第34話 修行2

『はぁっ、はぁっ、はぁっ、・・・』

「お、おい。大丈夫か?」

『だ、大丈夫なわけないだろう。まったく、お前が使いたがらなかったのが今なら心底理解できる。クソッ、魔力がもう限界だ』


 昼休みの屋上。

 さっきまでは夜の闇に包まれていたが、今はもう真昼の日差しに照らされている。

 屋上のフェンスを外から囲うような光のカーテンはまだ残っていたが、その輝きはだいぶ薄くなっていて、明滅を繰り返しており今にも消えそうである。

 

『仕方がない。今日はここまでだ。術を解くぞ』

「あ、消えた」


 さっきまでへたり込んでいたツキコが、ふらつきながらも立ち上がると同時に光のカーテンが消える。

 どうやらもう体力的にも魔力的にも限界らしい。

 それにしてもまさか・・・


「まさか、発動するだけでこうなるとは」


 今、オレはもう変身を解除しているが、これは権能を使用した直後、『こ、これはっ!?今すぐ止めろ!!』と叫ばれたために、反射的にすべての魔力を切ったからだ。

 権能だけの操作の仕方など、オレも知らない。


『しかし、試した意味はあった。ここまで強力な権能ならば、少しでも操作できるだけで大きな武器になる。それがわかっただけでも上々だ』

「って言っても、その操作が問題なんだろ。どうやんだよ」

『ふむ・・・』


 今回、オレは一応どうにかこうにか力を抑えるように意識はしてみた。

 しかし、結果はご覧の通りであり、ツキコの展開していた権能で強化された結界とやらは簡単に壊れてしまっている。

 発動できたのはほんの数秒程度であり、特にコツが掴めたような気もしない。

 わからないことがわからないというどうしようもない状態なのだが、ツキコは少しの間何事かを考えているようだった。

 そして、オレのすぐそばまで歩いてくる。


『・・・とりあえず、こうする』

「ちょっ!?」


 ツキコの、いや、白上さんの白魚のような手が、オレの手を握る。

 中身がツキコとはいえ、身体は白上さんだ。

 会話をするくらいならばなんとも思わないが、白上さんの身体に手を握られているとなれば、オレが平常心でいられる訳もない。


「い、いきなり何すんだ!!は、離せって!!」

『ええい!!動くな!!必要なことだからやってるのだぞ!?』

「はぁ・・・?」

『いいか?今から私に魔力を流せ』

「魔力を、流す?」


 動揺するオレに対して、ツキコはなんとも思っていない顔だ。

 そのまま、意味がよく分からないことを言ってくる。


『やはり、今まで無意識に使っていたか。いいか?魔法使いの一族なら子供のころから教わるのが、『魔力操作』だ。ほら、こんな風に』

「おお?なんじゃこりゃ?」


 オレと繋いだ手に、白い光が灯る。

 それと同時に、オレの中に何かが入り込んでくるのを感じた。

 冷たい水のようなその感覚は、どうにも落ち着かない気分になる。


『私の属性は光。そしてお前の属性は闇だ。本来この二つの属性は相性が悪く、ぶつかり合えば打ち消し合う。当然、私の魔力をお前の中に流せば、体内で二つの属性が反発して最悪破裂する。今、お前がなんともないのは私が精密にコントロールしているからだ』

「お、お前、そんなヤバそうなことしてたのかよっ!?マジで離せって!!」

『だから離すなと言ってるだろうが!!白上羽衣の身体に触られて満更でもないくせに!』

「お、思ってねーし!?白上さんなら嬉しいけどお前に触れても逆セクハラなだけだし?」

『目が泳いでる上に力が弱まってるぞ。まあ私には好都合だ。そのまま聞け』


 真剣な顔をしながらも、ツキコがてんで的外れなことを言ってくる。

 しかし、白上さんの身体に万が一にも傷を付けるわけにもいかないし、マジで重要そうな話だと思ったオレは抵抗をやめて素直にツキコの話を聞くことにした。

 断じて、ツキコの言葉が図星だったからではない。


『話が逸れたが、要はお前が私に悪影響を与えないレベルで魔力を流せるようになれば、纏の制御もできるだろうということだ』

「いやいや!!さっきお前破裂するとか言ってただろうが!!白上さんの身体にそんなことできるわけないだろ!!」

『そうだ。できない。感情的な話を抜きにしても、お前は私との契約で、私に危害を与えることはできない。すなわち、白上羽衣の身体を傷つけることもできない。そこを利用するのだ』

