第31話 死神と月2

『私と取引しないか?』

『なんだと?』


 目の前に突き付けられた大鎌に触れながら、私は余裕綽々といった風に告げる。

 大鎌の持ち主である伊坂誠二は、髑髏の仮面を被っているが、困惑しているのがわかった。

 その様子を見ながら、内心で思う。


(あ、あぶなかったぁあああああっ!!!本気で殺すつもりだっただろうコイツ!!)


 内心バクバクである。


(もしかしたら襲いかかってくるかもしれんとは思ったが、ここまでとは・・・)


 伊坂誠二は外見とは真逆に、実に善良な心を持っている。

 私のような寄生虫にも情をかけるくらいなのだから、いっそ甘いとすら言えるほどに。

 だからこそ、私は『恋人』から助けて恩を売ったことで、ある程度の精神的なアドバンテージを得たと判断した。

 伊坂誠二には、恩人を傷つけるような真似はできまい、と。

 しかし、伊坂誠二が白上羽衣にかける想いもまた、相当なモノだということも知っていた。

 故に、白上羽衣への寄生を止めるつもりがないことを言えば、もしかしたら強硬手段に出てくるかもしれないとは思っていたが、その可能性を考えておいて正解であった。

 記憶の操作が難しい以上、私の正体と、白上羽衣の身体を使い続けることは言わねばならなかったために、避けられない事態でもあったのだから。


『おい、黙ったままならこのままヤるぞ』

『やれやれ、せっかちなヤツだな。早漏は嫌われるぞ』

『うるせぇよ』


 少し間を開けすぎたようで、伊坂誠二が焦れたように大鎌をさらに近づけてくる。

 軽口を叩いてみるが、それに惑わされる様子はない。

 どうやら、今の伊坂誠二は本当に真剣なようだ。

 下手に混ぜっ返せば文字通り消されかねない。

 ここは私も真面目にやるべきだろう。時間をおいたおかげで思考はまとまった。


『まず、そうだな。お前は魔法使いのプレイヤーだから知っているだろうが、白上羽衣よりもお前の方が狙われやすい。これはいいな?』

『ああ』


 この儀式において、魔力の多い魔法使いのプレイヤーは良質な餌であり、優先的に狙われる傾向にある。

 しかし、だ。


『お前も魔法使いならば、使い魔で街の様子くらいは探っているだろう?白上羽衣が狙われた回数が、人間のプレイヤーであることを差し引いても少ないことには気付いているだろうが・・・』

『え?』

『む?』

『あ、ああ!!そうだな!!・・・そういえば、オレたちの周り以外で強い怪異が出たことがないって魔女っ子が言ってたな』


 なにやら早口でぼそぼそと呟く伊坂誠二。

 どうにも怪しいが、私の言っていることを疑っているわけではなさそうだ。

 もしかしたら、使い魔を持っていないか、数が少なくて索敵ができていないのだろうか。

 『権能』も強すぎて扱ったことがあまりないということだし、細かな制御を必要とする魔法が苦手なのかもしれない。


『ともかく、白上羽衣が大アルカナと戦ったのはこれまでで四回だが、内二回は、お前がいたから来たのであろう『正義』と『恋人』。そして、白上羽衣が倒した『隠者』と『死神』は街をうろついているところをこちらから襲いかかって倒している』

『実質ゼロ回ってことか。オレは、え~と、『吊された男』に、『女帝』、『皇帝』、『女教皇』、『正義』、んで『恋人』・・・七回。そう考えるとめっちゃ差があるけど。まさか』

『そう。私が狙われないのは、私の権能によるものだ。どんな力なのか、察しは付いているだろう?』

『正義のときも、さっきの恋人のときも、お前いきなり消えたり現れたりしたよな・・・んで、お前が唱えてる『ルナ』は、『月』って意味だ。それは前に会った時に気付いてた。それで、『月』はえ~と、確か『隠れている危険』の象徴。つまりだ、お前の権能は、見えなくなる力だろ?』

