第9話

戦闘は終了した。機械体の巨大なサムライと有機体の巨大な侍は、共に一歩も動かない。血肉を持つ侍は、深く息を吐き出した。疲労で肺が焼けているようだった。


「ハァ……ハァ……ハァ……モーションキャプチャ・モードを……解除」刀獅郎は力尽きた様子で、折れた刀を落とした。チェンソー・サムライは完全に停止している。刀獅郎は横たわる刺客のそばに膝をついた。ふと、甘く、土のような、そして柑橘類のような香りが嗅覚に触れ、それが悲嘆の戦士のものだと理解した。刀獅郎は刺客たちとの戦闘中に、同様の香りを嗅いでいた。しかも、刺客たち全員から、である。刀獅郎はその香りにしばらく気を取られていたが、やがて、それが乳香であることに気がついた。オールド・シカゴに存在するアロマの香水はすべて偽物だ。どれも合成香水で代用されている。しかし、刺客の香りははるかに強烈で、ほぼ本物と言っていい。

不意に刺客が苦痛に喘いだ。侍はハッとして、咄嗟に折れた野太刀を構える。


「見事だ。実に見事だ。伝説は本当だったな。お前は、死の化身だ」喘ぎながら刺客は感嘆した。刀獅郎は男をじっと見据える。男はもうほとんど動くことができない。そう判断した刀獅郎は、そこへ引かれるように手を伸ばして刺客のマスクをはぎ取った。


「何だと!? そんな馬鹿な! 子供だったのか!?」刀獅郎は思わず息を呑んで後ずさった。刺客は身体こそ大きいが、中身は中東系の少年だった。歳は14に届くか、あるいはもっと若いか。刺客は純粋な笑みを刀獅郎に見せた。刀獅郎は怯え、その少年を見つめ返すことしかできなかった。


「お前は驚嘆に値する戦士だ。伝説の『燕返し』に討たれたことを光栄に思う。感謝するぞ」


「……馬鹿野郎 」呟く声はかすれていた。刺客は、その言葉に戸惑いを見せる。


「お前は子供だ! なぜ死ぬまで戦う!? なぜ笑顔でいられる!」


「……それが我々の生き方なのだ。我々はハシャシン。我々は戦士。そして私は悲嘆の戦士だ。お前の刃に斬られることは名誉なのだ」刺客はさも当たり前のように言った。


「やめてくれ! お前がすべきことは死ぬ方法を探すことではなく、生きぬく術を学ぶことだ! 未来に目を向けろ! ここで終わりではない!」 刀獅郎の口調には熱がこもっていた。

悲嘆の戦士は驚いた様子だった。まさか『リビング・スラッシャー』から共感を得られるとは想定していなかったのだろう。刺客――少年は微笑む。


「はは……聞いていた人物とは似ても似つかぬ。お前は無感情で、誰も止められぬ怪物だと聞かされていた。時には偉大な戦士だ、とも。お前は残虐と死の化身。しかし、ここでお前は、私に明るい未来を見ろと言うのか? お前は矛盾した存在だな」刺客は小気味よく言った。


侍は、今までに自身が葬った犠牲者を思い浮かべるが、彼らは全て大人であった。刀獅郎は残酷で悪質なあらゆる人々を殺してきたが、子供を殺したことはない。暴力団に属する子供に出会ったことはあったが、正真正銘の悪人という子供はほとんどいなかった。今後、子供を殺し始めることなどあり得ようか。


刀獅郎は、ナノヒーリングセラムの現存を信じて医療キットを探し出そうとした。だが、無念にも、ウォーマシンとの激しい戦闘のせいで、キットの中身は散り散りになっていた。


