第30話 死神と月1

 穴があったら入りたい。

 それは、その場から逃げ出したいほどのとてつもない羞恥を感じたときの様を表わす慣用句だ。

 オレは今、その言葉を考えた人の気持ちを完全に理解することができていた。


『『ツキコ、いや、ツキコさぁ~ん!!オレと付き合ってください~』』

『うう・・・』


 道の真ん中でうずくまるオレの耳元で、悪意に染まった声が囁く。


『『キミのためならぁ~、オレはなんでもできるぅ~』』

『た、頼む、もう、もう・・・やめてくれ』


 オレは、心のそこから誠意を込めて懇願する。

 今まで、不良に囲まれたことはなんどもあった。

 怪異とだって戦ってきた。

 けれど、ここまで心が折れそうだと思ったのは、人生の中で初めてであった。

 そして、そんなオレの憐れにすら思えるだろう様を見て、声の主は・・・


『ほぉう?『やめてくれ』?命の恩人に向かって、ずいぶんな態度を取るじゃあないか。ええ?止めて欲しいのなら、それ相応の頼み方というものがあると思うがなぁ?』

『くっ!!』


 その声音に、さらなる喜悦と嗜虐心を含ませるだけであった。

 俯くオレにその顔は見えないが、さぞや歪んだ笑みが浮かんでいるに違いない。

 けれども、今のオレに頭を上げるなどという無礼は許されない。

 今も、オレの言葉遣いの荒さに耳ざとく気付いたソイツがねちっこくオレをいびっているというのに、反論することもできやしない。

 なぜならば・・・


『おやおや~?反省の声が聞こえんな~?ならば仕方がない。『本当に、心の底から大好きです!!キミのためなら、オレはどんなヤツにも勝てる!!絶対に、ツキコさんを守り抜いてみせ・・・』』

『わかった、わかった!!わかりました!!無礼な態度を取って申し訳ございませんでした!!ツキコ様!!』

『ふふ!!言えたではないか!!わかればいいのだ、わかればな!!あっはっはっは!!愉快愉快!!』

『くっ!!殺せ!!いっそ殺せよぉぉおおおお!!』


 『恋人』に精神干渉を受け、生殺与奪の権利を奪われていたオレを助けてくれた恩人。

 たとえ、そのときのとち狂った言動でからかわれようと、羞恥責めをされようと、目の前の白上さんの姿をして高笑いする女に借りができてしまったのは事実なのだから。



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『さて、中々面白かったがもう飽きてきたから楽にしていいぞ。キモいから敬語もいらん』

『お前、仮にも女がキモいとか軽々しく言うなよ・・・男心は案外もろいんだぞ』


 『恋人』を倒し、へたり込んでいたオレに手を差し出して立たせた後、『いやぁ、それにしてもさっきまでのお前は傑作だったぞ。動画撮っておけば良かった』とニヤつきながらそのときのオレを真似して、オレの心に壊滅的なダメージを与える遊びに興じていたらしいツキコ。

 ひとしきりオレをからかって満足したのか、ツキコは道路のすぐ傍にあった切り株に腰掛けながらそう言った。

 

『さて、私に聞きたいことがあるのだろう?質問を許してやる。答えられることなら答えてやろう』

『え?そりゃ、聞きたいことはあるけど・・・いいのか?』


 あの『恋人』に襲われる前、オレは何かと怪しいコイツから色々な事情を聞き出すつもりだった。

 『正義』と戦った際、ツキコは白上さんのフリをしてオレを騙そうとしてきたし、さらにはどうやったのか知らないが、オレの記憶に何か細工を加えて、そのときのことを思い出せないようにしていた。

 そのことから、ツキコに後ろめたい何かがあるのは確実であり、どうやって聞き出したものかと思っていたのだが、今のツキコはずいぶんとオープンに見える。

 そんな風に思うオレを見て、ツキコは『フンッ』と鼻を鳴らした。


『私の状況が変わったんだ。確かに、これまでは私の正体は秘匿しておきたかった。しかし、お前にバレてしまい、しかも私のかけた記憶への細工も破られた以上、もはや隠しておく意味はない。正直に事情を話して協力を持ちかけた方がマシだ』