『まあ、そんなところだ』


 やはり魔法使いなだけあってか、タロットの持つ意味については把握しているらしい。


『ふぅ、黒葉さんに教わってて助かった・・・って、ゴホンっ!!つまり白上さんが狙われないのは、お前が守ってるからってことか』


 今の私は人間のプレイヤーとして参加しているが、それ故に戦闘能力はそこまで高くない。

 隠れ潜みつつ、小アルカナや弱い大アルカナを狩って、魔法使いのプレイヤーに強い怪異を倒させながら力を蓄えるというのが、今回の儀式における、私の初期プランだった。


『そういうことだ。確かに私は白上羽衣をこの儀式に巻き込んだが、安全も保証している』

『いや、それは違うだろ。いくら襲われなくたって、プレイヤーならいつかは戦わなきゃならなくなるはずだ。お前を消して、白上さんに儀式から抜けてもらえば、それが一番だろ』


 この儀式において、プレイヤーどうしでもカードの奪い合いが発生する。

 伊坂誠二が私を消せば、残るのは気絶した白上羽衣だけ。

 そうなれば、魔法使いのプレイヤーによって倒されたという判定になり、白上羽衣は脱落するだろう。


『それはどうかな?よく考えてみろ。私がいるからこそ、白上羽衣は自衛する力を持てるのだぞ?』

『だから、そんなの危険な目に遭わせないように儀式から抜けてもらえば・・・』

『変わらんよ。私を消し、白上羽衣を儀式から抜けさせたところで、コイツの身が危ないことに変わりはない』

『・・・どういう意味だ?』


 伊坂誠二が襲ってくる可能性を考えながらも、私が余裕のあるフリができた理由。

 それこそが、そこにある。


『おかしいとは思わなかったか?なぜ、白上羽衣が人間のプレイヤーとして選ばれたのかを。人間のプレイヤーに求められる条件は、『強い願い』だというのに』

『はぁ?そりゃ、お前が細工したからじゃないのか?』

『言っただろう?私は白上羽衣を唆しただけだ。いかに『月』の権能が使える私でも、常時白上羽衣をプレイヤーだと偽ることなどできん』

『なら、なんでだよ?』

『望んでいるのだ。『儀式』そのものが、始まりの魔女の血脈を』


 生前の私、始まりの魔女は、この儀式を掌握しようとして参加し、失敗した。

 そのときの願いが何なのか、私はもう覚えていない。

 歴史に残るように、魔法使いたちをまとめ上げ、魔法使いを守ることを願ったのかもしれないが、もはやそこに興味はない。

 重要なのは、生前の私が持っていた願いの強さと、儀式に施した改ざんだ。

 

『儀式は、人間の欲望が凝り固まって生まれた怪異。その本質故に、儀式は強い欲望を好む。道半ばで途絶えたとはいえ、始まりの魔女は今も魂だけで残留するほどの願いを持った魔法使い。儀式にとって最高の餌だったのだろうよ。そして、白上羽衣には、そんな私に連なる血が流れている』

『・・・儀式が、お前の味を覚えてるってか?』

『そこまでは分からん。だが、これまでの儀式において、コイツの先祖たちがプレイヤーに選ばれないことはなかった。例え、強い魔法使いが他にいようとな』


 これまで、私は自身の血族の身体に入り儀式に参加してきたが、私が唆すまでもなく、白上羽衣の先祖たちは儀式に乗り込んでいった。

 一昔前では、魔法使いが今より多い時代もあり、その中でも始まりの魔女に連なる私の血族は優秀であったが、それでも最強の存在だったわけではない。

 だというのに、儀式は私の血族を拒まなかった。

 そこには、儀式そのものの意思が関わっているのではないか。

 