「……お前、何を?」刺客は言った。


「静かにしろ。 治療してやる」刀獅郎は懸命にナノヒーリングセラムを探した。


「やめてくれ。お前はもはや俺を殺したのだ」


「黙れ!」しかし、ようやく見つけ出した血清には亀裂が入っており、刀獅郎を絶望させた。中身が全て漏れ出ていたのは言うまでもない。


「くそ!」刀獅郎は金属の地を殴りつけて、そうして頭を固く抱え込んだ。やりきれない失望感が怒涛のように押し寄せていた。


「気に病むな、私はお前が殺してきた一人にすぎない」


「違う……俺は……俺はもう、殺しはうんざりだ」


刺客は興味深げに顔を上げた。


「俺は……殺したくない。殺したくなどない! 人殺しなど耐えられるものか!」 刀獅郎は怒り任せに、壊れた血清を地面に叩きつけると、そう吐き捨てた。注射器は粉々に砕け散った。


「何ゆえ殺しを憎む?」


「そう教えられたからだ」


「誰に?」


「……俺の、母だ」


「……私の母は出産の際に死んだ。私は生まれながらにして悲嘆の戦士として育てられた」刀獅郎は、ハシャシンのやり方を嫌悪した。この子供たちは、四つん這いができないうちに、殺しに関わる運命にあったのだ。


「それほどまでにお前が殺しを憎むなら、なぜそのような振舞いを続けるのか」


「やめられないからだ!」刀獅郎は流血した拳で再び地面を殴った。痛みが炸裂するも、彼は気にも留めなかった。


「そうだ、俺は矛盾を抱えて生きている。毎日繰り返される拷問と殺害! 俺は、いつか子供を手にかけるだろうと思っていた。それが故意だろうと偶然だろうとな。苦しみが膨らみ続けることは心底耐え難いが、それでも、やめるわけにはいかない。でないと悪は横行するばかりだ! 俺は正義の刃! 街で唯一の! 代わりなどいない! ゆえに俺がしなければならん! 俺は、罪なき人々を救いたいだけだ!」


刀獅郎は、羞恥と満たされぬ欲求に顔を覆った。これまでの生涯における苦痛と重圧が、ついに彼の決意に亀裂を走らせた。 彼はこの日、刺客と、己自身の血と苦悩の洗礼を受けたのである。


「罪なき人などいない。この世界に未来はないのだ」刺客は言った。


刺客は、巨大な侍の目を憐れむように見つめる。


「死と破壊がこの世界を支配している。我々は幼き頃から死の化身となるべく訓練されてきた。無感情で殺生するために。無邪気さなど持ち合わせていない。そうすることで、私たちは生き続けることができる。悲しみも痛みも感じないように。死と共にある誇り高き人生を歩むために」


刀獅郎はため息をついた。


「それは人生ではない。俺を見ろ。俺の殺し屋としての人生は、虚しさと、怒りだけだ」


刺客は用心深く口角を上げて、声を立てた。


「……お前は私よりも子供だな、刀獅郎・ワトソン。お前は無邪気さを失って久しいが、死の化身となりながらも、明るい未来への希望という、子供らしい部分を持ち続けている。正直、うらやましい……クッ!」


突然、刺客は吐血して呼吸を荒げた。その子供の瞳にうかがえる恐怖に、刀獅郎は愕然とし、慈しむように手を差し伸べた。


「私の名はバハ……」刺客は大きな手を握りながらそう言った。思いがけず小さな手であった。


「バハ 」刀獅郎はそっと名を呼んだ。バハは震えている。


「妙だな。私は誇りを持って死を受け入れるよう教えられ、訓練されてきた。特に終盤はな。だが今は……怖い」


恐怖を受け入れた少年の声はかすれていた。刀獅郎は握る手に力を込めた。少年が最期に感じたことは、自分は孤独ではないということであった。


少年の目からゆっくりと光が消失していく。バハの口から最後の呼吸が静かに去っていく。刀獅郎は少年の瞳が曇りゆくのを見て、憂鬱に飲み込まれた。そうして少年の瞼を閉じて、己の手を見つめる。人を傷つけるために存在する巨大な手は、震えていた。