「ああ?」


 またしても、ツキコの言っている意味がよく分からない。

 オレの感情的な問題を無視しても、オレはツキコ、ひいては白上さんに危害を与えることができない。

 そして、オレの闇属性の魔力を白上さんに流せば、それだけで白上さんに危険が及ぶ。

 ツキコの言うことなど、どだい不可能ではないだろうか。


『私たちが結んだ契約は、破った場合に罰を与えるのではなく、そもそも違反ができないようにするものだ。お前が魔力を流そうとして、それで白上羽衣の身体に傷が付くのならば、最初からその行動ができなくなる。だが、お前が精密な魔力コントロールを身につけているのなら、契約に引っかからずに魔力を流せる』

「・・・契約で、オレが魔力をコントロールできてるかどうか判断するってことか」

『そうだ。そして、私が魔力を流すことにも意味はある。私の光属性の魔力は、闇属性のお前にとってわかりやすいだろう?』

「ああ。身体の中に妙なモノがあるのがはっきり分かる・・・この流し方を真似すりゃいいのか?」

『そういうことだ。魔法使いの子供なら、親しい者から真っ先に教わることだな。自分以外の魔力を流されれば、身体に違和感が出る。その違和感から、魔力の流し方を学ぶのだ。まあ、相性の悪い属性でやるのは、よほど精密なコントロールができる者でなければ無理だが。この私のようにな!!あっはっはっはっ!!』


 どや顔で胸を張るツキコだが、魔法使いの事情に疎いオレではその凄さはよくわからない。

 だが、ツキコがどういう意図で手を繋いできたのかはわかった。その合理性も。

 しかし、やはり根本的な所がわからない。


「で、魔力ってどうやって流すんだよ?」

『・・・マジか、お前』


 それまで高笑いをしていたツキコだが、オレがそう言うと驚いたというより、ドン引きしたような表情になる。

 しかし、そう言われても魔力を流す方法など知らない。

 これまで、威力を弱めて魔法を使ったりすることはあったが、それも『弱くなれ!!』と念じた結果であり、身体の外に魔力だけを出せと言われてもわからないのだ。


『いや、お前魔法が使えるだろう?あの時と同じようにすればいいだけだろうが』

「それがわかんないんだよ。『なんか使える』って思って魔法は使ってるけど、魔法を使おうと思ったらもう発動してるって言うか・・・」

『ふむ・・・お前、魔法を初めて使ったのは、死神に殺されてからと言ったな?』

「ああ。それから、なんか魔法が使えるのが本能的にわかったって感じだ」

『この儀式のプレイヤーは、自身の適性に合ったカードを与えられ、本人の力量に応じたレベルまでの魔法が制御方法を含めてインストールされる。要は、お前は順番が逆なのだ。魔力の扱いを覚えてから魔法を使えるようになったのではなく、魔法をいきなり使えるようになった。だから儀式に与えられた魔法以外の魔法を使えないし、魔力の扱いもわからない』