『生前の私が儀式に施した魔法。今も儀式を変えつつあるその魔法と、それによって変貌した儀式が、術者に連なる者を求めている・・・私はそう考えている。仮説に過ぎんがな』

『じゃあ、もしもオレがお前を消したら・・・』

『喰われるだろうな、儀式に。知っているだろう?今、この街で人間が昏倒する事件が多発しているのを。アレは、儀式による強制的な魔力の徴収だ。今のところ死人は出ていないようだが、白上羽衣についてはどうなるかわからん』


 儀式による魔力の徴収。

 この街に現れる高レベルの大アルカナを創り出すために必要な魔力を、街の住人から搾り取っているのだ。

 儀式は人間の欲望や恐怖を糧とするため、その元となるプレイヤー以外の人間を殺すことは極力避ける傾向にあるが、それでもいつ気が変わるか知れたモノではない。

 そして、白上羽衣に関しては、始まりの魔女の血脈ということで、本格的に取り込みにかかる可能性はかなり高い。

 私が、儀式が始まる前に白上羽衣に出会えたことは幸運だったが、白上羽衣にとっても運が良かったのは間違いない。


『私を消そうが消すまいが、危険なのは同じ。ならば、少しでも力が強い方がいい。違うか?』

『う・・・』


 言葉に詰まる伊坂誠二。

 私の言うことが合理的なのはわかっている。

 けれども、感情が納得できない。

 そんなところだろう。


(ここだっ!!)


 攻めるなら、今だ。

 私の提案を飲むメリットを、ここで説き伏せる。


『さて、では改めて聞こうか、伊坂誠二』


 内心でギラつきながらも、表には出さず、あくまで澄ました顔で、私は続ける。


『私と取引しないか?私が提供するモノは、白上羽衣の安全。こちらが望むモノは、このツキコの安全保障だ』


 

-----



 あの道から少しばかり歩いたところにある、遊具の撤去された公園。

 唯一残されたベンチに、私と伊坂誠二は座っていた。

 なお、2人とも変身は解除している。

 お互いの正体を知っている以上、怪異の介入を招きかねないからだ。


「本当に、白上さんに妙な真似はしないんだな?それに、お前の目的を達成したら元のまま返すんだな?」

『当たり前だ。この身体は私にとっても大事な器だからな。そして、私にとっては儀式の完成が最重要事項。それさえ済めば、大人しく消えてやるさ。未練さえなくなれば、この世界に留まる意味はない』

「そうかよ」


 結局、伊坂誠二は私との取引に応じた。

 私たちの間には、近くのコンビニで買ってきたルーズリーフが置かれており、そこにはこれから私たちが結ぶ契約の内容が書いてある。


『では、確認するぞ?まずは私の遵守事項だ』


 そして、私は契約内容を読み上げる。


① ツキコは白上羽衣の身体に入る限り、悪事を行わない。この場合の悪事とは、現行法に反する犯罪   

行為(魔法を使った場合、凶器を使用したとする)ならびに他者(白上羽衣含む)の精神、記憶を改ざんすることを指す。ただし、儀式において必要な場合はこの限りでない。


② ツキコは白上羽衣の身体に入る限り、白上羽衣の安全を最優先とする。


③ ツキコは自身の目的(儀式の完成)が成された場合もしくは白上羽衣が参加資格を失った場合、白上羽衣に一切の損害を与えず解放する。



「おい、①の『儀式において必要な場合はこの限りでない』ってのはどういう意味だ?」


 ルーズリーフを指さしながら、伊坂誠二はしかめっ面で聞いてくる。

 まあ、当然そこは突っ込まれるか。

 しかし、この条件だけは外す訳にはいかない。


『例えば、結界の中に魔力の多い人間が迷い込んだとするだろう?全身鎧のお前はともかく、私は顔はそのままだから、見られたら記憶を消さなければならない。そういった時の場合だ。緊急的に白上羽衣から身体の制御を奪わなければならない時などもだな。私の存在が白上羽衣にバレるのがマズいのはわかるだろう?』