巨人は今初めて、自分が殺したハシャシン達がバハと同じくらいの子供だったのかもしれないと気が付いた。しかし、その恐怖が襲来する前に、再び傷口が悲鳴をあげた。


「畜生め」刀獅郎は言った。出血のせいか、疲労のせいか、あるいは脳を酷使したせいか。途端に足の力が抜けて、刀獅郎は意識を失った。


 目が覚めたとき、とりわけ関節の痛みが際立った。つまり、1日か2日、眠っていたことになる。視線を身体に向けると、傷口はふさがれて処置が施されている。視界がクリアになり、そこがサムライ・メカニックのラウンジだと認識した。背中の痛みと共に、体が冷たく感じるまで少しばかり時間を要した。


――今日は何日だ? 刀獅郎は心の中で考えた。ふと、視界に人の姿があった。縁の太い眼鏡に、乱れた長髪、白衣、若い日本人男性でハンサムである。その男はタブレットで動画を観ている。侍の意識が戻ったことに、気付いていない。


「ドクター・タケダ?」 刀獅郎はしゃがれた声を出した。


「わっ!」 医師は後ろによろめきながら声をあげた。だが、すぐにも平常を取り戻して、優しい笑顔を刀獅郎へ向けた。刀獅郎は幼少期から彼の世話になっているが、最後に会ってからずいぶんと久しい。


「ああ、刀獅郎君! 0.6ガロンの出血で生きているなんて、正直、思っていませんでした。ましてや、こんなに早く意識が戻るとは! 私が来てからまだ2日しか経ってないんですよ!」


「お久しぶりです、ドクター」刀獅郎は内心で言った。


「お久しぶりですね。あの偉大なオールド・シカゴの悪夢が、このようなひどい目に遭うとは。私はハクから君の救援要請を受けて、本当に唖然としました!」 そう言って、医師はポケットから平べったい長方形のデバイスを取り出す。そこに刀獅郎の頭蓋骨を検査するガラス球が映し出される。


「……脳のダメージはどうですか?」


医師は言うまでもなく刀獅郎の突然変異を把握している。刀獅郎がチェンソー・サムライを過剰に、そして過激に操作すると、脳出血を引き起こすことも心得ている。だがドクター・タケダは、たとえ最高の医療設備があったとしても、刀獅郎を手術することはできない。変異した脳はあまりにも異質すぎた。刀獅郎は死ぬだろう、一般市民の望み通りに。


「まあ、そういうこともありますよ」 医師は苛立ち混じりのため息をつく。彼は検査結果が意味することが気に食わなかった。


「私は、君に、あんな風にロボットを操縦してほしくないのです。脳の損傷は、ここが100年前であれば深刻かもしれませんが、そうは言えども、やはりいずれは永久的なものになる可能性があります。もしかすると、君は理性的な判断ができなくなるかもしれません。幻覚もさらに悪化するかもしれません」


「……分かっています」


「君の主治医としてお願いしたいことは、どうか代わりの人を見つけてほしいということです。市民や犯罪者は君を嫌っていますが、負の要素を寄せ付けないのは君だけです」


刀獅郎は無言で、ただ天井を見つめている。ドクター・タケダはいささか気まずさを感じた。


「73針。ヒーリングジェルやナノヒーリング注射器があったとしても、これだけの刺し傷を受けたら普通の人は死んでいますね」


「……ありがとうございます、ドクター」


「結構ですよ。お礼なら、私を呼んでくれたハクに言ってください。彼女は、君のことを本当に心配しています」ドクター・タケダは身体を伸ばしながらあくびをした。刀獅郎はそれが嘘だということを知っている。それは、刀獅郎が彼女の目的達成のための手段だから、ハクは救助を呼んだのだ。負の要素を排除するための武器。それが全てであり、刀獅郎はそれを理解している。

巨人は他のことを考えようとして、瞬時に刺客バハのことを思い出した。


「ドクター、刺客の死体は処置したのですか?」


「……何の死体です? コックピットには君一人しかいませんでしたよ」


懸念がまるでトラックのごとく襲いかかる――死体はどこに行った? 刀獅郎はハクと話さなければならなかった。そして起き上がろうとするが。


「あああ!」やはり全身に稲妻のごとき激痛が疾駆した。まるで何者かが筋肉を感電させているような痛みであった。


「落ち着きなさい、大男くん! 奇跡の生還でも何でもいいですから、どうか安静に!」


「クッ、ハク? スミレ? アリシア?」刀獅郎は荒々しく息を吐いた。


「全員無事ですよ。あのツインテールの子は、私がハンガーで治療している間、君の側にいてくれました。アリシアはランチに行っていましたが、ありがたいことに、君をここに運ぶために時間通りに帰ってきてくれました。やれやれです、君をここまで運んだおかげで、私は腰が砕けるかと思いましたよ」と医師は笑った。


