第1話
チェーンソー・サムライこと刀獅郎・ワトソンは、チェーンソー・ギャングたちだけを標的にしているわけではない。街の民間人も狙うのである。
誰一人として彼の審判を免れることはできない。彼は裁判官であり、陪審員であり、死刑執行人なのだ。
彼が罰する悪行は恐怖の対象として、犯罪者や悪人だけでなく、一般市民からも恐れの目を向けられた。執行の対象者のほとんどは「有罪者」や「悪人」であったが、それにも関わらず、多くの人々は、彼の動機と判断に疑問を抱くようになったのである。
オールド・シカゴの市民は守護者刀獅郎・ワトソンを恐れている。
刀獅郎・ワトソンの行動には矛盾する逸話が多い。街のある地域では、彼が無差別殺人者だと信じられており、またある地域では、彼がサディスティックな快楽から非行市民を殺害していると信じられていた。また、彼がすべてを抹殺した後には、罪なき人々にも手をかけるとさえ信じられていた。
これらの懸念は全く根拠がないわけではない。刀獅郎の拷問癖は、いくら復讐心に燃えていたとしても、まったく非人道的であったのだ。現に、子供の目の前で親を惨殺した事例が複数あった。
刀獅郎は子供達に取り返しのつかないトラウマを与えていたのである。
これらの問題はシカゴ市長をしばしば悩ませた。市民はチェーンソー・サムライの攻撃性について、絶えず市長に苦情を出している。だが、市長は刀獅郎・ワトソンを排除することができぬゆえに、しばしばこれらの懸念を無視することを余儀なくされる。
刀獅郎は負の要素を排除する存在だ。しかし、彼はもはや市民に対して攻撃的な態度を示しすぎている。だが無論、負の要素を放っておくわけにもいかない。
シカゴ市長は考える。とにもかくにも、最も信頼できる部下に相談して、口頭で訴状を作成する必要がありそうだった。
ハク・フユキのパソコンのホログラム画面が点灯する。電話の合図である。発信者IDによると市長からの着信であった。ハクはアスピリンを食べながら――文字通り、食べながら――うめき声を上げた。
「コンピューター、電話に出ろ」
彼女が言うと、ホログラムの画面に、男性のデフォルトシルエットだけが映された。
画面下部には『市長』の文字が表示される。
「やあ、おはよう、ハク。今日の調子はどうだね?」
「くそったれだぜ、市長さんよ。スペアパーツがないんだ」
「なるほど。心配は無用だ、新しいスペアパーツをすぐに送ることにしよう」
「ああ、頼む」
「ところで、これは表敬訪問ではないのだよ。君に相談しなくちゃいけないことがある」
「アタシのロボットは元気だぜ」
「ハハ、私が言っているのはロボットのことではない。その“人”のことを言っているのだよ」
「やめろ、やめてくれ市長。アタシはな、その話はしたくないんだ。今日は特にそんな日じゃねぇ。ダメだ。あいつがチャイナタウンで何をしたかなんて、アタシはとっくに知ってんだ。なぁ市長、アタシがあいつをほとんど制御できねぇことくらい知ってんだろ?」
「ハク。幸運なことに、私はしばしばミスター・ワトソンに関しては大目に見ているよ」
「ああ市長、知ってるぜ」
「君だってラッキーだっただろう? 私はホソク一家が嫌いでね、特にあのシンという少年。ホソク家はコミュニティのリーダーなのだろうが、あの小僧はトラブル以外の何者でもない」
「それが聞けて嬉しいよ」
「だがしかし、ハク。今回の件は我々とコリアンコミュニティとの間に大きなトラブルを起こしかねないのだ。よって全力で隠蔽する必要がある。わかるかね?」
「もちろんさ、市長」
「それなら問題ない。君を信じているよ、ハク」
「そりゃどうも。そういや市長、あの子は大丈夫なのかい?」
「……チンユアンは、父親が目の前で暴行を受けた上に無残に殺された。そして彼女はチェーンソー・サムライの血みどろの虐殺シーンを不運にも見ることになってしまった。チャウチャウ精神科病棟によると、彼女は幼児退行症に苦しんでいるそうだ」