『記憶への細工って、やっぱお前オレになんかしてやがったのかよ。そんな相手に、オレが素直に協力なんぞすると思ってるのか?』


 開き直るようなツキコ。

 そんなツキコに、オレは全身から魔力を放出しながら凄む。

 だが、そんなオレを見てもツキコに動じた様子はない。

 

『フン。下手な演技は止めておけ。お前に私を傷つけることはできんよ。私が白上羽衣の身体に入っているのとは別に、お前は一度恩を受けたと思ったヤツに暴力を振るえるような男じゃない』

『・・・チッ』


 見透かされた。

 そう思ったオレは、魔力を止めた。

 そうだ、コイツの言う通り、オレはもうツキコを敵として見るのが難しくなっていた。

 なにせ、さっきまでオレは操られ、ツキコに刃を向けたというのに、当の本人によって助けられてしまったのだから。

 それになにより・・・


(なんだ?正義と戦う前よりも、『嫌な感じ』がかなり減ってる?)


 

--生にしがみ付く者に、裁きを。



 初めてオレがこのツキコに会ったとき、オレの中の『何か』がしきりに騒いでいた。

 『コレはこの世にあってはならないモノだ』と。

 そしてその声の言うように、オレ自身も悪寒のような嫌な感覚を感じ取ったのを覚えている。

 だが、今のツキコからはその『嫌な感じ』があまりしない。

 まるで・・・


(まるで、あの時の『アイツ』と、今の『ツキコ』が別の存在みたいな・・・)

 

『まあ、とはいえだ。協力を願い出るからには、こちらもフェアでなければならんと思ってな。正義の時に助けられた借りもお釣りがもらえるくらいには返した。ならば、ここは腹を割って話をしてやろうと・・・おい、聞いているのか?』

『え?あ、ああ、スマン』


 考え事をしていたら、ツキコに怒られてしまった。

 そうだ、せっかくツキコについて色々聞けるチャンスなのだ。

 それを無駄にする訳にはいかない。

 

『じゃあまず、お前は何なんだ?何が目的なんだ?なんで白上さんの中にいる?』


 最も端的に、聞きたいことを聞く。

 この質問に嘘を答えることは許さないと、気迫を込めて。

 そして、その答えによっては恩人であってもタダでは済まさない。

 オレの気迫が伝わったのか、ツキコもそれまでの人を食ったようなニヤついた表情をスッと引き締めた。


『色々と一気に聞いてきたが、まず最初の質問から答えてやろう。今の私はツキコだが、同時に『始まりの魔女』の残滓でもある』

『『始まりの魔女』?それって、大昔に魔法使いを最初にまとめ上げようとしたっていう、あの?』

『ああ。もっとも、今の私はその一部でしかないがな』


『始まりの魔女』


 以前、魔女っ子から聞いたことがある。

 その昔、魔女狩りなどで迫害される魔法使いたちを守るため、彼らをまとめ上げようとした魔女がいると。

 魔女そのものはもっと前からいたものの、組織として行動をしようとしたのが初めてであったことから、『始まりの魔女』と呼ばれているらしい。

 そして・・・


『『儀式』をどうにかしようとして、結局失敗したって言う?』

『ああ。私はあくまで欠片に過ぎない故、もう詳しいことはおぼろげにしか覚えていないがな』


 この『儀式』は『願いを叶えるおまじない』が人間の魔力によって肉付けされた怪異だ。

 その怪異が人間によって利用されることを防ぐ、そして、魔法使いだけが願いを叶えられるようにするために、始まりの魔女は儀式に手を加えようとして失敗。

 そのまま死んだと言われていたが、こうして生きていたとは。

 いや、生きていると言えるのだろうか?


『詳しい方法は言えんが、私は魂だけで存在できる魔法によって自己を保っていた。まあ、幽霊のようなものだ』

『幽霊・・・』



 幽霊。


--それは、この世に未練を残して残り続ける魂。


--この世の理に則って、速やかに滅ぼさなければならない存在。



 魔女っ子と怪異について話している時に、幽霊、アンデッドのことについても聞いたことがある。

 この世界の理に反して生にしがみつく存在であり、許されざるモノ。

 オレが話を聞いてそう思ったモノだ。



『質問の順番が変わるが、白上羽衣の身体を利用しているのは私が魂だけしか存在していないからだ。そのままでは何もできん。白上羽衣を選んだ理由は、コイツが私の血族だからだな。中に入るのに都合が良かった。今回は出会うのにかなり運が絡んだがな』

