第10話

――ハンガーではハクがホバーボードに乗って、チェンソー・サムライを入念にチェックしている。刀獅郎の半死体をエレベーターとラウンジに引きずって、一息ついた後の話である。チェンソー・サムライの損傷はあまりに激しく、彼女を愕然とさせた。

ハクは深く息を吸って、吐き出す。


「クソ! 畜生め!」 その怒号は岩壁で跳ね返って反響した。「見ろよ! この酷いザマをさ!」


露骨な不満をもって、メカニックはボサボサの髪をかきあげた。その時、スミレはパソコンを通じて、この被害のほとんどが自分の責任だと自覚する。 ゆえにスミレは、まるで小心者のようにこっそりとその場を離れた。だが、 エレベーターに着く前に、ホバーボードのハクに追いつかれてしまう。


「スミレちゃん、どこへ行くつもりかな?」 ハクは輝く笑顔で、さも別人のように優しい口調で言った。 目は閉じられている。スミレは怯えた。 スミレは、ハクの笑顔など見たことがない。 笑顔というのは安らぎをもたらすものだ。そのはずが、いまやスミレの心は一面恐怖となった。


「へへへ……ごめんなさい?」 スミレはおずおずと笑った。 するとハクの笑顔がより大胆な笑みへと変わる。 歯を見せて、にっこりと微笑む彼女は、赤く、強烈な怒りのオーラを放っている。 細められた瞼の隙間からも、そのオーラを発しているようだ。


「カカカカ。 カカカカ!」 突如、ハクはしごく不気味で偽作のような声をあげた。正気の沙汰ではなかった。だからツインテールの少女は心底震え上がった。邪悪で、狂気の怒りがハクの燃え盛るオーラを勢いづかせた。


「スミレちゃん。許しを請うなら、チェンソー・サムライの頭部の修理を、昼夜ぶっ通しで手伝ってからよ?」ハクはホバーボードから降りると、震えるスミレに歩み寄る。木製の下駄がカッ、カッ、と鳴るたびに、スミレの心臓は鼓動を速めた。


「待ってよ、ハク!」すると、アリシアはいつものようにスミレをかばう。


「アリシア!」スミレは両手を合わせて喜んだ。それはまるで、アリシアというスーパーヒーローが自分を救うためにやってきた場面のように。


「彼女は何も悪くないわ! ロボットの操縦は初めてだったのよ! それに、ミスター・ワトソンが時間通りに来なかったという事態に対処したのも初めてだったわ。 もうちょっと寛大に対応できない?」


すると、ハクは突然アリシアの胸を掴んだ。柔らかく押しつぶされる感覚に、アリシアはわずかにうめく。


「うわあ!」アリシアは恥ずかしそうに頬を赤くした。ひょっとしたらハクはそっちの気があるのではないかと、アリシアはいつも気にしていた。


「ねえ、ベイビー。私の胸に触りたいなら、そう頼んでくれればいいのよ、ああ、ああ、ああ! ああ! 痛い!」


ハクは笑顔のまま美女の豊満な胸を揉みしだく。アリシアは激痛にひざまずいた。ハクは小柄であるのに、その握力はまるで狂人だった。


「ああー!! ねぇ! ちょっと! やめて! おっぱいが引きちぎれちゃうわ! 痛いってば!」


「ああ! アリシア!」 スミレはあたふたして、どうしたらいいのか分からない。


ハクは疲労した目をくわっと見開いて、赤く充血した眼球を見せつけた。 彼女の不穏な笑みと、その血まなこは、スミレとアリシアを恐怖で身震いさせた。ハクの目には温かい血が通っているものの、刀獅郎のサイバネティックなそれよりも真紅にギラついているようであった。


「おほ? アリシア、 あなたはスミレに対してたいへん優しくて親切ですこと。感動しましたよ」 ハクはそう言いながら、さらに手に力を込めて捻った。


「いやあああああ!」 アリシアは叫びながらその手を強引に引きはがそうとしたが、ハクの握力は尋常ではない。指先が深く食い込むにつれて、痛みは激化した。


「あなたはいつも、高身長のスレンダーボディと、その大きなおっぱいを、安っぽい売春婦みたいに見せびらかしていませんこと? わざとアタシをネガティブにさせようってのか? アタシは背は低ぃし、胸はAカップもねぇんだぜ!? これだから巨乳は! アタシを馬鹿にしてんのかよ!? あぁ!?」