「なら、どうすんだよ?」

『・・・仕方ないか』

「あ・・・って、おいっ!?」

『大声を出すな。頭に響く』

「い、いやいや!!こ、こんなのって!!」


 唐突に、ツキコがオレの手を離した。

 オレの手から白上さんのぬくもりが消え、思わず声が漏れる。

 だが、すぐにそんなことがどうでもよくなるくらいの衝撃がオレを襲った。


『チッ!!身体が無駄にデカいせいで掴まりにくいな。おい、もっと縮め』

「で、できるわけねーだろ!!なんなんだよコレ!!」


 ツキコが、オレに真正面から抱きついていた。

 それまで、オレはあぐらをかき、ツキコはなんか女子が体育館でやってる時みたいに足を崩して座っていたのだが、不意に立ち上がったかと思えば気付けばこの有様だ。

 オレの背中まで手を回して姿勢を安定させようとしているようだが、オレとしてはそれどころではない。

 白上さんの温もりが、感触が、匂いが、もはや感覚の暴力となってオレに襲いかかってきていたのだから。


『うるさい黙れ。気が高ぶっていると魔力が荒れるだろうが。もっと落ち着け』

「無理だって!!離れろって!!」


 抱きついたままのツキコ、いや、白上さんの身体。

 あまりにも恐れ多く、オレとしては離れて欲しいのだが、当然白上さんの身体に手荒なことなどできないから、口で反抗するのが関の山だ。

 っていうか、これがマジの白上さんだったら意識を保てなかっただろう。

 ツキコだからまだ会話ができているが、女子とここまで接触することなど、オレの人生で初めて・・・


(あ、そういや魔女っ子を庇って抱きしめたことあったな。っていうか、黒葉さんを抱えて走ったこともあったわ)


 混乱するオレの頭の中にふと蘇ったのは、皇帝の雷から魔女っ子を庇った時や、先日黒葉さんをお姫様だっこした時のこと。

 魔女っ子と黒葉さんの顔を思い出した途端、フッと冷静になった。

 あの2人を前にしているときは、オレもリラックスできていることが多いからだろうか。

 それか、今の現実から離れた過去のことに意識が逸れたからか。


『む?急に落ち着いたな。ならば聞け。これは魔力操作を覚える初歩の初歩。魔法使いの親が赤子にやることだ』


 オレが静かになったのを見計らったのように、ツキコは口を開いた。


『魔法使いの子供は、生まれたときから魔力を自覚できている。そして、その操作方法を知らねば暴走の危険があるのだが、生まれて間もない赤子に言って聞かせたところで分かるわけもない。故に、親が子の魔力を制御するのだ。これが、後の魔力制御の礎にもなる』

「つまり、お前がオレの魔力を操るってことか?できるのかよ?オレとお前の魔力って相性悪いんだろ?」

『誰に物を言っている。他人の魔力を操ることなど、もう何百年続けてきたか分からん。お前が大人しくしていれば・・・』

「おお?」


 ツキコがそう言った瞬間、オレの身体の中にさっきも流れ込んできた妙な感じが再び入ってくるのを感じた。

 その不思議な感覚はさっきよりも大きく、オレの全身に広がっていく。

 そして、その流れが指の辺りに集まってきた。

 それに釣られるように、オレの中の何かも指に流れていく。


『手を前に出せ』

「え?あ、ああ」

『よし・・・では、唱えろ』


 オレとツキコは、同時に唱えた。


『『『死弾デス・バレット』』』


 瞬間、オレの指先に溜まっていた何かが指先から出てきた。

 見れば、黒い玉が空中に浮かんでいる。


「これ、オレの魔法か?」

『ああ。私の魔力を呼び水にしてお前の魔力を集め、そのまま外に出した。本当に微弱な魔力で作ったから、この魔弾も私が制御できているが・・・どうだ?魔力が外に流れる感覚はわかったか?』

「う~ん、なんとなくな。えっと、こうか?」

『のわっ!?私が魔力を流してるのに動かすな!!それに制御が大味すぎるぞ。相手を倒すためだけならそれでもいいが、繊細なコントロールが必要な時には使えないな。不器用な奴め』

「初めてなんだからしょうがねぇだろ」


 さっきツキコがオレを介して魔法を使った。

 そのときの魔力の動きはとても丁寧で、普段のオレのように『なんとなくできそう』だから使ってるのではなく、きちんと一つ一つのプロセスを理解しているのがわかった。

 どうにかこうにか真似しようと思ったが、うまくいかない。

 普段なら『なんとなくいける』という根拠のない自信があるのだが、こういった細かいことをオレは不得手のようだった。


『分かってはいたが、まだまだ練習がいるようだな』

「そうだな。でも、今日ので魔力をどう動かせばいいかはなんとなくわかった。これからはオレ1人でも・・・」

『たわけ。お前ぐらいえげつない量の魔力を持ってるヤツの制御が一朝一夕でうまくいくわけがあるか。1人でやっていれば、段々歪んでいく可能性もある。スポーツの類いもそうだろうが』