「そうか……そりゃ酷い有り様だな、気の毒に」
「君が気にすることはない。この事態を直接コントロールできたわけではないのだから」
「あんたはアタシを良く知ってるな。アタシは制御できないことが大嫌いだ」
「ああ、もちろん、分かっているよ。さてと、私は準備に戻らなければならない。いいかい?」
「大丈夫さ、市長。アタシのことは心配すんなよ。自分のことは自分で出来る」
「よろしい。では良い一日を」
やがて画面上の発信者番号が途切れる。ホログラム映像も消えた。
ハクは吸い殻でいっぱいの灰皿にタバコを置いた。立ち上がって背伸びをする。疲労がたまっているようだ――2時間しか寝ておらず、コーヒーを6杯も飲んでいた。
ハクは事務所を出て、自宅兼仕事場である『サムライ・メカニクス』のロビーに向かった。サムライ・メカニクスはオールド・シカゴにある最後の――もしかしたら世界でも――整備工場のひとつだ。
建物こそ小型だが、ガレージには車が4台入るスペースがある。ガレージとオフィスの他には、休憩室や4つの余剰部屋、大きな収納棚、そしてエレベーターが存在する。
太陽の光がハクの疲れた目を霞ませる。日本人である彼女の顔はきれいだが、機械の油や液体で汚れていて衛生的ではない。目の下のクマはくっきりと紫色で、メイクだと間違われることもある。
体格は痩せていて小柄。身長はおおよそ4.10フィートだ。白衣に、胸元が見える黒いタンクトップと、ダボダボのメカニックパンツしか着ていない。ボサボサの横髪は上腕二頭筋の真ん中あたりまで伸びていた。
ハクは目を閉じて、長い後ろ髪をシグネチャーであるポニーテールに結んだ。その特徴的なポニーテールからは、まだ乱雑に髪がいくつも飛び出している。アホ毛はいつも通り頭から上に向けて弧を描いていた。
彼女はガレージに着くとコーヒーを飲もうと休憩室に入った。右側のテーブルカウンターに行き、ポットを開けると中は空っぽだ。次に食器棚を開けて、人工コーヒーの粉の缶を手に取った。開けてみると中身は空だ。ハクは眉根を寄せた。
「くそったれ!」
ハクは窓を開けると缶を投げ捨てた。仕方なく、久しぶりに缶コーヒーと煙草を買いに外へ出ようと決めた。
ガレージの扉を開けると、ハクは唐突に出迎えられた。
「ねぇハク! 2144年製のミカヅチ・ジャガーがあるんだよ! とっても美人さんなの!」
ハクが左を向くと、声の主はスミレだった。
スミレは才能あるメカニックだ。まだ若くて可愛らしく、無邪気な日本人の少女である。短めのツインテールと団子鼻が彼女の特徴だ。彼女が着ているツナギタイプのユニフォームは、彼女の4.8フィートの身長に合わせて仕立てられていた。同僚のアリシアと一緒にここで暮らし、働いている。
「そうね、ベイビー・ガール。このジャンク置き場で、こんなに良いものを修理する日が来るなんて思ってもみなかったわ」
アリシアの声に、ハクとスミレは振り返る。
ホバーボードで横たわって作業をしていたアリシアが、車の下から滑り出てきた。アリシアはダークブラウンの肌に、ポニーテールのドレッドヘア。身長は6.5フィートで、車の修理のために顔が汚れているが、美人である。スミレと同様、サムライ・メカニクスのユニフォームと黒いタンクトップ姿で、ユニフォームの上半身は脱がれて腰のベルトから下に垂れさがっていた。
彼女の言う“美人な車”は、タイヤが2つ欠落した状態で地面に置いてある。車は見るからに質が良く、あまりにも高級品だ。
「おい! ベイビー・ガールって言うな!」
スミレは子供っぽく怒った。
「あなたはとても背がちっちゃくて若いからね。スミレは私にとって赤ん坊のようなものよ、ベイビー・ガール」
アリシアは、からかうように笑った。
「なんでそんなこと言うの!」
スミレはレンチを掴んで、アリシアを追いかける。アリシアはふざけたように逃げ出して、車の周りを走り回った。
「……で、これは誰の車なんだ?」
ハクは聞いた。