ハクが手を離すとアリシアは苦悶にすすり泣いた。 ハクは2人を睨みつける。 2人の少女たちは固く抱き合って、強大なハクを見上げた。


「スケジュールを空けておけ、クソ野郎どもが! チェンソー・サムライの修理を完遂させるまで、アタシと24時間一緒に働いてもらうぜ! わかったな!?」


「お、お、お、お、お、おお、おお仰せのままに!」 2人は恐怖に舌をもつらせながら言った。 アリシアもスミレも、ハクがオールドシカゴの悪夢の従兄妹だと確信せずにはいられなかった。 そしてハクは、まるでゴリラのような握力で、アリシアとスミレの耳を掴んだ。


「っつ! 痛い! ちょっと! やめてよ!」


「ああっ! いやぁ! 耳がっ! 放してよ!!」


だがハクは2人を引きずって、あの閉ざされた隠し扉へと向かう。


「……ねこねこにゃんにゃん」


ほぼ聞き取り不可能といえる速さでパスワードを発したにもかかわらず、ドアは開いた。 ハクは2人を手放してそこへ飛び込む。2人が各々の身体を労わっていると、何やらゴソゴソと物音が聞こえる。やがてハクは、ハンドル中央部に先端技術のラップトップが取り付けられた、2つのホバースクーターを持ち出してきた。大幅な改造がなされているものだ。


「このスクーターで、修理用ドローンを操作しろ。早くアタシのロボットを直せ!」 ハクの激しい剣幕は、まるでステロイドを与えられたライオンのようだ。


「は、は、はい、もちろんです!」2人はスクーターに飛び乗って、ラップトップを起動させた。大きなハミング音が鳴るやいなや、大急ぎで数機の修理用ドローンと共にチェンソー・サムライに向けて飛んでいく。

ハクはため息をついた。不安定な感情を抑制できなかったことへのため息だった。彼女はエレベーターに戻って地上へ上がることにした。ミルクと砂糖の入ったコーヒーで心身を落ち着かせたかったが、やはり、その前に一服が必要だった。


 そうしてチェンソー・サムライの修理を始めて数日が経った。ちょうどアリシアとスミレが睡眠休憩に入ったので、ハクは外で一服しようと決めた。


医師がサムライメカニックの建物を出たのはその30分後だった。彼はドアの脇に寄りかかっているハクの前を通過する。


「じゃあな、ドクター」ハクは言った。ドクター・タケダは飛び上がった。慌てて振り返り、彼女の姿を確認する。


「びっくりしましたよ、ハク。やはり、忠告したのに眠っていないようですね」 ハクは睨みを利かせた。その目は疲労でたるんでいる。だが、何も言わずにタバコの煙を吸った。

ドクター・タケダもまた、他の皆と同じ理由でハクを嫌っていた。 彼女の持つ、無礼で怒りっぽい態度と気性の荒さは、よく周囲との対立の元となった。


ドクター・タケダはふと考えた。刀獅郎のことを彼女に話すいい機会ではないか、と。「ハク、君は刀獅郎君の唯一の身内です。彼について話しておきたいのですが」


「失せろ」 ハクは吐き捨てた。「あんた帰るんだろ? つまり刀獅郎は元気だってことだ。だからあれに問題はねぇよ」


「そうではないことくらい、君なら分かるでしょう」


「どういう意味だ?」


「先端巨大症の人が持つ健康上の問題は知っていますね?」 ハクは目を丸く見開いた。


「目と心臓の問題ならアタシが解決した。サイバネティックの目と網膜、肺、そして2つの心臓は全く問題なく機能するぜ。 それは確認済みだ」


「おや? では彼の筋肉はどうですか? 脳は? あなたの偉大な頭脳はそれを解決できますか? あなたの天才的な知力は、私のような神経科医や整形外科医ができないような解決策を見つけることができるのですか?」 彼は怒りと嘲笑が混じったような物言いだった。もし目つきで人が殺せるのだとしたら――彼女の形相は今まさに獲物を仕留めようとする虎であった。 医師はわずかに怯えたが、続ける。


「君はロボット工学やサイバネティクスを専攻したようですが、それだけでは刀獅郎君の問題を満足に解決できないと、分かっているはずです。 絶え間ない戦と殺戮が彼を疲弊させています。私はもう何年も彼の主治医なんですよ。 誰にも話さないと刀獅郎君には誓いましたが、彼の体は常に痛みに苦しんでいます。多くの先端巨大症患者と違って、彼は怪我をし続けているゆえに、筋肉性関節炎が加速しています。特に関節部分。それでも刀獅郎君が立ち続けられるのは、彼が持つ奇妙なサイバネティック・スパイン――あの脊椎のおかげです。 少なくとも、まだ、ですが」 刀獅郎の持つサイバネティック・スパインは特殊だった。 あれは誰も見たことがない。あれを誰からもらったのか、どこで手に入れたのか、刀獅郎は語ろうとしない。そういう時、彼は大抵困ったような顔をするのだ。