「そりゃそうだけどよ・・・いや、まさか」

『フフン。そのまさかだ』


 今までの話の流れから、ツキコが何を言いたいのかわかった。

 オレの内心を察したかのようにツキコがオレから離れ、再び地面に座り込みんでからオレに指を突き付ける。

 

『これからは毎日、お前が魔力制御をモノにできるまでこれを続けるぞ』

「マジかよ・・・」


 ツキコがやろうとしていることが合理的なのは分かる。

 さっきの魔法の感覚をモノにできれば、オレは纏なしでももっと強くなれるに違いない。

 だが、いかんせんメンタル的によろしくない。

 いくら相手がツキコとはいえ、身体は白上さんなのだ。

 意識するなという方が無理だし、なにより嫌っている男を抱きしめさせるなど、白上さんに申し訳ない。


『嫌なら早く魔力制御ができるようになるのだな。それとも、お前は今のままでいいのか?さっきも言ったが、儀式は終盤ほど難しくなる。お前が負ければ、白上羽衣は間違いなく儀式に喰われるぞ。それでもよければ断るがいい』

「・・・わかったよ」


 だが、白上さんの、さらに言うなら魔女っ子の命には代えられない。

 オレは罪悪感を抱えつつも、ツキコの提案をのむのだった。




-----




「・・・わかったよ」

『うむ。わかればよろしい』


 私の提案に、不承不承とした雰囲気を醸しながらも誠二は頷いた。

 私は、それを聞いて満足感を覚えながら頷く。


(クフフっ!!いい物だな。コイツが私の言うことを素直に聞くというのは)


 纏を使う前もそうだったが、やはり誠二が私の言うことに従っているというのは気分がいい。

 なにせ、誠二が私の言うとおりに動けば、私の願いが成就する可能性が飛躍的に上がるのだから。

 己の願いが順調に進んでいくのを見て、喜びや高揚感を覚えない者はいないだろう。

 とはいえ、誠二の魔力操作の腕前は大して高くない。精々並の魔法使いと言ったところか。

 モノにするには相応の時間がかかるだろう。

 そんな風にこの先のことを考えていると、誠二がふと思いついたように呟いた。


「でも、魔法使いの親は大変だな。普通の育児以外にもこんなことしなきゃいけないなんてさ」

『普通の魔法使いの赤子の魔力量はそう大した物ではない。確かに暴走の危険はあるが、早々大事にはならんのだ。故に、魔力制御は毎日時間を掛けて少しずつ行っていく。まあ、それでも一手間かかる分だけ大変だろうがな』

「へぇ~・・・ん?待てよ。魔法使いってオレみたいに突然出てくることもあるんだろ?親が知らなかったらどうすんだよ?それに、親がいなくなったりすることだってあるだろ」

『魔法使いの突然変異はレア中のレアケースだから置いておくが、まあ、そうなったら運次第だ。運良く暴走が起きないか、起きても大したことがなければそのうち自然と身についていく。お前だって、数年経てば自力で会得していたかもな』


 赤子の魔力暴走と言えば、本人の属性に応じた物が周囲に現れるのがよくあるパターンだ。

 水や風ならば暴走しても危険性は低いが、火や雷だったら赤子が死ぬ可能性もある。

 だから、魔法使いの赤子が親から見放された場合は運次第になるのだ。

 まあ、魔力によって変異した臓器である『魔臓』を持っていれば、生まれながらに高度な魔力制御を有していることが多いが、それもまた運であり、レアケースだ。


(・・・そういえば、誠二の魔臓はどこだ?)


