴方のチカラを必要としていることを、ご理解頂きますよう。
再び、黒き色を纏いた貴方の御姿を見られることを信じて。
シルヴァディア王国王妃 大聖女 シルヴァディア アルカンシエルより。
〜 追伸 温泉が有名な東方の国へ行って参ります。ブランノワールさんは温泉に入ったことはありますか? 〜
色々思うところはあるけれど。
私は手紙を手に、一人叫ぶ。
「やむを得ない用事って、ただの観光ですか!?」
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