刀獅郎は目をこすりながら、バハのことを考えた。子供を殺してしまった。その子が例え背が高かろうが、自分を殺そうとしていようが、そんなことは問題ではない。襲ってきたハシャシンのうち、一体何人が子供だったのだろうかと、刀獅郎は考えた。その可能性と罪悪感は、すでに心労を抱えた彼の魂に、更なる重荷を与えた。


「また罪悪感を感じているんですか? 何か言いたげな顔をしています。君は子供の頃から変わっていませんね」


巨人は腕を動かし医師を見た。


「子供を殺したんです」ドクター・タケダは眉をひそめて座り直したが、しごく真剣に耳を傾けた。


「このことは誰にも話しませんよ、刀獅郎君。医師と患者の守秘義務ですからね。A&Oデー前の平和な時のように、医事局はなくとも、私はヒポクラテスの誓いを守りますよ。さあどうぞ、話しなさい」


刀獅郎は、ドクター・タケダに全てを打ち明けた。ドクター・タケダはそれに熱心に耳を傾けた。心を痛めた侍は事細かに全て話した。木箱の中の子供たちが自分を恐れていたこと、そしてバハの最期についても話した。

医師は椅子にもたれかかった。


「ふむ……なかなかに大変な話ですね」医師は考え込んだ。


「俺は毎日、ひたすらに殺してきました。俺が苦しめて奪った命は邪悪なものですが、とうとう子供を殺してしまったのです」医師は大きくため息をつきながら、何を言うべきか思案した。この医師の言葉が何であれ、リビング・スラッシャー自身を揺さぶってしまうのだ。


「私は精神科医ではありませんが、これだけは言えます。君が戦うことをやめるかどうかは、君の自由です。ですが個人的には、街の犯罪率が下がったとはいえ、戦うことをやめたほうがいいと思います。この街にはたくさんのヒーローやチャウチャウがいて、悪い要素を打ち返してくれますよ。私が言えることはこれだけです。善戦してください。犠牲者は出るでしょうし、罪のない人々も巻き込まれるでしょう。それが世界最後の都市における生活なんです。私たちは21世紀の居心地の良い時代に生きているわけではありません。それを受け入れなければ、君は心も魂も蝕まれてしまうでしょう」無論、医師は己の言葉が正しいかどうか、本人にも分からない。簡単に答えが出る問題ではないのだ。


「すみません、ドクター。一人にさせてください」ドクター・タケダは大きく息を吐いた。そして要求に応じた。


「わかりました。どうか無理はしないでくださいね、刀獅郎君」そう言い残すと、医療器具を持ってその場を去っていった。

刀獅郎は沈黙し、ただ一人、罪の意識と向き合った。


ドクター・タケダは自分自身を嫌悪する。彼の良心は罪悪感の鋭い爪に引き裂かれるようであった。彼は刀獅郎に戦いをやめさせようとした。しかし、そうなれば、一体誰がこの街を守るのか。オールド・シカゴのヒーローたちは彼の代わりになるかもしれない、だが、誰がチェンソー・ギャングの襲撃を止めるというのだ。市長のカゼ・キャノンなど気休め程度である。そして、先の戦闘で露呈した、刀獅郎なきチェンソー・サムライがいかに貧弱なことか。この街を守りぬく強さを持つ者はリビング・スラッシャーだけなのだ。ドクター・タケダは、刀獅郎が暴力の蔓延する街の守護者としてあり続けることを、故意に批判した。利益の大小に関わらず、だ。

自らの道徳的汚物で溺れている街。やがて、その汚物の沼は刀獅郎の魂を掴んで、底へと引きずり込むであろう。

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