「・・・まあ、それは確かに困るか。いくら白上さんでも、お前みたいなのが中にいるなんて受け入れられるかわかんねぇからな。けど、それをどうやって必要な場合って判断するんだ?」

『契約者が『これは違反だな』とわずかでも思った時点でその行為ができなくなる。これは魔法による契約だが、契約そのものがそもそも違反行為をさせないようにするのだ』

「その場合だと、違反だと知らずにやったらできちまうんじゃないか?」

『私もすべての法律の把握などできていないから、やらかす可能性はあるだろうが・・・そこまで厳密に縛ると、戦闘中に動けなくなるかもしれんぞ?』

「・・・しょうがねぇか」

(よし!!)


 私は内心でガッツポーズを決めた。

 この条件を通さなければ、間違いなく私は儀式を勝ち抜くことができないからだ。


『なら、ここまではいいな?ではお前が守る事項についてだ』



④ 伊坂誠二はツキコが上項を守る限り、ツキコに一切の危害を加えない。



⑤ 伊坂誠二はツキコおよび白上羽衣の持つカード以外のすべてのカードを集めなければならない。また、集め終えた際にはカードをツキコに譲渡するが、願いの内容は伊坂誠二が決定する権利を有する。



⑥ 伊坂誠二はツキコが白上羽衣の精神と入れ替わっている時以外、すべての契約内容ならびにツキコの存在を忘却する



⑦ ツキコと伊坂誠二両名の同意が得られた場合のみ、契約を破棄できる。



「おい、④と⑦は分かるが、他は何だよコレ」


 契約内容を確認した伊坂誠二が、またも訝しげな表情で問いかけてくる。


『ふむ、そんなに文句を言うほどか?私は儀式が完成すればそれでいいから、お前の願いの邪魔にはならんだろう?何を願うのかは知らんが』

「いや、オレは巻き込まれただけだから特に願いはないけどよ。これだと、お前のために使いパシリになれってことじゃんか」

『ほう?それでは、私に、白上羽衣に前線に出ろということか?』

「う、それは嫌だけど・・・あ!!っていうか、ペナルティはどうすんだよ!!全部のカードをわざと渡すのって、なんかペナルティがあるんだろ?身体の一部をなくすとか!!」

『なんだ、知らないのか?それはカードが11枚以下の場合だ。お前が私の持つカード以外の残り18枚を集めてから私に譲渡する場合、ペナルティは発生しない』

「え?そ、そうなのか?」


 この儀式をペナルティなしで抜けるには、『① 代わりのプレイヤーを用意する』、『② 他プレイヤーとの真剣勝負で敗北する』、『③ 12枚以上のカードを集めてから他のプレイヤーに譲渡する(最後の1人は不可)』の3つの方法がある。

 この中で、人間のプレイヤーなら①が最もリスクが少ないだろうが、魔法使いには難しい。

 ②は、敵対関係にあるならそのまま殺されかねない。

 そのため、もしも魔法使いのプレイヤーが儀式から抜けたいのなら、③の方法が一番確実だ。

 まあ、儀式の怪異を半分より多く倒すのは相当難易度が高いし、できるのならば優勝を目指すだろうが。


(他にも、『五体満足で儀式を抜ける方法』ならあるがな。前の儀式では、イレギュラーの黒葉が私を倒した後、その方法でに逃げたせいでプレイヤーがいなくなり、中断する羽目になったが)


「そういや、魔女っ子は『たくさんカードを集めたら別の条件がわかるかも』って言ってたな・・・そうなると、さっさと怪異を後7体倒して、魔女っ子に渡せばいいのか。なら、この条件は別に飲んでもいいな」