 『魔臓』とは、魔力によって変質した身体の一部分。

 魔法使いは魔力によって肉体が変質していることが多いが、魔臓と呼べるレベルまでのモノを持っているケースは少ない。

 『魔法使いでも見えないモノが見える眼』や『魔力を桁外れに貯蔵できる髪』などが確認されているが・・・


(眠っていたとはいえ、魔力そのものは誠二の中にもあったはず。誠二ほどの魔力量ならば、魔臓ができている可能性は高いが、今まで気付いていなかったのならば、臓器のどれかか?)


 魔臓の特性は千差万別であり、人によって特性が大きく異なる。

 強力な特性を持つモノならば、戦闘においても役に立つだろうが、誠二自身も周りも気付いていないことは、目に見えない内臓系で、誠二が意識しなければ使えない特性である可能性が高い。


(なら、気にしても仕方がないか。コイツの、人間を何人も惨殺してそうな眼がそうかと思っていたが、魔力の流れからして違うようだし)


 まさか誠二の身体を解剖して調べる訳にもいかない。

 ならば、死霊術士の魔法の使い方のように、無い物ねだりになるだけだ。


(『私自身の』魔臓と同じようにな・・・いや、こんなことを考えている時点で時間の無駄か)


 余計なことに思考が逸れたのを自覚し、私は切り替える。

 手に入らないモノのことよりも、これから積み上げるモノのことを考えなければならないのだから。

 

『とりあえず、明日から・・・』

「あ、練習するのはいいけど、昼休みはナシだぞ。今日は例外だからな」

『・・・あ?』


 明日も、今日と同じように練習をしようと考えていると、水を差すかのように誠二はそう言った。

 その瞬間、さっきまで良かった機嫌が急激に悪化するのがわかった。


「いや、朝も言っただろ。オレは昼休みはいつも用事があるんだよ。でも、今日はお前と話したいことがあったから特別に来ただけだ。これは譲れない」

『・・・ほう?お前は白上羽衣が死んでもいいということか?』

「そんなことは言ってないだろうが。昼休みがダメだって言ってんだよ。ん?いや、放課後も・・・いや、朝もダメだな。考えてみると、オレ結構忙しいな」

『・・・・・』


 イライラする。

 まず、さっきの誠二の言葉に。

 そして今の、無自覚に白上羽衣を、ひいては私を軽視するかのようなその態度に。


(お前は白上羽衣が好きなのではなかったのか?白上羽衣以外のどこの馬の骨とも知らん人間を優先するというのか?どうせ裏切られるだけだというのに。私の言うことを聞くのが最善だと、何故分からない?)


『そんなに、そんなに楽しいのか。お前にとってオカ研とやらは。昼どころか朝と夕の時間まで削って構うほどにか?ずいぶんとご執心じゃないか。白上羽衣が聞いたら嫉妬するかもな』

「白上さんはオレを嫌ってるんだろうが。それに、楽しいのは確かだけど、それ以上に放っておけないんだよ、しばらくはまだ余裕のある白上さんよりな・・・念のため言っておくけどよ、絶対に手を出すんじゃねぇぞ?」

『・・・フン。わかっている。契約は守るさ』


 オカ研のことを口に出した途端、誠二の雰囲気が変わる。

 それまで気が乗らなそうながらも私の言うことを聞いていたのに、今はまるで敵でも見るかのような眼で私を見ている。


(まあいい。私は私の目的が果たせればそれでいい。誠二が私に協力する姿勢を取っているだけでも十分と言えば十分。今下手に動けばそれすら怪しくなる・・・それに、誠二が現実を見るのも時間の問題だ)


 苛立つ内心を宥めるように、私は自分に言い聞かせる。

 誠二が構っている相手は所詮は人間。

 魔法使い。それも死神の力を持つ誠二とは絶対に相容れない。

 ならば、待っていれば今よりもさらに誠二を私の支配下に置けるようになる。

 誠二が私に服従し、私の指示だけに従うようになる。

 それを思い浮かべるだけで、なんとも言いがたい喜悦が湧き上がってくるのを感じた。


「けど、実際どうするかね。朝はオレもだけど、白上さんも部活の練習があるし、放課後もそうだ。別にオレだけの事情でダメってわけじゃないしなぁ・・・あ、そうだ。昼休み以外の休み時間ならどうだ?さっきの魔法を使えばバレないんだろ?わざわざここまで来るのも面倒だし」


(面倒?オカ研には朝も昼も放課後もお前から行くのに?私の方は面倒だと?)


