第35話「燃えるような秋空の下で」

 「可奈ちゃん、昔言ってたよね」

 私の数歩先を歩く、その人が言う。

 「この辺の空き地は、夜になるとゾンビが出るから怖いって」

 その人は、私よりも四つほど離れた人。

 カッコよさげに煙草をふかして、ふてぶてしく先を行くその人に、私はぶつけるように口を開いていた。

 「そんなの……何年前の話だって!?」

 夕方の、午後六時を目前にした頃。

 その人と、私は散歩に出ていた。正確には、相手が一方的に誘ってきたんだけど……

 「なんで、私を散歩に誘ったんですか?」

 「ーん? そりゃ、可奈ちゃんが寂しそうな顔をしてたから。気を利かせたんだよ」

 「私、受験勉強の真っ最中なんですけど……っ!」

 高校三年の大事な時期。無駄にしていい時間なんて、一秒たりともないはずだ。

 それなのに、この人は私を散歩に連れてきた。昔からそうだ。いつも意地悪なことをして、私のペースをめちゃめちゃにかき乱す。

 「それは知らなかった。ごめん」

 抗議すると、舌を出してこう言う始末だ。私はイライラを隠さずに語気を荒くする。

 「知ってたでしょ! 綾だって大学四年生だし。受験は半年前から言ってたよね!?」

 「はいはい。相変わらず耳に刺さる声だことで」

 怒りの言葉を軽く流して、綾はスタスタと歩いていく。

 まるで手にしている煙草の煙みたいだ。どんな風もふわりと受け流す。服装が大人っぽくっても、昔から全然変わってない。

 そこも腹が立つのだ。私は高校三年生になっても、未だに中学生に間違えられるほどの童顔だったり、低身長だったり。代わりに綾は昔から大人っぽいのに、今は恐ろしい美人に成長した。手にした煙草も出来すぎなぐらい似合ってる。

 「ほんと……何なの一体」

 結局のところ、私は綾のことを全く理解できていなかったのだ。その性格も、もしかしたら綾の全ても。

 「……綾、こんなところで暇つぶしてる余裕なんてないでしょ」

 「……」

 私の呟きに、綾が振り返る。

 会うたびに変わっていないと思っていたけど、綾にだって変わってることがあるのだ。

 「雑誌、いつも見てる……すごい売れっ子じゃん。ほんと、知り合いだって信じられないぐらい」

 綾は二年前からモデルとして活躍していた。

 芸能活動を始めてから、異例のペースでの出世みたいだった。私も名前を知ってる雑誌にバンバン出てて、最近ではテレビにも出てるレベルだ。

 だから、東京から離れて……私の地元に戻ってくるのだって、ほんとはおかしい。

 「あたしに迷惑かけるのは、いつものことだけどさ……他の人に迷惑かけたら、ダメだよ」

 こんなこと、綾だって言われなくても分かっているだろうけど、何だか言ってやらないと気が済まなかった。

 気づけば、お互いの足は止まっていた。……いや、綾は踵を返して、私の方へと近づいてきて、私の顔を上から覗いてきた。

 「もしかして、寂しかった?」

 「……っ! んなわけないでしょ!?」

 身長差を見せつけるみたいに、私のことを茶化すように、綾はいつもの嫌な笑顔で行ってくる。

 心配したのが馬鹿だった。また頭がカッとなって言い返していた。

 だけど……いつの間にか、私の口は動きを止めていた。

 「私は寂しかったよ」

 その言葉が、本当に綾が言ったと、信じられなかったからだ。

 そうして……そう呟いた綾の顔は、今まで見たことない顔で……笑っているけど、私はそれを見て胸が苦しくなった。

 「なんで……」

 そんな言葉を、無意識に零していた。

 その表情の理由、その言葉の意味。色んなこと、全部ひっくるめて。

 いつの間にか、綾のさっきの表情は消えていた。あくまで明るい声で続ける。

 「気楽に仕事はさせてもらってるよ。お金も勿体ないぐらい、いっぱい貰えるし。私は全然苦労してないさ。

 でも、一応さ。知らない世界に入る恐ろしさっていうのもあるんだよ。誰も知らない人がいて、仮に知ってたとしても、あっちはモデルとしての私しか知らない」

 手に持った煙草は短くなっていた。綾は携帯灰皿にそれを仕舞う。「おまけに煙草も吸えないし」なんて付け加えて。

 「思い出すんだよ。自分が一人だと自覚すると、私の今までを……可奈ちゃんと話していた思い出とか」

 「……私は」

 昔のことを、綾と話すのは嫌いだ。過去の幼い自分なんて思い出したくもない。恥ずかしいだけだ。

 でも、綾にとっては違ったの?