『ん?何か言ったか?』

「あ、いや、なんでもない・・・いや、⑥の条件は何だよ?すごい怪しいぞ」


 私が前回の儀式のことを思い出していると、伊坂誠二が何か呟いていた。

 ⑤の条件にも文句はなくなったようだが、まだ懸念があるようである。


『コレに関しては、お前が不安だから足したのだがな』

「ああ?どういう意味だよ?」

『いや、お前、腹芸が得意なタイプじゃないだろう?私のことを知っていながら、白上羽衣と普通に話せるか?』

「あ・・・」


 私の存在が白上羽衣にバレるとマズいというのは、我々2人の共通認識だ。

 しかし、伊坂誠二は無駄に誠実なせいで、妙なところでボロを出しかねない。

 たちの悪いことに、精神や記憶への干渉に強い耐性を持っているようで、生半可な魔法は効かないか、きっかけがあれば解けてしまう。

 

『この契約を用いた魔法なら、お前にも長期的な干渉が可能だ。お前がもう少し器用なら、やる必要もないのだが』

「・・・わかった」


 契約を使った魔法は特殊であり、条件さえ満たせば魔法への耐性をほとんど無視することも可能だ。

 儀式を抜ける方法も、この契約魔法に則っている。

 まあ、その条件というのが、少々難しいのだが。


『よし、それではここに名前を書け』

「ああ」


 伊坂誠二にシャーペンを渡すと、ルーズリーフに『伊坂誠二』と微妙に汚い字で書く。

 

「ほらよ」

『うむ』


 名前を書き終わった伊坂誠二からシャーペンを受け取ると、今度は私が『ツキコ』と書く。

 これで・・・


「? 何も起こらないぞ?」

『・・・お前、まだ納得していないな?』

「え?」


 契約者である私たちにも、契約書であるルーズリーフには何の変化もない。

 それは、契約魔法の条件を満たしていないからだ。


『契約魔法の条件は、『完全な双方の同意』だ。精神干渉がある場合には無効になるが、お前の場合はただ納得いっていないだけだろう』

「そりゃあ、しょうがねぇだろ。お前は確かに恩人だけど、完全に信用できるかって言ったら無理だ」

『ふむ、まあ、それもそうか』


 契約魔法は双方が契約内容に納得し、同意しなければならない。

 伊坂誠二からすれば、まあ仕方がないかもしれないが、それでは私が困る。

 これから先、万が一伊坂誠二に心変わりがあった場合、私が消されかねないし、伊坂誠二に協力を強制することができれば、儀式の完成が現実的になるのだから。


(仕方ない。できればこの手は使いたくなかったが)


 ハァとため息を一つつくと、私は契約書に条件をもう一つ書き足した。


『おい、これならどうだ?』

「なんだよ?一体何を書き足して・・・はぁ!?」


 契約書を見た伊坂誠二が、驚きの声を上げる。

 そこには、こう書かれていた。



⑧ ⑤を達成し、③を履行する際、白上羽衣の人外への嫌悪を取り払う。これは③の例外とする。



「お、お前、これってどういう・・・?」

『文字通りだ。白上羽衣は人間。当然、人外への恐怖と敵意を持っている。今は、私が中にいる故に、どうにかできているがな』

「そ、それじゃあ、お前が消えたら・・・」

『私が消えれば、お前の生活は白上羽衣と出会う前に逆戻りだ。周りの人間と同じく、白上羽衣もお前を恐れるようになるだろうな』

「そ、そんな・・・」


 顔面蒼白になる伊坂誠二。

 ずいぶんとショックを受けているようである。


(やはり、こうなるか・・・だから、①の条件にわざわざ一文足したのだがなぁ)



① ツキコは白上羽衣の身体に入る限り、悪事を行わない。この場合の悪事とは、現行法に反する犯罪   

行為(魔法を使った場合、凶器を使用したとする)ならびに他者(白上羽衣含む)の精神、記憶を改ざんすることを指す。ただし、儀式において必要な場合はこの限りでない。



(伊坂誠二に対する白上羽衣の悪感情。これを抑えなければ、まともに動くことができないどころか、最悪伊坂誠二がショック死する可能性すらあると思っていたが、これは本当にマズいな)



--怖い!!近寄りたくない!!消えて!!