ハクは疑惑の目で車を見ている。アリシアは、スミレがレンチを投げるまでは応えようとしていたが、レンチが車のフロントガラスに向けてまっすぐ放たれると、身をかがめた。
ハクは二人を睨みつけた。アリシアもスミレもハッとして目を見開く。
「……ジョニー・サントロの車だよ」
スミレは不安げな笑みを浮かべてハクを見た。ハクは疲労しきった目を開いて、眉をひそめた。
「サントロ家の車は一切受け入れねぇって言ったはずだが」
と、スミレを睨みつけるようにして唸る。
その言葉にスミレはたじろいだ。“また”ハクに叱られるのを恐れているのだろう、アリシアが救いの手を差し出すようにして、二人の間に割って入る。
「ハク、ジョニー・サントロはそんなに悪い人じゃないわ。良い人よ」
「そんなことないね、アリシア。それに、アタシは犯罪者とは付き合わねぇ」
ハクの口調は厳しかった。
「少なくともチェーンソー・ギャングとは違うわよ」
「チェーンソー・ギャングみたいな奴はいねぇよ、アリシア」
ハクはアリシアの言葉にそう言い放った。
無論、アリシアはハクに対して動じることはなかった。彼女はもはや慣れっこなのだ。
するとスミレが言った。
「ごめんね、ハク。車を返したほうがいい?」
それがバツが悪そうな物言いだったので、ハクは、二人を叱ることに罪悪感を覚えて、肩を落として息を吐いた。
「そのままでいいさ」
と言ってガレージから出て行こうとする。
「ハク、どこへ?」
「タバコとコーヒーを買いに」
と二人の問いに、歩きながら返答した。
するとスミレが「きっと一気にタバコを吸って、一気にコーヒーを飲み干しちゃったんだね」と囁くから、アリシアは可能な限り笑い声を抑えた。
「おい、聞こえたぜ!」
ハクが叫ぶと、スミレとアリシアは慌てて持ち場に戻り、忙しいふりをしてその場をやり過ごすのだった。
ハクは徒歩でリトルトーキョー方面へ向かった。
リトルトーキョーに来ると、ハクは父親のことを思い出す。彼女は週に2回、家族と一緒にここに来ていた。
タノカミマーケットの前を歩きながら、ハクはため息をつく。店のドアの横には2体のキツネの像が立っている。父親とその教え子たちが、そこに自分を乗せてくれたことを思い出して、ハクはもう一度ため息をついた。
このご時世、最近の子供たちは怯えてしまって外に出られない。像をよく見ると落書きで荒れていた。そして店のドアには貼り紙があって、こう書かれている。
『有機食品不足のため、まもなく閉店します』――彼女は目を閉じた。そうして店の前を通過した。
ラーメン屋イチゴロウの前を通り過ぎる。ハクは残業のために昨夜から何も食べていないことに気が付いた。すると思い出したように腹がうめき声をあげたので、立ち寄ることにした。
「おや、“いらっしゃいませ”。ハクちゃん」
満面の笑みで迎えたのはラーメン職人のタンジロウである。
実のところ、ハクは彼があまり好きではなかった。が、悪い人ではないので、いい加減にするつもりもない。ラーメンを不味くするであろうリスクを負うのが嫌なのだ。
「“おはようございます、タンジロウさん”。とんこつラーメンを激辛で頼む。あと“ハクちゃん”はやめてくれないか」
「はい、はい、フユキさん」
タンジロウは頷いて注文を聞き、ハクにお冷を渡した。
ハクは水の味を確かめた。いつもより不味い。唐突に捨てたい欲にかられるが、いくら再生水とはいえ、きれいな水である。果たしてラーメンが美味いかどうか。
間もなくしてタンジロウはラーメン丼ぶりを置いて「おまち!」と言った。
赤と琥珀色のスープだ。合成豚が沸騰した熱いスープを吸って膨れ上がっている。麺そのものは器の底に鎮座していた。
ハクは鋼の箸を手に取ると「いただきます」と言って麺をすすった。
案の定、スープは美味しくなかった。しかし、麺は驚くほど美味であった。それは今まで食べた麺の中で一番だ。まるで絹のような舌触り。ハクは麺をすすりながら、タンジロウを見上げて尋ねた。