 苛立ちがぶり返す。

 けれども、それを表に出してもいいことはない。

 数百年間をこれまでも耐え忍んできたのだ。

 今更この程度ですべてを棒に振るのはあまりにも愚かだ。


『・・・まあ、可能ではある。だが、いいのか?お前は教室で他の人間が周りにいる中でさっきと同じことをするんだぞ?言っておくが、『隠者』の権能まで使うのはやらんからな?』


 それが分かっているのに、私の口からは嫌がらせのような言葉が飛び出した。


「う、それは・・・そ、そのくらい我慢するさ。そうだ、これは全部終わったあと、白上さんと街中デートするときの予行練習と思えば」

『フン・・・精々狼狽えて魔力を暴発させないようにするのだな。結界が壊れて周りに被害が起きても、私のせいではないぞ』

「ぜ、善処します・・・」


 このバカには、私の嫌味を理解できなかったようだ。

 結局、誠二はオカ研を優先し、私との関わりは妥協したまま。


「ま、これでこれからのこととか、練習の話は終わりだろ?ならオレはこれで・・・って、もうこんな時間じゃん!!いや、でも今ならまだ間に合うか?おいツキコ!!オレ先に戻るから!!」

『・・・好きにするがいい』


 スマホを取り出して時間を確認したかと思えば、大急ぎで駆けていく誠二。

 人間離れした身体能力のおかげで、あっという間に屋上から出ていった。

 後に残るのは私1人だけ。


『フン、精々人間に好きに利用されているといい。いつまで続くか知らんがな。それに、これはこれで好都合か』


 私の言葉は、走り去っていった背中には届かない。

 けれど、誰もいなくなった昼間の屋上は、今からやろうとしていることを試すにはちょうどいい。


『・・・聞こえるか、『私』』


 虚空に向かって、私は声をかける。

 端から見れば異常者の行動ではあるが、私にとっては意味のあることだ。いや、意味のあること『だった』と言うべきか。


『UTtet52GVYciDhVWGUzkhSLsfpxgPVg-w_eBA6ZEYgmtnehp9u』


 誰もいないはずの屋上。

 だが、私には返事が返ってくるのが聞こえた。

 しかし、それはただ聞こえただけだ。

 聞こえたのは、ひどくノイズがかかったような雑音。もしくはどことも知れない異国の言葉。


『やはり、『片割れ』との繋がりが弱まっている・・・?』


 今ここにいる私は、『始まりの魔女』の残滓。

 だが、私はあくまで残滓の『一部』だ。

 始まりの魔女は、最後の戦いにおいてわざと儀式に取り込まれた。

 事前に、己の魂を分けた『片割れ』を作った上で。

 そうすることで、儀式に参加するプレイヤーでありながら、儀式の内側から干渉できるようにするために。

 私の目的であり、手段でもある儀式の改ざんを行うのは、私ではなく儀式に入り込んだ『片割れ』だ。

 白上羽衣に入り込んで、今回の儀式が始まったとき、私は『月』のカードを通じて儀式の中にいる片割れと接触。

 永い年月で魂にガタが来ていたことや、白上羽衣が人間のために目立って行動することにはリスクがあったことから、月のカードに籠もっていた私から、まともな人間性を保った部位を残してすべて片割れに送りつけた。