「医学の講義なんか頼んでねぇよ、タケダ!」ハクは怒りに任せて叫んだ。「講義ならあのクソみてぇな学校で十分な受けた!」


「君は心理学も専攻していたのですか? ええ、刀獅郎君にはそれが必要ですよ! 専門的な意見を言うなら、君たち2人とも必要です!」ハクは袖に仕込まれたデリンジャー銃を落として握った。すぐさま、銃口をドクター・タケダの額に押し付ける。ドクター・タケダは、荒ぶる心臓の鼓動を感じながらも、なんとか平常心を保ってみせた。刀獅郎が怪我をする限り、ハクが自分を必要とすることは理解しているが、彼女は衝動的に引き金を引くのである。

ハクは冷静に言う。


「あの大馬鹿野郎が精神科に助けを求めたって、この街に心理学者なんて1人もいねぇよ。 最後の心理学者は、チェンソー・ギャングの2回目の侵攻で死んだ。 市長は、あのくだらねぇクソ学校で、その問題を解決しようとしてんだ」


チャウチャウ・ギフテッド・スクール。 おそらくは、この街に現存する唯一の学校である。 才能ある子供たちを、科学者や機械工など、街のためとなる様々な職に就かせるために市長が建てたものだ。 ハクは昔、そこの学生だった。


「そうですか。 君は本当に市長を信頼していますねぇ?」


「は? お前もサントロの支持者なのか?」


「まさか。 サントロ家は市長以上に信用できなくなりました」医師は深呼吸をして、落ち着いた声で言った。「私が言いたいのは、刀獅郎君がいつも以上に精神的な苦痛を受けているということです。 そして彼の身体的苦痛は、それを悪化させるだけです。 私は君の事情を知りませんが、たまには刀獅郎君を人間として接してあげてくださいね。さて、その銃をしまってくれませんか?」


「……ふん」 袖に仕込まれた機構が、銃をスライドさせて元の場所に取り込んだ。ハクは壁にもたれかかる。


「どうか、私が言ったことを考えてください。 ありがとう、ではまた」 ドクター・タケダはそれだけ言って去っていく。ハクのタバコはもう燃え尽きていた。それを見て、ハクは舌打ちする。


「あのヤロー、アタシの一服を台無しにしやがって」そして建物の中へ戻っていった。


ラウンジで淹れたてのコーヒーを飲むと、ハクは気分が良くなった。気分転換に休憩を延長して、ソファに横になることにした。いつだってソファは寝心地が良い。ハクはうつ伏せになって1時間ほど昼寝をした。不意に、背中にずっしりとした質量を感じる。


「ニャー!」そこから鳴き声がした。


「ブルー、ここで何してんだ? チビ野郎」ハクは振りいて、愛らしいメスのブリティッシュブルーの猫を見た。彼女はまるでハクの背中の所有者であるかのように、腹を見せて寝転んでいる。ブルーはこの建物の周辺をうろついている野良猫だ。主にスカイフィッシュと、ハクからの施し物で生き延びている。ハクはその猫を嫌がるふりをするが、実際のところは言わずもがなである。


「背中から降りろ、ブルー」ハクはぶつくさと言った。


「ニャー」ブルーはそう言って、体を丸めてくつろいだ。


「本気で言ってんだよ。降りろ」 ハクが起き上がると、ブルーは状況を悟って飛び降りた。その時に、爪がハクの背中に食い込んでしまう。


「いてっ! バカ猫!」 何でもない傷を、ハクがさすりながら言うと、ブルーは開いた窓にそそくさと向かって外に飛び出していった。


 廊下で、ハクはバスルームから出てくる刀獅郎を見つけた。彼が酷い顔をしていると、ハクは思わざるを得なかった。 傷口からの出血は少なくとも見られない。


刀獅郎はボクサーパンツ一枚の姿である。全身が傷だらけだ。現代の医療技術をもってしても、普通の人間なら死亡するほどの、おびただしい傷の数。 肌はいささか青白く、縫合の跡が目立つ。彼は廊下に出ると、体を起こそうと金属製の壁に寄りかかる。柔らかい布地のバッグを持っている。そこからジャラジャラという金属音がハクの耳に届いた。