「タンジロウさん、この麺はどこで手に入れたんだ? これ以上の良いものは買えねぇと思ってたんだが、これは最高級の麺よりずっとうまいよ」
「ハハハ。まあ……その……実は、本物の小麦が欲しくてね、買わざるを得なかったんだよ。サントロ家から」
途端に、ハクはラーメンを喉に詰まらせた。 タンジロウに背中を叩かれて苦しそうにラーメンを吐き出す。
「はぁ、はぁ……ケホッ。サントロ家だって!? なんでサントロ家から小麦を買うんだ!」
とあまりのハクの気迫に、タンジロウはバツが悪そうに後ずさりした。
「フユキさん、申し訳ねぇ! 他にどうしようもなかったんだ、うちだって経営がどんどん悪化しているんだよ! だから麺は細くなっちまったし、質も悪くなっちまった」
ハクはテーブルに拳を叩きつけた。
「サントロ家はペテン師だ!」
「サントロ家は本物の小麦を持っていたんだよ。しかも、俺がワウチャウの販売会社から仕入れる合成小麦と同じ値段だったんだ!」
「奴らは打倒市長のために、自分たちの影響下にある全員を説得しようとしてんだ! アタシたちは協力し合う必要がある!争っちゃだめだ!」
ハクは箸をもテーブルに叩きつけた。
「フユキさん、あんたには悪いんだけど他にどうすることも出来なかったんだ! これを選ぶか、店をたたむか、どちらかだったんだよ! ニュートリ・チャウを食べるしかなくなっちまう! それに……フユキさんも知ってだろう、市長の疑惑がどんどん高まってることをさ」
「どういう意味だ?」
「食料の流通量が減っているのさ! けれども植物園ではまだたくさんの作物が栽培されている。そこで働いている俺のダチが言うにはな、今も昔も栽培ペースを変えてねぇってんだ! 市長は知ってるよな、フユキさん。一体どうして値上げを? 何だって俺たちを飢えさせるんだ!?」
「知らないね」
それについては、ハクは素っ気なく答えた。ハクは、自分と市長の関係を聞かれるのがとても嫌なのだ。
「それに、旧市街では人々が家から追い出されているようだが、なぜだ? 彼は市長を演じているようだが、あまりにも秘密を隠しすぎちゃいねぇか。だがな、今や彼に対して講義や暴動を起こす人もいなくなっちまった。あいつが犬型の殺人ロボットを作ったからだ。あれがその場で人を殺すから、本当に忌々しいロボットだよ。サントロ家は俺たちを支援してくれる。彼らはもはやリトルイタリアだけに留まらないんだ。特にチェーンソー・サムライがヤクザ共を虐殺してからの、この2年は。なぁ、悪いけど正直に言おう。俺はサントロ家が助けてくれるのは嬉しいよ」
ハクはそれを聞いて、がっかりした風に首を横に振った。そしてタンジロウに25CCドルを渡した。
「タンジロウさん、ごちそうさま。じゃあな」
ハクはタンジロウの顔を見ることはなかった。
「待ってくれ、フユキさん、払いすぎだ!」
タンジロウは呼び止めたが、ハクは黙ったまま立ち去るのだった。
タンジロウは言い過ぎたと反省した。もしかしたら、彼女はもう店にこないかもしれないと不安になった。
ハクは目をこすりながらタバコ屋に向かった。人々はサントロ家を市長よりも信用できる選択肢として受け入れている――ハクはそれが気に食わない。何せサントロ一家はA&Oデー以前はマフィア、つまり犯罪者一家だったのだ。第二のカポネ家と言われている。オールド・シカゴがまだ単なるシカゴだった頃から、彼らは問題児だったのだ。
サントロ家は終末を生き延びただけでなく、そのための備えも万全だった。彼らは武器や弾薬、種子、土、その他多くの物資をアメリカ中の地下バンカーに保管している。
最悪なことに、かつてミシガン湖だった場所の中心部に、ウォーマシン工場を建築するための資材を保有していた。その工場のおかげで、彼らは市長にその存在を許されているのだ。
サントロ家は新しい第2世代ウォーマシンを製造した。彼らはマシンを保持し、市長がその地位を放棄した場合にのみ、それらを起動させるつもりのようだ。