『え?そうなのか!?』

 

 またも他のことに意識が向いていたオレだったが、その衝撃的な答えですぐに我に返る。

 

『コイツの髪や瞳は、外国の血が混じっているからだ。それを遡れば、私の一族にたどり着く。生前の私は血を残す前に死んだし、姉妹もいなかったはずだから、親戚だろうがな。だが、コイツと生前の私は見た目はよく似ている』

『じゃ、じゃあ、白上さんも人外なのか!?』


 オレは勢い込んで尋ねた。

 魔女っ子が以前言っていたが、人外は人間から嫌われやすいらしい。

 白上さんは最初にオレに構ってくれたが、それは白上さんが人外だったからなのだろうか。

 もしそうならば、白上さんもまたオレの『同類』ということに・・・


『いや。コイツには私と同じ血は流れているが、薄すぎる。魔力は一般人よりは多いが、人間の範疇だな』

『そ、そうか・・・』


 あっさりと否定された。

 期待を裏切られたような気分になり、一気にテンションが下がる。

 

『ちなみに言っておくが、私は白上羽衣の中に入り、儀式のことについて教え、戦うように唆したが・・・今もコイツが戦い続けているのはコイツ自身の意思だ』

『え?』


 白上さん人外疑惑のせいで吹き飛んでしまったが、オレが白上さんの中に何故入っているのか聞いたのは、白上さんを無理矢理戦わせているのか知りたかったからだ。

 幸いと言っていいかわからないが、そんな目には遭っていないらしい。

 しかし、何故だろう。

 オレが疑問に思っているのを察したのか、ツキコは語り出した。

 なぜだか、機嫌が悪そうに。


『自分の身の回りの人たちが、街の人間が儀式に巻き込まれるのを防ぎたい。もしそうなったら守りたい。それがコイツの願いだ』

『おお、さすが白上さん!!立派だ!!』


 白上さんが戦う理由は、とても納得のいくものだった。

 というか、オレだって似たようなものだ。

 オレの場合は、魔女っ子が放っておけないから戦い続けている。


『ハッ!!立派?ああ、そうだな。立派だよ。コイツはお利口さんだな。立派立派・・・気持ちの悪い』

『なっ!?お前っ!!』


 感心するオレを嘲笑うように、ツキコが吐き捨てる。

 その目は、心の底から馬鹿にするように冷たかった。

 オレは白上さんの立派な願いを馬鹿にするツキコが許せず声を荒げるが、ツキコの態度は変わらなかった。


『気持ちの悪いものをそう言って何が悪い。私には理解できんよ。家族だけならいざ知らず、見ず知らずの人間のために命を放り捨てるような真似をするなど。操る手間が省けて助かるが、だからこそ気持ち悪い』

『見ず知らずの人間のためって・・・お前だってそうだったんだろ?始まりの魔女は魔法使いを助けるために』

『それは私にそれを成せるだけの計画があったからだ。私は魔法使いをまとめ上げられるだけの力と実績があった。儀式には敗れたがな。だがコイツは違う。白上羽衣は、私のおかげで儀式のことを知りながら、己にたいした力がないのも知っていながら、街の人間を守るだのと抜かして戦いに身を投じた。伊坂誠二。お前にも聞こう』


 そこで、ツキコはオレの眼を見て言った。

 その目に、何かを馬鹿にする色はない。


『もしお前が、精々がレベル4以下の魔法しか使えないとして。例えばあの『正義』と戦えと言われたら、戦えるか?』

『・・・それは』


 オレとツキコが戦った『正義』

 あの怪異は強かった。

 レベル9であるオレの『ブレイド』と真っ向から打ち合い、権能によってオレたちの行動を制限してきた。

 もしも、オレが今のツキコくらいの力しかなければ、間違いなくやられていただろう。

 やられる。すなわち、死ぬ。


『・・・・・』


 無意識に、オレは胸を押さえていた。

 オレが死神になった日、元の死神の大鎌によって串刺しにされた箇所。

 あの日、少しずつ命が消えて、冷たく死に向かっていく感覚は今でも思い出せる。

 そして、オレは魔女っ子にこう言ったことがある。



--これで、オレに何の力もなかったら、とっくに逃げてるよ

 