巨人は小さなメカニックへ目を向けた。


「……パンツとジャケット、チェンソーを修理してほしい」


「……ああ。なんでもいいさ」


刀獅郎はこれ以上の波風が立たぬよう、ゆっくりと自分の部屋へ、重い体を向けた。

ハクはドクター・タケダの言葉を思い出して呼び止める。


「おい、何があったんだ? あの時、コックピットにいた男は誰だ?」 ハクは興味本位で聞いた。


「刺客……その全軍と戦った。その男も刺客の一人だ。 彼の遺体はどこにやった?」


「さあな。アタシたちがお前を連れ出したときには、もういなくなってた」刀獅郎は懸念を隠すことができない。まるで下手なポーカープレイヤーのように。


「巨大な組織を怒らせたっていうなら、こっちも危険だぜ」ハクは言った。


「タレットにモーション検出と熱センサーをセットしてくれ」


「もう済んだ」


「そうか。ならいい」短い会話を終えて、巨人は再び立ち去ろうとする。


「おい」だがハクは阻止した。「その中身は野太刀の破片か?」


「……ああ。具合が良くなったら、サンチアゴさんに会いに行く」 ハクは首を振る。珍しく、笑みが浮かんだ。


「はは。 それを持って帰ったら、超怒るぜ」


「分かっている」


「なぁ、刀獅郎。頼みがあるんだが……」その言葉に、刀獅郎はいささか驚いた。彼女が最後に頼みごとをしたのは、自分を一人にしてくれるか、と言った時だった。


「……何だ?」 刀獅郎は穏やかに言った。


「サンチアゴおじさんによろしく言ってくれ。もし会えたなら、ロブにも」


「……わかった」


この言葉を最後に、負傷した巨人は足早に自分の部屋へ戻っていった。 ハクは地下格納庫へ足を向けた。


ハクはエレベーターに乗って地下へ向かう。途中、あれこれと思いを巡らす中で、刀獅郎と交わした最後の穏やかな会話を思い出した。まだハクが子供の頃である。二人で結婚の話をした。ハクの口元が綻ぶ。あの時、刀獅郎に向かって「結婚していい奥さんになりたい」と言ったことを思い出したのだ。刀獅郎はそれを子供の空想だと一笑に付した。しかし思い出は楽しいものばかりではなく、付随して嫌なものもよみがえる。あの日、「やめてくれ」と言いながら彼が去っていったことは、ハクにとって生涯で最悪の日であった。やがて時が経って、ハクはようやく刀獅郎を忘れることができた。彼も、兄と同じように死んだと思い込んでいた。

ハクは刀獅郎との再会を思い出す。オメガ・ウェイストから奇跡的に戻ってきた日のことだ。汚れてボロボロで、目も見えず、悪臭を放っていた。忘れたはずの心の古傷が開いて、ハクは、彼に酷い言葉を投げつけた。刀獅郎ではなくマサヨシが帰ってきてくれたら良いのに、と。ハクはエレベーターの壁を殴った。愛は忘れたかもしれないが、痛みは決して忘れない。 彼女の背後でエレベーターのドアが開いた。過去の思い出は、ハクをただただ憂鬱にさせた。


エレベーターを出ると、不意に何かが頭を挟んで、締め付けられるのを感じた。ハクが頭に手をやると、それはプラスチック製のヘアバンドである。外そうとすると、さらにその上にケバケバした毛の感触がある。ハクはそれが猫耳のヘアバンドであることに気付いた。振り向いて見上げると、 ホバーボードのスミレとアリシアがハクを見下ろしていた。2人とも、動物の耳を表すようにしてこめかみに手を当てている。


「ねこねこ! にゃんにゃん!」2人はそう言うと、面白がって踊り出す。ハクは、未熟なメカニック2人が今までに見たことのないほど顔を真っ赤して激怒した。


「殺してやる!」


ハクは2人を追い回して、スミレもアリシアも命からがら飛んでいく。


「あはは! さっきのお返しだよ!」 スミレが元気よく言い放った。


「私の傷ついたおっぱいの分も一緒よ! この性悪女!」 アリシアが中指を立てると、スミレは舌を出す。


「戻ってきやがれ! お前ら2人の髪を引き抜いてやる! 1本1本な!」


ハクは強烈に脅しながら、笑って飛び回る少女2人を追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チェーンソーサムライ チャウチャウキング @GiantRobotFan93

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