 こうすることで、儀式の内側にいる片割れとの結びつきを強めて支援を受けられるようにし、人間のプレイヤーでも不利にならないようにするつもりだった。

 念のため、儀式そのものに片割れの存在が露見しないように、私から接触するのは控えていたが、儀式が始まった当初は意思疎通が取れていたのだが・・・


『あの『正義』との戦いから、日が経つごとに繋がりが薄れている・・・』


 これまで『隠者』と『死神』を見つけられたのは、片割れからの知らせがあったからだ。

 『正義』と戦ったときは誠二が傍にいたために、儀式そのものが急遽刺客として差し向けたことで前触れもなかったのは分かる。

 だが、そこから繋がりが薄れている理由は・・・


『まさか、私が『ツキコ』になったからか?』


 名付けとは、魔法的に大きな意味を持つ行為。

 かつての名前を失っていた私に、『死神』に強い適性を持つ誠二が『ツキコ』という名前を与えた。

 それによって、私という存在がそれまでと変質しつつあるのかもしれない。

 

『それは、それは・・・』


 それは、歓迎すべきことではない。

 今の私にとって、かつての私の願いは至上の目的だ。

 これを叶えることよりも優先すべきことはないと胸を張って言える。

 だが、私という始まりの魔女の残滓が変質を続ければ、もしかしたらこの魂の欠片に刻みつけられた願いすら変わってしまうかもしれない。

 それこそ、これまでのすべてを棒に振る行為だ。


『YkわたwhのJHZpWW願kAをhRX叶kU9EdUzB害XrfF22』


 再び雑音が響く。

 相変わらずノイズがひどく、その意を読み取るのは難しい。

 けれども、私にはわかる。わかってしまえた。

 これまで、私はたった一つの願いのためだけに存在し続けてきたから。



--私のためを思うなら、私は『ツキコ』であることを・・・



『っ!?違うっ!!』


 不意に思い浮かんだ声を、私は大声でかき消した。


『私がツキコであることは、大きな利点だ!!あの強大な力を持つ誠二が曲がりなりにも協力体制にあるのは、私がツキコだからだ!!ツキコという名で、契約を結んだからだ!!私がツキコでなくなれば、誠二が私を消す!!そうなれば、私の願いは叶わない!!』


 この儀式を勝ち抜くには、誠二の協力は必要不可欠。

 そして、その誠二との契約は、『ツキコ』という名前で結ばれている。

 契約を維持するためには、私もツキコであり続け『なければならない』のだ。

 私はポケットの中から折りたたんだ紙を取り出す。

 私の魔法で劣化から守られているその紙は、あの時のままだ。


『私は私だ!!私がかつての私でなくなっても、かつての私の願いを忘れても、それが至上であることに変わりはない!!私がツキコである限り必ず叶う!!必ずだ!!だから、だから!!』


 『伊坂ツキコ』


 あの帰り道の後で、こっそりと名字を書き足した箇所を震える指で触れながら。


『私から、この名を奪うな・・・』


 絞り出したような私の声に、返事は返ってこなかった。

 


-----



「はっ!!はっ!!はっ!!」


 『廊下を走ってはいけません』。

 それは、小学生どころか幼稚園児ですら言いつけられる当たり前のルール。

 ガチ犯罪者顔であるからこそ、せめて行動だけは品行方正でいようと心がけてきたオレにとって、日頃から最も守るように気をつけている決まりかもしれない。

 そんなルールを、オレは今全力で破っていた。


「ふっ!!今っ!!はっ!!12時40分っ!!ならっ!!ほっ!!まだっ!!はっ!!間に合うかもっ!!」


 昼休みの南校舎は人気がない。

 その廊下を、弁当を持ったまま全力疾走する。

 せっかく母さんが作ってくれた弁当がぐちゃぐちゃになってしまうかもしれないが、どんな有様になっていようと完食するから勘弁して欲しい。


「うおおおおおおおおっ!!」


 叫びながら走る。

 そのままオレは、階段を駆け上がり、四階に到着。

 靴がすり切れてるかもしれないが、それも無視して走る。

 階段を上りきった以上、後は真っ直ぐな廊下しかない。

 そして。


「とりゃあああああああああっ!!」


 オレは扉を開けた。

 そこには・・・


「い、伊坂くん・・・?」

「はぁっ、はぁっ・・・ま、間に合った」


 開けられた様子のない弁当箱を前に、目元が赤く腫れている黒葉さんが座っていたのだった。

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