第33話「伽藍に触れて」
口づけをする時に、髪に軽く触れる癖があると、彼女に指摘されてやっと気づいた。
数か月前のことだ。今までまったく意識をしていなくて、言われてみると確かに触れていた。そんな無意識の自分を、彼女に指摘された時は何だか嬉しかった。
髪を触ると、相手のことを知った気になって安心する。
誰も触れられないような、大切な場所。そこに触れ、自分の指に絡まる彼女の綺麗な髪を見ると、胸の中が愛おしさでいっぱいになる。
「ピアス、付けてたんだ」
その日も、私は彼女の髪に触れる。
いつも左手で、そっと髪をかき上げる。そこには見慣れない色の煌めきがあった。彼女は私の間近でそっとささやき返す。
「たまたまだよ」
「ほんと?」
「……そう、たまたま」
彼女は無表情に言った。そしてその問答がつまらないと言わんばかりに、私の唇を奪った。
思いを封じ込めるように。また、相手の言葉を遮るみたいに。
緩やかに圧迫し合いながら、お互いに距離を測る。
相手を傷つけない距離。自分を傷つけない距離を。
彼女との夜の時間は、限られたものだった。だからこそ、時折訪れる時間に胸を焦がし、その刹那に日々の空白を埋めようとした。
私と__彼女もそう思ってるのだろうか。
時折、彼女は悲しそうな顔をする。私はただそれ以上を考えないようにさせることしかできない。
きっと彼女が感じているような__胸を刺すような罪悪感。それに麻酔をかけることしか、私にはできない。
そんな時間の積み重ねを、私達はかれこれ一年続けている。
そしてまた、あくる日のこと。久しぶりに会った彼女の髪は短くなっていた。
「……」
部屋の中で、抱き合っていた私達。お互いの息が届くような距離で、私は彼女の髪を梳いた。
以前は肩まで伸びていた髪が随分軽くなっていた。とはいえ、短くなった数センチだけで、彼女の女性らしさを損なうものではない。むしろ、白い首元がよく見えて、新しい側面の美貌が見えた気がした。
視線を動かす。目を合わすと、逆にあっちが目を逸らした。
何かを我慢するように、口を結んでいる。わけを聞いて欲しいのだろうか。あぁ、そんな気がする。
「……何かあった?」
いじらしさに、笑ってしまいそうだ。心の声を抑えた問いかけに、彼女は目を逸らしながら答える。
「……特に理由はないの」
「……」
聞いて欲しそうにしながら、いざ聞いてみると答えない。でも表情は泣きそうで、頬は赤らんでいる。答えなんて見え見えだ。そして私は、胸の内にある優越感に気づいた。
そうか、と。自分で納得する。
前に指摘された癖。あれは相手が隠そうしているものを見ようとして__彼女が後ろめたいものを覗きたくて、自然と髪を触っていたのか。
触れるたびに、見えてこないものが見えた気がした。
それが彼女にとって余計なものでも、私はそれに無意識に手を伸ばしていた。
再び視線が合う。
彼女の唇がわずかに動く。その言葉はきっと、
「ダメだよ」
「……え」
あくまで私は、それを言葉で制した。
冷たい声に、見開かれた瞳。そこから逃げるように、私は彼女を抱きしめた。
「こんなひどい奴に、本当の心を見せちゃダメだよ」
優しくそう語る自分が、どうしようもない人間だと思った。
彼女は戸惑いつつも、抱きしめ返してくれた。そして、またいつもの夜が始まる。
満たせない空白を。癒せない痛みを。大切な人に見せられなかった本当の姿を。
その全てを、私は肯定する。ただそれだけいい__彼女の内を覗き見して、付け込んで。自分の欲望を満たす最低な人間は、それだけやっていればいいのだから。
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