オールド・シカゴには外部からの脅威に対する防御設備がほとんどない。街には強力なレーザーを発射する対ウォーマシン砲塔がいくつか存在するが、街の電力網に接続されているため、ほとんど使用されることはなかった。レーザーが発射されるたびに、街の電力が枯渇してしまうからだ。
しかし対ウォーマシン砲塔は、サントロ家が街を強引に乗っ取るのを防ぐ唯一の方法である。少なくとも、チェーンソー・サムライがいなければの話だが。
ハクは小さなタバコ屋に到着する。この店はスズカという名の老婆が営んでおり、店内のガラス製のディスプレイには、終末前の銘柄が並んでいる。そのうちの3分の1が日本製。もう3分の1は中国製。残りの3分の1はアメリカ製だった。
スズカは売店の窓に寄りかかっていた。いつもなら柴犬のアズキが彼女の傍にいるはずだが、いたのは柴犬ではなくチャウチャウだった。
「あらハクちゃんこんにちは! ご機嫌はいかがかしら?」
スズカは元気よく言った。
「まったくクソな気分だよ、おばあさん」
とハクは答えた。
「ハクちゃん、その不良みたいな口調には気を付けなさいな。ハクちゃんは既にヘビースモーカーでしょう、こんな可愛い子に、これ以上悪いところを増やす必要なんてないのよ」
スズカは、ハルカゼの煙草を取り出しながら意地悪そうに笑った。
「今日はそれじゃないな、スズカおばあさん。サクラ・チェリーをくれ。そのブロックごとな」
「あらまぁ!? 今日はよほど機嫌が悪いのねぇ」
スズカは店内でサクラ・チェリーのブロックを取りながら言った。
「……アズキはどうした?」
「あぁ……アズキちゃんはね……癌で死んでしまったのよ……先週のことね」
そう呟いたスズカは今にも泣きだしそうであった。
ハクは聞いたことを反省した。アズキはいつも――特に彼女の夫が亡くなってからは――彼女のそばにいたのだ。
いつものハクの頭なら、アズキの代わりに寝ているチャウチャウを見て、事情を察することが出来ただろう。疲労がたまりすぎているに違いない。二晩寝ずに働いたせいで、脳に影響が出ているらしかった。
「ハクちゃん、そんな顔をしないでちょうだい。私は大丈夫よ」
スズカはしわくちゃの穏やかな笑顔でハクを気遣った。
「ハクちゃんが心を悩ます必要はないのよ。チャウチャウ・カウンセラー・ホットラインに電話したらね、この素晴らしいチャウチャウを送ってくれて、私を慰めてくれたの」
ハクはその犬の正体をよく知っている。市長が持つ、ロボット犬で構成された軍隊のうちの1匹だ。
ロボット犬は全てチャウチャウという犬種がベースになっていて、不思議なことに、全てチャウチャウ種のクリームブラウン色をベースにしていた。ボディは機械とワイヤーでできている。そして機械の内部を覆うのは、本物のチャウチャウ犬の皮膚だった。
正確に言えば、彼らは逆サイボーグ犬なのだ。つまり、機械のチャウチャウのボディを持つロボットなのである。
このロボット犬は、戦前にワウチャウ産業が制作したものだった。ワウチャウ産業のオーナー兼CEOであった故チャウ社長によって生み出されたのだ。社長のバオバオという名前のチャウチャウをベースにして作成されている。
チャウチャウロボットが生産された目的は様々で、法執行、犯罪解決、警護、狩猟、そして最も好まれる機能は心理カウンセリングだ。カウンセリングは、アニマルセラピーに似ている。
ロボット犬には犯罪に関わる任務も多く存在する。これらの仕事は、通常、誰かを死に至らしめる場合が多い。ロボット犬たちは皆、対戦車ライフル銃のごとく容易に人間の肉を引き裂くことができるレーザーを、目と鼻を備えているからだ。
もちろん、スズカのチャウチャウロボットは、心理カウンセリングのために存在するのだが。
「ハクちゃん、15CCドルよ」
「はぁ!? 15!? この前は10だったぞ!」
ハクは思わず本音を叫んだ。
「バオ!」
すると突然、チャウチャウのロボットが吠えた。偶然出てしまったハクの強い口調に反応したのだ。
チャウチャウロボットは起き上がって、ハクに向かってうなり声をあげる。