 伊坂誠二は人外だが、その中でも『死』という最も人間にとって恐怖を煽る概念に強い適性を持つ。

 人間の姿ならば漏れ出す瘴気も少ないようだが、光属性に適性のある白上羽衣にはそれがわかってしまう。

 自分が白上羽衣の精神を宥めなければ、恐怖と嫌悪のあまり完全に動けなくなってしまうのは明らか。

 そして、白上羽衣にそこまで嫌われていることが伊坂誠二に伝われば・・・

 その結果が、今の伊坂誠二である。

 いや、まだマシか。



--消えて!!消えて!!消えてよっ!!


 

(白上羽衣の伊坂誠二に対する嫌悪は、常人のそれを遙かに上回る。もしも、伊坂誠二を殺せる方法があるのなら、ためらいなく実行するほどに。仮にそんなことになれば・・・まあ、今それはいい。ひとまず伊坂誠二のフォローが先か)


『そんなに気落ちするな。私との契約を守れば、今まで通りに接することができるのだから』

「け、けど・・・」

『けど?』

「それじゃあ、初めて会った時も、あのとき後夜祭に誘ってくれたのも、嘘だったってことか・・・?」


 らしくない、か細い声で呟く伊坂誠二。

 これは重傷のようだ。

 このままでは、本当にこれからの戦いに悪影響が出かねない。

 

『嘘ではない』

「え?」


 だから、私は嘘をつく。


『書いてあるだろう?『人外への嫌悪を取り除く』と。つまり、あの時の白上羽衣の言葉は、お前が普通の人間だったのならば言っていた言葉だ。人外への嫌悪というフィルターがかかっていない、素の白上羽衣の言葉に他ならない。契約を履行したとしても、白上羽衣に無理矢理好意を植え付けるようなことにはならん』

「そ、そうなのか?」

『ああ』


 違う。

 あのとき、白上羽衣の意識は深層に沈んでいた。

 伊坂誠二を後夜祭に誘ったのは・・・


(私だ。この、ツキコだ)

 

 素の白上羽衣が伊坂誠二にどんな反応をするかなど、誰も知らない。

 だが、ここまで嫌悪が染みついている以上、人外への嫌悪を取り払い、記憶を消しても、なおそれが残る可能性は十分ある。

 少なくとも、白上羽衣は少し遊んだだけの男にいきなり恋人になろうと誘うほど、恋愛への興味を持っていないのは確かだ。


「そ、そうなんだ・・・良かった」

『・・・・・』


 目の前で、救いを得たかのように、心から安堵したかのように微笑む伊坂誠二。

 ソレを見て、私の心に湧き上がってきたモノ。

 それは・・・


(なんと、憐れな)


 自分が恋い焦がれる女が、心の奥底では己を蛇蝎のごとく嫌悪しているか、あるいは路傍の石ころのように興味すら抱かれていない。

 それを知らず、相思相愛であると思って笑う男。

 いっそ滑稽ですらあるというのに、憐憫の情を抱かずにはいられなかった。

 だから、これは私からの情けだ。


『伊坂誠二。お前の恋、このツキコが成就させてやる。だから、安心するといい』

「ああ。ありがとう、ツキコ」

『・・・・・』


 その礼の言葉が届いた時。

 私の中の何かが、軋んだ気がした。




-----



おまけ




『気に入らんな』

「? 何がだ?」


 公園からの帰り道。

 すっかり暗くなって、街灯に照らされる道路を並んで歩いていると、不意にツキコが呟いた。

 その手には、さっき成立した契約書が握られている。

 