 「……っ」

 言葉は出なくて、冷たい風だけが流れた。

 ちょっと街から外れた、この空き地にはたまに高速を走るトラックの唸り声とかしか聞こえなかった。綾が言ったみたいに、私は昔ここにはゾンビが出ると思っていた。

 今は、私達しかいない。空は燃えているみたいに赤い。でも、その炎はいつか消える。まるで熱が冷めるみたいに、空はすぐに夜の黒に変わるだろう。

 だから、この一瞬が酷く惜しく感じる。

 綾との時間は怒ってばっかりだけど……私は、初めてこの時間がかけがえないものだと思えた。

 「だったら……!」

 絞り出すように、何とか声を出す。

 そして、心から湧き出す名前の付けられない感情を叩きつけるように__私はズンズンと綾に歩み寄った。

 「寂しいなら、行かなきゃいいじゃん!」

 叩きつけた声は、さっきとは違って震えも混じってる。

 それでも言ってやった。綾はキョトンとしてる。その隙に付け込むみたいに、さらに言葉を重ねる。

 「私が知ってる綾だったら、寂しいなんて思わないだろうし、いつもみたいにフラフラして、何も考えずに全部上手いことやってたじゃん!

 なんなら、私が立っている場所が、私の世界__なんてカッコつけてるぐらい……私が知ってる、私が嫌いだった綾はそう言ってたよ」

 綾の気持ちと、私の気持ち。その二つをもう一度眺めなおす。

 今になって、そんな気持ちを理解するなんて思わなかった。あぁ、そうだ。綾と同じように、私もこの時間が大切なものだと思ってしまった。

 でも、それ以上に。私にとっての綾は変わらない。

 弱った綾なんて見たくない。

 だから言うのだ。私は__私の中に変わらない綾を。

 「……綾は、私の嫌いなやつのままでいてよ」

 「……」

 「お願い、だから」

 空の赤が、弱まった気がした。

 闇が濃くなっていく。

 それでも、吹き出しだして笑った綾の顔はよく見えた。

 「ふっ……あはは! なにそれ、可奈ちゃん! 私のこと好きすぎかよ!」

 「はっ……!? ちょっと! 話聞いてた!?」

 嫌いって言ってた話なのに、都合よく解釈しすぎか!?

 でも、そんな言い返す言葉を飲み込んでしまうほど、綾の顔はスッキリしていて__いつもの顔に戻ったのを、安心した自分を自覚する。

 (……なんなの、まったく)

 私が小さくため息をつく一方、綾はぐっと伸びをする。

 「いやー、笑った。うん……なかなかすっきりしたよ」

 「それはどうも」

 「本当に感謝してるって。だからさ」

 綾はクルリと向いて、もう一度顔を見せる。

 「私の活躍、ちゃんと見といてね」

 そこにはもう、不安はなかった。

 「それは嫌」

 「今のは頷くところでしょ!?」

 「嫌なものは嫌。東京で気が済むまでチヤホヤされれば?」

 「そんなー」

 綾の言葉を一切合財拒んで、私は早歩きで綾を追い越す。

 冷たい風と、終わる黄昏。

 そこで私は言い忘れていたことを思い出し、綾に告げた。

 「そういえば、綾に言ってなかった」

 「……?」

 「大学、東京に行くつもり。それもレベルが高いところ目指してる」

 内心、また馬鹿にされるかなって思った。

 でも、想像してた言葉は返ってこなかった。綾はただ笑って、

 「だったら、待ってるよ」

 「……」

 一言だけ、そう言った。

 だから私も、とりあえず素直な言葉を口にする。

 「それも勘弁して」

 「なっ……」

 「東京行っても会わない。ほら、帰ろう。この辺は夜になるとゾンビ出てくるんだよ」

 立ち止まる綾を、私は置いていく。

 頭の後ろで綾の声が聞こえた。私は振り向かない。

 でも、多分これでいい。

 そう思いながら、私は__綾は。二人はお互いの顔を見ずに、お互いを笑い合った。

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