ハクはたじろぎながら、そのロボット犬をなだめようとした。最近のチャウチャウロボットは、攻撃に類似した事象にとても敏感だ。それも、加害者をほとんど即座に殺してしまうほど敏感なのである。どんな仕事だろうと、どんな役割だろうと、チャウチャウのロボットは人を殺すための能力が備わっている。
「バオバオちゃん。どうか落ち着いて」
スズカはそう言って手を伸ばし、チャウチャウの毛むくじゃらのたてがみを撫でる。犬は嬉しそうに青みがかった舌を出して横たわった。
ハクは額の汗を拭う。ハクは市長と仲良くしていれば、ロボット犬たちの攻撃から身を守れると考えた。
コホン、とスズカが咳払いした。
「さて、値上げの話に戻るけれど、実は仕入先が前より多くのCCを要求していてねぇ。ハク、タバコが枯渇しかけているのよ。だから街中の喫煙者たちがタバコを求めていて、街は煙だらけだわ。もし私がハクちゃんだったらね、出来る限りたくさん買うか、もしくはタバコをやめるか、どちらかでしょうね。できれば後者がいいわ。まぁ最終的には選択肢はなくなってしまうでしょう。タバコがなくなって、禁煙するほかなくなるの」
ハクは少しの間スズカを見つめた。チャウチャウロボットが敵意を察知して立ち上がる。
ハクはお金を取り出し、支払いをした。
「ありがとうハクちゃん。私の言ったこと、よく考えなさいな!」
スズカは明るいトーンで言った。
「スズカさん、良い一日を。気をつけてな」
ハクはそう言い残して、コーヒーを求めて歩き始めた。
チャウチャウロボットが経営するコンビニエンスストアへの旅は、何事もなく終わった。
彼女は缶から漏れるコーヒーの香りを嗅ぐ。カルシウムの粉末に、高用量の生カフェイン、プロテイン、ヒマワリ油――つまるところ、香料を大量に混ぜた人工的なコーヒーの香りがするだけだ。だが本物でなくてもハクはかまわない。ハクはこれが好きなのだ。
日没を迎えて辺りは暗くなってきた。ハクは、まだ朝の早い時間だと思っていたが、窓のない暗室に長時間いると、時間と曜日の感覚がおかしくなってしまうようだ。特に、修理の時は。
ハクはニュートリ・チャウの自動販売機に出くわした。販売機には、果物や野菜、肉の上に寝そべっているかわいらしいアニメ絵のチャウチャウが描かれている。そしてその上には、こんなロゴがある。
“WowChow Industries presents:Nutri-Chow!”
「nutrients」と「Chow」の2つの英単語を使ったひどい駄洒落だ。
ニュートリ・チャウとは、人体に必要な栄養素や脂肪分が配合されたペースト状の物質である。ワウチャウ産業の社長兼CEOは、世界が滅亡する前にこれを何十億個も地下深くに貯蔵していた。
これらはオールド・シカゴ市民の主な食料源なのだが、ひとつ欠点があった。それは、極めて不味いということだ。製造されてから100年の歳月を経て、かつて美味しかったニュートリ・チャウは劣化に劣化を重ね、ひどい味の“ヘドロ”になってしまったのである。
ゆえに、この街には未だにレストランが存在する。人々はニュートリ・チャウよりもネズミバーガーやスカイフィッシュ、合成フェイクフードを喜んで食べるのだ。
“ヘドロ”は栄養価こそ驚くほど保持されているが、あまりに不味いので、飢えた人や貧しい人しか食べなくなった。
ハクはカードをニュートリ・チャウの販売機に差し込んだ。機械は音を立てながら、大きな箱に詰められたニュートリ・チャウを取り分ける。ブラウン・クリームカラーのプラスチックで覆われた箱だ。その中にニュートリ・チャウのチューブが入った箱が複数入っている。
ハクはその箱を買い物袋に入れ、帰路を歩き続ける。
途中、歩道で寝ている数人のホームレスたちのそばを通った。そのうちの一人が立ち上がり、ハクの横に付いてきた。
「お願いです、お嬢さん。私たちに食べ物を分けてください」
と言った。