『見ろ、これを』

「見ろって、名前が書いてあるだけじゃん」


 不満げな表情でこちらに契約書を突き出してくるツキコ。

 その白魚のような指が乗っているのは、オレたちの名前が書いてある箇所だ。


『鈍いヤツだな。よく見ろ。お前は『伊坂誠二』なのに、私は『ツキコ』としか書いてないだろうが。っていうか、今更だがなんだツキコって。センスのないことこの上ないぞ。だからモテないんだ』

「うるせーよ。オレがモテないのは関係ないだろうが。つーか、ツキコって名前が気に入らないのか?だったら、別の名前考えてやろうか?」


 あのとき、オレは白上さんの身体に入っているコイツと、白上さんを別の存在だとはっきりさせるために、咄嗟に名前を付けた。

 はっきり言って、自分でもちょっとどうかと思う名前である。

 なんだったら、別の名前を付けようかと思ったのだが。


『ダメだ』

「え?」


 返ってきたのは、驚くほど冷たい声だった。


『私はツキコだ。もう、ツキコという存在なんだ。他ならぬお前がそう決めたんだ。私からこの名前を奪うことは、誰であろうと許さん。絶対に』

「お、おう・・・悪い」


 そこにあったのは、仮面のような無表情だった。

 オレを見下したり、馬鹿にしたり、かと思えば、さっき絶望すらしていたオレに同情して・・・同情してくれたんだよな?まあ、ともかく励ましてくれたりと、なにかと表情豊かなツキコ。

