第32話「幸福の外側から」

 シャッターボタンを押した時、意外に記憶と相違ない風景に気がついた。

 「……なんか拍子抜けだ」

 携帯を手に、自然とそんなことを言ってた。

 十数年ぶりに訪れた場所。そこは、私が小学四年生まで遊んでいた公園だった。なぜ小四までだったかと言うと、その時期に父親の仕事の関係で引っ越したからだ。

 それから今、大学生になって。奇しくもふるさとに戻ってきた私は、休みの日の気まぐれでこの場所に来ていた。調べてみると、今の下宿先から電車で三十分の距離。遠くに感じてた思い出の場所は、こう足を延ばしてみると意外に近かったりする。

 (……でも、劇的に感動するわけもなく。公園もめちゃくちゃ変わってるわけじゃないんだ)

 あらかた写真を撮ってから、ベンチに座る。公園の真ん中には横切るような休憩スペースがあって、レンガの足場と頭上の張られた蔦の屋根もそのままになっていた。

 遠くで子供たちがサッカーをしている。それを眺めながら、私は二か月前から飲めるようになった缶ビールを開けた。

 昼間からお酒を飲むなんてどうかと思う。だけど、今日は特別。

 (だって、今日は)

 最近慣れ始めたアルコールの味。

 そして、遠くの子供たちの影が、記憶のそれと重なる。

 思い出された光景には、男の子達と一緒に遊ぶ彼女の姿があった。彼女は男の子達に負けないぐらい元気いっぱいに走ってて、そのパワフルさは今でも信じられないぐらいで。

 やがて、彼女はこちらに気づく。そして不思議そうな顔で私に言うのだ。

 「……一緒に遊ばないの?」

 彼女は可愛くて、今でいうとバリバリの陽キャだ。それに比べて私は地味な陰キャ。

 その割には態度だけは不遜な私は、ぶっきらぼうに言葉を返す。

 「疲れた。ついてきたの、後悔してるぐらい」

 そんな私に、彼女は「ふーん」とだけ言って、今度は隣に座ってきたのだ。

 「……なにさ。あんたこそ遊んでこないわけ?」

 「いいよ、ここにいたいなら、一緒にいるよ」

 「何それ。同情してるの」

 トゲだらけの言葉を向けても、彼女は私の隣を譲らない。

 その時点で、私達はそれなりの付き合いだった。だから彼女は慣れてたのか__私は小さくため息をついて、別の話を始めた。

 「兄ちゃんがさ。新しいゲーム買ってきたんだ」

 まったく関係のなさすぎる話。それでも彼女は聞いてくれるだろうと、そう思ってた私は、彼女に大抵甘えていたのかもしれない。

 「後ろで見てるとさ。すごい面白いわけ。私も欲しかったゲームだし、兄ちゃん上手いからどんどん進んでいくからさ」

 「それじゃ、お兄さんと取り合いになったり?」

 私の予想通り、彼女は普通に聞いてくれた。そして投げられた質問に、私は首を横に振った。

 「全然。兄ちゃんがいない時に試しにやってみたんだよ。でもさ……」

 「……でも?」

 「なんていうか……怖かったんだ。一人でゲームするの」

 あの時は軽い衝撃だったかもしれない。

 いつも兄とゲームをするせいなのか。それとも、兄がゲームを進めてくれるせいか。

 一人でコントローラーを握った時。言いようのない孤独感に襲われた。二人で見ていたテレビの向こう側は、一人で見るとやけに広くて。それを一人で操作するって気づくと余計に寂しくなった。

 「まぁ、だからさ。あんたが好き勝手遊んでる分にはいいけど。私は入るのはなんか嫌だっただけ。運動苦手なの、知ってるでしょ」

 「……それじゃ、お兄さんと私は同じなわけ?」

 「それは……」

 悪戯っぽく笑う彼女に、私は答えを詰まらせる。

 そう言われると、何だか恥ずかしくなってきた。私が一方的に甘えてるみたいで、それを自覚すると余計に何とも言えない気分になってきた。

 「いいよ、別に。やりたくないなら、ここで座ってるのもいいじゃん」

 彼女はそのまま、私の横で遊んでいる子達を応援していた。その後、彼女自身が遊びの輪に入ることはなかった。

 今でも分からなかった。彼女がはたして気を遣っていたのか。それとも単純に遊び疲れていたのか。

 でも……その時の私は、彼女に遊んでおいでとは言えなかった。彼女が隣にいるのが、嬉しかったのだろう。そんなの、絶対に相手には言えないけど。

 (今思うと……末っ子根性だったんだろうか)

 気を許した相手に甘えがちな悪い癖。自分でも自覚している。

 それに付き合ってくれた彼女に、今更感謝している。あの時言えなかったことも、今では言えたりするんだろうか。

 (連絡先、もう分からないんだもんな……)

 缶ビールに口を付けながら、遅い後悔する。結局、引っ越ししてからは年賀状を送り合うぐらいで、いつの間にかその便りも止まってしまった。

 今は彼女は、何してるんだろうか。

 「……はぁ」

 なんか告白しそびれて、ずっと後悔しているみたいで情けない。

 いや、似たようなものなのかも。今もこうして思い出して、わずかな繋がりとばかりに、唯一覚えていた彼女の誕生日を勝手に祝っている。

 ……なんていうか、そう思うと気持ち悪いな、私。

 まぁ、でも。それでも時折思い出したくなる。

 幸せだった瞬間。今じゃ関係も、意味も、全て変わってしまって。二度と訪れないであろう時間を、ちょっとだけでも思い出したいのだ。

 __と、そこまで考えた時、遠くでサッカーしている子達がこっちを一斉に見た。

 正確には、私の方向へ飛んできたボールへ。それは私の足元に転がって、爪先を軽く小突いた。

 缶ビールを置いて、ボールを手に取る私。こういうのはすぐ投げ返すに限る。下手に絡むと煙たがられそうだし……

 「ねーちゃん! ボール蹴って!」

 「……う」

 まさかのオーダーにガクッとなりそうだ。自慢じゃないが、私は運動音痴だ。サッカーなんて足でボールをコントロールとか、どんだけ無茶言うんだって感じだ。

 ため息をつく。でも、体はなぜか動いた。

 あの時、私は一人で遊ぶことを恐れて、それを意識するほど遊びの場から離れていった。

 そんな私に、彼女はあの時付き合ってくれた。

 なら、今度は__

 「それ……っ」

 高く蹴り上げたボール。その行方を見送りながら。

 彼女のように、自分から駆け出すのも……そう、悪くない気がした。

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