ホームレスは全員、砂漠の旅に使われる大きなマントを羽織っている。一人が異形の手を突き出していた。通常よりも遥かに大きく、もう片方の手はとても小さい。
「悪い、あまり持ってねぇんだ。このニュートリ・チャウはアタシと友達の分なんだよ」
ハクはそう言いながら歩調を速めた。
日が沈み、太陽電池の街灯がぽつぽつと点灯し始める。ホームレスはしつこくハクに付いてきた。
「お願いします。ニュートリ・チャウはいらないのです」
とホームレスが言った。
「配給カードも渡さねぇよ」
ハクは即答した。
しかし彼らが諦める様子はない。すると彼らは、
「お嬢さん、私たちはカードも不要なんです。私たちが欲しいのは……あなたなのですよ!」
途端、ホームレスの男はマントを勢いよく脱ぎ捨てて、ハクはひるんで後ずさった。
奇形の手と肥大した眼球のほかは、比較的普通の人間と変わらないようだ。背中に錆びたチェーンソーをぶら下げている。他のホームレスたちも続々とマントを脱ぐと、どれも皆、同じような異変が見えた。第三の目、猫背、そして鋭い歯。一人一人が背中からチェーンソーをぶら下げていた。
「チェーンソー・ギャング 」
ハクは街灯の下、険しい顔をして言った。
彼女は以前にもこういった類のチェーンソー・ギャングと激闘したことがある。しかし、今回の相手は8体だ――さて、どうしたものか。
「さあ、おいでよカワイコちゃん。おとなしく俺たちと一緒に来いよ。俺たちの住処で、一緒に楽しもうぜ」
ギャングは小気味よく笑っている。
ハクは動じない。だがギャングらは不思議と彼女を取り囲もうとはしなかった。彼女に逃げてほしいからである。彼らは獲物を追い回すことに娯楽を見出しているのだ。
リーダー格の男が回転するチェーンソーを振り回し、ハクを威嚇する。
「逃げねぇのかい、お嬢さん? なら追いかけて手足を切り落としてやるよ。俺たちの花嫁になってもらおうか」
「胸がぺったんこだが気にするな、まだ吸えるぜ! 俺たちは小せぇのも好きだ!」
ハクは不動を貫き通した。彼女は好色の狂信者集団に脅かされることはない。
彼はギャング共より先行しないだろうから、ここに留まって戦う方が得策だとハクは考えた。ただ、事前に煙草を吸っておけばよかったとハクは思う。
「この女、逃げないぞ。お前ら、とにかく捕まえろ!」
ギャングのリーダーがそう言って、チェーンソーをかまえて突撃する。
ハクは手を前に突き出す。
彼女が何をしようとしているのか、ギャングが理解する前に、極めて小型の銃が彼女の腕から手へと滑り落ちた。ハクは小さな手でその銃を握り、引き金を引く。
大きな銃声が夜中に響き渡り、先頭のヤクザが背面から倒れる。弾痕から血を流し、男は白目を向いていた。その体は数秒間痙攣したのちに、動かなくなった。
「こいつ、殺しやがった! このメス犬を捕まえろ!」
ギャング達はハクに突進しながら叫ぶ。
一人がハクに接近するもショットには十分な距離だ。ハクは引き金を引いた。再び大きな銃声と共に弾丸が飛び出し、一人のギャングの肩に直撃すると、彼はチェーンソーを下敷きにして倒れた。刃が肉に突き刺さったが単なる怪我に終わってしまった。チェーンソーのスイッチが入っていれば致命傷だっただろうに。
次に三つ目のギャングがハクに飛びかかるが、彼女は袖からもう一丁の小銃を出して発砲する。完璧なアイショットが彼の第三の目に命中する。それが倒れたままなので、どうやら第三の目は脳と繋がっているらしかった。
ハクが次のショットをしようとすると、2人のギャングがハクに体当たりを仕掛けて、共々転倒する。ハクはギャングに噛みつき、もがくが、ギャングの平手がハクの頬を打った。
「へへへ……! 捕まえたぞ! 連れて帰って一日中イイコトしてやるからな!」
欲望のよだれを垂らしながら言う。一人がチェーンソーを取り出した。
「ハハハハ! お前に逃げるチャンスはやったんだ、もう俺たちからは逃げられねぇぞ! お前の、その股の締め付けを存分に楽しんでやる!」
そう言ってチェーンソーを回転させた。