 普段の白上さんもよく笑顔を浮かべているからこそ、その能面のような顔はひどく怖くて、オレはすぐに謝った。

 ツキコは、謝るオレをしばらく無機質な眼で見つめていたが・・・


『・・・フン。そんな風にデリカシーがないからお前は女子に縁がないんだ。わかったら、二度と私の名前を変えるなどと言うなよ?いいな?』

「あ、ああ」


 『いや、オレ、黒葉さんとか魔女っ子とか、女子の友達いるし』と、普段なら反撃していただろうが、雰囲気が怖かったので、オレは素直に頷くにとどめた。


『フン・・・む。違う。私が言いたかったのはそんなことではない。よく見ろ』

「なんなんだよ、まったく」


 氷のような冷たい雰囲気は霧散したが、相変わらず不機嫌なツキコが指さすのは、オレの名前。

 いや、違う。


『お前には名字があるのに、私にはないだろうが。なんというか、締まりがないと思わないか?』

「まあ、言われれば確かに?」


 ツキコが指さしていたのは、『伊坂』というオレの名字だ。

 言われてみると、オレはフルネームなのに、ツキコのみカタカナで三文字というのは違和感がある。

 オレがそう言うと、『そうだろう?』と、ウンウン偉そうに頷きながらツキコは続けた。


『と言うわけだ。名字も考えろ』

「はぁ?なんでオレが」

『私に名前を与えたのだ。名字を考える責任がお前にはあるだろうが。常識的に考えろ』

「いや、ねーよ。常識的に考えて、他人の名字を考えるシチュエーションとか普通ねぇから」


 突然何を言い出すのか。

 名前を付けることはあるだろうが、他人に名字を付ける時が来るとは思わなかった。


『なんだと!?それじゃあ、私がこれからサインするとき、この格好の付かない三文字だけ書けと言うのか!!この甲斐性なしが!!』

「お前がこれからサインする時とかあんのかよ。っていうか、オレが付けたらまたセンスないとかボロクソ言うんだろうが。自分で考えろよ」

『ぐぬぬぬ』


 ただでさえ名前のことで揉めたばかりである。

 名字でも難癖を付けられるなど、冗談ではない。

 オレが名字を考える素振りがないのが気に食わないのか、ツキコが唸っていた。


『もういい!!だったらお望み通り自分で考えてやる・・・身体が白上羽衣なのだから、やはり『白上』か?』

「それはダメだ!!何のためにツキコって名前付けたと思ってんだ!!」

『チッ!!代案を出さないくせに否定ばかりする、腹の立つ少年漫画主人公のようなことを言いおって。ならば・・・』


 そこで、少しばかり考え込んだツキコは、オレを見てニンマリと笑った。

 その不気味な笑顔に、猛烈な嫌な予感がする。


『よし!!私の名字はこれから『伊坂』だ!!『伊坂ツキコ』!!それがこれからの私だ!!』

「はぁっ!?」


 あまりにもあんまりな名字に、オレは思わず叫んでしまった。


「おい!!それはないだろ!!なんでオレと同じ名字なんだよ!!」

『お前は私の名付け親だ。だから、私も同じ名字を名乗る。筋が通っているだろう?』

「そ、そう言われてみれば確かに・・・いや、でも止めろよ!!なんか恥ずかしいわ!!なんだったら、オレが名字考えてやるから!!」

『いーや!!もう決めた!!私は伊坂ツキコだ。嫌だというなら、白上と名乗ってやるぞ?いいのか?』

「いや、だから白上は止めろって!!あ~もう、わかったよ!!好きにしろ!!」

『ふふん!!なら、好きにさせてもらおうか!!なんなら、名付け親なのだし『パパ』って呼んでやろうか?』

「絶対に止めろ!!オレまだ高校生だし、お前みたいな娘なんぞいらねーよ!!」

『なら、『お兄ちゃん』がいいのか?このシスコンめ。お兄ちゃんキモーイ』

「お前なぁ!!・・・はぁ、オレ、なんでこんな理不尽な二択をいきなり突き付けられてんだよ」


 なぜだか上機嫌なツキコに対し、ため息をつくオレ。


『おい伊坂誠二。ため息をつくと幸せが逃げるぞ。ただでさえ辛気くさいのだから気をつけろ』

「誰のせいだと思ってんだよ!!あと、ずっと思ってたけど、人のことをフルネームで呼ぶんじゃねぇ!!お前も伊坂ならややこしいだろうが!!」

『おい、誠二。さっきから思ってたが、声がでかいぞ。近所迷惑だろうが』

「だから!!誰のせいだと思ってんだよぉぉおおおお!!」


 日の沈んだ、夜の住宅街。

 その中に、オレの叫びがこだまするのだった。

 


-----


TIPS1 契約魔法


魔法使いの間で伝わる、特殊な魔法。『ギアス』とも言う。

契約内容を定め、魔力を込めて契約書に記し、双方が完全に同意することで成立する。

この際、精神干渉によって無理矢理同意させた場合には発動しない。

一度成立すれば、双方が破棄に同意しない限り永続する。

その効果は強力で、どんなに強い魔法使いであっても、契約者は契約に違反した行動を一切取れなくなる。

『これは契約違反だな』とわずかにでも思った時点でアウト。

第三者に認識を操作され、知らず知らずの内に違反させられそうになった場合にも、行動は止まる。

ただし、契約締結時に、『これくらいならまあ』と判断していた場合かつ、その行動が契約違反だと認識していない場合は例外。

昔の魔法使いは、契約に不備があるたびに破棄して作り直していた。

なお、高レベルで『死神』の権能を使用した場合には、破壊可能である。



-----



TIPS2 ツキコの好感度


何が、『ツキコさんが好き』だ!!やけに素直で調子が狂う!! -5%


いや、この状態が続けば都合がいいのでは?でかい忠犬みたいだし +5%


憐れな・・・せめてもの情けだ。お前の恋、私が導いてやる +10%


私の名前を奪うなど、お前でも許さん!! -5%


『伊坂ツキコ』か。ふふん、これがこれからの私だぞ、誠二!! +10%



現在 45%



逆位置の死神の象徴は、再出発。

最もその適性のある伊坂誠二によって付けられた名前は、妄執にとらわれた欠片にとってこれ以上ない祝福である。


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