 オレが今も戦い続けることができているのは、オレが強いからだ。

 オレに何の力もなければ、なんとかできる力がなかったら、とっくに逃げている。

 まあ、今はもう魔女っ子と関わりすぎて、あの子を見捨てて逃げることは心情的にできないと思うが。

 オレが無言でいるのをしばらく見ていたツキコだが、やがてもう一度鼻を鳴らす。


『フン。どうやらお前はコイツほど考えなしというわけではなさそうだな。まあ、ともかく私は白上羽衣のお気楽な博愛主義が気に入らん。それだけだ』

『・・・そうかよ。一応聞くけど、白上さんを解放する気は?』

『ない。私の目的を達する上で、私自身の参加は不可欠だ。コイツ以上に私に適合する身体は、今、この街にはいないだろう』

『・・・そうか』


 オレは、無言で再び鎌を突き付ける。

 例え、今戦い続けているのが白上さんの意思だとしても、ツキコが白上さんの中に潜み、今のように操ることができるという事実に変わりはないし、現在進行形で危険にさらしている。

 やっていることは非常に悪質であり、ツキコの気分次第で白上さんを殺せるということでもある。

 白上さんを守りたいオレとしては、速やかに、ツキコを滅ぼさなければならない。

 だが・・・


『それだけのことをする、理由はなんだ。お前の目的は』


 オレは、ツキコに改めて問いかける。

 オレは、今日ツキコに助けられた。

 ツキコがやっていることは認めがたいが、その理由を聞いてやろうと思えるくらいの借りを作ってしまったのだから。


『私の目的か』


 鎌を向けられても、ツキコに焦りはないように見える。

 それは、オレにツキコは殺せないという侮りか、はたまたオレを納得させられるような策でもあるのか。

 オレが内心でどう思っているのか知ってか知らずか、ツキコは悠然と口を開いた。

 

『私がこうして戦う理由は、そう物騒なモノではない。私の目的はただ一つ。『儀式の完成』だ』

『儀式の、完成・・・?』

『ああ、そうだ。生前の私の願いなど、今の私には思い出せん。代わりにあるのは、この儀式にかける妄執だ。この儀式は、私が手を加えようとした後、一度として願いを叶えられていない。すなわち、完成していないのだ。それを成し遂げることこそ、始まりの魔女の未練であり、私が存在する意義だ』


 この儀式は、かつて始まりの魔女によって改ざんされ、変貌を遂げている。

 だが、その改ざんは不完全であり、今もなおゆっくりと変化は進んでいるらしい。

 そして、そうして変化しつつある儀式を、最後まで終わらせた者は未だに存在しない。

 ツキコの目的は、生前の自分に成せなかった、儀式への改ざんの完了と、その上での成就。

 つまり、だ。


『お前の目的に、白上さんは何の関係もないだろうがっ!!』


 ツキコの、始まりの魔女の未練などという、死人の願いと今を生きる白上さんには何の関係もない。

 ツキコのやろうとしていることは、白上さんを危険に巻き込んでいるだけだ。

 例え、そこに白上さんの意思が混ざろうとも。

 生者の意思が、死者の未練にねじ曲げられる。

 そのことを、オレは到底受け入れられそうになかった。


『この街の人間なら、オレが代わりに守る。だから、白上さんを解放しろ』

『断る。人間を守りたいのは白上羽衣であって、私の願いではない。この街の人間の命など、私にはどうでもいい』

『そうかよ。なら消えろ』


 確かにツキコは恩人だ。

 けれども、だからと言ってやることなすことを何でも許してよいはずがない。

 それが、白上さんのことならなおさらだ。



--亡者に、安寧を



(オレなら、ツキコだけを消せる。やったことないけど、それは分かる)


 かつて、吊された男を倒した時のように、人間の姿で魔法を使えた時のように、今のオレには確信があった。

 自分ならば、白上さんからツキコだけを消し去ることができると。


デス・・・』


 オレは、突き付けた大鎌に魔力を込め、内から湧き出る自信に従って、ツキコを消そうとする。

 

『本当にいいのか?私を消して?』


 唐突に、ツキコはそう言った。


『何・・・?』


 動かそうとした鎌が、ピタリと止まった。

 その様子を、まるでわかっていたように笑みを浮かべながら見るツキコ。

 そして。


『なあ、伊坂誠二』


 自分の首に触れようとしていた大鎌の刃に手をやりながら、古き魔女の残滓は口を開いた。


『私と取引しないか?』

 

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