チェーンソーからやかましい音がする。ギャングはハクの足を切り落とそうとチェーンソーをかまえた。が、ふと電源が入っていないことに気が付く。
「あぁ!? 誰がチェーンソーのスイッチを入れたんだ?」
と、彼らは互いに顔を見合わせながら聞き合った。しかし、誰もチェーンソーの電源を入れていなかった。
「おい、誰のチェーンソーでもないぞおおおおおおあああ゛ぁぁぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」
途端、ギャングの一人の胸から高速回転するチェーンソーの刃が炸裂し、ギャング全員が血肉の雨を浴びた。
そのギャングは胸にチェーンソーを突き刺されたまま、悲鳴を上げ、持ち上げられる。すると上半身が真っ二つになり、2つの肉体は地面に沈んだ。
暗闇に赤く光る2つの目があった。
街灯の仄暗い光の傍らに、怒りに満ちた顔と鋼鉄の歯、そして血まみれのチェーンソーを持った巨人が立っている。
「捕まえろ!」
すかさずギャングの一人が叫ぶ。
4人がチェーンソーをかまえて始動する。
巨人――刀獅郎はその間、己のチェーンソーも再起動させた。突進してくる一味に、野太刀を抜いて、寸分の狂いなく一振りを浴びせる。刃はギャングのチェーンソーのエンジンを切り裂き、チェーンソーがバラバラになると同時に、彼らの手も落ちた。ギャングらは両手が文字通り切り落とされたのを見て、次々と悲鳴を上げる。刀獅郎は野太刀を素早く振り下ろして、刃についた血を払った。
ハクが、別のギャングに引きずられていく。刀獅郎はチェーンソーの非常停止スイッチを無効にすると、ギャングに向かってチェーンソーを投げつけた。
チェーンソーの刃は、ギャングの胸部に命中し深部まで突き刺さった。彼は悲鳴を上げて膝をついた。ハクは脱出して、痛みにもがくその頭を蹴り飛ばす。刀獅郎もハクに続いて彼の頭を、地面に向かって踏みつけた。
その大きなエネルギーは、ギャングの上半身をいとも簡単にコンクリートに叩きつけ、彼の頭蓋骨をまるでスイカが砕けるように粉々にさせた。バリバリと骨が砕ける音。
それを見ていたギャングの残り二人は退散を試みたが、チェーンソー・サムライの長い腕が伸びてきて、その巨大な手で2つの頭を掴んだ。刀獅郎は、その両手で二人の頭を正面から叩きつけ合った。2つの顎が衝突し合い、下顎が割れる。刀獅郎は何度も何度も二つの頭を叩きつける。二人の血と脳と骨が、憎しみに満ちた刀獅郎の顔に飛び散る。二人は叫ぶことすら叶わず、ゴホゴホと自分の舌で喉を奇妙に鳴らすだけだった。
しかし刀獅郎はその手を止めることはない。
「あああああああああああああ!!!!!」
まるで怒気に満ちた、鬼のような声を上げる刀獅郎。
刀獅郎は二人の敵を粉砕してもなお怒りが収まらない。二人の足を掴んで、その人間離れした筋力で頭上に持ち上げると、まるで野獣のような咆哮とともに、ギャングを振り回してコンクリートに叩きつけた。すでに潰れていた頭部は、更に破壊されて地面に赤いペーストを作った。人体を完全に切断され、地面に横たわる二人は、もはやただの死体と言えた。
ハクはタバコを吸い終えようとしていた。刀獅郎が歩み寄り、ハクは長く、深く煙を吸い込む。タバコの小さな灯が彼女の美しく、しかし汚れた顔を照らす。
ハクは冷ややかにチェーンソー・サムライを見た。そして彼女は冷淡に口から煙を吐いた。
「怪我はないか」と刀獅郎は言った。不愛想で、機械的で、人間らしくない声だ。
無論、ハクが驚いて動揺することはない。
彼女は刀獅郎を見ることなく、乾いた地面にタバコを押し付ける。そしてサクラ・チェリー・ブランドのタバコの箱を取り出した。手首を軽く動かすと、箱からタバコが一本飛び出した。
「何もねぇよ。何も感じねぇ、アタシは長い間、何も感じてねぇんだよ、刀獅郎」
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